第十七話 歯ブラシ共のトッカータ-17
湿度と蒸し暑さはピークに達していた。
作戦前日。
陽が落ち切る前から、黒く重たい雲が天に蓋をする。
遠い宇宙からやってきて地球を絶賛食い散らかし中の異星体、ANT。
憎しみと侮蔑を込めてアリ共と呼ばれる彼らは、赤道直下に降着し徐々に極地を目指して進撃しているが、どうやら生体的に寒い場所と、水に弱い存在であるらしい。
水アリとよばれる渡河能力をもった個体を除き、彼らは水に濡れることを好まないことが、世界各地で報告されている。もちろん皇国でも。
よって、トーキョー絶対防衛戦、防衛戦といいつつ事実上の反抗作戦は、予報上数年に一度レベルの豪雨となる明日から始まる。
空は既にたっぷりと水分を含み、一部では堪えきれなかった雨粒が、ぽつりぽつりと降り出しているらしい。
今から100年以上も前。
かつて、この国が皇国と名乗り始めて間もない頃に起きた内戦では、先込め式の旧式ライフルを装備した士族軍が、豪雨により銃火器を扱えず、雨天でも連発可能な政府軍の後装式ライフルを前に敗北した記録が残っている。
天候は、戦を左右するのに重要なファクターだ。
水に弱いANTと戦うため、あえて雨天を作戦決行日に選ぶのは当然のこと。
とはいえ、季節は夏。
人間もまた、トーキョーの異常とも言える暑さと湿度のダブルパンチで、若干弱っていた。
天気や地形を最終確認するためにタブレットを凝視しながら、机に置いていた紙コップに手を伸ばした。
数分前に氷を入れておいたはずが、氷はすっかり溶け、紙コップは結露でべちょべちょになっていて。
ハヤブサは摘むようにふやけた紙コップを手にし、味の薄まりつつあるブラックコーヒーを口に含んだ。
──これがトーキョーか。
生まれ故郷のサッポロから出たことはないハヤブサにとって、この暑さと湿度は異常だった。
肘のあたりがうっすら汗ばんでいるのを感じる。
もう一杯アイスコーヒーを作ろうかと、粉のざらつく黒い液体を飲み干した瞬間、
「あっぢぃ〜」
盛大な独り言と共に、アラセが入ってきた。
トゥースブラッシュに割り当てられた、仕切りのない個室。
各種訓練や車両整備、食事、就寝以外はだいたい皆ここにいる。
というか、ほかに行く場所がない。
黒いTシャツをまくって肩まで出したアラセが、ハヤブサをちらりと見た。
居ると思っていなかったのだろう、一瞬驚いた表情を見せたが、目線が交差した瞬間すぐにしかめっ面に戻り、脇を通り過ぎていった。
あれから。
アラセが16歳の女子高生だと知った日から、ハヤブサとアラセは一度も言葉を交わしていない。
ハヤブサは主にアジサイと共に作戦会議への参加、兵站部隊との打合せ、タイヨウとミドリとの意見交換に時間を使っている。
アラセ達はシミュレーターや実車での訓練、筋トレなどの鍛錬がメインだと聞いた。
そもそも活動範囲が被らない。
ふと空いた時間にタブレットで調べたところ、どうやらアラセが通っているという聖メイシャ女子学院は、偏差値の高いお嬢様学校らしかった。
その言動や行動から、お嬢様達がオホホと笑いながら通う女学院の生徒には見えないな、とは思うが言ったら絶対に殺されるので言わない。
それくらいの分別はあるつもりである。
ハヤブサはタブレットに目を落とそうとして、
一瞬視界に入った髪色に、視線を奪われた。
アラセの髪。
肩口あたりまで伸びたウルフカット、攻撃的に跳ねるその毛先は、濃い緑色に染められていた。
普段は黒色のシャツや迷彩服を着込んでいるため気づかなかったが、服を捲り上げている今、女性にしては筋肉質の肩にかかる毛先の緑は目を引いた。
「……緑、なんですね」
「あ?」
冷たい水の入ったウォータージャグに手を伸ばしかけたアラセが、鋭い視線を向けてきた。
思わず声をかけてしまったものの、その先の言葉を考えていなかったので、結果また無言になる。
顔をタブレットへ落とすのは、話しかけた手前失礼な気がして。
さりとて髪の話題を膨らますことも、話を変えることもできず硬直してしまうハヤブサをよそに、アラセはウォータージャグから冷たい水を紙コップに注いで一気に飲み干した。
