第100章「未来へ続く音」
「もしもし? あぁ、松浦さん? こないだはどうも、ご馳走様でした!」
電話口から聞こえてくるのは、高木翔の軽やかな声だった。
『ご馳走様じゃねぇよ! ほんとに……これだからスタートアップのやつは……』
「あはは! 悪い話じゃなかったでしょ? 考えといてくださいね、松浦社長」
『……まぁいいよ。それより順調そうじゃん、新しい社長と上手くやってるみたいで』
「それがね……まぁ、とんでもない人に着いてしまいましたよ……」
苦笑しながら応じる高木。そのとき、事務所のドアが勢いよく開いた。
「高木! 悪い! 待たせたな!」
「ほんとですよ……さぁ行きましょう! ……あ、松浦さん、また話しましょ! では!」
通話を切り、高木は隣に並んだ田村奏真と共にテレビ局へ向かう。
「そういえば、昨日の資料読んでくれました?」
「え? ……あぁ……読んだかな……」
「勘弁してくださいよー! あれ今日中に終わらせたかったのに!」
「わりぃ……」
二人が駅へと歩いていく途中、路地の角でふと足が止まる。
聞こえてきたのは──MAROON5の《Sunday Morning》の旋律だった。
テナーサックスを抱えた少年が、澄んだ音を響かせている。軽やかで、それでいて芯のある音圧。だが、まだ荒削りな部分もある。
「……あいつ、やべぇな」田村が呟く。
「いい音圧ですね。技術も高い。ただ──マニアック向けで、大衆には受けないでしょうけど」高木は冷静に分析する。
「高木……悪い。先に行っててくれ」
「え? またですか? どうせ断られますよ! うちはまだ実績そんなにないんですから!」
「大丈夫! 会議には間に合わせるから!」
そう言い残し、田村は少年の元へと駆け寄った。
演奏を終えた少年が、深く息を吐いた。
その背後から、ぱちぱちと拍手が響く。
「見事だったねー! どれくらいやってるの?」
「……一年です。でも、今日で最後の演奏にするつもりで」
「は? 何言ってんだよ! どうして?」
「色んなプロダクションに応募したんですけど、上手いだけじゃダメだって……。もうどうしていいか分からなくて……僕の音は誰かの心に響く音じゃないのかもしれません」
「それは違うよ」
田村の声は、真っ直ぐだった。
「え……?」
「自分の音は確かに大事だ。そこは曲げちゃいけない。だけど、新しい音も受け入れなきゃいけないんだ」
少年は黙ったまま、田村を見つめる。
「俺はさ、いつも新しい音を探す居場所が欲しくて……。どんな音にも限界なんてないって、証明したいんだよ!」
「……なるほど」
そのとき、ポケットの中で携帯が震えた。田村は慌てて応答する。
『おい、どこにいんだよ? もう準備できてるぞ』
「あ、矢吹!? え? なんだっけ……」
『てめぇ忘れやがったな! 深夜アニメのタイアップ! そのレコーディングだろうが!』
「あ! やっべぇ!! すぐ行く!!」
慌てて電話を切ると、田村は名刺を差し出した。
「とにかくこれ! 良かったら一度おいでよ!」
少年は手渡されたカードを見つめた。
──株式会社レゾナンス。
「……レゾナンス……え? レゾナンスって!」
驚きが声になり、それでも胸の奥に、確かな高鳴りが芽生える。
新しい音への可能性に、少年の口元がわずかにほころんだ。
一方その頃、田村は大急ぎで高木に電話をかける。
「高木! 悪い!」
『まだあの少年口説いてるんですか? もう会議終わりましたよ! 今どこです?』
「え! まじで! もう終わったの? 結果は?」
『ドラマの主題歌、レゾナンスに決まりましたよ!』
「おー!! さすが高木!」
『感心してないで、次の打ち合わせ場所に行かないと』
「あー……それがさ……アニメ主題歌のレコーディングあるの忘れてて……」
『もー! スケジュールはきっちり共有してもらわないと!』
「いやぁ……昨日、作曲だけじゃなくて色々作業があって……」
『だから言ったでしょ。作詞家だけじゃなくて、編曲家やレコーディングスタッフも雇おうって! それをカッコつけて“いや、歌詞以外は俺がやる”なんて言うからですよ!』
「……すいません……」
『もういいです。次の打ち合わせは自分が行きますから、レコーディング行ってください。それと書類! あれだけは今日中にお願いしますよ! 投資先との大事な条件も書いてますから!』
「お、おう……いやぁにしても、誰が投資してくれたんだ? 挨拶もしてないのに……」
『さぁ……誰でしょうね……』
「まぁ! いいか!……高木」
『なんですか?』
「ありがとうな」
『今更何言ってるんですか。早くレコーディング終わらせてください』
「おう!」
株式会社レゾナンス。
かつて活動拠点にしていた小さなオフィスは、いまや立派なプロダクションへと姿を変えていた。
「お待ちー!」田村が飛び込む。
「お待ちー! じゃねぇだろ!」矢吹が叫ぶ。
「さすがリーダー、ちゃんと遅刻! 変わんないねぇ〜」宮下が肩をすくめる。
「ほんと! なんかさぁ風格とかも出ないし、いつもの田村さんって感じ」櫻井が笑う。
「この人に社長の風格なんて出るわけないじゃん」片寄が冷静に突っ込む。
「お前らな! 言いたい放題言いやがって!!」
「あはは! じゃあ、そろそろ行きますか? Quiet SWAYとNoëlsのデビュー曲のレコーディングも控えてることですし」有村が明るく声をあげた。
「あ〜! 忙しいなぁ〜! 社長ってもっと楽なイメージだったのに……」田村は嘆きながらも笑っていた。
メンバーは、変わらぬ田村の姿に、どこか安心していた。
「それじゃ! 行きましょ! テイク1!」有村が声を上げる。
「よっしゃ! いいEnsemble作ろうぜ!」田村が拳を突き上げる。
レゾナンスの音は、今も止まらない。
常に新しいアンサンブルを求めて、今日もまたセッションを始める。
──その響きは、未来へと鳴り続けていた。
ご愛読ありがとうございました。