第九十二話 奪宮リゾルート-07
「メジロから先、進めてねえらしいっすよ」
紙コップに入ったレトルトの味噌汁を啜りながら、ヒテンが言った。
早朝のイケブクロ駅前。戦車、装甲車、輸送トラックと、その隙間を縫うように歩き回る迷彩服。
通勤ラッシュとは違う混雑が起きていて、人の多さにげんなりしながら、アラセもまた味噌汁を啜った。
「メジロってすぐそこじゃねえか」
「一駅す」
器用にも唇の端にワカメを貼り付けて、ヒテンはぼんやりとした顔で言う。
朝日が照らし出すイケブクロは、やはりまだ暑い。時折ビル風といえる強い風が吹く程度で、じめっとした蒸し暑さがまとわりつく。夏本番の地獄のような暑さほどではないが。
ここから南へ1キロと離れていない場所で、味方は依然戦っている。
夜中、爆音で何度も起こされたので、夜通し交戦していたのだろう。
「食ったら出撃る感じ?」
「まだその命令はないみたいですけどぉ……」
ヒテンが大きな欠伸をして、大粒の涙をぽろりと瞳から溢す。
「分隊長、よく寝れましたね……すぐ近くで戦ってんのに」
「いや、うるさかったから何回か起こされたよ」
「そういうことじゃなくて……」
二度目の大きな欠伸をしながら、ヒテンは頭を振った。
「目も閉じれねっす、こんな敵も近いのに」
ぼん。腹に堪える重低音が響き、視界の端で火山が噴火したような黒煙が上がる。すぐ近くを歩いていた見知らぬ若い軍人が、驚いて足を止めた。
「おぉー、あっちはミオちゃんの方かなぁ」
言いながら、アジサイが歩いてきた。手には給養員たちが寝ずに握り続けた、豚肉とみじん切りにした小松菜を混ぜ込んだおにぎり。つい先ほど、アラセとヒテンも食べたものだ。
「……あいつが?」
「あの先に姫アリがいるかもしれないって、夜中に偵察に出たんだよ。まだ帰ってきてないけど」
ハヤブサのことを、名前で呼ぶとか呼ばれてるとかでマウントとってくる、嫌な女。それでいて北方軍の優秀な指揮官、ミオ。
それでも、もし姫アリの情報を持ち帰ってくれば大金星だ。
指揮官クラスの存在である姫アリの出現により、皇国軍は一気に劣勢となり、たった一晩で首都を放棄せざるを得なかったから。
そして、今やその姫アリがどこにいるのか、正確な位置すら掴めていないのだから。
「北方軍はすごいよねぇ、ハヤブサ君もミオちゃんもさ。普通は無理でしょってことを普通にやっちゃうもん」
「あぁ……」
もや。
確かにミオは優秀だとは思う。ウツノミヤ駐屯地を奪還したのは、ミオ率いるカーミラ中隊の働きが一番大きい。
それでも、いけ好かない女の称賛の言葉はあまり聞きたくない。なんとなく。
「ハヤブサ君とミオちゃんがふたりで部隊指揮したらどうなっちゃうんだろうね?アラセちゃんは、ハヤミオについていける自信ある?」
「やだ」
即答。なんだハヤミオって。気色悪いカップリングを作るな。ついていける自信はあるが、ついていきたくはない。
アジサイはけらけら笑いながら、おにぎりを頬張った。
「じゃ、私とアラセちゃんのコンビで、トーキョー奪還まで頑張ろっか!アジアラ!」
なんだアジアラって。
アラセは答えずに、どこかから聞こえた誘導弾の音に虚空を仰いだ。無視はひでえ、とヒテンが笑い、その頭をアジサイが元気よくぶっ叩く。
姉弟のようで微笑ましい。ふたりとも普段のテンションとか子供っぽさが似ている気がする。
「仲良いな、アジヒテ」
そう声を掛ければ、二人はぴたりと動きを止め、アジサイとヒテンでアジヒテか、と合点のいったらしいアジサイは、もう一発ヒテンをど突いた。
「ガキに興味なーしっ! そういうアラセちゃんは、」
ヒテンの反撃キックをひらりと避けながら、アジサイは口を開いた。
「最近仲良くやってるんでしょ?ハヤアラ」
「は──」
ハヤブサと、アラセ。
……ハヤブサとアラセ……?!
