未だ引きずる憂鬱な気持ちを切り替えるために、第一計画のお茶会に参加した日
コンラードからお茶会の招待状が来たのは、最初に家に来た日から二日後だった。場所はコンラードの邸、バックリーン公爵家だ。
早速の出番のようだと、当日着て行くドレスを侍女たちと選んでいた。
派手過ぎず、お昼に合ったシンプルなドレスを選ぶことにした。ああでもないこうでもないという侍女たちに、そんなに真剣に考える必要はないと伝えると、完璧に仕上げますと返って来たので結局好きなように選ばせることにした。
しばらく待っているとこれにしましょうと持ってきたのは、淡い水色のドレスで、胸元にレースが使われている。腰のところで布が切り替わり、少し濃い色の水色になっていて、裾に銀糸で刺繍があり、シンプルながら上品で若々しさもあるドレスだった。
「ありがとう。これにするわ」
フェリシアが了承すると、ライラが髪を結い、アンネが化粧をしてくれる。首にサファイアのペンダントをつけ、耳にも同じ意匠の耳飾りをつけた。
ちなみに、イクセルに買ってもらったものはいつの間にか全て処分されていた。フェリシアもそうしようと思っていたので、先を読んでやってくれたライラとアンネに感謝の気持ちでいっぱいになった。
フェリシアがしていたのでは泣きながらになっていたかもしれないから。
今付けているのものは父からもらったものだ。ルビー色の髪にはサファイアがよく似合うと言って買ってくれたものだが、母親がルビー色の髪に水色の目だからそればかり母に贈っている父は、娘の目の色が自分と同じ緑だと気づいていないのでは?とひっそり思っている。
バックリーン公爵家から来た迎えの馬車に乗り込むと気合を入れ直した。気を抜くと直ぐ憂鬱な気分になり、嫌なことを思い出すからだ。
見慣れない街並みを馬車は走り、バックリーン公爵家に着くとコンラードとマレーナが出迎えてくれた。マレーナも呼ばれていたのを知らなかったのでフェリシアは驚いた。
しかし、バックリーン公爵家が一番王家と近い公爵家なので声がかかってもおかしくはない。知らない人の中、フェリシア一人だけでは気を遣うと思って来てもらったのだろう。
「フェリシア。手伝ってくれるんだって?ありがとう。アリスも喜んでたわ」
アリスとはラーゲルベック公爵の妹だ。あちらとも仲が良いのであろう。アリスは22歳。結婚して2年らしい。
「フェリシア嬢。よく来てくれたね。感謝するよ」
三人で庭園に向かうと女性が一人いて、コンラードに兄嫁のディオーナだと紹介された。
「フェリシアさん。ありがとう。私たちはテオドール様を結婚させる為に作られた組織です。一緒に頑張りましょう!」
明るい方だ。しかし、このディオーナもカーリンが亡くなった時に涙を流して苦しんだ方だ。
あの悲惨な事件は、カーリンとテオドールにディオーナが贈った観劇のチケットで見に行った時に起こったのだ。
しかも、アリスと当時の婚約者で現夫の二人にも同じものを渡していて、実際は四人で行ってアリスは目の前で惨劇を目撃し、しばらくの間しゃべれなくなった。
自分が贈らなければこんなことにならなかったのにと、悲しみ、苦しみ続け、かなり憔悴していたので、昼夜を問わずに侍女が付いていたそうだ。万が一のことがあってはならないからだ。
夫のディッグがディオーナの責任ではないと言い続け、喪服を脱ぐようにと繰り返し言い、脱ぐのに一年かかったのだそうだ。
それだけ多くの人が悲しみ苦しんだ悲惨な事件だった為、人々の記憶には今も強く残っている。明るく振る舞っているが、きっと今もその苦しみは完全に癒えてはいないのであろう。だからきっと、こんな計画が立てられたのだ。
フェリシアは勧められるままディオーナの横の席に座る。マレーナはフェリシアの逆隣だ。コンラードがマレーナの前に座り、何気ない会話をしながらテオドールを待つ。
