第三話 歯ブラシ共のトッカータ-03
軍用トラックの乗り心地は最悪だ。
当然のことながら、荷台には冷房がない。幌との僅かな隙間から吹き込むぬるい風だけが、汗を気化させてくれようと必死に頬を撫でていた。
左右に設けられたベンチは硬く、クッション性は皆無。アスファルトの継ぎ目の感触が板張りのベンチシートを揺らす。
揺れるのは自分の尻だけではなく――隣で愉快に上下する豊満なバストから目を逸らし、しかし窓のない車内で他に見るものもなく、ハヤブサは手元のタブレット端末を至近距離で見つめる。
「ハヤブサ少尉は近眼?」
「……いえ」
真横に座るアジサイ少尉――否、数分前の辞令で中尉に昇進――が、ハヤブサの顔を覗き込もうとして、やめてくれその術は俺に効くとハヤブサは更に目を逸らす。
『トゥースブラッシュ指揮官、こちらファジーフィスト。感明よいか、送れ』
傍に置いた無線機の、その最大音量をもって、男性のクリアな声。アジサイが弾かれた様に顔を上げ、応じる。
「ファジーフィスト、こちらはトゥースブラッシュ中隊指揮官、アジサイ中尉。感明よし、送れ」
『トゥースブラッシュ、ファジーフィスト。こちらも感よし……おはようございます、アジサイ中尉。貴隊に続いて、我もカワサキ市内に入っています。今作戦では貴女が最先任です、指示を』
ハヤブサの凝視する端末には地図が表示されている。
国鉄の高架を抜けたばかりの国道を、無数の凸マークが列をなして進んでいく。
五八式三軸強襲戦車、愛称は"獅子舞"。その前後を、大型の軍用トラックやら中型軍用トラックやら小型トラックが3〜4輌、戦況に応じた台数で続く。自隊も他隊も同じ構成だ。
成り行きで放り込まれたこの部隊のコールサインが歯ブラシ中隊だと、先ほどの交信でハヤブサは初めて知った。
「トゥースブラッシュ中隊長、指揮官アジサイ中尉了解。では現状を確認します!」
黒髪をかきあげながら、アジサイは手元のタブレットを持ち上げた。
「ヨコハマアリーナを中心とする防衛部隊はほぼ壊滅。ツルミ川に移動しつつある撤退中の残存部隊より、緊急の救援要請あり。我々はそこに加わり、侵攻を食い止める必要が――」
『こちらフォレストヒル指揮官!』
割り込むように、無線機に向かって絶叫しているのだろう、音割れの声。
「っ!フォレストヒル、こちらは救援部隊、トゥースブラッシュ!状況は?!」
『トゥースブラッシュ、こちらフォレストヒル!我の損害は大破5・小破2、これ以上の組織的防衛は不可能ッ』
悲痛な無線が聞こえてきた。防衛を任されていた部隊の指揮官からだ。三軸強襲戦車"獅子舞"は9輌を一個中隊として運用される。大破5は、つまり半数以上を失っていることを意味する。
『増援を頼みます!送れ!』
「了解!我、まもなくツルミブリッジ!持ち堪えて!」
アジサイの呼び掛けに、しかし無線の音質はますます悪くなっていく。
『――の――目の前――』
「フォレストヒル、感が悪い!フォレストヒル……!」
敵の電波干渉だ。至近距離、敵本体の半径二十メートル以内まで近づくと、敵の発する微弱な電波が干渉し、無線通信機器は使えなくなる。十メートルまで近づけば、無線やレーダーなどの電波は一切通らなくなる。
『――――アリ共が――!』
タブレット端末の画面上で、ツルミ川の反対側からこちらに向かっていた青い凸マークの一団が消えた。その瞬間、ハヤブサの隣でゴギリリッと歯軋りの音がした。
横目でちらりとアジサイを見て。ハヤブサの陶器のような白腕に、ふつふつと鳥肌が立った。
例えるならば鬼の様な――鬼など見たことはないが、現世に君臨したらきっとこんな顔だろう、という。先ほどまで見ていたのは、顔立ちの良い、しかしどこかあどけなさの残る、若くて胸の大きな女性軍人。
その面影はどこにもなく、怒りと悲しみ、憤懣と痛哭、その感情だけを口許に寄せ、その全てを奥歯の一点に刻み込む修羅の顔。
アジサイ中尉という女の、煮え滾るような怒りに打ち震えた顔が、そこにあったからだ。
――怒っている。苛立っている?敵にか、間に合わなかった自分達にか。アジサイの感情まではわからなかったが、たぶん目の前に敵が現れたら、きっと彼女は素手でブン殴りに行こうとするだろうな、と思う。
そう、それは、殺気だ。
隣に座る女の殺気に鳥肌で震えた瞬間、視界の端を猛スピードで駆け抜けるなにかを見た。
獅子舞。
その名は、猫が伸びをしているような形状をしているから、猫っぽい愛称をつけたというだけではない。
獅子舞の、凶悪だが威厳のある貌を振り回し、邪気に噛みつき祓う強さをも表している。
「あああアラセぢゃ゙ん゙ッ?!?!」
先程まで修羅フェイスだったアジサイが、大慌てで目を見開いた。地図には、自分たちを颯爽と追い抜いて敵の集団に突撃していく、ひとつの白色の凸マークが映る。
トゥースブラッシュ中隊、第二分隊一号車。コールサイン、トゥースブラッシュ二/一。
ハヤブサは思わず目を剥いた。作戦開始の号令は未だ出されていない。
独断専行――?!
※※2025/6/9
加筆修正しました!