晩餐の誘いと穏やかな夜を過ごした日
テオドールから晩餐の誘いの手紙が来たのは、フェリシアの邸でお茶会をした一週間後で、レストランを予約したと書かれていた。一緒に過ごす約束はしたが、さすがに公爵家に行くのはどうかと思っていたのでちょうど良かった。しかも個室だというので気兼ねなくのんびり食事が楽しめる。
テオドールが迎えに来るというのでフェリシアは準備をして今は待っている状態だ。
光沢のあるすみれ色のドレスにプラチナのネックレスをつけ、ハーフアップをして編み込んだ髪に白い薔薇をモチーフにした髪飾りをつけた。踵が少し高い白いヒールを履き完成した状態で待っている。
テオドールからの誘いの手紙に家族全員が本当だったと驚き、心配はしていないが無礼のないようにだけ気を付けるよう言われた。
「フェリシア様のルビー色の髪にはやはり紫が似合いますね。これにして良かったです」
アンネがうんうんと自画自賛している。今日はライラが休みなので、アンネに全て選んでもらった。ライラは今日は休みで準備に加われないことを悔やんでいたが、ブレンダの侍女と休みを合わせて会うことになっているので楽しんで来るよう送り出した。
しばらく待っていると先触れがあり、テオドールの到着を知らせてきた。エントランスで待っているとテオドールが入ってきた。手には白い薔薇の花束を持っている。
「今日はお誘いいただきありがとうございます」
フェリシアが挨拶をするとテオドールが花束を差し出してきた。
「こういった時は手土産が必要だったかなと思って用意したんだが、受け取ってもらえるだろうか?」
「もちろんです。ありがとうございます」
大輪の白い薔薇のみで作られた花束は美しく、受け取るとずしりと重みを感じた。それをアンネに渡し部屋に飾るよう伝えると、テオドールのエスコートで馬車に乗り込んだ。
「今日行く店は私がオーナーなんだ。とても腕の良い料理人が作るから期待して欲しい」
「より楽しみになりました」
それだけ言うと馬車は静けさに満ちた。特に急いで話しかける必要はない。テオドールが自分の店に連れて行っても良いと思ったなんて、また前進したのだろう。
店に着くと当然テオドールのエスコートで店に入ることになる。フェリシアは緊張しながらテオドールの手に自分の手を乗せ馬車を降り、そのまま店内へと入った。
一歩入った瞬間店内が静まり返り、痛いほど視線が突き刺さってくる。
当然だ。あのラーゲルベッグ公爵が女性連れで食事に来たのだ。静まり返っていた店内は小さなざわめきに変わった。フェリシアが誰か話しているのだろう。案内されている間にアーレンバリと聞こえたのでフェリシアだと気付いた人もいるようだ。
テオドールは気にすることなく奥へと進んで行く。フェリシアもそれに合わせて歩いていたのだが、緊張していたためつまずいてしまった。それをテオドールが支えてくれて何とか転ばずに済んだのだが、その時にざわめきが大きくなりテオドールを見上げた。テオドールは薄っすらと笑みを浮かべてフェリシアを支えている。その顔に赤面しそうになるのを何とか抑えて、テオドールに感謝を伝えるとそのまま歩き出した。
「やはり、店に来るのではなく邸に来てもらえば良かった。フェリシア嬢が緊張していて申し訳なかった。あんなに注目を浴びるものだったのだな」
個室に入るとテオドールから話しかけてきた。部屋は広めの個室でゆったりとした時間が過ごせそうだ。
「申し訳ございません。私がつまずいてしまったものですから余計に注目を浴びてしまうことになりました」
「気にすることはない。私が配慮するべきだった」
「そんなこと。誘っていただいて嬉しかったので少し舞い上がっていたのでしょう」
フェリシアはお互いが自分が悪かったと言い合っているのが面白くて少し笑ってしまった。
「では二人で反省しましょう。でもこれに懲りずまた誘ってくださいね」
「ああ。そうしよう」
テオドールから快諾を得るとフェリシアはやっと落ち着きが戻って来た。
テオドールがウエイターから受け取ったメニューを見ながらフェリシアに食べられられないものはあるかと聞いてくる。フェリシアもメニューを見ているが値段が書かれていない。こう言ったのは緊張する。
「好きなものを頼めば良い」
「そうですね。前菜は春野菜のジュレとカナッペが良いです。他はパテが苦手なのでそれ以外のものでお任せします」
「それで良いのかい?」
「うーん、そうですね。白ワインが飲みたいです」
「わかった」
テオドールが次々と料理を注文し最後に白ワインの中から一本選んでいた。今日は新鮮なヒラメが入っていると言っていたのできっと平目料理が出てくるのだろう。
