第二十七話 健気なその姿の君にだけは弱い
悪魔座が部屋を出ると、そこには己の主人、柘榴が居た。
柘榴が片手をあげて、いつもの彼にしては少し黒い笑みを見せた。ああ、苛立ってる人だらけだ、と悪魔座は苦笑したくなった。
「ど? 鴉のにーさんの様子」
「焦燥してるね。ぼくでは効果はなかったんだね」
「――皆、それぞれ特効薬になる人に、励まさせてるんだけど、どれも無理。やっぱり星座に好かれやすいんだなぁ、かげ君は」
「――聖霊にもね」
悪魔座が笑うと、柘榴は苦笑して、溜息をついた。それから、腕を組み、目をふせて、これから先を考える。
陽炎を無くした、蓮見は大きい。それらを白雪が知ったら、どうなるか。まだ帰るのは当分先らしいが、怖くなる。
だがそれよりも先に怖いのは、陽炎が――あの出血量で、生きていること。
確実に、人でない何者かが関わっている証拠。そして、己たちの家に帰ってこないのも、それが原因では、と勘ぐってしまう。
もしかしたら怪我のせいで、滞在を長くせざるをえないのかもしれないけれど、嫌な予感がするのだ。
「――あくまん、能力を使うのは厭うかい?」
「あんまんみたいに呼ばないで欲しいね。――そりゃそうさ。ぼかぁ人を、狂わせる力だ。誰だって狂う人間なんか、見たくない。そうだね? ぼくちゃんを、そういう人だとお見受けしたんだけど、ぼかぁ」
悪魔座はにこっと微笑み、柘榴を試すような視線を送る。どう答えるのか、どう反応するのか、それによって此方も態度を変えるぞ、とでも言いたげな。
柘榴は、また溜息をついた。
(――おいらって、そんなに純粋な人に見えるのかな。前回の白雪が言ってきたことといい。おいらだって、汚いことを思うときだって、あるさ! それにこれから先、汚いことを覚えなければ、やっていけない。蒼刻一を見ているとそう思うんだ)
柘榴はすぐには返答しなかった。
少しの間、空を見つめ、ぼんやりと陽炎を思う。
(でも、君を思うと、汚くなったら駄目だと考えてしまう。君の前では、正論をいつだって言えるような立場で居たいんだ)
今頃、陽炎は何をしているのだろう。帰ってきたら、まず何を言おう。怒るのが先か、喜ぶのが先か――。そこまで考えて、悪魔座が己に返事を求めてることを思い出す。
「そんな人に、なれたらいいね」
柘榴は曖昧に、返事を濁して、去っていった。
背中を見つめ、悪魔座は肩を竦める。
(――陽炎、ぼくちゃんの影響力は凄いんだね。白と黒を、逆にする力が、あるんだね。この家の人は、殆どがぼくちゃん次第だ。だから、早く帰ってきて貰うよう、動こう。一番陽炎に無関心な人、ぼくが動かないと、皆が落ち着かない――)
――黙り込んで、どこから探ろうか考えていると、ふと大きな力の気配を感じる。
外に出て、屋根にあがれば、空に蒼刻一がいた。
悪魔座は、嬉しそうに喜び、飛びつく。
「ご主人!」
「――落ち着きねぇな、どうしたんだァ? あァ? っと、抱きつくんじゃねーよ、気持ちわりぃ」
「へへっ、だって会いに来てくれるとは思わなかったね!」
蒼刻一は口では文句を言いつつも、素直に甘えてくる悪魔座を撫で、笑みを浮かべた。
悪魔座は知っている。己ら水子にだけに向けられるこの笑みを。
誰も知らない、あの街を知ってる者しか知らない笑みだ。あの街で生まれた己だからこそ、この笑みを向けてくれるのだろう。
蒼刻一は悪魔座を撫でると、身を引き離し、どうどう、と諫めた。
「何か暇だったから、来てみたんだが、どうした? 僕のホーリーゴーストの気が乱れてやがる。何かあったのか」
蒼刻一は今まで、白雪から与えられたダメージを修復するのに時間をかけていた。その間は、誰かの情報を取ってくる暇なんかない。だから、今の彼は地獄耳の状態から、少し抜けているのだろうと悪魔座は悟った。でも、数日すればすぐに世界情勢に詳しくなるのだろうけれど。
「陽炎が消えたね」
「あァ? あの眼鏡が? そりゃねーだろ。星座がいるし、柘榴もいる。奴が消える道理がねぇ」
「――……それがね」
悪魔座は溜息をついて、内緒話をするように、耳打ちをする。
蒼刻一は銀と黒のオッドアイを細めて、ふぅん、とつまらなさそうに返事した。
陽炎のことには、蒼刻一は一切興味がないようだった。多分、もう字環が生まれた状態だからだ。
蒼刻一の興味を引くのは、字環と柘榴だと悪魔座は知っている。
「まぁすぐに戻ってくんじゃねーの? まだ三日だろ? そんだけ怪我してて、痛み虫がないのなら、時間は普通かかるだろ?」
「だけど、ぼかぁカラス兄さんを安心させたいんだね。――まるで、父ちゃんが苦しんでるみたいに、見えて。重ねちゃいけないって判ってるんだけど、ね。理想通りにはいかないんだね」
悪魔座が困ったねーと苦笑して見せれば、蒼刻一も苦笑してみせる。
蒼刻一は、悪魔座が鴉座とアトューダを重ねないよう、努力している姿を見る度に、申し訳ないことをしてしまった気がする。
彼らの思い出を汚してしまったような。ただ、己だけがアトューダの子供だと、彼らを覚えているのが嫌で、鴉座にはあの姿を与えた。エゴだ。それでも、悪魔座はそれを喜び、だが重ねないように努力し、違う喜びを味わおうとする。
健気なその姿は、何処かもの悲しい。