第三十二話 死神姫とアッラ・マルチャ-15
ちょうど自分の目線と同じ高さが彼の胸で、顔は見上げないといけない身長差。
故に、少し爪先立ち気味になりながら、アラセは両手でハヤブサの胸ぐらを掴み上げた。
「アラセ陸士長っ!」
ハヤブサに付き添っていた衛生要員の静止の声を無視。
「――見捨てたな?!」
怒気強く、迫る。
雨がアラセとハヤブサに降り注ぎ、ハヤブサの長い黒髪がしっとり濡れていくのが見えた。
薄暗くなりつつ空を背に、その顔面は仄白い。
陶器のような顔面に埋め込まれた黒目の大きな眼球が、アラセを捉える。
その瞳は、かすかに揺れていて。
動揺。悲しみ。そんな類の感情が、瞳の奥で弾けているように見えて、アラセは一瞬、手の力を緩めた。
「……すみません」
「なんで謝るんですか、少尉」
アラセの後ろでヒテンが言った。その声の棘が、アラセを貫通してハヤブサに突き刺さるのが、目で見えるようだ。
「謝ったって、ノゾミは」
「ヒテン」
ヒテンの隣に立つダイチが面倒臭そうに嗜める。と言っても、その静止は強くはない。あくまで声掛けだ。
だからヒテンは止まらない。
「アラセ中隊長が言った通りじゃないですか。少尉は俺たちのこと、無人の兵器とか、そういうふうに思ってるんでしょ?だから助けないで、見捨てたんでしょお?!」
その言葉に後押しされるように、アラセは一度緩めた手に力を込め、更にぐいっとハヤブサの喉元を締め付けた。雨粒が目に入り少し滲みるが気にしない。
ノゾミ達のことを思えば、雨が滲みることも、腰の痛みも、コイツに見捨てられたことに比べれば大した問題ではない。
「タイヨウさんやノゾミ姉さんが手ぶらで帰ってくる訳ねえだろ……中隊長だって泣きそうになっちょって……助けれんと思って逃げたんだろ!死体には用がないって!合理的にでも判断しちゅうがやろがテメェ!!!」
吠える。
喉が痛くなるほどに。
一時間ほど前。雨に打たれながら、小学校のグラウンドで整備クルーと獅子舞の足回りを診ていたとき、アジサイの「牽引用意」の指示が飛んだ。
きっと第三分隊の全員を連れて、ここから離脱できるのだろうと思った。
慣れない金属製のワイヤーを引き摺って獅子舞に掛け、軍用トラックに乗り込んで初めて、第三分隊全滅の報せを聞いた。
ハヤブサ達が救出に向かったが、現場の状況が悪く救出を断念。タイヨウ達を引き連れてその場を離れたと、整備クルーから概要を聞いた。
もともとタイヨウ達が、困難な状況でも仲間を見捨てるなんて考えられない。
論より情で動くアジサイが、その場を離れろなんて言う訳がない。
ハヤブサだ。無表情で無機質で無感情のあの野郎が、救出中止を選んだんだ。
ヘルメットを脱ぎ、無線指示の届かない位置で獅子舞を弄っていたアラセ達第二分隊の出した結論は、これだった。
胸を締め付けられるような悲しみ。目から炎が噴き出そうなほどの怒り。その全てを、両手に押し込めて。
目の前の、少し怯えたような目をした長身の男に、感情を叩きつける。
「アラセちゃん!」
アジサイの声が飛んで、ほぼ同時にアジサイがアラセの手を掴んだ。それでも左手は動かせないようで、彼女の右手だけがガッチリとアラセの手を掴む。
「手を離しなさい!こら!離せ!!」
手を左右に揺さぶられるが、離せと言われて離す気にはならない。それに、アラセの身体ごと揺さぶられているのに、ハヤブサはぴくりとも動かず立ち尽くしているのも癪だ。
「オレが行けゃよかった!オレだったら助けられたかも知れんやか!」
こんな機械仕掛けの人間に人命を託したのが間違いだと。
責め立てるアラセの肩を、誰かがガッチリと掴んだ。それも、相当強く。
「アラセちゃん」
振り返らずともわかる、ミドリの声。
肩に置かれた手はそのままアラセの手首まできて、いとも簡単に捻られた。
「痛ッ……?!」
髪にのしかかる雨水を撒き散らしながら振り返った。アラセの視線の先、ミドリは黙って雨に打たれている。髪を伝う雨水が、胸元の格闘徽章に落ちて跳ねた。
「私だよ、撤退命令を出したのは」
ぽつりと呟くように、しかし雨音に負けない声量で、アジサイが告げた。
その隣に歩み寄ってきたタイヨウが、筋肉質な腕を組みながら、アラセに目を向けずに凛とした声で言う。
「あの場から撤退したのはアジサイ中隊長の指示だ、ハヤブサじゃない。無論、アジサイの指示に誤りがあったと、俺は微塵も思ってねえが。お前、」
ようやく目を上げて、タイヨウはアラセを見た。
怒っている視線ではない。悲しみだ。降りしきる無数の雨粒はタイヨウの顔を容赦なく濡らし、まるで泣いているようにも見せる。
一瞬の間。
撤退命令を出したのはアジサイ?ハヤブサじゃない?
理解が僅かに追いつかない。
何故。
アジサイの情やタイヨウの熱意はノゾミを救うと思っていて、それをハヤブサの冷酷さが阻んだと、誰もがそう思った筈なのに……?!