「テオには少し時間を遅らせて知らせてあるのよ。作戦も必要だし」
ディオーナが楽し気に言っている作戦とは何なのか?フェリシアは率直に質問した。
「どういったことを私はしたら良いですか?」
「ただテオと話してくれたら良いの。そのうち順番に私たち三人が席を外して二人になっても会話を続けて欲しいの。席を立たせてはダメよ」
「私には中々難しい指示ですね。どんなことを話したら良いのか。ラーゲルベック公爵が興味を持たれるような話題は思いつきません」
あまりにも難関でフェリシアは最初からつまずきそうだと不安になった。
「良いの。特別な話なんてしなくて。天気の話とかそこら辺に咲いている花の話とか。読んだ本とかあればそれでも良いし。とにかく会話をして欲しいの。
テオは頑なでね、家族や私みたいな関係者以外の女性とまともに会話しないのよ。
少しでも他の女性と会話して新しい道を見つけて欲しいの。このままではカーリンも喜ばないし、アリスも大変だもの」
「アリス様はこのことはご存じですか?アリス様はカーリン様のご友人でもありますよね?私なんかがカーリン様の代わりにラーゲルベック公爵の話し相手なんてして不快になられませんか?」
「まさか!アリスは喜んでいるわ。愚兄をよろしくお願いいたしますって伝えてって言われているのよ。それに私なんか、なんて言ってはダメよ。あなたのことを大切に思っている人がたくさんいるんだから」
そんな会話をしている時だった。風が吹いたと思って邸の方に目をやるとテオドールが案内されてこちらに歩いて来ていた。
フェリシアは立って待つ。するとテオドールがフェリシアに気付いたようだ。少し驚いて眉間に手を当てている。フェリシアがこの場にいることを不快に思ったのかもしれない。
「テオ!遅いじゃないか。もう他の出席者は揃っているぞ!」
コンラードである。遅いも何も、テオドールだけ遅い時間を言われていたのだから仕方ないだろう。
「そうよ。テオ!たまには遊びに来てって言っているのに。クヌートだって会いたがっているわ」
マレーナの顔を見ると息子だと教えてくれた。
「マレーナ王女殿下。ご無沙汰しております。王太子殿下にはお会いしますが、マレーナ王女殿下とはなかなかお会いする機会がございませんのでご容赦ください」
「久しぶりねテオ兄様。兄が迷惑かけてないかしら?時々宮にお酒を飲むのに呼ばれているのでしょう?たまには断れば良いわよ」
「いえ、コンラードと共に楽しい時間を過ごさせていただいております」
王太子殿下とコンラード、テオドールは幼馴染で学友だと聞いている。フェリシアにしてみれば、何とも豪華な顔ぶれだなと思って黙って見ていた。
「ディオーナ、外にいて大丈夫か?お腹の子に悪いぞ。ディッグを心配させてはいけない」
「もう、心配ないわよ。これくらいの気温なら平気よ。それにずっと家から出ていないもの」
そうか、ディオーナは妊娠中なのか。見たところ分からないからまだ安定期に入っていないのかもしれない。気を付けないと。
フェリシアは先に挨拶をすべくカーテシーをした。
「先日は大変ご無礼致しました。改めまして、アーレンバリ侯爵家長女のフェリシアでございます。お見苦しいものをお見せし誠に申し訳ございませんでした」
ハーフアップにされ後ろに流れていたルビー色の髪が肩をサラリと滑り落ちる。
「いや、君も色々大変だったろうし、謝る必要はない。この場にいるのはマレーナ王女殿下の関係かな?」
いえ、そうではありません、と言いたいがそんなこと正直に言えるわけがない。
「はい。落ち込んでいる私を元気づける為に、外に出そうとマレーナ王女殿下がお誘いくださったのです」