「……陸軍に入るんだから、色は緑の方がいいだろ」
ぽいっと紙コップをゴミ箱に投げ捨てて、アラセが言った。
「……え?」
「だから。緑の方が格好いいだろ」
毛先を指で弄びながら、アラセは視線を合わせようとしない。
「気合い入れたかったんだよ。だから緑に染めた。これ、軍規違反か?」
問われても軍規はよく知らない。
全然オッケー大丈夫、ではない気もするが、ひとまず首を横に振っておく。
下手にオシャレですねとか言わなくてよかった。
陸軍に入り、敵と戦う覚悟を決めた16歳の少女。
気合いを入れるために毛先を戦車と同じ色にした女学生。
煌舞アラセという人間のことを、自分はなにも知らない。
「……陸士長は、」
少しだけ、なにか知ろうとして。見上げながら声を掛けたが、アラセは拒絶するようにこちらを一切見ようとしない。
「アンタはさ」
逆に、アラセから声を掛けられた。依然として目が合うことはないが。
「なんで軍にいるんだよ」
その言葉には棘があった。
ツルミ駅での戦闘後、無人兵器と勘違いしてねえかと問われたときと同じように。
「……先輩に。高校生時代の先輩が陸軍にいて、その人に声を掛けられたので。軍に入って、戦って欲しいと」
時代の変化に合わせて、中央軍だけでなく各方面軍にも情報システム部隊を配備することになったのは、ANTの侵攻が始まる半年前。
中央軍システム開発部隊にいたアスカ先輩が、地元である北方軍に戻ってきたのはそのタイミングだった。
そのアスカ先輩に声を掛けられたから、今自分はここにいる。
北方から遠く離れた、ここトーキョーに。
「じゃあアンタは、自分の意思で軍に入った訳じゃないってことか?」
「そう、ですね。丁度、ANTの攻撃が激しくなってきたタイミングだったので、なにか力になれればという思いもありましたが」
──何故、4つ下の現役女子高生にこんなにも詰問されているのだろう。
ふーんと興味なさげに鼻を鳴らし、アラセはぱたぱたと手のひらで顔を仰いだ。
蒸し暑くどんよりとした空気が部屋に滞留している。窓がないのでわからないが、外はそろそろ夜の帳が下り、雨が降り出しそうな頃合いだろうか。
アラセは無言のまま部屋を出て行こうとし、ふと足を止め、振り向いた。
その姿を目で追っていたハヤブサと、初めて目が合う。
「オレは、自分の意思で軍に入って、自分の意思で獅子舞に乗ってる。アンタはタブレットで、オレは獅子舞やき、戦ってる場所も違う」
その視線は研ぎ澄まされたナイフのように鋭く、放たれた言葉は徹甲弾。
ハヤブサの胸を抉る、力強い、拒絶。
アラセが言いながらタブレットを指差した、その指先は微かに震えているように見えた。
「アンタの指示には最ッ低限は従うけどな、オレの指揮官はアジサイ中尉だ。アンタじゃねえ。オレはアンタを信用してねえ、信用できねえからな。アンタが、オレ達を信用していないのと同じやき」
──自分が、信用していない?
それはどういう、と問い返そうとしたときには、既にアラセは踵を返していた。
緑の毛先が左右に揺れ、視界から消える。
信用は、しているつもりだ。
信頼関係までは、正直構築できていないと思う。
それでも、共通の敵を倒すという目標のもと、指示をして、従ってくれて。全員からは自分が信用されていない可能性、その自覚はあれど。
自分が、皆を信用していない、と。
熱帯夜にひとり残され、ハヤブサはアラセの言葉の真意のわからぬまま。
アラセの投げ入れた紙コップが、ゴミ箱の中でバランスを崩し、かさりと小さな音を立てた。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!
たまたま本話から読んでくださった方、ぜひ第一話から読んでみてくださいな(急にここから読んでもわけわかんないと思うので)!
これにて、第一章「歯ブラシ共のトッカータ」はおしまいです。序章から読むと、ここまででおおよそ38,000字くらいでした。お楽しみいただけたら幸いです。
次章、「死神姫とアッラ・マルチャ」をお楽しみに!




