第三十八話 死神姫とアッラ・マルチャ-21
帝都に侵入したアリ共を叩きのめす――!
つい数時間前。指揮する部下達にそう啖呵を切ったのが恥ずかしくなってきて、
悔しくて、
アジサイはドンと机を叩いた。
「正気ですか?!」
「残念だが決定事項だ。なにせ姫アリの出現は想定外の事態だ」
淡々と告げるのは、皇国陸軍総隊指揮官。階級は大将補であり、中尉ごときが正気を疑っていい相手ではない。
それでも総隊指揮官はアジサイの非礼を咎めるでもなく、ただ目を細めて。
「いたずらに戦力を投入しても損耗が増えるだけだと判断したまでだ」
そう言い放った。
背後から、ピリピリとした空気が伝わってくる。
当然だ。自分もそうだが、ここトーキョー出身で、この街に家を持つ者達は多い。
一列に並んだトゥースブラッシュ中隊員の視線が、総隊指揮官とアジサイに突き刺さる。
こんな命令をすんなり受け入れるのは、
「だからって、トーキョーを捨てて東北へ逃げろなんて!」
アリに追い立てられて、惨めに故郷を逃げ出すなんて。
「承服しかねます、大将補殿!」
その声に応えるものは、いなかった。
⬛︎⬛︎⬛︎
白く無機質な長机と、安物のオフィスチェアが並ぶ会議室は、しっかり空調が効いていて涼しい。
出された麦茶はグラスまでひんやりしていて、つい先ほどまでの蒸し暑さを完全に忘れさせる。
大本営。
帝都はイチガヤにある国防省ビル地下に設置された、皇国陸海空軍の総司令部の別称。
陽の光はないものの、LED蛍光灯が煌々と部屋を照らし、快適に仕事ができるよう設計された会議室。
そこに、トゥースブラッシュ中隊の獅子舞ドライバー達は座らされていた。
なお、整備や補給要員は隣の部屋、アジサイとハヤブサはまた別室である。
「……っざっけんなよぉ」
長い沈黙の末、ヒテンが呟くように言った。
「ヒテンも、トーキョーだもんな」
「トゴシ銀座っすよ。家にもFOBにもたくさんモノがあるのに」
タイヨウの声に、ヒテンが苛立ちを隠そうともせずに答える。
「俺はクラマエだよ。アラセは――」
不意に声を掛けられた。生まれや実家はトーキョーではないが、
「今住んでんのはカグラ坂だよ」
吐き捨てるように言った。
国内最大都市は、世界でも有数の大都市。トーキョー出身者は中隊にも多くいる。
そのトーキョーを捨て、東北軍管轄の地域まで撤退しろとの命令を受けたのは、つい30分ほど前。
同じくトーキョー出身のアジサイは当然食ってかかり、ハヤブサと共に別室で交渉中だ。
戦況を鑑みて、その判断は正しいのかもしれない。
中級指揮官級の姫アリに率いられたアリ共の軍勢は、シンジュクにまで迫っている。前進基地のあるオオタ区への接近はなんとか防いでいるようだが、それもタマ川までだ。
トーキョー絶対防衛作戦。トーキョーを中心とた安全圏を作る目論見は、作戦を開始して一日と経たず崩壊している。自軍の損耗も激しい。
街を捨てて後退する判断は、それだけ見れば正しい。
だが首都を、1,000万人の住むトーキョーを放棄することは、簡単には受け入れられなくて。
アラセは、長机の脚を蹴った。
その衝撃音にビクつく者はいない。全員が苛立ち、殺気立っていて、そんな程度の雑音に驚く神経をしていない。
「これでふたつめやに、無うなるの……」
絞り出すように。
アラセは自分の両の掌を睨みながら言った。
ふたつめ。そう、ふたつめだ。
座らずにずっと立っていたミドリが、アラセの肩にそっと手を置いた。アラセは振り向きながら、その泣きぼくろに向かって叫んだ。
「ふたつめなが!オレが家無くすんは!!」
しん、と静寂。
思いっきり叫んで肺の空気を全部出し切って、頭が一瞬くらっとする。
ミドリは何も言わず、アラセの肩を優しく叩いた。
家には、間借りしている祖母の一軒家には、まだ私物が山ほどある。学校の教科書も、読みかけのコミックスも、封を切っていないCDも、トーキョーでできた友達とお揃いで買ったぬいぐるみも。
地元の友達からもらった寄せ書きの詰まった、中学校の卒業アルバムも。なにもかも。
このまま捨てるなんてできない。奪われるなんて、二度も奪われるなんてありえない。
アリなんかに。
怒りの感情が脳へ流れ込み、顔が紅潮していくのが自分でもわかる。獅子舞やFOBよりもはるかに涼しく快適な室内なのに、身体が火照って熱い。
それでも心のどこかで、これは軍のエラい人が決めた決定事項で、自分みたいな小娘が逆らったってどうしようもない、という気持ちも確かにあった。
たかが16歳。義務教育を終えたばかりの未成年がどんな大演説をしたところで、どうせ……と。
似たような思いはきっと、最年長で一曹の階級を持つミドリも同じなようで、アラセの細い肩に食い込む指の圧が強くなった。
壁の向こうから、アジサイのくぐもった怒鳴り声が聞こえた。廊下を挟んだ向かいの部屋で、アジサイとハヤブサは軍高官に撤退撤回の直談判中である。
それが、聞き入れられるかは別として。
もし、聞き入れられたとして。
「……守り切れるんか」
トーキョーの一部まで敵に侵食された、この状況から。少しだけ冷静になってきた頭で、言葉をこぼした。
隣に座っているダイチがちらりとこちらを向く。その瞳は、暗く冷たく沈んでいて。
そうだ。以前、ダイチの出身はヨコハマと言っていた。
ヨコハマは既に――
「守れますか、分隊長」
ダイチの口が、冷酷にそう動いた。




