大切な人の為にできることをやった長い一日
あれから二週間。犯人が見つかったという知らせはなく、フェリシアは邸に籠もっていた。
テオドールからは花束と一緒に絶対に邸から出ないようにと書かれた手紙が送られて来た。
どうやって上手く隠れているのか未だ行方がわからず、いつ捕まるのか先がわからない不安な日々が続いていた。
犯人が逃げたことによって多くの警備隊が捜索に当たっているらしいが、テオドールが心配でならなかった。またテオドールの前に現れるかもしれないからだ。
エミリアの姉は先週護送されてきた。囚人を逃がした罪で。どんな理由であれあってはならないことをしたのだ。今は詳しい取り調べを受けている最中らしい。
コンラードからは犯人に対してかなり同調し、強いエンパシーを感じていたようだと連絡がきた。犯人と一緒に過ごし話すうちに好感を持ち更に共感し、そして自分の境遇もあり同情し助けてあげたいと思ってしまったようだ。
しかし、それも犯人の演技で修道女全員が騙されたのかもしれないとのことだった。犯人が収監されていた部屋にあったノートには、びっしりとテオドールを愛する言葉が綴られたものが何冊もあったらしい。その中には助けに来て欲しいとか、ここから出てテオドールの元に行きたいとか、待っていて欲しいとかも書かれていて、そして最近のでは、また自分じゃない女を選ぶのかと書かれていて、フェリシアの名も書かれていたそうだ。
犯人の中で罪への償いという心はなかったということだ。逃げる為に模範囚を演じ、優しく操りやすそうな修道女を使って逃げたのだ。
より危険が増したと連絡があり、もちろん新聞に名前が出ていたマレーナもブレンダも外に出ることを禁じられた。念のためアリスもディオーナも出ることはできない。
フェリシアはディオーナの体が心配だった。もうすぐで安定期に入るのにこんなことになって不安で体調を崩すのではないかと。崩すだけならまだしも万が一のことがあってはならない。
フェリシアは一日も早く解決することを祈るばかりだった。
「フェリシア様、お手紙が来ております」
そういって執事のバートが一通の手紙を持ってきた。
差出人はエミリアだそうだ。今更と思ったが気になっていたこともあって受け取ったのだが直ぐに異変を感じた。
「これ、エミリアの字じゃない」
宛名も差出人もエミリアの字ではなかった。エミリアに何かあったのか?と思い急いで封を切る。
中には一人でエミリアの家に来るようにと書かれていた。一体エミリアの家で何が起こっているのか?フェリシアが行かなければエミリアたちの命はないとも書かれている。
そして最後に書かれていた文章に戦慄した。
『テオドール様を一番愛しているのは私だから話し合いましょう』
もしかして、あの犯人がエミリアの家に行ったのか?
エミリアの姉から家のことも聞き出していたのかもしれない。
フェリシアは考えた。このまま警備隊に伝えても良いがそれではエミリアたちが危険だ。犯人はエミリアたちの命はないと書いているのだから。迷っている暇はないと瞬時に考えた。
テオドールの為にも一刻も早く終わらせねばならない。
フェリシアは出かける準備をして馬車に乗る時にライラに伝えた。警備隊にベルマン伯爵邸に来るようにと。その際は静かに中の様子を確認して欲しいとも。
エミリアの邸に着くと静まり返っていて、入口まで歩いている間も誰にも会わなかった。
玄関をノックしてみたが応答はない。開けてみるとすんなり中に入ることができた。エントランスにも誰もおらず、耳を澄ますと言い争っている声が遠くで聞こえた。フェリシアはそちらにそっと向かった。
「私を囮にしたってフェリシアは来ないって何度も言っているじゃない!もう友達じゃないの!お願いだから修道院に戻ってよ!あなたのせいでフレアお姉様が今頃捕まっているわ!」
「あなたの姉は男に捨てられたのよ。可哀想に。身分まで捨てたのにね。だから仲良くしてあげたのよ。だから私の為に役に立てて喜んでいるわ」
やはりそうか。ここにいたのか。ここは応接室だったはず。
フェリシアはノックもせずに勢いよく扉を開けた。
「なんで!」
エミリアが絶句している。
中ではエミリアの両親も二番目の姉アイリーンも、もちろんエミリアも紐で手足を縛られていた。近くには執事も縛られて倒れている。抵抗したのかもしれない。少し腕から血が流れている。
他の使用人たちも隅の方に集められやはり手足を縛られ怯えていた。机の上にはナイフが置かれている。どこで手に入れたのだろうか。盗みにでも入ったのか?
