第三十三話 死神姫とアッラ・マルチャ-16
皇国陸軍前進基地と名前が変わっても、もとは国際空港だ。至る所に時計がある。
アナログ時計の針が二本とも真上を向きかけている。
アラセは、出かかった欠伸を噛み殺して、ソファに沈み込んだ。
到着ロビーの一部が医務センターに改造されていて、どうやら軽傷から中程度の患者が運ばれてくる場所のようだ。
見たかぎり、担架で運び込まれるような患者はおらず、止血したり包帯を巻いたりした兵士たちが、医務センターへ出たり入ったりを繰り返している。
「集合急げ!」
「迫撃砲陣地ってどっち?!」
患者に混じって、先ほどから騒がしい。
無反動砲を担いだ普通科兵士や、アラセと同じ獅子舞のHMDを腰にぶら下げた獅子舞ドライバーが、がちゃがちゃとそれぞれの装備品の音を立てて走り回っている。
可搬無線機を背負った兵士が、医務センターから出てきたばかりの別の兵士にぶつかり、痛ェな!すいません!と怒鳴りあっていた。
「……来ねえな」
無意識に小さく呟いた。この喧騒の中、その声は誰にも聞こえないが、心の声が漏れたことに自分で驚いて口を噤む。
別にハヤブサを待っている訳ではなくて、言い過ぎたなとか勘違いしてたことを謝ろうとしていた訳でもなく。ただ就寝スペースは暑すぎたし、他の女性兵士共のいびきがうるさいから避難してきたのが、偶然にもここだっただけで。
でも、もしたまたまハヤブサが出てきたら、悪かったなくらいは一応言っておいた方が人間として正解かな、と思ってここにいるだけである。
4時間も。
さりとて医務センターはここ以外にも複数箇所あり、ハヤブサがここに収容された確証もなければ、既に治療を終えて医務センターを後にしている可能性もあり。
だから、たまたまここで座っているという言い訳が成り立つ。
自分の中で再度結論づけて、アラセは濃緑のTシャツの裾を仰いで服の中に風を入れた。暑い。
遠くから、複数台の四三式主力戦車の、甲高いディーゼルエンジンの起動音が聞こえた。走っている時もガラガラとうるさい車体だが、起動時は特に騒がしい。
どこの隊だようるせえな、と口には出さず振り向いて、しかし到着ロビーの窓からは戦車の姿が見えず。
ため息混じりに視線を元に戻した時、見覚えのある長身が目に入った。
迷彩服姿の兵士たちに混じって、一人だけ濃紺のズボンに白いワイシャツ。
頭にハチマキのように包帯を巻いているが、包帯とその顔のどちらが白いか、つい見比べてしまうような色白。
その眠たげだが鋭い視線がきょろきょろと動いて、アラセを捉えた。
「ハ――」
ヤブサ、と続けようとして口を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。口の端を結び、行き交う兵士たちの間を縫って歩み寄った。
「……アラセ陸士長は、怪我はありませんでしたか」
目の前に着いた途端、先に口を開いたのはハヤブサだった。
勘違いでキレて怒鳴って胸ぐらを掴み上げた女子高生に対する、最初の言葉がそれで。
咄嗟の言葉が出ず、小さく頷く。獅子舞ジャンプのあとは尻が痛いとか思っていたが、しばらく放っておいたら治っていた。
医務センターからは続々と兵士たちが出てきて混雑してきて、もう24時を回るというのに、衛生要員と医官達の働きぶりには脱帽する。
ひとまず、少し離れた場所まで移動しながら。
「……あ。シャツ、新しいのな」
沈黙を破り、真っ白なワイシャツを見上げて言った。
「替えをいただきました」
ハヤブサが無表情のまま答える。
違う違うそうじゃない、そんなことを言いにきた訳じゃない。
動線を避け、人の往来の少ないソファの方まで歩いてきて、アラセはもう一度ハヤブサの顔を見上げた。
包帯が痛々しい。
点滴と酸素吸入が必要なほど頭から血を流していて、それでもノゾミ達の救出に向かったハヤブサ。
いつも無表情なのは、その痛みや辛さを、ただ押し殺しているだけなのかもしれない。
ふと、そんな風に思った。