「はぁ何ソレくっつけんなし別に仲良くもなんも最近話して無ェしそもそも仲良くないからアイツとは上官と部下やろ立場的に最近話もしちょらんし何??」
一息で言い切って。ぽかん、と口を開けて沈黙するアジサイとヒテンの顔を交互に見た。
「何?!」
「いや……なんでもねっす……」
「昨日ハヤブサ君と話すチャンスあったのに、バーカって言って逃げちゃったのアラセちゃんじゃん……」
「え、なにそれ」
「何ィ?!?!」
一歩詰め寄れば二歩下がられる。チッと舌打ちして、アラセは残りの味噌汁を飲み干した。
何だよハヤアラって。何だよ話すチャンスって。別に作戦行動中は話しくらいするし……あれは会話ではないか。
というか、最近のハヤブサの声は、なんか心を乱されるから嫌だ。変にざわざわして集中できない。
やっぱアイツのことは嫌いだ。
「さてさてっ、食べたら出撃準備するよ!」
空気を変えるように、アジサイがパァンと手を叩いて、わざとらしく大声を上げた。
誤魔化されねえぞ、とばかりに睨んでやる。
「う……さ、先に出た部隊はメジロから先に進めてないみたいだし、逆にこんなところで──」
「伏せろ!」
「上だッ!!」
アジサイの言葉に被さる怒号。
声の通りに上空を見れば、薄い雲の隙間から軍のドローンと羽アリが、絡み合うような格好で墜落してくるのが見えた。
「うぉぁあ危ねェ!!」
叫びながら味噌汁の入っていたカップを地面に置いて、近くの軍用トラックの下にスライディング。最低地上高に余裕のある、対地雷仕様のトラックで助かった。
ヒテンがカップごと放り出してどこかへ走っていき、アジサイがアラセと同じトラックの下に潜り込んできた。
「逆にこんなところでじっとしてる方が危ないって、今まさに言おうとしたところだよ!」
「ほんとだなクソが!!」
ガラスの砕け散る乾いた甲高い音のあと、地面が揺れた。ドローンと羽アリが心中して叩きつけられた衝撃で、すぐ近くのマンホールががたがたと音を立てた。
「被害を報告しろ!どっちに落ちた?!」
「大本営に繋げ!衛生も向かわせろ!」
口々に叫びながら、兵士たちが墜落現場へと駆けていく。
その様子を横目で見ながら、トラックの下から這い出た。轟音と振動のせいで、アスファルトに接していた膝と手のひらがジンジンする。
アジサイもトラックから出てきて、だめだこりゃ、と一言呟くように言った。
「アラセちゃん、みんなで前に出よっか。なんかここ混んできたし」
「まえ……って、前線か?」
「もちろん!トゥースブラッシュ中隊、集合!戦闘要員は獅子舞に乗車、準備でき次第前進する!」
アジサイの凛とした声は、喧騒の中でもよく通る。近くのビルに隠れたヒテン、ちゃっかりヘルメットを被っていたタイヨウとリュウセイ……散り散りになっていた皆が一斉に集まってきた。
「戦車の中の方が安全でしょ?」
「確かにそうね、行くわよ!」
アジサイに同意してミドリがヘルメットを被り、ダイチがヒテンに声を掛けて、皆が獅子舞へ向かう。
何度落とされたとしても。次のドローンが不死鳥のように、耳障りな羽音を鳴らして、アラセの頭上、朝日が照らす澄んだ青空を切り裂いていった。