しばらくするとチーズの皿が運ばれてきて白ワインの封が開けられる。注がれた白ワインは光に反射して少し金色に輝いて見える。
「では乾杯」
テオドールに言われてグラスを上げる。一口飲むとほのかに甘くそれでいてスッキリとした味わいのワインでとても飲みやすい。これは気を付けないととフェリシアは思った。
「とても美味しいです。それに飲みやすいのでどんどん飲めそうで怖いですね」
「このワインはうちの領地で作られているものなんだ。まだ浅い一年ものだが中々いい出来なんだ。こうやって喜んでもらえると嬉しいものだな」
フェリシアは目線を下げワインを一口飲み。ふうと息をついた。テオドールの機嫌が良いのか、今日は顔に時々明るい表情が見られて、見ていると困惑してしまう。ドキドキと赤面しそうになるのだ。早く顔の赤さをお酒のせいにしようとまた一口飲んだ。そしてチーズを一つ口にする。美味しい、とまたワインを飲んだ。
「フェリシア嬢。美味しく飲んでくれるのは嬉しいが、そんな早くに飲むと酔いが回るのが早くなるから、食事が出てくるまでゆっくりと楽しんでくれ」
「すみません。つい美味しくて」
「謝ることではない。時間はあるんだから、ゆっくりと過ごそう」
フェリシアははい、というとワイングラスをテーブルに置いた。
出てきた前菜はどれも美味しくて、特にジュレの口当たりが絶妙だ。
「このジュレがとても美味しいです。ジュレだけでも食べられそうですね」
「そうか?なら持ってきてもらうか?」
「いえいえ、とんでもない。充分いただきました」
フェリシアは驚いた。テオドールが言うと冗談なのか本気なのかわからないが、本当に出てきそうだ。慌てて止めたフェリシアにテオドールが涼しい顔をして食べている。
「ラーゲルベック公爵はお好きな食べものは何ですか?」
とりあえずフェリシアは当たり障りのない質問をしてみた。
「テオドールで構わない。呼びにくいだろう?」
「え、でもそれは」
「私が構わないと言っているのだから名前で呼べばいい」
恐れ多いと思いながらもそう言ってくれるならと意を決して呼びかけた。
「テオドール様のお好きな食べ物は何ですか?」
よし、自然に言えた。フェリシアはそのことに安堵した。
「そうだな。今日は良い平目が入ったというから平目を選んだが、ヒラマサも好きだ。肉は赤身が良い」
「ヒラマサは美味しいですよね。私も好きです。お肉は私も赤身の方が良いですね」
「そうか。よかった。ヒレステーキを頼んだから。ヒレステーキは焼き加減が難しいそうだ。赤身だから焼き過ぎると固くなってしまうらしい」
「そうなんですね」
そこへスープが運ばれて来た。アスパラのポタージュらしい。飲んでみると本当にアスパラの味がしてそれでいて青臭さもなく美味しい。
スープをゆっくり味わう。そしてワインを一口。合うなあと思いながらパンを一口食べると視線を感じてテオドールを見た。テオドールがワインを飲みながら穏やかな顔をしてこちらを見ていた。
「君は美味しそうに食べるね」
「そうですか?そんな風に言われたことはありません」
「そう?堪能しているのが私にはよくわかるんだが」
「そう言っていただけると嬉しいです。あまり表情に出ない方なので。とてもスープも美味しいですよ」
「そうか」
その後はしばらく沈黙が続いた。一人美味しいとつぶやきながら平目のポワレを食べる。かけられているソースがマッシュルームのソースだそうで、香りもよくて平目の味を引き立てている。
そして何より、黙々と食べていても気になることは何もない。
イクセルの時のようにマナーが気になることもなければ、勝手にコースを頼まれ好みを聞いてくれないなんてこともない。言おうとしてももう決めたと言って注文されてしまうのだ。それにもやもやしながらも、次こそは自分の好きなものをと思いながら行くのだが結局実現しなかった。
比べてはいけないと思いながらも、どうしても比べてしまう。もう終わったことだと思っているが、こうやって似たような場面をテオドールと過ごすと思い出してしまい、どうしても考えてしまうのだ。
カジノに行った話を延々とされることもないし、何より味を堪能できているのが良い。この店が美味しいのはもちろんだが、久しぶりに美味しいと心の底から思いながら食事を楽しめている。
「赤ワインは苦手か?」
「いいえ。飲めます。白の方が好きなだけです」
「そうか」
