第十七話 強くなることを止めないで
今日は、剣――と、本来なら一日と置いてやっていきたいのだが、雹は気配に目を向ける。
やはり、うろついているのだ、蛮族が。不気味な生き霊が。
だから、日にちを短縮するか、それとも蛮族の乗り込みを覚悟しながらもゆっくりやるかは、昨日の陽炎の手当の時、考えた。
最初の傷を、すんなり虫を住まわせることができたなら、日にちを短縮して、スパルタでいこうと。
陽炎は、すぐに虫を覚えた。雹は、それに鍛え甲斐があると喜び、スパルタでいくことを決意した。
今日は結果、二百、合計三百の痛み虫が陽炎の中に住んでいた。
これよりももっとスピードアップせねばなるまい、と思い、昨日と違い、陽炎が気絶してからも、痛み虫を与え続けた。
鴉座が止めようとしたが、獅子座がそれを止めた。
「テメェはおらと手合わせだ! おらに勝てないようじゃ、皇子のことは諦めてもらうべ!」
「――ッくそ! 判りましたよ、やればいいんでしょう、やれば! ……私だって、いつまでも守られたくはないんですよ」
「そうだ、その調子だ。皇子は他者を守る者じゃない、守られる者であるべきだべ!」
「うーん、それとは違いますよ、獅子座さん」
雹は陽炎に薬を塗っては一つ痛み虫を与えながら、口を挟んできた。
陽炎の伏せられた目には、否、閉じられた目には脂汗が伝っていて、彼の中にある大量の虫が騒いでいるのだろう。
雹は目を伏せたまま、陽炎の頭をさらっと薬塗れの手で撫でた。
「守るか、守られるか、じゃないんですよ。強くなりたい者の願いは。――守りたい、と口では言うけれど、結局は、闘争本能なんですよね。だから、糸遊には最初から備わっていたんでしょう、……誰よりも強くなりたいという願いが。それが今まで殺されていただけです」
「――闘争、本能」
「……弟子二号。貴殿が恋人で、一生をこの男といると言うのなら、約束してください。誰に負けることも、しないと。この男の戦いを、止めないと。支えるのならば結構。だが、止めると、強くなれることも、強くなれない。そう、いつまでもそのまま、ではいけないんですよ――だから、貴殿も糸遊以上に強くならなくてはならない。妖仔なのだから、人より強くなることは可能なのでしょう? 蒼の手から産まれし仔」
「――雹……」
「師には礼節を弁えなさい。いいですか、強い人間は孤独になりがちです。でも、共に強くなれば同じ位置にいられるでしょう? ずっと側にいたくば、同じくらい強くなる。日々鍛錬を忘れてはならない。糸遊を、一人にしてはいけないよ――」
雹は、苦笑する。
傷を与えられ、回復しつつある体を見て、ああ、成果が眼に見えてきているという喜びと共に、己の手で強くなっていく弟子を再び見る切なさに。
(強くなっても、不幸な場合があるけど――同じくらい強いのなら、孤独にはならないでしょう? 貴殿は寂しがりのようだからね? 後で、このお小言のサービス代も頂きますよ)
鴉座は少し、感動して雹を見つめていた。
ただのちゃらんぽらんな男ではなかったのか。ただの世捨て人ではなかったのか。ただの似非聖人ではなかったのか。
陽炎のことを、短期間でここまで考えてくれるなんて。手紙一枚の縁だというのに。
人間の中にも、ちゃんと陽炎と接しようとする人間もいるのか、と鴉座は驚いた。
――鴉座は、陽炎よりも酷い人間嫌いだった。何故ここまで人間嫌いなのかは判らなかった。
幾ら人間が優しいと言われても信じることができなかった。幾ら柘榴が人間の話しをしても、聞く耳を持つ気にはなれなかった。
柘榴が言っても、陽炎が言っても「それはあなた方の理想でしょう」と鼻で笑ってやりすごしてきた。
だけど、目の前にいる雹は紛れもなく人間で、しかも自分とは縁のない人間。
それなのに、優しく接している――少なくとも、鴉座にはそう見えた。
陽炎に触れているのに、それはまるでただの人間愛に見えて、雹相手には嫌悪感や嫉妬が募らなかった。
「――……雹、私は人が嫌いです。だから、人を陽炎に近づけたくないです。陽炎はいつも人間に酷い目に遭わされてきた……」
「弟子二号。酷い目に遭わせるのは、人間だけとは限らない――世の中には色んな者があるんです。例えば、ミシェルのオニ。今は統一されていると聞いてますが、ちょっと前まではどうでしたか? 行って、見てきたのでしょう?」
そう、見てきた。陽炎が、酷い目にあったのも、己が酷い目にあったのも、見てきた。
人間だけだと思っていたから、鴉座には青天の霹靂だった。
鴉座は、困ったように言葉を模索する。そんな姿を獅子座は初めて見ることができたので、少し楽しかった。
「――弟子二号。第一、酷い目にあったなら、仕返しすればいい。何処の辞書に、復讐はいけないことと書いてある? 復讐こそ美徳です。過去に思った愛する人の為に、純粋なる憎しみで動くのですから。これほど美しい愛がありますか?」
「雹は捻くれてますね。それは美しいとはいえない……報われることもない」
「弟子二号。よく覚えておきなさい」
雹は、剣をかちゃりと持ち上げ、剣を陽炎の心臓に狙いを定め、そこへ下ろすように突き刺した。
鴉座は驚き、陽炎! と叫ぶが、雹がすぐに剣を抜けば、そこに傷はない――心臓の痛み虫を寄生させることに成功したのだ。
「報われる出来事など、この世の何処にもないんですよ。すっきりする事ができる物事なんて、稀。それが人との付き合いってものです。さぁ、起きなさい、可愛い方の弟子。また痛み虫を授けましょう」




