第六十五話 オラトリオの叛攻-18
「殺したい、でしょう?」
「――ッ」
ハヤブサは至近距離で、アラセを見つめていた。感情のないその瞳に、自分の紅潮した顔が反射している。
ワイシャツを離しかけた手にもう一度力を込め、今度は思いっきり突き放す。それでもハヤブサは微動だにせず、逆に自分が二歩ほど後ろに後ずさった。
「殺してえよ!!!」
殺したいし撃ち抜きたいし踏み潰して蹂躙して消し去りたい。
その先の、アリのいない、ANTなんていう地球外生命体のいない世界に、戻りたい。
力強く叫んだからか、一瞬、立ちくらみを起こしかけた。ずっとハヤブサを見上げていたせいもあるのだろう、地面を向いて呼吸を整える。
はあっ、と息を吐き切って再度見上げるまで、ハヤブサは無言のまま待っていた。
少しだけ冷静になった頭で、アラセは脳内に浮かんだまま、言葉を紡いだ。
「……オレの家はな。進学でトーキョーに出てきて、てかそのトーキョーのばあちゃん家も、どうなったか分かんねえ、けどさ。もとの家はスサキにあんだ」
スサキじゃわかんねえか。神妙な面持ち、のように見えて先ほどから一ミリも表情の変わらないハヤブサを見て、少し補足してやる。
「コウチの近くの、太平洋に面してる、海と山が綺麗なちっちぇえ町。スサキ市ってとこに、生まれてからずっと住んでた。」
「……西方、ですか」
赤道直下の各地に降り立った敵は、そのまま南北に分かれて侵攻。皇国は初めに、オキナワへの上陸を許し、次いで島々を失い、カゴシマとミヤザキを奪われ、なし崩し的に南方と西方の町々を奪われた。
百年以上も昔の律令制時代、四国と呼ばれた島もまた、いまは全域が敵の支配下である。
実家も、通った学校も、遠い記憶にしか存在しない、でも確かに数ヶ月前まで、そこにあった。
その気持ちが、北方生まれのコイツなんかに。
「オレの目的地はスサキだ、遠すぎんだ、でも奪い返さんといかんが……! オレぁ、こんなところで足踏みしゆう暇なんか無ェ、わかるか?!」
トーキョーに出て来て十六歳の誕生日を迎え、都会のいわゆる標準語に慣れようとしても。地元の言葉は抜け切ることなんてない。
「……ありがとうございます。知らなかったので」
唾が掛かるんじゃないかと思うほど散々怒鳴り散らかされて、ハヤブサが最初に言った言葉はそれだった。
まさか感謝されるとは思わず、拍子抜けする。
「ではなおさら、俺の命令には従ってくれませんか」
「……んっ?」
なんか思ってる感じと違う。
コイツ、話を聞いていない……話が通じてない……?
「いや。いや、っていうか、あのさ。勝手に一人で突っ込むんじゃねえ的な話じゃないんか?」
「それは別に構わないと言ったはずですが」
話を聞いていなかったのは自分か。そんなこと言ってたっけ……と記憶を辿りつつ。
「じゃあ、なん、なんだよ、何が言いてえ?」
「だから命令を、」
「あーうーんそうじゃねえな」
自分が冷静になりきれていない、というのもあるが、話が噛み合っていない感じがする。
もう一度、きちんと呼吸をして。肩幅に開いていた足を少し閉じて、ぐちゃぐちゃになっていた前髪を、指先で軽く整えて。
「……一人で突っ込んでって敵を撃つんはええか?」
「孤立しても大丈夫です、絶対に生きて帰らせます」
「弾切れたら?」
「戦い方ならいくらでも」
「敵の大群に囲まれたら?」
「そんなのは」
はぁ。と、何故かハヤブサが、小さくため息をついた。
「俺が使える全ての兵力を使って、守るに決まっているじゃないですか」
なんでわからないんですか。白い顔面に埋め込まれた黒い瞳が、そう言っていた。
「……おぉう」
意志のない口から溢れ出たのは、意味のないそんな言葉で。
「ただ、無闇に動かれるのは困るので、前もって言ってください。直前でも構いません。どんな時でも守り切りますから。生き残るための命令をするので、それには従ってください」
無表情のまま口だけ動かすハヤブサの顔を、アラセは黙って見上げた。
コイツは――何を言っている?
半歩、後ずさる。
こんなに直接的な言葉で、自分の戦闘衝動を肯定されると思わなかった。その上で――守り切る、なんて。
「…………っ!」
言葉にならない感情の渦巻きから逃れるように。アラセは勢いよく踵を返して、ハヤブサの前から姿を消そうと足早に歩き出した。
「あ、あの、」
「わかったからもう喋んなっ」
そう怒鳴って、ついにその足は、走り出した。
⬛︎⬛︎⬛︎
うまく、伝えられただろうか。
自分は煌舞アラセという女の子のことを、なにも知らない。
ただ、敵への殺意、衝動的に突っ込んでいってしまうほどの攻撃性を、理由こそ知らないが否定するつもりはなくて。
好きに暴れてくれて構わない。どんな状況になっても、絶対に守ってやるだけだから。
怖いもの知らずの、貴重な戦力として。
「口説いてたのぉ?ハぁヤブサぁ」
すたすた歩き去ってしまったアラセの後ろ姿を見送っていると、不意に後ろから声を掛けられた。
振り返らなくともわかる。間延びした話し方で、自分を呼び捨てにする女は一人しかいない。
「……口説いたつもりはないですよ」
「えぇー?なにがあっても君は俺が守る!とかぁ、言ってたの聞こえたよぉ?」
「どこをどう聞いてたんですか」
せめて盗み聞くならちゃんと聞いて欲しい。くるりと振り返れば、ミオが緑色のフェンスに寄りかかって笑っていた。
ちなみにフェンスの外からなので、ミオがいるのは中学校の敷地外である。
陽は暮れかけ、真紅の夕焼けがミオの青白い肌を照らしている。黒髪をなびかせ、真っ赤な唇でニタリと笑うその姿は、なるほど異名通りの吸血令嬢だ。
「うまく仲良くなってえ、うまく使えるようになるといいねえ」
そう言って、ミオはゆっくりと歩き出し、中学校の正門へと向かって行った。
「……ええ」
誰に告げるでもなく。ハヤブサの言葉は、微かに吹いた風に乗って、シラカワの夕暮れに消えていった。




