第六話 歯ブラシ共のトッカータ-06
『すみません2-2、従っていただけますか。その位置だと危ないので』
『……おぉ。2-2、了』
うしろに控えていた二分隊二号車、ダイチが訝しみながらも飄々と応えて車両を少しだけバックさせた。続いて、
『2-3は2-1の真横へ前進、距離は2メートル以内で。二分隊は全車、指示あるまで射撃待て』
『えー……2-3、了解だけどぉ……』
ちょっと理解できないですね、という空気をたっぷりと含ませながら、三号車ヒテンがゆっくり進んできてぴたりと横につける。
「何考えてやがる……?」
無線の音に乗らないよう、小さく言葉を吐いて。手元のトリガーをつんつんと指で弄ぶ。
今撃てば、たった数百メートル先にいるアリを木っ端微塵にできる。
黒アリは白アリよりも遥かに装甲が薄い、ぺらぺらの鉄板だ(正確には鉄製ではない。人類の叡智の及ばぬ未知の素材、らしい)。主砲ではなく、副兵装の30ミリ機関砲か、主砲同軸に備えた12.7ミリ機銃で穴開きチーズにできる。それなのに――
『第一分隊、1-1と1-2はその位置で攻撃続行。1-3射撃中止、4メートル後退して中央分離帯の上へ。第三分隊、3-1は右に2メートルずれて、3-2はその位置。2輌とも射撃待て。3-3は5メートル前進して左側へ照準し攻撃続行』
後半につれて早口になっていく男の指示に、地図上の白い凸マークがぞろぞろと従っていく。
意に介さず――というか、奴らに意図など無い――アリを示す赤い凸マークは、真っ直ぐに移動している。白アリが振動板で建物を壊し、黒アリが瓦礫をよじ登って進んでいる。
バキン、とどこかでなにかが壊れる音が聞こえた。アリ共が1メートル進むごとに、この街が1メートル壊れていく。
家が、学校が、職場が。
人の営みが。
生活が。
ピピッ。新たな敵を発見したと告げるHMDの警告音が、心臓の鼓動よりも早く鳴り始めた。
『弾っ着……』
おいまだか、と叫び出す一瞬前。聞き覚えのない別の声が割り込んできて、開きかけた口が固まった。
弾着、という言葉にあまり馴染みはない。少なくとも獅子舞を操縦する上で聞くワードではなく、一瞬反応が遅れた。
『今ッッッ!』
同時に、アリ達がいた位置に土煙が上がる。一瞬遅れて軽い振動と爆発音、キッキッと衝撃を吸収するサスペンションの音に合わせて、HMDの警告音がぴたりと止んだ。
看板か何かの破片が回転しながら飛んできて、自分の乗る獅子舞の真後ろ――先程まで、二分隊三号車、ヒテンのいた所へ突き立った。
砕けた破片の残骸とアスファルト、塵芥と砂埃が、後部カメラを覆い隠す。
「――ッ?!」
声にならず、慌てて振り向いたし横を見たし頭上を見上げた。ハンドルから手を離し、一瞬だが縮こまる。
車体各所に取り付けられたカメラの画像は鮮明で、まるで裸で外に立ち尽くしているような錯覚さえ覚えた。
コツン、パラパラ……と瓦礫が車体に当たる音が止んだ。着弾地点からもうもうと立ち昇っていた土煙も止み、その隙間から朝日が差し込んで車体を照らす。
朝日、といっても夏のヨコハマである。そこそこ高く昇った陽の光に照らされて、薄く残った砂塵がキラキラと煌めいた。まるで粉雪の、北方ではダイヤモンド・ダストと呼ぶような、戦場には似つかない幻想的な風景。
『トゥースブラッシュ中隊、獅子舞各車。現在位置から20メートル前進。指定位置に着き次第、射撃開始』
ハヤブサの抑揚のない声に、弾かれたようにアクセルを踏み込んだ。モーターが唸り、獅子舞は猫の喚声を響かせて走り出す。
そして、びたりと全車停止。そこには――
「……っは、マジかよ」
首の後ろがヒリついて、思わず口の端が吊り上がった。唇が僅かに震え、奥歯をぐっと噛み締める。
目の前には、何もなかった。
※※2025/6/9
加筆修正しました!