「フェリシア、いつも通りマレーナでいいわ。逆に気持ち悪いもの。ここにあるお菓子はね、半分王宮の料理長が作ったものなの。この前の舞踏会で一緒に食べられなかったでしょ?」
「ありがとうマレーナ。美味しそうね」
そう言って笑ったフェリシアに視線が集まっていることに気付き一瞬で顔が強張った。薄ら笑いとイクセルに言われたことを思い出したのだ。
今自然に笑えていただろうか?不快にさせていないだろうか?不安になった時だった。マレーナがぎゅっと抱きついてきた。
「フェリシアはイクセルと別れて正解よ!より綺麗になったもの!」
「何よ急に。変わらないわ」
「違う。変わったわ。きっと心のどこかでイクセルのことで余分な気疲れをしていたのよ。婚約中も色々あったし。
時折疲れた顔をしていたり、悩んだ顔をしていたのが今はなくなってスッキリしているもの。そのおかげか少し笑っただけで、穏やかで優しい笑顔になっていて良い感じね」
「私は初めてお会いしたけど、確かに花がほころんだような笑顔だったわね」
「うん。この前より顔が穏やかになってスッキリした表情をしている。マレーナ王女殿下の言う通り別れて正解だな」
コンラードまで言ってくる。さすがにこんなに言われると恥ずかしい。
「コンラードが会った時っていつのことだ?知り合いだったのか?」
テオドールが不思議そうに聞いてきて、テオドールを除いた全員がコンラードを見た。
「いや、この前のほら、舞踏会で一緒にフェリシア嬢を見ただろ?あの時の様子から全然違うなって」
何とか誤魔化そうとしているようだ。
「それはそうだろう。あんな時に笑顔を浮かべられるわけがない」
「そ、そうだよなー。いや印象が全然違うから驚いてしまってさ」
「聞いたわ。フェリシアから。フェリシアって普段は生真面目で穏やかな子なんだけど、変なところで大胆に失敗しちゃうのよ。
子どもの時にね、一緒に所領の金山を見に行ったの。母とフェリシアのお父様と一緒に。それで、現地の担当役人も一緒に金山の採掘場の入口から少し離れた場所で話している時に、私たち二人は入口にいたのよ。中はどんなかなって言いながら見てたの。
そうしたらフェリシアってば、アゲハ蝶が金山の中に入って行ったのを追いかけて行っちゃって。急いで私が後を追ったんだけど、中は迷路だから二人で迷子になっちゃって歩き疲れて座り込んでしまったの。ちゃんとその後直ぐに助けが来たんだけど、お父様に叱られたフェリシアが言った言葉がフェリシアらしいのよ。
『ちょうちょがまいごになっちゃうと思って』ですって。それで自分たちが迷子になってどうするのかしら」
マレーナがクスクスと思い出し笑いをしている。
「もう。八歳の時の話をいつまでも。マレーナは直ぐにその話をするんだから。あの時は咄嗟に動いちゃったのよ」
「可愛い話じゃない。子どもの頃はいつも二人で王家の所領に行っていたんでしょ?二人にしたら視察というより小旅行だもの。きっと楽しい思い出ね」
ディオーナが笑っている。
「ほんと、あの頃と全然変わってないの。こんな大胆なことをして。私、注意したんだから。
顔も素性もわからない男性に婚約を申し込むなんて馬鹿なの?って。テオ兄様だったから良かったものの、変な男だったらどうする気だったのって」
マレーナが呆れたように言っている。
「で、でも、一応最低限大丈夫っていう確信はあったのよ。俯いていたから靴だけ見えて、綺麗に磨かれたオーダーメイドの靴だったから、それなりの爵位だろう、とか。かけていただいた時の声が、硬質ながらも優しさがある声だな、とか。
こんな怪しい私に声をかけてくれるなんて悪い人ではないだろう、とか。一応ね、考えた結果なのよ」
フェリシアが焦って言うとマレーナが不満そうに言ってきた。
「うーん、一応考えた結果ね。ダメね。まだまだ。それだけで判断なんてして!反省が足りないわ!