そうでなければ脳がAIに置き換えられたアンドロイドだが、FOBに着いてすぐ締め上げたハヤブサの瞳には、確かに哀しみと無力感と、アラセへの怯えが間違いなくあった。
助けられなくてすみません。
言葉よりも強く、その眼がアラセに言っていたのを感じたから。
――謝らないといけないのは、自分の方だ。
「それで、状況は?」
不意に、表情ひとつ変えずにハヤブサが問い、アラセはぽかんと口を開けた。
「え?」
「周りが慌ただしいので作戦準備かと。中隊は展開済みですか?迎えにきてくれた……訳ではなかったですか」
周りを見渡しながら、ハヤブサは淡々と言った。
確かに、先ほどよりもなんだか騒がしい。駆け回る兵士の数がやけに多い。
「いやオレは……中隊長からは何も」
かぶりを振って、アラセも周囲を見た。ついに重機関銃を数人で抱えた一団が走り去っていったので、思わず目を剥く。
「何だ?」
視線が釘付けになっていて、脇から走ってきた兵士の進路を塞いでしまっていたことに気付かず。ドン、と鈍い音と共に兵士に衝突してしまった。
衝撃で数歩よろめいたところで、ハヤブサの長い腕が視界に入る。
ハヤブサにもぶつかる、と思った瞬間、その背中を優しく抱き止められた。
蒸し暑いFOBにいてやけにひんやりとした、細長くて冷たい指先の感触が一瞬、背中に伝わる。
アラセの頭の先だけが軽く、ハヤブサの胸に当たった。そのまま頭を預けそうになり、
「っと、悪ィ」
足に力を入れて反射的に身体を飛び退けながら言った。いえ、とハヤブサもさらりと返す。視線の先で、長い前髪が少し揺れた。
……いや、謝るってのはこういうことじゃなくて!
「ぶうぅぅんたいちょおおお!!」
遠くから馴染みのある声がして、アラセはもう一歩後退し、ハヤブサから距離をとって、声の主の方へ首を向けた。ぴょんぴょん飛び跳ねながら迫ってくる男は、ヒテンだ。
息を切らしながら駆けつけたヒテンは、アラセとハヤブサを交互に見た。
「分隊長っ、中隊長がみんなを集めろって!あぁっ、ハヤブサ少尉さっきはすんませんでしたっ!」
コイツ――!
一瞬ヒテンを睨む。今まで言えなかったことを出会って5秒で言いやがって!
「敵ですか?」
アラセの八つ当たりをよそに、ハヤブサが訝しげに、頭を下げるヒテンに訊いた。
武器弾薬を持って怒号と共に駆けずり回る兵士たちの様子は、どこかおかしい。こんな深夜にアジサイが皆を集めろと言うのも、ただごとではない。
ヒテンがうんうんっと頷いた瞬間、なにかが爆発する音が喧騒を切り裂いた。
それは、毎日のように聞いた120ミリ戦車砲の砲声でも、榴弾砲や迫撃砲の発射音でもない。爆発音に数瞬遅れて、なにかの飛翔音。
思わず、アラセはハヤブサを見た。ハヤブサもまたアラセを見ていて、期せずして見つめ合う格好になった。
ハヤブサの唇が、う、の形で固まる。
自分も同じ言葉を発しようとした。だが、こんな場所に――前進基地と名がつくが、最前線からは数キロも離れたところに、いる筈がない。その疑念はハヤブサもきっと同じで、だから固まっているようだった。
「軍隊アリっす!軍隊アリ含む敵複数、すぐそこまで迫ってるらしくて!」
ヒテンが叫んだ。刹那、2発目。爆発音と共に建物が揺れ、砂塵が舞って床に落ちる音がした。
「ンな訳ねえだろ?!」
言いながら、アラセは床を蹴って駆け出した。トゥースブラッシュ中隊の車両、自身の乗る獅子舞が整備されているはずの区画へ。
「俺が指揮します」
ハヤブサもそう言って、反対方向へ走り出した。一人出遅れたヒテンが慌ててアラセの後を追う。
結局。クソ蒸し暑いところで4時間も待って。ようやくハヤブサの顔が見れて、大してなにも、
「なにも話せなかったじゃねえかッ!」
どよめきと怒号が飛び交う中、アラセはこめかみに力を入れながら叫んだ。その声を聞き取った者は、誰もいない。
3発目が着弾した衝撃のあと、今更ながら、基地内に甲高いサイレンの音が響き渡った。
違う違うそうじゃ、そうじゃなーいー
お待たせしました、次から久しぶりに戦闘パートです!




