第二十九話 鴉の誘惑、愛故の軟禁
夜、塒に戻って、水瓶座を現す陽炎。
陽炎の眼は据わっていて、普段の彼を知ってる者ならば怒っていることに気づくだろう。
それか普段の彼を知らない初対面の者ならば、百の痛み虫という二つ名を思い出すであろう。
「どういうことなんだ?」
「……――陽炎様」
主人が本気で怒っている。それに焦るのは水瓶座だけ。
背後には鴉座を置いて、陽炎は睨みをきかせる。眼鏡越しの眼光は、どんな刃よりも鋭く美しく恐ろしい。
「事前に何で説明しねぇの?」
「――だって、汚れた水だから飲まなくなるかと思って……」
「水瓶座、俺は別に水はもういいけどさ、何で最初にそれを言わないでどんどん飲ませようとしたわけ?」
「――……陽炎様が僕だけに、入れ込んで欲しいから」
水瓶座の本心が漸く出て、鴉座は思わず陽炎の後ろでにやけたが水瓶座がちらりと自分を見たので、笑みは隠しておく。
何より自分が笑っているのを陽炎に知られるのは、得策ではない。
陽炎は水瓶座の本心に、ため息をつくと、もう消えて良いよ、と手をひらひらとした。
「もう、結局はあんたも皆と同じだったわけだ」
鴉座はその言葉に、目を細めて少しの間何かを考える。
鴉座には見えていないが今の陽炎の眼差しは、今まで接してきた嫌いな人種を見る、見下した眼。
――完全なる拒絶の証。人外でももう信用出来ない、ということだ。
真っ向からのそんな眼に我慢できなかった水瓶座は水瓶をひっくり返して、息をさせる間もなく延々と水を陽炎の頭からぶっかけ続けた。
判りやすく言うと、逆ギレ。
「陽炎様ッ、陽炎様ッ!! 僕を見捨てないで! 貴方が僕を見捨てたら、僕は貴方を本当に水の力だけで取り入れなくてはならない!」
「水瓶、そのままだとその方を殺してしまう」
鴉座は口では制するものの、動かないでにやにやと笑う。
(ほらね、星座は予測通りなんだ――いつかはこうなるだろうと思っていた)
鴉座が助けもせず見守る中、そこで現れるのは蟹座。蟹座は陽炎を蹴って、水から解放させたように見えた。
だが。
「水瓶、水責めするんなら、効率よくやれ。まずは、二升分飲ませて、それから一口ずつ与えて、焦らすんだ。禁断症状や、依存性が強まる」
「げほっ、げほ……このカニ男…、相変わらず助けるつもりねぇんだな!」
二人を睨んでるつもりでも、大量に浴びた水が皮膚からか、それとも鼻からか、口から、あるいはその全部から入ったからか、水瓶座を睨めなくなっていた。
陽炎は、くそっと舌打ちしつつ、鴉座の名を呼ぶ。
鴉座は漸く呼ばれたかと思うと同時に、これからの陽炎を思うと悲しくも愛しくも切なくも――嬉しくもなる。その感情との代償は、今までの信頼度だ。
「鴉座、消えて。鳳凰座姉さんとか呼ぶから。水瓶座、消せなくなってる……俺の力で。多分、水で魅入られだしてる……!」
「それは嫌ですねぇ。我が君が水で奪われてしまうなんて。酷いな……でもね、陽炎様、外の世界に奪われるくらいなら水の力でプラネタリウムに依存してくださった方がマシです。貴方ならば、水瓶には好きとは決して言わないでくれそうですし? 蟹座の暴力にも耐える貴方ですから」
「……鴉座?」
陽炎は縋っていた糸がちぎれたような眼をして、鴉座を見つめた。その視線の脆さは、受け止めた者にしか味わえない罪悪感を感じる。それでも、それでも彼が自分の物になるためならば、何だって利用すると決めたのだ。時は来た――鴉座は、薄く薄く暗い感情が強まるのを感じた。
鴉座は陽炎を優しく抱きしめて、うっとりと微笑んだ。
「貴方がね、本気の言葉をいつも受け止めてくれないので私はそれに応えてましたが、もう我慢できません。私が本気で貴方をお慕い申し上げてることを、理解してください」
「鴉座、だから、俺は男で、そういう趣味は……」
「もしも貴方の世界に男しか性別がなくなってもそう言えますか?」
「は、ありえねぇだろ?」
「それがね、あり得るんですよ。貴方の愚かなところは、黄道十二宮を呼び出してしまったのに、その十二宮が二人とも水属性だということ。十二宮の水属性の宮に閉じこめられてしまったら、男しか居ない世界ですよ。共にプラネタリウムの世界に参りましょう?」
鴉座がそう低く甘い囁きをする。その声は今まで誰かをナンパする時のいつものような彼の声より、ずっと熱っぽく色っぽくて。
陽炎は咄嗟に抵抗するため抱擁する鴉座を突き放そうとするが、蟹座が陽炎の頭を鷲掴みにして、抵抗させ無くさせる。
そして加虐的な笑みを浮かべて、陽炎をにやにやと蟹座の中では愛しい者を見る視線をくれてやる。
「ははっ、プラネタリウムの世界に文字通り閉じこめるつもりか! 水の宮へ行くのか? 幸い魚座もいないしな、丁度オレと水瓶しか水の宮の者は作られておらん。それは実に楽しい。人目も気にせずぼこれて、依存性も強められるわけだ!」
「ぐっ……お前ら、つるんでたのかよ……! 拉致監禁? 随分暴力的だな、蟹座はともかく!」
陽炎は震える。それは拉致監禁を宣言されてるからではなく、裏切られた感覚、足下が崩れていく感覚から。
少し涙目になった彼を見て水瓶座は、慰めてあげたいと思ったが今はそんな行為は要らない。
「安心して、陽炎様、星座の一部になるとかそういうのはないし、依存性が確認できたら解放してあげる。だから……お水、飲みましょう?」
無邪気な響きは、残虐なお告げ。水瓶座の言葉を聞いて、陽炎は戦慄き、慌てて三人を消そうとするが、思ったより愛属性が強いからか――それもそうだ、でなければ監禁などという行為はしないだろう――、消せず、忌々しそうにくそっと呟いて、陽炎の姿は消えて、地面にはプラネタリウムがころんと転がる……。
そこから現れるのは、大犬座の子供……。
つぶらな瞳に、いつもは勇敢な色を宿しているのに、今だけは動揺の色と焦りの色しかなくて。
「どう、しよう。陽炎ちゃんが、陽炎ちゃんが……(自主規制)されるぅうう!!!」
大粒の涙を零しながら、口ではとても言えないことを泣き叫んだ。