そんなのいくらだって装えるのよ!靴なんてちょっとお金があれば買えるし、優しい声なんて騙そうとして出せる人もいるんだから。もう、この子ったら心配だわ」
マレーナが大袈裟に心配だとまた抱きついてきた。
「そうだね。それは心配だね。見てた僕は面白かったけど」
「もうコンラードは!面白がらないで!」
「ところで今気になったんだけど、なんでマレーナ王女殿下はテオには兄様をつけて僕には付けないで呼び捨てなんだよ。昔は付けてただろ?」
「ええ?そうだったかしら?覚えてないわ。いつからかしら?」
マレーナが首を傾げている。
「三年前からだ」
それまで黙っていたテオドールが会話に加わった。
「え?そんなに前から付けられてないの?僕?」
「おまえ気づいてなかったのか?恐ろしい程鈍感なやつだな」
マレーナは素知らぬ顔をしてそっぽを向いている。
「良いじゃない。マレーナはディッグにもつけてないわよ。テオだけついているだけ」
「そうそう。いつまでもお兄様みたいに感じるのよ。お兄様が二人いるみたいなんだもの」
「僕は違うのかよ」
「何かしら?不思議ね」
マレーナはまたクスクスと笑っている。
「人はいつの間にか大人になるのよ。マレーナだっていつまでも子どもじゃないものね」
ディオーナがふふと笑い返している。
「そうよ。でも、本当にフェリシアから聞いた時は驚いたし叱ったの。久しぶりにこの子やらかしたわって。
婚約破棄より驚いたのよ」
「マレーナ王女殿下。いくらご友人でもそういった言い方はよくない」
テオドールがマレーナを注意する。
「良いのよ。フェリシアはあんなのと婚約破棄して正解なんだから」
マレーナの銀色の髪が風に揺れている。
「ええ、私もそう思っています。結婚後に発覚したり、私が悪いようにされての婚約破棄になっては困りますから。却って良かったと思っています。
先日ヌールマン侯爵と一緒に謝罪に来られたんですが、知らなければ私が悪いようにされていたように感じましたので」
「謝罪に一応来たんだね」
コンラードが興味津々という顔をしている。
「ええ、こちらは来なくても良いと父が伝えたのですが、ヌールマン侯爵がどうしてもということで。
ヌールマン侯爵の対面もありますでしょうから、我が家としては顔を立てて円満に婚約破棄という形にしようということになったのです」
「へえ。それで普通に謝罪に来たんだ。元婚約者殿は」
「いいえ。謝罪をされたようには感じませんでした。話を聞く限り、私にも瑕疵があるという風にしたいようでしたが、ヌールマン侯爵がそれをさせませんでした。
ご夫妻は私のことを大変可愛がってくださっていたので」
「ふーん。で、本人は反省なしってわけ?」
コンラードが更に聞いてくる。
「そうですね。一応謝罪の言葉もありましたが、私も悪かったと。私には可愛気がないそうです。だから他に行ったのだから、そちらにも非があるだろうと言われまして。直ぐにヌールマン侯爵がお叱りになってらっしゃいましたが」
「うっわ~、凄い失礼だね!どう考えても向こうが悪いだろう?結婚直前にさ。しかも友人と浮気だろ?フェリシア嬢にだってきっと可愛気があるだろうに、って痛ッ」
コンラードが顔を歪ませている。
「フェリシアは可愛気もあるし、優しいし、時々変な行動をするけど一緒にいて楽しいわ。イクセルの目と頭がきっとおかしいのよ。ね?コンラード」
「そ、そうだね。僕の言い方が悪かった。
それにしても酷い話だね。ちゃんと謝罪できないならヌールマン侯爵だけ来たら良かったのに。より印象が悪くなってアーレンバリ侯爵家で怒りが増幅するだけじゃないか」
「もう、その話は止めましょう。楽しい話がいいわ」
ディオーナが割って入ってきた。こちらとしてもこれ以上この場で言えることはないので正直助かったとフェリシアは感謝した。
「このクッキー、美味しいわよ。フェリシアさん食べてみて」
「はい。いただきます」
クッキーはサクッとした食感とちょうど良い甘さがフェリシア好みだった。
「美味しいですね。私このクッキー好みの味です」
「ふふふ。それ、私が焼いたの」
