第二十八話 死神姫とアッラ・マルチャ-11
「…………収容袋をふたつ」
ミドリの声は、雨にかき消されそうで。
その言葉を聞いて一瞬、硬直してしまった。
「2台、後部からかなり至近距離で曳火を喰らってる。乗降ドアが爆圧で車内側に折れ曲がっているわ……言っている意味がわかるわね、少尉?」
寝そべるように搭乗する獅子舞の車内は異常に狭く、故に身長160センチ未満の人間しか物理的に乗り込むことができない。
仰向け体勢で寝そべった頭上、ほぼ隙間のない数センチの距離にある、分厚い装甲を誇るドアが、車内側に折れ曲がったら。
「……!」
一瞬想像してしまった。
首の骨が折れる、なんて生易しい状況には、なり得ない。
必要なのは医療キットでも頸椎保護具でもなく――遺体収容袋。
「袋をくれれば、後で私と分隊長で収容するわ。最悪半身だけでも……それと、担架をお願い。ノゾミちゃんはまだなんとか息がある」
目ェ開けろ!諦めんなッッ!暗く閉ざされた店の最奥から、タイヨウの怒号が響いた。
「自分、取ってきます」
少し遅れて店内に入った小型トラックの運転手が、ハヤブサとミドリの会話を聞いてすぐに引き返して行ったので、二人はノゾミの獅子舞へと小走りで近づいた。
タイヨウとリュウセイが、ノゾミの身体を獅子舞から引き摺り出そうと奮戦している。が、なにか引っ掛かっているのか、彼女の胸の辺りまでしか車外に出せずにいた。
鼻血を噴き出しながら、ノゾミは虚ろな目で天井を眺めている。結い上げた彼女のお団子頭は、ヘルメットを外された時に乱れ、床に髪が広がっていた。
至近距離で爆発を喰らった場合、たとえ車体の外側が無事でも、車内の装甲材などが剥がれて搭乗員に牙を向くことがあると、幹部候補生学校でつい数ヶ月前に教わったばかりだった。
獅子舞の、「車内」なんて立派な言葉で表すには狭すぎる内部構造が、ノゾミを守るどころか全身を貫いたのは自明の理で。
血の気が引いていくその顔を見て、隣にいるミドリは足を止めてしまった。
リュウセイもガチガチと震え、どこを見たらいいかわからず視線を彷徨わせながら、最後の気力だけでノゾミの戦闘服を引っ張っている。
タイヨウだけが、必死にノゾミの肩を叩いていた。
その姿が、二重に見える。視界が歪んでいる。
頭の怪我のせいか、この状況のせいかわからないが、いま自分は正常な状態ではないぞと、俯瞰したもう一人の自分が脳内で告げた。
サッポロの教室の、あのシミュレータで。最高難易度の戦術AIシミュレータで、ただの一度も、自分の指揮する部隊から損害を出さなかった。
それを褒められた。主席だと言われ、だから誰よりも早く卒業して、少尉の階級章を縫い付けられた。
なのに。
何故、こうなった。
2人死んだ。人類の叡智、持てる科学技術の粋を弾殻に詰め込んで、至近距離で爆破したから。
ここにくる途中、幾度も見た木造住宅のように、いとも簡単に。
彼らは比喩ではなく文字通りの意味で、握り潰すように圧し拉がれた。
目の前で、辛うじて酸素を取り込もうと口を開けているノゾミは、なにが悪くてこんな目に遭ったんだ。
陸軍大本営のあってはならないミスだと他責するのは容易い。それでこの命の燈が消えずに済むのなら。
自分に非はなかったか。退避ルートの選定、逃げ込めと指示した場所に、誤りはなかったか。
鼻腔に流れ込むこの血の匂いは、自分か?それとも、
「しっかりしろ!!!」
ノゾミを叱咤するタイヨウの声に、意識を無理やり引き起こされた。
ジンッと頭に激痛が走り、店の外で雨が獅子舞を叩く音が急に鼓膜へ流れ込む。
――今、完全に意識がどこかへ飛びかけていた。