そう言って給仕に赤ワインのリストから一本頼んでいる。白ワインはいつの間にかなくなっていた。そんなに飲んだかしら?と思うがまあ、飲んだのだろう。少し顔が熱くなってきている。フェリシアはお酒に強い方だ。父も母も兄も強い。我が家の晩餐ではお酒がどんどんなくなるので義姉が飲み過ぎだと、一日の酒量を管理しているほどだ。そのことを話すとテオドールに意外だと言われた。
「そうですか?」
「ああ。勝手に弱そうだと思っていたが、ボトルの半分以上を飲んでも少し頬が赤いだけだな」
「そんなに飲んでましたか?気づきませんでした」
「ああ給仕がなくなる度に注いでいたが私より君へ注ぐ回数が多かった」
「すみません。美味しくてつい」
「構わない。美味しいと言ってくれるなら」
そこへ赤ワインとヒレステーキが出てきた。オレンジのソースがかかり、添えられているのは薄切りにした茄子のソテーだ。フェリシアは赤ワインを一口飲んだ。少し酸味があるが美味しい。
「このワインも領地のですか?」
「いや、これは私が好きなワインで王家の所領で作られているのものだ。王太子殿下のところに飲みにいくと出てくる。それで好きになってこの店にも置くようになった」
「そうなんですね。赤身のお肉と合いますね」
「ああ。そうだな」
そしてまた静かにゆっくり食べ進め、赤ワインは二本目に入った。茄子のソテー美味しいわ。中は瑞々しくて外側はカリっと焼かれた茄子は肉より好きかもしれないとさえ思った。
「どうかしたか?茄子を見ているが」
「はい。この茄子が美味しくて。丸い茄子なんですね。初めて食べました」
「ああ。これは水茄子というそうだ。隣国のフランディー王国からの輸入品で市場にはなかなか出回らない。料理人たちが買い占めてしまうらしい」
「そうなんですね。とても美味しいです」
そうかだから見たことがなかったのか。中々お目にかかれない茄子ということか。フェリシアはうちの料理長、何とかして仕入れてくれないかしら?などと考えながら味わった。次にお目にかかれるのはいつになるかわからないから。
オレンジのソースは爽やかな酸味が効いていて赤身の肉の味の濃さをスッキリさせてくれる。より赤ワインがするすると入って行く。
はあ、美味しい。こんなにワインを飲んだのは久しぶりかもしれない。
そうこうしているうちに、デザートとお茶が出てきたがテオドールの前には蒸留酒が置かれている。
フェリシアは思い切って聞いてみた。
「カーリン様ともこういったお店によく行かれたんですか?」
しばらくの沈黙の後返事が返って来た。
「そうだな。たまに来たな。この店にも。カーリンは酒は飲めなかったから果実水をよく飲んでいて、アワビの肝ソースが好きだった。それから牡蠣もよく食べていたな。あとエビ。肉よりも魚介類が好きだった」
「アワビの肝ソースですか。美味しそうですね」
「君も好きか?では今度はそれを頼んでみよう。そうだな。後はカフェにも行った。カーリンは甘いものが好きだったからよく付き合わされた」
「その時は一緒にケーキとか食べられるんですか?」
「ああ。食べないと怒るからな。折角来たのにお茶しか飲まないのはダメだと言って勝手に私の分も頼んでいた」
「一緒に美味しいものを食べたかったんですね。きっと。それに付き合って食べているテオドール様はお優しいです」
「そうか?そうだな。喜んでくれたからまあ付き合って食べていたが、たまに食べた瞬間、歯が疼く程甘いものを食べさせられたな。あれはなんだったんだろうな?今でもわからない。眉間にしわを寄せる私を見て、笑って教えてくれなかった」
「そんなに甘いものですか?」
「ああ。一番甘かったのは焼き菓子の上にヌルッとしていてドロドロした薄茶色の液体がたっぷりとかかっていた」
「きっとキャラメルソースですね」
「キャラメルソース?キャラメルというのは飴玉みたいなものではないのか?食べたことはないが」
「キャラメルをソースにしたものって感じですかね。確かに甘い焼き菓子にキャラメルソースがかかっていれば、甘いものが苦手だとより甘く感じるかもしれません」
そう言ってフェリシアは想像してクスッと笑った。きっとカーリンはそんなテオドールを見るのが楽しかったのだろう。いたずらが成功した感じだ。いつもキリッとしているテオドールが顔を歪めるのが面白かったに違いない。何ともお茶目な方だ。今日もデザートがないのは甘いものが苦手だからだろう。
「あれは二度と食べたくないな。どの店だったかも覚えていない」
「そうですか?どのお店か調べておくので今度一緒に行ってみませんか?」
テオドールが何とも言えない顔をしている。
「そうだな。行ってみるか」
思い出の地を一緒に回るのも良いかもしれないとその時フェリシアは思った。
「では探しておきます。他はどんなところに行かれましたか?」