「お前なら助けられたのか?アラセ」
タイヨウが、しんと冷たい言葉を発して。
アジサイの表情から、助けたくても助けられなかった状況を感じ取って。
目の前に立つ背の高い男が、酸素マスクを片手に持ち、点滴に繋がれていることに気づいて。
そんな状態になってもなお、コイツは行ったのか。
「――――ッ」
アラセは、黙って奥歯を強く噛み締めた。
⬛︎⬛︎⬛︎
損傷した獅子舞のモジュール交換進捗。
ハヤブサやダイチの治療進捗。
使った分の弾薬補充とトラックの給油進捗。
全てのスケジュールを並行管理しながら、アジサイは濃く生ぬるいブラックコーヒーを口に含んだ。
隣に座るタイヨウも、無言のままタブレットに接続したキーボードを叩いている。
夜になってもFOBは喧騒に包まれているというのに、この区画だけは静まり返っていた。小気味のいいタイプ音が、アジサイの意識を深く沈み込ませていく。
ひとが死んだ。
中央軍第五十六三軸強襲戦車中隊という、定数通り9機の獅子舞、9人のドライバー、それを支える専門職の兵士で構成される部隊ができて。
自分の指揮のもと各地で戦い、その度に全員無事に基地へ帰還してきて。
それがいきなり、無数の砲弾、しかも味方から無警告のまま放たれたものの餌食となり、初めて味方が死んだ。
一度に3人も。
「……タイヨウさん、書けました?戦死報告書」
「……書き慣れてないもんで、まだ。中隊長は?」
「まだ……」
ふたりで肩を落としながら、同時に額の汗を拭い、被ったねと少し笑った。
蒸し暑く空調の効いていないFOBで、じっと身体を動かさずに指先だけカタカタやるのは、なかなか堪える。
しかも左手を負傷している以上、使えるのは右手だけ。それが書きたくもない戦死報告書なら尚更だ。
本来はハヤブサが、死に立ち合った指揮官なので報告書を書くべきだが、今は医務センターで横になっている。先任で同じくノゾミの死に目にいたタイヨウが書く羽目になった。
時間的に眠くなってきてもおかしくないが、脳が眠ることを拒否している。
「次の任務とやらも知らされてないんだろ?」
とっくに氷の溶けたコーヒーをしかめ面で飲みながら、タイヨウが問うた。
「とりあえず負傷者の治療と獅子舞整備が先って伝えたから。それに、アラセちゃんが頭冷やす時間も必要だし」
激昂してハヤブサに掴み掛かったアラセ。ミドリに引き剥がされたあと、大粒の雨に打たれながら、しばらく外に立ち尽くしていた。
その後、第二分隊のアラセ、ダイチ、ヒテンの3人は整列してアジサイやタイヨウ達に謝りに来たが。
その姿を思い返しながら、アジサイはエンターキーをタンッと叩いた。
「それともうひとつ。戦況、ヤバめなんだよね……」
右手の人差し指で画面を操作して、報告書を一旦クローズ。全部隊が展開中の地図を開き、タイヨウにタブレットを見せた。
Eブロックが進んでいない。それどころか押し込まれている。
トーキョー市の西側、タチカワ地区周辺がEブロック。そこに、一個師団にも匹敵する戦力が集中しているが、敵の防衛網を突破できずにいる。
密集する赤色の凸マークに対し、味方を示す白凸マークは見るからに劣勢だ。後ろから増援が来ては、敵と対峙する集団が同じ数、すり潰されていく。
「ここに派遣されるかもって?」
神妙な面持ちでタイヨウはタブレットを覗き込んだ。
「そう。割と前線はどこも滅茶苦茶で、余剰部隊はとにかくヤバいところにどんどん送られてるみたい。私達もCブロックに戻らずに、Eに行かされるんじゃないかなって思ってます」
戦力の逐次投入は愚策だ、と評されることがあるが、戦線が広くどこかに穴が開きかねない状態で、劣勢と見える箇所に全力投入はそれこそ愚策だ。
少しずつ敵を抑え、少しずつ前進する必要が、全ての戦線で必要である。
……まあ、どこかに穴が開きそうって時点でダメダメなんだけど。
小さく独りごちて、アジサイは画面を戦死報告書に戻した。
今の自分にできることは、上へあげる報告書を書き上げることと、どんな指示が来ても素直に受け入れる態勢を整えること。戦略的見地から戦場全体を俯瞰することではない。
それが、部下を死なせた直後であっても。
「……辛ければ、俺やミドリや、ハヤブサにもっと頼って大丈夫だからな」
そう声をかけられて、思わずタイヨウの方を向いた。タイヨウはこちらに目をくれず、自分の書類作成に打ち込んでいる。
「ひとりで抱え込むんじゃない。部隊の損害は、部隊全体で背負って、次に持ってくべきだ」
忘れないように。しかし、触れれば傷つくその過去を、抱きすくめないように。
身を案じてくれるタイヨウに、ほっと頬が緩んだ。さすが、頼れる兄貴分である。同時に、そんなに抱え込んだ顔をしているのかとも気付かされる。これでは他の部下に示しがつかない。
「ありがとうございます」
「あと、テンション落ちてるからかもだけど、敬語使わなくていいから。俺はただの曹長、中隊長は中尉で指揮官だぜ」
「じゃあ私に敬語使ってくださいよ陸曹長!」
「……はい」




