第六話 氷の孔雀を手懐けた者
「――やるじゃん。ピンチの時に出てくるなんて、ヒーローみたい」
「俺はヒーローじゃねぇよ。――どうした、前と違って友好的じゃないか」
「君の事情を知ったし、この郷の狙い、君の忠告の意味も判ったから」
「……――そうか。だがそっちの男は、嫌そうな顔をしてンぞ?」
愉快そうに呉は笑う。それに合わせたように海幸は呉を睨み付ける。
海幸は未だに状況が掴めないし、彼の事情もよくは知らない。
だが忠告が当たったことは分かる――それによって、亜弓が警戒心を解くことも。
だから、己だけは気を許せない立場でなければならないのだ。
「嫌そうな顔? とんでもないこれが俺流の歓迎の笑みだわさ」
「海幸……」
「うっせ、黙ってろ鮎。こいつ、さっきお前の腕を切ったんだぞ」
「でも、忠告は当たっていた――蒼に関わってるんだって、この人」
「なら、なおのこと気に喰わねぇ。此処での事は見なかったことにしてやる、去れ」
「――海幸ッ!」
亜弓はどうやらこの妖しい男の「事情」とやらに、すっかり同情している。
海幸からしてみれば、こうも簡単に亜弓が気を許すのも憎々しい話だ。何より蒼刻一は嫌なことを思い出す。特別な思い入れをされているのも、忌々しい話で、海幸はそれを八つ当たりするように、呉に冷たい態度を見せる。
呉は、鼻で笑い、フードの中の頭をかく。
「偉そうな口ぶりは尊敬に値する。この状況下でよく出来るな? あいつらの教えか」
「違う! 海幸は、月獅民族とは違うんだ、あんなことしないっ!」
「……あいつらが、話したか?」
「うん……――それで、同じって言ったんだね」
「――……お前には関係ない」
だってどんなに哀れに思われたって、結局救いの手はないからだ。
例え亜弓がどんなに良い奴であろうと、結局は己を見放す、通りすがりの人間なのだ――という思いが、呉の頭を支配し、少し黄昏れさせた。
呉は自嘲気味に笑い、立ち去ろうとしたその刹那、誰もが思いも寄らない言葉を発していた。
「うちの郷に来ない?!」
『?!』
一同が言葉を無くす。何か大層な発言をしてしまったらしいことに気づいた亜弓は、おたおたとしながら、言い訳のように言葉をつけたす。
「え、あ、と……忠告してくれた御礼! それにどうせ蒼が関わってるなら、あいつらじゃなく僕らを守るでしょ?!」
「……正気か?」
「鮎! 馬鹿、こんな危険人物招くつもりか!? よりによって郷に?!」
「だ、だってこの人、自分の栄養バランスとかに気を遣わなさそうだから、倒れそうに見えるんだもん! 見てよ、あのひょろっちい手!」
「ッ触……」
触るなと、手を取った亜弓に言おうとした時だった。
何処からか火矢が放たれて、呉は反射することが出来なかった。
だが、亜弓は反応することが出来て、気づくなり、呉を庇い、火矢が刺さる。
亜弓が刺されれば、ぼうっと服が燃えて、亜弓自身が焼かれそうになる。
それに慌てて消火しようとした海幸だったが、間に合わない。数式を使おうにも、ぴったりの言葉は長くて、それは間に合わないと悲観的にさせてくれる。
亜弓の意識が途絶える――そして、現れるのは氷で武装された亜弓。
火は消えて、氷で出来た衣を身に纏い、海幸達から離れる。孔雀の尾羽が大きく揺れて、氷の尾羽が一つ飛び、狙撃手を一人、氷で射抜いた。
その姿に、呉は目を見開く。
「氷の孔雀……」
「そうだ、あれを知ってるのか?!」
海幸の話を全く聞いてない呉。否聞いてないのではなく、聞こえていないのだ。目の前の美しい鳥に、夢中で、茫然とする。
「……あの夢は亜弓だったのか……――じゃあ、手負いの獣は?」
「何を言ってるんだ?! おい!?」
「――あれをどうやったら、止められる? 凍えて、寒い上に本人も寒そうだ――いや、意識はあるのか?」
「あれは意識があるんじゃない、あれは孔雀の意識だ! 本人は凍傷になる、早く止めないとッ! くそ、こんなときに火炎薬置いてきた!」
「――俺が、止める」
というより、己以外止められる人物が居ない、それは確かな予感。
あの夢が正夢ならば、そして彼がホンモノの孔雀ならば、己は彼を止めねばならない。
海幸の制止する声も聞かずに、呉は冷えた空気が届く位置まで移動し、手をさっと孔雀に差し出す。
「――亜弓、やめろ」
“キュオオオオオ”
孔雀の怒り狂った鳴き声が地を僅かに揺るがす。海幸も呉も揺れて、バランスを保つのが少し難しかったが、二人とも堪えて、何とか倒れなかった。
氷の尾羽が呉に向いて、若干丸くなる。亜弓を包み込むように、何者からも守るように。
「――亜弓。俺だ、分かるな?」
“クォオオオオ!”
亜弓に語りかければ、孔雀が怒り狂った叫びを放つ。
氷の砲弾が、「これが警告だ」とでも言いたげに、足下に突き刺さった。
呉はそれを見て息を飲みながら、凶悪的な目つきを細めて、氷を見つめ、ゆっくりと孔雀に視線を動かす。
孔雀は警戒というより、何かに怒ってるような目つきで、鳴いていた。
ではどうすればと思えば、答えは簡単。手負いの獣として語りかければいいのだ。
「孔雀、俺だ、分かるか」
“……クウ”
狙い通り、孔雀は大人しくなる。亜弓に嫉妬していたのだ、孔雀は。夢では、手負いの獣である己は、孔雀を唯一理解してやれる存在だったからこそ。そしてまた、孔雀も己の孤独を唯一理解してくれるだろう――あの子供をのぞいては。
それに驚く海幸をそのままに、呉は話し掛け続ける。
「孔雀、亜弓を離せ。そしたら抱きしめてやるよ」
「お、おい! 近づくとお前も凍傷に……ッ」
海幸の忠告を無視して亜弓に近づき、亜弓を例え指先が凍りかけても抱きしめてやると、孔雀は消えて――亜弓の暖かさが戻る。
亜弓は健やかな寝顔で、忍ぶような慎ましい呼吸をしている。慎ましすぎて死んでしまったかとも思ったが、呼吸の度に肩が少し動いてるので生きているのが確認できた。
それにあっけにとられかけた海幸だが、これ以上美味しいところを奪われてはなるものかと、海幸は亜弓の凍傷を治す妖術をかけて、己の民族衣装として纏っていた大きめの布を掛けてやる。
*