「え!そうなんですか?!凄いです!お店みたいです!」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。息子に何か一つでも私が作った物を食べさせたいって思って、料理長に教えてもらって練習したのよ。これしか作れないけど、息子と大事な人の為にだけ作るの」
ディオーナが嬉しそうに笑う姿に、フェリシアは苦しんだからこその力強さを感じた。きっと、テオドールを本当に結婚させたいのだろう。
相手はフェリシアじゃなくても、徐々に考えを変えさせ結婚させて、関わった人たち全員が前を向いて幸せになれるように。フェリシアはディオーナの為にもできるだけやってみようと決心した。
「今度、フェリシアとブレンダの三人で王家の所領まで旅行に行くの」
「ブレンダっていうのはマレーナ王女殿下の話に出てくるもう一人の友人だったな?」
コンラードが聞いている。
「そう。三人で気分転換に旅行に行こうって話になったの。ブレンダが一番張り切っているわ。場所を指定したのもブレンダだもの。三人で夜通しおしゃべりするのって絶対楽しいわ。
そう思うでしょ?コンラードたちがお兄様とお酒を飲むのと同じようなものね」
マレーナがうっとりと旅行を思い描いている。確かに楽しいに違いない。
「気分転換て。必要なのはフェリシア嬢だけだろ?」
その言葉にマレーナが大きな目をキッとさせて上目遣いでコンラードを睨む。
「私たちも友人に裏切られたの。私たちだって気分転換が必要だわ。もう。コンラードは女心をわかってないんだから」
マレーナが頬を膨らませている。19歳でそんな顔をしても可愛いのはさすがマレーナといったところだ。あの紫の瞳に逆らえる者はいない。フェリシアはマレーナの目が大好きだ。
「ああ、その友人ってもう一人の子だったのかあって、え?王女の友人の座を手放してまでフェリシア嬢の相手は良い男なのか?
マレーナ王女殿下とフェリシア嬢は幼馴染で、それより前にマレーナ王女殿下に友人はいないから、その子ってその後できた友人なんだろ?王女の友人の座って社交界においては栄誉として誰もが欲しがる立場なのに」
「ええ、そうよ。しかもフェリシアの紹介で友人になったの。正確には、フェリシアとブレンダが二人のお母様繋がりで幼馴染で、その後にそこにエミリアが加わって、そして学園に入って、フェリシアが二人を私に紹介したの。それで親しくなったのよ。
フェリシアのおかげで王女の友人という立場を得たにも関わらず、そのフェリシアを裏切って男を選んだのよ。私だって裏切られた気分だわ。王女の友人であるより友人の男が良いなんて。
フェリシアだって王女である私に紹介しても良いと思う友人だから紹介したのにね。
おバカさんだわ。私の友人のままの方が後々良かったと思うんだけど、そんなにイクセルが良かったのかしら?
ブレンダが言ってたのよ。栄誉の前では男は要らないって。ブレンダは流石だわ。
それにとっても楽しい子なの。紹介してくれてフェリシアには感謝だわ」
マレーナは終始にこにこと笑っている。
「まあねえ。何を選ぶかなんでしょうけど、私も王女の友人じゃなくても、友人の婚約者は選ばないわ。
だって面倒なことになるのは目に見えているじゃない?貴族の結婚なんて政略的なものや、知人や親族の紹介が多くて、問題を起こしたらあちこちに迷惑をかけることになるもの。
それに逆らってまで得たい相手ってことでしょ?余程愛し合っているのか、そんな自分たちに酔っているのか、それはわからないけど」
「まあ、あれだな。大変な道を選んだってことだな。フェリシア嬢は次はどうするんだい?」
え?ここでその質問?と驚き、フェリシアは何て答えるか逡巡した。
「そうですね。しばらくはのんびりします。父の仕事柄や、マレーナと友人なのは知れ渡っているでしょうから、申し込みはあるかと思うのですが、良いお相手がその中にいらっしゃるかはわかりませんね。
この年ですから、近い世代はもう婚約者がいたり、結婚していたりしている方が多いでしょうし。このまま結婚しないでも良いかとも考えているんです。
家族には迷惑をかけるでしょうけど。どんな理由であれ、私は傷物になってしまいましたから」
何とか無難に答えられたかなとフェリシアが思った時だった。
