第八十九話 奪宮リゾルート-04
先刻──
何故自分が馬鹿げたことを言ったのか理解できない。
誰にだって傷ついてほしくないし、死んでほしくなどない。これ以上、トゥースブラッシュ中隊から犠牲者なんて出て欲しくない。
それは、相手がアジサイだろうとハヤブサだろうと、気持ちの大きさは同じだ。
同じはずだ。
アラセはトリガーを握り込み、放った徹甲弾がアリの胴体に吸い込まれるのを、最後まで見届けない。
「次どれだオラァ!」
眼球を巡らせる。敵はあちこちにいる。
が、細く入り組んだ住宅街の真ん中。どれも大きく移動しないと、射線が通らない。
「2-2は右に入って追い立てろ!向かってくるなら殺せ!」
『2-2了!』
「2-3はオレの左から同軸で撃て!電柱ごとブッ飛ばす!」
『2-3了解っ!』
指示を飛ばしながらアクセルを踏み込んだ。ようやく頭上の自動装填装置が、砲弾を込めたと報告してくる。
──遅ェ!
アドレナリンが噴き出る。ほぼ密閉された獅子舞の車内はひどく暑い。首筋を伝った汗は腹まで流れ落ちるし、半長靴の中も汗で水溜りになっている感触。
それでも、目の前に敵がいるなら構っていられない。
それに戦っている間なら、ハヤブサに向かって、"死んじゃ嫌だ"なんて、馬鹿げた子供じみた台詞を吐いたことを、忘れられる。
『トゥースブラッシュ全車聞け!削り斬るよ!』
不意のアジサイの声に、はっと顔を上げた。
あれをやる気か。
自分達の真上から砲弾が雨みたいに降ってきて、自分達はそれをすべて回避する。雨が止んだ後に残るのは敵の残骸だけ、という。
そりゃあ成功すれば凄いけどまず無理でしょう、と誰もが思う無茶苦茶な作戦を。
アジサイの宣言の後にやや間があって、
『着弾まで一分』
ハヤブサの冷たい声が、氷水のように脳に沁みた。
暑い──と思っていたのに。その声はしんと凍てついていて、肩の力が少しだけ抜けた。
力を込めすぎて痛くなっていた眉間、痙攣しかかっている脚の緊張が解けて、噛み締めていた奥歯が久方ぶりに離れる。
そんな、身体の変化に気付いて。今度は逆にまた、暑くなる。
いたずらに頬が熱を帯びる。
「……っんだよ」
変だ。熱でもあるのかもしれない。目の前の敵に集中すべきなのに──
さっきから、ハヤブサの声を聞くと、集中が乱れる。
『分隊長、そろそろ来ます!』
ダイチの声。来ます、と言われてもここからでは見えない。
雲を裂き、音速で降り注ぐ、砲弾の姿なんて。
『全車放射状に移動開始、1-1その道を直進1-2酒屋の角を曲がって停車……』
ハヤブサの口調が早くなっていく。冷静さと性急さが交わるカウントダウン。一歩間違えれば巻き添えを喰らう、よほど頭のおかしい奴しか思いつかないだろう作戦。
『2-1全速後退80メートル』
ハヤブサからの指示には返事を返さず、ギアを後進に叩き込んでアクセル全開。タイヤが軋み、耳障りなスキール音を響かせて、アスファルトに真っ黒なタイヤの跡を刻む。
ハヤブサがダイチとヒテンに移動指示をしたところで、最後に一言。なにげなく付け加えるように、言った。
『今』
刹那、轟音。
土煙が立ち上り、すぐ目の前で花火が打ち上がったように、赤とオレンジの焔が弾けた。
『2-1と2-3前進1-1停止1-3100メートル前進して停止2-2左回頭し前進』
この状態で前進──んな指示、マトモな奴なら出さねえ。
アスファルトが抉れ、目の前を舞っている。空中で炸裂した炎が民家のガラスを溶かし、折れた電柱がケーブルと踊りながら宙返りしている中へ、前進と。
──オレもマトモじゃねえな!
