第40章「ヤンチャなドラマー」
「じっとしてろ。すぐ終わる」
矢吹慎二は黙々と田辺の肩に包帯を巻いていた。整備工場の裏手、油の匂いがまだ残る作業ベンチの横。
「悪かったな……俺のせいで」
低く、ぽつりと呟くと、田辺はふっと笑った。
「なぁに、俺も昔はよく悪さしたもんよ。若いのはそれぐらいでいいんだ」
そう言って、突然鼻歌を口ずさむ。
「♪オイラはドラマー、ヤンチャなドラマー〜♪」
「……なんだそれ」
矢吹が思わず吹き出す。
「知らねぇのか? 俺らの時代はな、その曲でドラム練習したもんだよ」
「へぇ……やっぱおっさんも、叩いてたんだな」
「まぁな。もう体はガタガタだけどよ」
仕事が終わると、田辺は矢吹を乗せて車で走り出す。
助手席で揺られながら、矢吹は尋ねられる。
「お前さん、なんか悩んでんのか?」
「……まぁ、大したことねぇよ」
それ以上は言わなかった。
到着したのは、少し錆びついた古い建物。看板には「スタジオM.T」と小さく文字が残っていた。
「ここ……?」
「俺が昔、使ってたスタジオさ。今はもう誰も来ねぇけど、機材だけは残してあってな」
中へ入ると、薄暗い防音室の奥に、年季の入ったドラムセットが鎮座していた。
「……結構なもんじゃん」
矢吹が近づき、タムをひと撫でしながら呟く。
「孫もここで練習してたんだ。気に入ってな、毎日通ってた」
「へぇ……」
スティックを手に取ると、何の前触れもなく矢吹は叩き出した。
──一発、一発が、明確で重たい。リズムに迷いがない。
田辺は腕を組み、ブースの隅で頷いた。
「なるほどな……お前さん、やるじゃねぇか」
「当たり前だろ、伊達に叩いてねぇ」
そう返したが、心のどこかでつぶやいた。
(……でも、これじゃ足りねぇんだよな)
演奏を終えると、ふたりはスタジオの外へ。
隅に残されたソファに腰を下ろし、缶ビールをプシュッと開けた。
「ここ、いいだろ?」
「……あぁ。ドラマーのための場所って感じだな」
「たまになら、いつでも使っていいぞ。好きにやれ」
「……ありがとな」
矢吹がふと背後の棚に目をやると、ぎっしりと並んだCDや譜面、スティック、そしてドラムに関する本。
「これ……おっさんの?」
「いや。孫がな、本気でプロ目指してたんだ。あいつなりに全部揃えてさ」
「プロ、ねぇ……」
矢吹は呟きながら、手に取ったスティックの先をじっと見つめた。
──自分を曲げない。それが矢吹慎二という男の矜持だった。
だが、だからこそ──
今の自分のままでは、あの“音”には届かない気がしていた。
「……お前さんの音、俺は好きだよ」
田辺のその一言に、矢吹は何も返さなかった。
ただ黙って、握ったスティックの感触を確かめ続けていた。