「君は傷物ではないし、こんなことで卑下することもない」
テオドールがフェリシアの言葉を否定してくれたことに驚いた。聞いている限り、率先してフェリシアに話しかけてくるとは思わなかったのだ。
「だよな!フェリシア嬢は自信を持って!きっと見つかるさ!」
コンラードが嬉しそうに話しかけてくる。テオドールがフェリシアに話しかけたことに喜んでいるようだ。
「お二人ともありがとうございます。できれば次はこんなことにならないようにしたいのですが、どうにも自信がなくて」
「大丈夫よ。素敵な人が見つかるわ。フェリシアさんはこんな素敵な方だもの」
ディオーナがそう言った時だった。
「コンラード。あそこに見える木に緑の実がなっているみたいんなんだけど」
いきなりマレーナが一本の少し大きな木を指差す。
「ああ、あれはレモンの木だよ」
「レモンて黄色でしょ?」
「まだ新鮮なものは緑なんだ」
「見てみたいわ。本当にレモンか齧ってみないと」
「良いけど齧るのはやめておけよ。酸っぱいから。その代わりもいで料理長にレモンの果実水にしてもらおう」
「良いわね!ちょっと行って来るわ!」
そう言って二人は去って行った。作戦の始まりのようだ。
「あの木はコンラードが生まれた年にお義父様が植えられたらしいわ。前よりたくさんの実をつけるようになったの。新鮮だからきっと美味しい果実水が出来上がって来るわよ。
それにしても面白い二人ね。仲が良いのか悪いのか。まあ良いのでしょうけど」
ディオーナが二人を見送る。
「そうですね。学園で男子学生と話す時は、やはり王女として接していましたからこうやって話せる間柄っていうのは羨ましいです。マレーナが生き生きしていますし」
「そうよね。日頃は王女としての務めが多いからこうやって息抜きが必要よね。いつどこに嫁がされるかわからないし」
「そうなんですよね。マレーナは国内に残りたいようなんですけど、やはり近隣の王族に嫁がされるのかな?って言っています。王太子妃殿下も嫁いで来られましたからね。
でも、フランディー王国の王太子が結婚した時は大喜びしてましたよ。一番の候補じゃないかと国内では言われていたようですから。
王家の使命だけど、できるなら国内に残りたいみたいなんで、降嫁先を見つけるしかないですかね?王家に残っても良いと私は思うのですが。どなたかを王女婿として迎えるとかでも良いと私は勝手に思っているんです。王家の人数が減ってしまっては王太子殿下ご夫妻の公務も大変でしょうし」
フェリシアは兼ねてから思っていたことをつい言ってしまった。
「良いこと言うわね!私もそれが良いと思うのよ。マレーナに会えなくなるのは寂しいもの。テオもそう思わない?」
「そうだな。マレーナ王女殿下がお好きなようにされるのが良いだろう。王太子殿下も無理に嫁がせようとは思っていないと前に話していた」
「そうなのね!フェリシアさんも、ああもう、面倒だわ、フェリシアで良いかしら?」
「ええ、もちろんです」
ディオーナが手を握って聞いてきたのにフェリシアは快く承諾した。
「じゃあ、フェリシアも安心ね。マレーナと一緒にいると楽しいでしょ?」
「ええ。本当に。初めて会った時に王女殿下とお呼びしたんですが、面倒だから名前で呼んでって言い出されまして、王妃殿下もその方が友人として接することがしやすいだろうとおっしゃってくださったんです。そうしたら父が恐縮してしまって、ずっと私が失敗しないか心配していました」
フェリシアは当時を思い出し少し笑顔を浮かべた。
「友人関係なんて、続くものだけを残せばいいのよ。切れたら繋げ直す必要はないわ。そんな関係はどうせまた直ぐに切れるだろうし。だから気にすることないわ」
そうか、ディオーナは友人に裏切られたフェリシアを慰めるためにこんな話をしてくれたのか。そうね。切れた友人との縁を繋げ直す必要はないか。思い切ってそうやって気持ちを切り替えることが必要なのだ。
「そうですね。切れた縁はそのままにします。私はこうして今日ディオーナ様という素敵な方とお知り合いになれたのでご縁ができたと思ってもよろしいですか?」
「もちろんよ!私に可愛い妹が増えたわ!感謝しないと。その裏切った友人とやらに」