少しよろめきながら、その場に片膝をつく。気づけば、折り畳み式の担架やバール、エンジンカッターを持った兵士達が隣に集まってきていた。
顔が床に近づいたぶん、青紫色になったノゾミの唇が、より近くで見えた。
その薄い唇が、なにかを訴えようとかすかに震えた。タイヨウが、ん、と彼女に耳を近づける。
白目を剥きかけたノゾミの眼球、その黒目がゆっくりと動いて、ハヤブサを捉えた。
焦点は合っていない。
自分のことを認識してくれているかはわからなかった。
思わず手を伸ばして、ノゾミの肩に触れた。ぐちょっと厭な音がした。そこにあるべき肩の骨の感触が、無い。
灼けるように熱いノゾミの血液が、冷え切ったハヤブサの指先にじんわりと熱を伝えて、人差し指が震えた。
その手のすぐ横。ノゾミが、消え入りそうな声で、空気を搾り出すかのように、言った。
「……ごめん……な……さい……」
彼女の最期の言葉は、懺悔で。
『ハヤブサ君タイヨウさん聞こえたら今すぐ退避ッ!!!』
場違いな程に絶叫するアジサイの怒声が、一瞬の静寂を切り裂いた。
『敵、距離70!見えてない?聞こえてないの?!』
ハッと顔を上げた。同じく表を上げたタイヨウと目が合う。
――目が合う?
獅子舞ドライバーは戦闘中、ヘルメットと合体し一体となったHMDに、敵味方の位置情報を常に投影している。
ミドリの泣きぼくろを、リュウセイの定まらない視線の動きを見た。ここにいる誰もが、そのヘルメットを装置していない。
ここにいるドライバーや普通科の兵士達は指揮要員ではなく、故に敵位置をリアルタイムで把握できる立場にない。
そして自分は、タブレットを小型トラックの助手席に置いてきた。
敵が今どこにいるか、わからない――!
「1/2、指揮官、感よし。敵の位置再度送れ」
『目の前だってば!!!』
メキメキメキメキ……木材と薄い鉄板の折れ曲がる乾いた音がした。雨音に負けない、かなり近い距離で。
全員が一斉に音のした方を見て、次にノゾミの、まだ微かに体温の残る亡骸を見た。
「駄目だ、まだ遺体を収容できてない!」
『遺体……?!』
タイヨウの返答に、アジサイは無線機の向こう側でしばし絶句。
その間にタイヨウは、ノゾミの戦闘服を両手で掴み、筋肉を躍動させて引っ張り上げようとした。引かれてハヤブサも、戦闘服を鷲掴みにする。
『……ごめん、本当にごめん。許可でき――至急、その場を――ぐに――』
アジサイの言葉が、急に途切れた。
電波干渉。敵の本体から発する微弱な電磁波の影響で、レーダーや無線が使用できなくなる現象。タイヨウが思わず手を止めた。
敵が、至近距離にいる。
床に膝をついていたリュウセイが、
跳ねるように立ち上がった。
誰かがその場に担架を落とす。
ミドリがなにか叫ぶ。
タイヨウが一度首を振り、
ハヤブサを見た。
ハヤブサはそっと、ノゾミの戦闘服から手を離す。
指示を出さなければ。自分は副指揮官で、こんなことで動じる身体をしていない筈だから。
3人の遺体を収容せずに、さっきまでは確かに息のあったノゾミの亡骸を、車内で無惨に押し潰された残りの二人をここに捨てて、自分達だけ逃げて生き延びろと、命じなければ。
きっと本当は、同じく獅子舞を駆るタイヨウもミドリもリュウセイも、そうせざるを得ないことを理解していて。
認めたくないが、見捨てたくないが、命令に従うのが軍人だから。
その免罪符を与えなければ。その言葉が、喉から出なかった。
『退避ッッッ!!!』
泣き叫ぶのに近いアジサイの声が無線機から迸り、全員は反射的に、無我夢中で店の外へと駆け出した。
敵と、自らと、この世界の全てを憾みながら。
「畜生ッ!!!」
タイヨウの怨嗟が、生きているもののいなくなった店内に、虚しく響き渡った。




