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第五十話 オラトリオの叛攻-03


「ごはん……たべてないかも……」

 

 ぽつりと呟くような声を聞いて、アラセは突っ伏していた硬いテーブルから顔を上げた。

 アジサイがぐったりした姿勢で、黒板前の椅子に座りながら、腹を抑えている。

 

 中学校の教室。

 今月の目標:気持ちのよいあいさつ、と書かれた貼り紙が、生ぬるい風に吹かれてはためく。

 アラセもつい数ヶ月前まで通っていた地元の中学校によく似た、一般的で変哲のない校舎、教室、机と椅子。

 

 トゥースブラッシュ中隊に割り当てられた新たな部屋、待機所だ。校舎を丸ごと陸軍が接収し、各教室を更に半分に区切って各部隊に提供されている。

 当然全員が入れば座るところもなく、とはいえ行くあてもないアラセ達獅子舞ドライバーは、なにをするでもなく教室の中で時間を潰していた。

 

「……メシなんて食える状況じゃなくない」

 窓際のカーテンに包まりながら外を眺めていたヒテンが、重々しく応えた。

 

 じっとりとした蒸し暑さと、やまない雨。少しでも換気しようと僅かに開けた窓からは、ときおり雨粒が跳ねてカーテンを濡らしている。

 

「……メシは大事だろ」

 ほとんど反射的にそう言って、確かにしばらく固形物を口にしていないな、とアラセは思い返した。

 

 熱中症対策として水分と塩分は摂取しているものの、きちんとした食事は摂っていない。イチガヤの国防省に着いた後、ミリ缶と呼ばれる缶詰の戦闘糧食を雑に食い荒らした程度だ。

「食えねえっすよ」

 それでもヒテンは、窓の外に目を向けたまま言った。その声は少し泣きそうになっていて、ダイチやミドリがそちらに顔を向ける。

 

「俺ぇ……都民様だし……」

「……自分で言うなよ」

 返したのはダイチだった。

 

「都民様とか関係ないから。俺たちは都民とか都民じゃないとかの前に、軍人だろ。常任軍籍(スタメン)戦時入隊生(サブメン)も関係ねえし。都民様だからメシ食うなって話になんないだろ」

 

 都民様という蔑称は瞬く間に広がり、それはいつしか、トーキョーを中心とした組織である中央軍そのものの蔑称にもなりつつあった。

 ダイチの言葉に、しかしヒテンは、でもぉ……と消え入りそうに言った。カーテンの影がみるみる萎んでいく。

 

 重い。

 

 こんなに重苦しくて沈んだ空気なのは、天気の所為じゃない。

 でも逆に、ピッカピカの晴天だったら、それはそれで皮肉だろうなと思う。

 空に笑われるより、雨と一緒に泣いた方が、今はいいのかもしれない。

 でも――

 

 止まん雨はない、とは言うけんどよ。ほんならこの雨はいつ止むがよ。

 

 沈黙の中、そんなことを考えてしまう自分がいた。

 

 アジサイは無言のままタブレットを操作している。ムードメーカーのタイヨウはいない。あんなに明るかったヒテンはカーテンの繭に沈んでいるし、よく笑っていたノゾミは――死んだし。

 

「……やっぱなんか食べよーぜ」


 そう呟くように言った声は、思いの外明るかった。

 食べ物の話をしていたからか、忘れかけていた食欲や空腹感というものがうっすら目を覚ました感覚。それに触発された発声器官は、食事を所望するかのような声色を上げたらしい。

 

 校舎一階の給食室では、他の兵士や民間人のために、24時間体制でなにかしらの食事を作り続けていると、中学校に着いたとき説明を受けた。

 そこに行けば温かい食事が食べられそうだし、きっとみんなで食べれば多少は気も紛らわせることができる気がした。

 

「腹が減っては戦はできぬって言うじゃん」

「……だね」

「確かにな」

 

 アジサイとダイチが立ち上がり、ミドリがヒテンとリュウセイの腕を掴んで立ち上がらせた。

 アラセもゆっくりと立ち上がり、腕を回して固まりそうな背中をぐっと伸ばす。

 向かいでアジサイも同じポーズをして、胸元のボタンがすべて弾け飛びそうになるのを思わず凝視した。

 

「……って、アラセちゃんドコ見てんのよ!」

「見せつけんなよ!喧嘩売ってんのか?!」

「売ってないよ?!」

 

 年上で爆乳の上官が胸元を両手で押さえてもじもじしている。

 なんだこれ。

 なんだか馬鹿らしくなってきて、少し笑った。

 たぶん、とても、久しぶりに。

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