第四十三話 死神姫とアッラ・マルチャ-26
獅子舞には開口部がなく、車両の全周をびっしり埋めたカメラとセンサー類がその目となる。
雨はカメラのレンズを濡らし、視界を滲ませる。
手元のスイッチを操作して、撥水加工されたレンズにべったり貼り付いた水滴を二酸化炭素ガスで吹き飛ばしながら、ミドリは無線に告げた。
「指揮官、一/二、残弾五!あと炭ガス残り三十!これ補充してくれた?!」
雨粒に粉塵、雪、オイル、果ては血液。戦場には様々な液体が飛び交っている。
それらをガスで吹き飛ばし、カメラのレンズやセンサーの開口部を綺麗にしておかなければ、視界を確保できない。
『一/二、ごめん確認する!ほかにガス足りてない者がいれば知らせ!』
アジサイの返答に答える者はいなかった。
ガスの消費が激しい。車ならワイパーで無限にガラスを擦れるが、獅子舞ではそうもいかない。
雨なのに。
アリは雨を嫌うのに、平気で攻めてくる。
トーキョー市内に敵の大軍勢が入り込んできているのに、その情報が共有されていない。
明確な指揮がない。各部隊の判断で敵を抑えている。
FOBから国防省へ移動して、会議室に放り込まれてから数時間しか経っていないのに、敵はとっくにトーキョーへ侵入しシンジュクへ迫っていた。
つい12時間前までは、ヨコハマへ攻め入っていた皇国軍が、トーキョーに逆に攻め込まれて。組織的反抗のできぬまま、ジリジリと後退を余儀なくされている。
「なんなの、もうっ……」
無線に乗らない程度の声量で悪態をついた。このままここで戦っていてもジリ貧だ。
『一分隊、副指揮官。14メートル前進し、商店街へ進入し停止。茶色のビルの上に照準してください。送れ』
『一/一了解』
ハヤブサからの相変わらずの細かい指示に、タイヨウだけが応え各車が粛々と従う。これも先程から繰り返しだ。
アケボノブリッジ商店街、と銘打たれた、人影はおろか街灯も点いていない路地の前で、タイヨウとリュウセイと共に獅子舞を停める。主動力が電気モーターの獅子舞は、無音のままなりを潜めた。
『射撃3秒前、2、1、撃て』
ハヤブサの指示に従い、三両はまだなにもいないビルの屋上に主砲弾を叩き込んだ。
爆炎と轟音のあと、僅かに白い尾を引いて徹甲弾が弓なりに飛んでいき、その弾道上にぴょんと黒アリが現れた。
HMDが敵を見つけたと元気よく反応。一秒と経たず、既に発射している砲弾がアリに命中し、爆散。HMDもおし黙る。
まるで作業のように、アリを潰すだけの時間。
――すごい。
シュミレーターや実車訓練では、指揮官や偵察部隊の情報はあくまで、敵の数や距離を示すもの。その情報をもとに各分隊長が索敵し、敵の姿を捉えたら分隊員に砲を指向させ、撃つ。
有視界戦闘とはそういうものだ。指揮官が未来予測までする戦闘は聞いたことがない。
『二分隊は6メートル後退し交差点を左折――』
ハヤブサは間髪入れずにアラセ達の部隊指揮へと移った。その切り替えも速すぎる、おそらく敵の撃破なんか見届けていない。
どんな教育を受けてなにを食べたら、あんな指揮官に育つのかしら……
トゥースブラッシュ中隊の誰よりも背が高く、誰よりも肌が白い。誰よりも冷静で、正確だ。
まだ二十歳だといっていた彼を、それでも中隊は、まだ信じきれていないように感じる。
指揮は的確で判断も速いが、あまりに機械的すぎる。アラセが「オレたちのことを無人兵器と勘違いしてる」と憤ったのは、言い得て妙というやつだ。
ミドリもまた、割と同じ意見である。
ハヤブサのことを戦闘AIだとか戦術アンドロイドだとまでは思わないまでも、人間味のなさは当然、不気味感すら感じさせる。
「指示は、本当にすごいんだけどね」
地図上の赤い凸マークがまたひとつ、アラセ達第二分隊の攻撃で消滅したのを眺めながら、ミドリは独りごちた。
「指示は、ね」
地図を縮小、広域を見る。
いつのまにか敵はシンジュク御苑までも占領していた。旧ハネダエアポート、現陸軍前進基地はまだ辛うじて死守できているものの、味方であることを示す白い凸マークが慌てたように基地から飛び出していくのが見えた。基地放棄、総員撤退だろう。
……ハヤブサ少尉の指揮はすごい。すごいけど、戦況を変えられるほどじゃ無いのよね。
『トゥースブラッシュ中隊、こちら大本営!戦闘を中断しイチガヤに戻れ!貴隊には市長の護衛任務を任せると言った筈だ!応答しろアジサイ中尉!送れ!!』
誰かが、大本営のおそらくちょっとは偉い士官が無線に向かって怒鳴っている。
ハヤブサは冷静すぎるが、アジサイは子供すぎる節がある。トーキョーを捨てろという命令に逆らう気持ちは痛いほど理解できるが、大本営から名指しの指示を無視するのはさすがにいただけない。
うまく、バランスがとれれば。
大人になってくれれば。
そうすればもしかしたら、アリ共との戦争を優位に運べるかもしれない。
ふうっと息を吐いて、ミドリは汗で張り付く戦闘服を指で摘んだ。
「こんなことを考えるなんて、私もオバサンになったわね……」
地図上の赤い凸マークが増えていく。加速度的に、数えきれないほどに。
渋々、不承不承、嫌々ながら、というテンションで、後退を告げるアジサイの声が無線に乗った。
皇国暦160年 8月31日
トーキョーは終わった。
若く優秀で勇敢な数えきれない兵士達が、全身全霊を懸けて戦った結果。
大本営は、首都放棄を決定。
皇国軍の全軍が、帝都と親しまれたトーキョーを後にした。
これにて、死神姫編は完結!
小話をはさみまして、新章突入です〜!