そういってにこっと笑ったディオーナは本当に嬉しそうだった。その笑顔を見たフェリシアは、義妹であるカーリンを失ったディオーナに少しでも喜んでもらえるよう、この計画に一層気合を入れて取り組もうと思った。
でもこの話を聞いているテオドールがどう感じているのか。本来ならこの場にいたのはカーリンなのだ。フェリシアではない。悲しみを深めてしまったのではないかと思いテオドールを見ると、口元に少し笑みが浮かんでいた。
ディオーナが嬉しそうなのを喜んでいるのかもしれないと感じ、テオドールは周囲を大切にしているんだろうと思った。確かに結婚しないと言っているのは、周りに心配をかけ、アリスに負担をかけているのかもしれないが、周囲を蔑ろにしているわけではないのだろう。
ただ、カーリンを愛しているから。忘れられないから。そうするしかないのだろう。
フェリシアでどうにかできる問題ではないように思えるが、他にも一緒に取り組んでくれる人たちがいるからきっと大丈夫と言い聞かせた。
「ちょっとクヌートを見て来るわ。もう4歳だから侍女だけでも好きに遊んだりしているんだけど、たまに泣き出す時があるから」
そう言ってディオーナが席を立った。いよいよここから三人が戻って来るまでテオドールと会話を続けなければならい。席を立たせて一人にさせてはいけないのだ。ぐっと気持ちを引き締めた。
「ラーゲルベック公爵はお好きな花とかありますか?私はそこに咲いている白い薔薇が好きです」
そう言ってテオドールを見ると白い薔薇を見たようだった。
「そうか。確かに君はあの日も白い薔薇を髪飾りにしていたな。よく似合っていたのを覚えている」
そうだ、あの日も白い薔薇を髪飾りにしていた。フェリシアが好きなのもあって、庭にはたくさんの白い薔薇が咲いている。それを侍女たちが髪飾りによく使ってくれるのだ。
「はい。私が好きだと言ったら父がたくさん庭に植えてくれたのです。それを時々髪飾りにして舞踏会に行くので。うちの庭園はそれで分かれているのです。
母の好きな赤い薔薇と、義姉の好きなピンクの薔薇とで、庭の薔薇が色で三か所に分かれて植えられているので少しおかしな感じですね。もう混ぜたらいいのにと思うのですが、まず父が結婚当初に母の為の赤い薔薇の場所を作り、その後私の為に白い薔薇の場所を作り、最近兄が義姉の為のピンクの薔薇の場所を作ったのです」
「仲の良いご家族だな」
やはりテオドールの声は硬質だが人を安心させる声だ。すっとこの声好きだなとフェリシアの心に染み込んだ。
「ええ、そうですね。もうすぐ甥か姪が生まれるのですが、その子が姪だったらまた庭に別の花か、違う色の薔薇が植えられますね。統一感はありませんがあれはあれで綺麗なんですよ」
フェリシアは自邸の庭園が普通の邸の庭園と違うことをよく知っている。バックリーン公爵家もそうだが、色とりどりで庭師が計算し尽くして考えらえた庭園が普通なのだ。季節ごとに楽しめるように考えられていたりしているものだ。しかしフェリシアの自邸の庭は場所によって咲く花が、咲く色が違うという作りで、家人が勝手に植える花を決める庭師泣かせの庭なのだ。
「楽しいご家族だな。うちは庭師に任せっぱなしだ。見てくれるものも今はいないから。両親は隠居して領地で悠々自適に暮らしているし、妹は嫁いだから私しかいない。その私は執務室から出ることがないからな。感想を言わない主で庭師はつまらないだろう」
紺色の瞳が少し陰ったように感じ、フェリシアは笑いかけた。
「ではたまにお庭に出られたら良いのでは?執務室でのお仕事ばかりでは体が余計に疲れてしまいます。休憩時間を執務室ではなく庭園や応接室に変更されたらその後はかどりますよ、きっと」
「庭園かあ。久しく出ていないな。どんなだったかの記憶もない。執務室から見える程度しか見えないから」
それは寂しいことだとフェリシアは思った。でもずっとこうだったのかもしれない。爵位を継いだのは一年前。継いでからはずっと執務室で一人仕事をしていたのだろう。
男性が一緒に見る相手のいない庭園など楽しいことはないだろうから、必然と出ることがなくなったのだろう。