自嘲気味に口の端を吊り上げて、アラセはブレーキを踏みしめながら、慣れた手つきでギアチェンジ。
すぐに電気モーターと、それでは飽き足らずガスタービンエンジンが爆音で唸り、獅子舞は前方へと一気に加速する。
「……ぐぉッ」
変な声が出た。積み木をばら撒いたように、ブロック塀が空を覆い、一部がアラセの駆る獅子舞に迫る。
外周カメラと直結するヘルメット一体型のモニターにその姿が映り、それでも身体は竦まない。
間一髪、それを幾度も。
ブロック塀だったもの、その凶器のシャワーを全て避け切って、アラセはなおも加速する。地図上にマークされた敵の姿を逃さない。
どう考えても車二台はすれ違えない細い道を勢いよく飛び出し、再度明治通りへ出た。
砲撃はとうに止んでいて、砕け散ったガラスと灼けた電線にまみれながら佇む、一体の黒アリを視界に収める。
「命中れェ!!」
この距離なら外さないと、レーザー測距が完了する前にトリガーを絞った。
徹甲弾は正確に黒アリの頭蓋を破砕し、一瞬で炎と黒煙の噴き出る無機物へと変化させる。
先ほどの砲撃で、約半数の敵が文字通り消滅した。残りもほとんどが手負いで、機動戦に持ち込まずとも一体一体、追い詰めて潰していける。
それを考えれば──
驚くほど広い範囲がクリアになる。面積でいえば1キロ四方、もっとかもしれない。敵の増援が来る前に陸軍の別部隊が展開できれば、安全すら確保できる。
「……あぁっ、そういや無事か?2-2と2-3!」
忘れていたので慌てて声を出した。
『無事っすよ!』
『損害なぁし!』
すぐに返事が返ってきたのでほっとした。すっかり自分の目の前の敵のことしか頭に無かった。
『分隊長、俺たちのこと忘れてたでしょぉ!』
「わっ……すれてねえよ」
『うわ酷ぇ!忘れてたんでしょ!!』
『そこは即答してくださいよ分隊長』
ダイチとヒテンがブーブーうるさい。無事ならそれでいいのに。
「うっせ!どうせ無事だろうと思ってたからよ!」
『そりゃまあ、機動戦の訓練しまくりましたけど……』
ハヤブサが入院している間、ひたすらシミュレータと実車で訓練を重ねた。十日間の訓練課程は意外と短く、操縦に手慣れたと自信がついた訳ではないけれど。
「こんなんビビる必要も無ぇ、余裕だろ」
ふん、と鼻を鳴らして言い放つ。
実際、怖さはない。ハヤブサが本当に危険な場所に砲弾が落ちるような座標を、特科部隊に伝える訳がないからだ。
『マジすか……』
しかしヒテンは、唖然とした声で言った。ダイチに至っては絶句しているようで、声ひとつ返ってこない。
そんな怖がる必要があるか?と、アラセもまた黙ってしまって。
ヒテンの声が、その静寂を恐る恐る、破いた。
『ハヤブサ少尉もっすけど……アラセ分隊長も、変異体っすよねぇ……』
⬛︎⬛︎⬛︎
ハヤブサ訓練生は、なんかねぇ、変異体だよねぇ。
かつて自分は、ハヤブサにそう言った。
高校の後輩。病気がちで不登校気味で友達がいなくて、でも頭の回転が異常に速い少年だと以前から知っていたから、軍に入れと勧誘した。
自分の慧眼は常に正しい。少しの訓練で、ハヤブサ少年は──ハヤブサ訓練生は、あっという間に他の優秀な訓練生の成績を追い抜いた。
だから主席卒業を言い渡したし、少尉の階級に推薦した。
やはり自分の慧眼は常に正しい。少しの実戦で、ハヤブサ訓練生は──ハヤブサ少尉は、トーキョー奪還に不可欠なファクターになっている。
「……すごいねぇ」
9月ともなれば、風が吹けば涼しく、夜は長袖が要る北方。
北鎮師団の師団長執務室で、アスカはデュアルモニターに表示される戦況図を眺め、ひとりごちた。
思った以上にヤバい奴だ。異常なほど計算が速く、予測はほとんど完璧に近い。脳に量子コンピュータか何かが詰まっているのかも。
ハヤブサに付き従う、第二分隊長の動きもやはり、常軌を逸している。砲弾と瓦礫の雨の下を時速100キロで走れと言われて、走れる人間はまずいない。
そんな中を走れと言う方もどうかしているが。
──このふたりが。
「変異体……」
頭のネジが数本抜けた、常軌を多少は逸している人間でなければ、敵を倒しきれない。
アスカが計算して弾き出したのは、異星体を絶滅させる変異体の必要性。
「……会ってみたいねぇ、この……煌舞アラセちゃんにもねぇ」
アスカはニヤニヤと笑いながら、デュアルモニターのディスプレイを指先で撫でた。