「そうだな、」
こうやって二人でのんびりカーリンの思い出話をして過ごし、気づいたらいつの間にか二個目のデザートがフェリシアの前に置かれていた。お茶も新しいのが運ばれて来た。
お腹はいっぱいだったがテオドールが気を遣ってくれたのかと思うと嬉しくてフォークを刺し食べ始めた。
「君は本当に不思議だ。あれ程思い出すと涙が出ていたカーリンとの話をしても涙が出てこない。聞いてもらっていると思うと気持ちが楽になる」
「一人で思い出すより誰かに話す方が楽になれるのかもしれません。私で良ければいくらでも聞きますからたくさん話してください」
「君に会えて良かったと思う。あの時声をかけて良かった」
「それは、まあ、その節は申し訳ありませんでした。以後気を付けます」
「ああ。そうしてくれ。心配する人間がたくさんいるのだから。私ももちろんそうだ」
優しい言葉にじんわりと心が温かくなる。
「もう心配をおかけするようなことはしません。私も反省しましたし」
「そうか。それなら良かった」
「何故あの時私に声をかけてくれたんですか?コンラード様から聞きました。いつもならテオドール様が声をかけに行くことはないと」
「あの時の君はふらふらと彷徨うように歩いていて足元も危うかった。余りにもそうやっているからそろそろコンラードに行かせようと思ったら、君がベンチに座り込み俯いた時に肩に流れた赤い髪が輝いて見えた。
普通の赤い髪ではなく、宝石のような髪だなと思って近くで見てみたくなってついいつの間にか話しかけていた」
「そうなんですね」
そう言ってフェリシアは髪に触れた。
そしてまた沈黙が続きフェリシアがデザートを食べ終わった頃、フェリシアにも蒸留酒が出てきた。
「飲めそうだったから。それは25年物だ。琥珀色が美しいんだ」
確かに美しい琥珀色で良い香りがしている。
「好きですよ。家では私はワインを飲む方が多いですが、父は蒸留酒ですね。だからたまに付き合って飲んでいます」
「父親の酒に付き合うとは優しいな」
グラスを傾けると喉を焼くようなそれでいて芳醇な香りが通って行った。これは美味しい。父に渡せば離さなくなる気がする。
「父は仕事柄家を空けることが多いので家族との時間を大切にしたがるのです。母は結婚した時は全くお酒が飲めなかったのですが、今ではうちで一番飲みますよ。始めはお茶を飲みながら父のお酒に付き合っていたらしいのですが、ある時そんなに美味しいなら自分も飲めた方が楽しいだろうと練習を始めたそうです。その影響で兄も私も飲みますね」
「楽しいご家族だな。あの庭といい、この話といい、侯爵の人柄もあるが、陛下が信頼しているのがよくわかるよ。お互い家族を大切にする者同士だな。
陛下に側妃をという話があった時に、陛下は継承問題が起こって欲しくないから側妃を娶らないと言ったとされているが、本当は王妃殿下以外娶るつもりはなかったそうだ。しかしそれを言えば王妃殿下に非難が行く可能性があるから、自分が面倒だから嫌だということにしたらしい」
「そうだったんですね」
「ああ、それで色々大変なこともあるんだが、マレーナ王女殿下が何とかするだろう」
「マレーナがですか?」
「ああ。私は王太子殿下よりマレーナ王女殿下の方に頭が上がらないな」
フェリシアが不思議そうな顔をするとそのうちわかると言われた。マレーナも同じようなことを言っていたし何だか気になるが、二人がそう言うならそうなんだろうと思うことにした。
「さてそろそろ送って行こう」
もう終わりの時間か。フェリシアは終わるのが寂しく感じた。それでも立ってテオドールにエスコートされながら店内を歩く。既に客は入れ替わっていて驚いた顔をしてこちらを見てくるのがわかった。明日にでも社交界で噂になるだろう。あのラーゲルベック公爵が女性連れで食事に来たと。
その相手が先日婚約破棄したばかりのアーレンバリ侯爵家の長女だということも。
噂したければすればいい。疚しいことはしていない。楽しい時間を過ごしただけ。
馬車に乗り込むとテオドールが次の約束を決めようと言い出した。次もここで良いと言うと不思議そうな顔をしたので、アワビの肝ソースを食べるのだと言うとそうだったなと少し笑いながら返事をくれた。
噂になるのは構わないが、余り人目に晒すのはテオドールにはまだ辛いだろう。それなら今日のように美味しい料理とお酒でのんびり話した方が余程いい。
テオドールがじゃあ来週というので、その言葉に頷くと喜んでくれたのが伝わってきた。表情はあまり変わらないようだがちゃんと見ていればわかる。
そのことに今日一日で気付けたことにフェリシアは嬉しく思った。