「勿体ないですよ。花は見てあげないといけません。庭園にガゼボはありますか?」
「ああ、確かあったな」
「では一度、お仕事の間にそこで休憩をされたらいいですよ。庭師の方も喜びますし」
「私が一人でガゼボにいるのか?おかしくはないだろうか?」
「いいえ。おかしいことなどありません。それにご自邸ですし、誰の目も気にすることはありません。見ているのは花と使用人だけですから」
「そうだな。そのうち出てみるよ」
これは出ないなとフェリシアは直感で思った。出ることができないのだ。きっとカーリンと一緒に庭園を散歩したのだろう。何度も。思い出が詰まった場所に出られないのだろう。
踏み込んでも良いのか?いや、ダメだろう。フェリシアに指示されたことは会話をすることだ。思い出を汚すことではない。
「ではラーゲルベック公爵はどんなお天気が好きですか?ちなみに私は晴れているのがもちろん一番好きですが、夜の雷も好きです」
フェリシアは会話を変えた。
「夜の雷?考えたこともないな」
「子どもの頃、領地で稲妻を初めて見た時になんて綺麗なんだろうと思ったのです。一瞬の閃光がバッと走るのがとても綺麗だったのを今でも鮮明に覚えています。
残念ながら王都では滅多に見られませんが、雷が聞こえたら窓辺に立ってずっと見ています」
「物好きだな。女性というのは雷が怖いものではないのか?」
「そうですね。そういった女性が多いかもしれませんね。こういったところも可愛気がないのかもしれません」
「それとこれは別だろう?君はきっと好奇心旺盛な女性なのだろう」
「そうでしょうか?侍女たちは雷が鳴ると嬉々として窓辺に立つ私をおかしいと言っていますよ。侍女たちが怯える中、美しく光る雷を見ていると自然の雄大さを感じると言いますか。とにかく胸が躍るのです。変ですよね。私」
フェリシアはクッキーを齧った。ほのかな甘みが気持ちをホッとさせてくれる。
「変ではないかな。雷が起こる現象は全て解明されていないから、わからないことに興味が湧くのかもしれない」
テオドールに言われるとその通りなのかもしれないと感じてしまう程説得力がある。
そこに示し合わせたかのように三人が戻ってきた。一応レモンの果実水を持っている。
「二人で何話していたの?」
マレーナが聞いてくる。
「そうね。庭の話をしていたの」
「ああ、あのおもしろい庭ね。フェリシアの邸の庭はちょっと変わっていて、あれはあれで美しいけどおもしろいのよ」
そう言ってマレーナがフェリシアの邸の庭園の話をする。
「へえ、家人の好きなように植えるっていうのは珍しいね。うちも好みの花は聞かれるけれど、植える場所とかは庭師任せだな」
「そうでしょ?王宮なんて他国の王家とかも来るから完全に庭師の設計よ。それはそれで綺麗なんだけど、フェリシアの邸を見たら、なんて言うか、家族愛を感じるなあって。
ねえ、今度一緒に見に行きましょうよ。ディオーナはちょっとまだ無理だけど、コンラードとテオ兄様で。良いでしょ?フェリシア」
第二計画か、と思いフェリシアは頷いた。
「ええ、もちろん。是非、我が家でよければいらしてください。こんな美しい庭園を見慣れていると呆れると思いますけど」
「えー、私も行きたいわ!ディッグに確認するから入れてよ」
ディオーナがごねている。
「コンラードだけじゃなく、テオ兄様も一緒なら許可が出るんじゃないかしら?ずっと籠っているのも疲れるもの」
「ねえ、テオも一緒に行ってよ」
テオドールは迷っているようだった。こんな風に出かけることさえ普段ないのだろう。
「わかった。ちゃんとディッグの許可が出るなら私が迎えに来よう」
「ありがとう!絶対にもぎ取ってみせるわ!」
「じゃあ、私の公務もあるし、旅行もあるから、日程が決まったらまた連絡するわね」
マレーナがやった!とばかりに笑みを浮かべている。とりあえず会って間もないフェリシアの邸に連れ出すことができたのだ。今日の収穫としては良かったのだろう。
その後はマレーナを中心に会話をしながらお茶会を楽しんだ。レモンの果実水は程よい甘さと酸っぱさで美味しかった。
フェリシアはテオドールを見ながら、ここにいる人たちの心が癒えて幸せになることを祈った。