第1章「鳴らない音」
雨が止んだばかりのアスファルトに、安物のスニーカーが水を弾く音が響いた。
田村奏真──26歳。
元々は地元・広島のインディーズバンドでギター&ボーカルをしていたが、解散と同時に東京へ出てきて、早5年。夢を追っていたはずの道は、今や月収9万のフリーター生活に変わっていた。
「おつかれ〜、タムくん」
ライブハウス『Groove Studio』の裏口で、スタッフの美咲が手を振ってくる。奏真は気だるげに手を挙げ返した。
「今日のトリ、また配信系の子だったな。客、スマホ越しにしか拍手してなかった」
「今はそれが主流なんでしょ?。私たちの時代が古いだけ」
皮肉混じりの言葉が、喉の奥で苦く転がる。
ライブハウスの照明、音響、バンドマンの熱気──それらを“リアル”だと信じてきた彼にとって、画面越しの拍手やハッシュタグの嵐は、どこか現実感に欠けた。
だが、売れていない現実に、抗う術はなかった。
深夜、帰宅後のワンルーム。
カップ麺を啜りながら、ふと思い立って、PCに向かう。
昔録ったオリジナル曲のボーカルを外し、今の流行に寄せたビートとコードで再構成する。アレンジのセンスには、ちょっとだけ自信がある。昔から、人の曲を「仕立て直す」のは得意だった。
「……完成」
眠気と戦いながら、動画にしてSNSへ投稿。
再生数なんて、いつも通りの数十回で終わるだろう──そう思って、PCの電源を落とした。
翌朝。
スマホの通知音が止まらない。
「な、なんだこれ……」
いつもは静かなSNSが、リツイートとフォローの嵐。
動画のコメント欄には、「神アレンジ」「プロの仕事」「この人、もっと伸びるべき」など、信じられない言葉が並んでいた。
そして、ひとつのDMが目に入る。
> 初めまして。あなたのアレンジ、センス抜群でした。
> 実は自分、ベースを弾いていて、今まで色んなバンド渡り歩いてたんですけど…
> 曲に本気で向き合いたくなって。
> よかったら一緒に、何か作ってみませんか?
──これが、始まりだった。
夢を“奏でる側”から、“繋げる側”へ。
田村奏真の、もう一つの音楽人生が、ゆっくりと幕を開けた。