服も白い囚人服ではなく真っ赤なドレスを着ている。そしてそのドレスには見覚えがあった。エミリアがいつだったかの舞踏会で着ていたドレスだ。勝手に出してきて着ているのだろう。
「あなたがテオに付きまとっている女ね?」
テオ。何を勝手に呼んでいるのか。
「いいえ。私は友人です。付きまとっているという言い方は止めてください」
「友人!?男女において友人関係は成立しないわ!騙されないわよ!」
「そういう人もいるかもしれませんね。でも私は友人として接しています」
静かに睨み合いが続いた。犯人は全員を縛ってあるため油断していたのか、机から離れていた為、犯人とフェリシアとちょうど間くらいにナイフがある。どちらが動いたら先に取れるか微妙なところだ。
「フェリシア!逃げて!」
エミリアが叫んでいる。
「あなたの為だけに来たのではないの。だから逃げないわ」
「あら、誰の為に来たのかしら?」
「あなたに苦しめられた人たちをあなたから解放する為よ」
「私は誰も苦しめていないわ。テオが私を選んでくれれば誰もが幸せになれたの。
そうねえ。それに関しては苦しめているのかも。私と結婚できなかったテオもその家族も悲しんでいるわ。だから苦しめていると言えば苦しめてしまって申し訳ないわ」
「何を言っているの?あなたは殺人という罪を犯したの。それだけでたくさんの人を苦しめたのよ。あなたに殺されたカーリン様のご家族はもちろん、友人も、そして婚約者だったテオドール様も」
「馴れ馴れしく名前を呼ばないで!あなたは後から出てきたくせにテオと食事に行くだなんて!私だってまだ一緒に食事をしたこともないのに!」
「当たり前じゃない。あなたが食事に誘われることは一生ないわ」
敢えて怒らせることをフェリシアは口にした。
「そんなことはないわ!私が王都に帰って来たと知ったらきっと誘ってくださるはずよ!」
「だったら何故真っ直ぐにラーゲルベック公爵家に行かなかったのかしら?ここに来たのは何故?
ラーゲルベック公爵家に行っても入れてもらえないからでしょ?もちろんテオドール様に会うこともできない。
だからあなたがテオドール様に会う方法は一つ。
テオドール様と噂のある私をカーリン様と同じように殺すこと。そうすれば裁判で会えるものね。その為にエミリアを利用した。許せないわ。
私があの封筒を見てエミリアからだと思うと思ったの?字が全く違うわ。だから心配して中を開けたらあなたからだって直ぐにわかったの。もうすぐ警備隊がここに来るわ。大人しく捕まることね。そうすればまたあの修道院に戻れるかもしれないわ。前回と同じで精神的に弱っていたと弁護してもらえば処刑は免れるかもね」
エミリアが必死にもがいている。
「うるさいうるさい!テオは私を助けに来てくれるのよ!だからずっと結婚せずに待っていてくれているの!私のことを忘れられないんだわ。だから私から来てあげたのよ!当たり前じゃない!
私たちの間に誰も入れさせないわ!」
「あなたの頭の中がおかしいのはよくわかったわ。妄想も甚だしい。テオドール様が結婚しなかったのは、あなたの為ではなくあなたのせいよ。あなたに殺された婚約者であるカーリン様を忘れられなかったのと救えなかったことで苦しんでらっしゃるの。
愛する人を苦しめて満足なの?あなたの愛って何なの?あなたのは自己満足じゃない。自分のことしか考えていないわ」
フェリシアは淡々と告げていく。相手がどれだけ激高しても冷静さを忘れてはいけない。ちょっとの油断が危険に繋がるのだ。
しばらく沈黙が続いた。視線は犯人から離さない。犯人もフェリシアから視線を外さなかった。
「ねえ、どうして邪魔をするの?私だって幸せになっても良かったでしょ?素敵な恋をしただけ。何故そんなに悪く言うのかしら?」
少し虚ろな目になってきている。
「そうね。恋をするのは自由だわ。誰にも止める権利はない。けれど、人の命を奪うのは犯罪よ。そんなことをして手に入る幸せなんてどこにもないの。あなたは間違ったやり方を選択した。それだけよ」
「だってああでもしないとテオがあの女に取られちゃうもの」
「取られるも何も、始めからあなたのものではないわ」
犯人がフェリシアに虚ろの目の中に見える狂気の目を向けてきた。
「テオは私と愛し合っているの。でも家の都合で公爵家の娘と婚約させられたのよ。可哀想で見てられなくて。だから殺したの。いなくなればテオと私を隔てる物は何もなくなるもの」
ここまで歪んだ愛情を持てるとは。何故こんな風になってしまったのか?愛とはこんなに恐ろしいものなのか?
フェリシアは到底受け入れられなかった。フェリシアは友人と言ったが、テオドールにはもう既に友人以上の感情を持っている。だが、自分が選ばれなかったとしても選ばれた相手を殺そうとは思わない。それは普通なことのようでいて、犯人のようにそうまでして手に入れたいという愛もあるのかもしれないとも思った。ただ、フェリシアが後者になることはない。
何故ならもちろんテオドールも大切だが他にもたくさん大切な人がいるから。その人たちを悲しませるようなことはしたくない。
そんなことをするくらいならこの思いを封印する。記憶を過去の思い出として残すか、全て消し去るかはその時にならなければわからないが。
窓の方を向いて立っていたフェリシアの目に、窓の外で光るものが見えた。犯人は窓を背にしているから気づいていないだろう。警備隊がきたのだ。
「あなたは幸せなの?それとも不幸なの?」
フェリシアは聞いた。話を長引かせ油断させねばならない。
「私は幸せだわ。テオという素晴らしい人に会えたのだから。でも不幸でもあるわね。だってこの二年会えなかったもの。テオはとても忙しかったんだわ。私をあの陰気な場所から救い出すために色々してくれて」
ああ、こうも噛み合わない愛というものがあるんだとフェリシアは思った。なんて報われない。虚しい愛なのか。どんなに求めても手にすることはできないものなのに。
その時エミリアが縛られた足で何とか立ち上がり机に伏して体を揺らしてナイフをフェリシアの方へ飛ばした。犯人がエミリアに襲い掛かり蹴り飛ばしている。
フェリシアはナイフを手にすると犯人に向けた。エミリアがぐったりと倒れ口から血を流している。
「もう止めなさい。あなたはこれからまた裁判になる。そしてその場所にテオドール様が来ることはない」
「どうしてよ!会いたいの!会わせてよ!」
「無理よ。私が会いに行かせない!」
その瞬間窓が割られ警備隊が雪崩れ込んできた。犯人はその場で取り押さえられ、縛られていた人たちは解放され、犯人が連れて行かれるのを見送った。
そして、フェリシアの手からナイフを取った人がいた。
テオドールだ。何故ここにいるのか。フェリシアは安堵ともにどっと疲れが押し寄せてきた。
「何て無茶なことをしたんだ!警備隊に任せれば良かったはずだ!」
「決着をつけたかったんです。それに現状もわからず警備隊だけがいきなり行ったらエミリアたちが殺されていたかもしれないのです」
「エミリア。大丈夫?あなたのおかげで助かったわ」
フェリシアが駆け寄るとエミリアが泣きだした。
「どうして来るのよ!しかも一人で!危険だってわかってたんでしょ!フェリシアに何かあったら私はどうしたら良いのよ!」
「すまなかった。君にはちゃんと謝罪しなければならかったのに逆に救われてしまった」
エミリアの父親が謝罪をしてきた。
「いいえ、私が犯人と決着をつけたくてしたことなので」
「私はそんなことを望んでいない。絶対に邸から出るなと言ったはずだ。何故出たんだ!」
テオドールの声が怒っている。それも仕方ないと思いフェリシアはテオドールを見た。
「大切な人たちを苦しみから解放する為です。その為なら多少危険でも私は何度でも同じことをします」
「フェリシア。君は私に死ねと言うのか?」
「え?」
「君がいたから立ち直れた。いや君だから立ち直れたんだ。
君が側にいてくれたから私は前を向くことができた。初めて会った時に君に何かを感じて声をかけた。そして会えば会うほど惹かれていたからだと気づいて、そんな自分が嫌だった。
カーリンになんて言えば良いのかと。彼女が死んだのは自分の責任なのに、自分は幸せになって良いのかと。だが、会うのは止められなかった。
君の側は心地よかった。もしここで君に何かあれば、私は二度と立ち直れない。今度こそ犯人を殺して自分も後を追っただろう。二度とこんな危険なことをしないでくれ。私を死なせたくなければ」
頼むからと言って抱き寄せてくる腕に身を任せ、フェリシアはわかりましたと答えた。




