第五話 嵌められた親睦
「鮎、確かに考え直すとか、そういうのは必要よ? 普段の鮎がそんな事言ってたら、おにーさんはよーやく素通りしなくなった! と、涙涙で感激していましたわよ?」
「んー……」
「でもねぇ、……考え直したい理由がその人との会話なんだろう?」
「うん、そう」
「……どんな話、聞いたの」
亜弓は海幸が嫌そうな顔で問うてくると、聞いてくれることが嬉しいのか華やいだ顔つきで己と男が交わした会話を教える。
その会話を聞いて、海幸は頭を抱える――。
「滅茶苦茶そいつ妖しいジャン」
「うん、妖しい。でも、間違ってるとも考えにくい」
「うん、鮎坊の野生の勘は舐められないからなぁ。それでいつも柘榴の嘘を見破ってたっけ」
「うぇへへ、あれはいつでも自慢だよ」
柘榴は、民族のためを思ってか、蒼刻一に取り憑かれたことを内緒にしていた。
元来、一番強い死に神が彼を守っていたのは知っていたが、まさかホンモノに取り憑かれるなんて、と最初は思ったが、柘榴の積み重なる嘘に違和感を感じて、ずばりと言い当てた。
言い当てると柘榴は観念し、事情を話した。
それ以来、己の目標は蒼刻一を倒せるくらい強くなることになったのだ。
柘榴は説歌い。義兄弟のようなものだ、一族皆の。
(何より、説歌いには恩があったんだ――それを返せる一生にあるかないかのチャンスじゃないか。倒せば、皆も解放されるし)
それで海幸と共に行った妖術の呪いは、柘榴に徹底的に怒らせたが、今でもその体に巣くう鳥には後悔していない――氷の孔雀には。
そう、亜弓の体には氷の朱雀が眠っている。
亜弓は意識を失って瀕死の状態に陥ると、氷の孔雀が彼の体を支配し、氷の尾羽を見せて、氷の尾羽を飛ばして攻撃してくるのだ。
かつて一度氷の孔雀の眠りを覚ましたことのある海幸は、今もあの恐ろしさを携えた壮麗さを昨日のように思い出せる。
クォオオと鳴き声が響き、亜弓は凍傷になるかと思うほどの氷の絹衣に包まれて、巨大な尾羽が亜弓を守るようにして、丸くなった。
氷は職人が削ったように見える程、綺麗にまるで飾りのようで、どれもが細かい細工だった。
(でもな、綺麗だったけど、怖かったんだぜ。お前を失うのが――あの時、思ったよ。俺ァなんて馬鹿なことをしたんだって。あいつの妖術なんかに頼るのが間違いだったって。どんなに強くなろうと、呪いは呪いだ)
「――海幸?」
「え、あ、何?」
「どうしたの、暗い顔してるよ」
「あらいやだ。男前には哀愁があるからこそ、もてるのよ、鮎坊」
海幸はにへらと笑い、亜弓の頭を撫でると立ち上がり、何か食べる物持ってくるとテントを出て行く。悪く言うと誤魔化した、よく言うと亜弓を気遣ったのだ。
よく辺りを見回すと、此処は月獅民族のテントであるらしいと、亜弓は分かるとしげしげと中の装飾を見回す。
見回したとき、冬が入れ替わりに入ってきた。
冬の姿を見ると、亜弓はにかっと笑いかけ、やー、と挨拶を。冬は何処か暗い顔をしていた。
「亜弓様、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。普通は腕なんてくっつかないのに、流石海幸だよ」
「ガンジラニーニの妖術でもくっつかないのですか?」
「基本的に聖霊は万能ってわけじゃないからねぇ。ただ数式が変わって暗号みたいになってて、ちょっとだけ他のより強めなだけだって、海幸は言ってる」
「そうなんですか……ねぇ、亜弓様。私、海幸様と一緒に助けに向かったんですが……呉と一緒だったって本当、ですか?」
冬が言いづらそうに顔を顰めたので、亜弓はつられるように顔を顰める。
「……ウイ?」
「ええ、呉です。薄紫のマント……の、怖い男です」
「……ああ、あの人。うん、そうだね、会ったよ? 知ってるの?」
「呉には関わらない方がいい! 亜弓様、二度と呉と会っちゃダメですッ」
その時の少年は酷く何か恐ろしい者を感じるように、ぶるぶると震えていた。
暖かな印象を亜弓は冬に持っていたのだが、ぶるぶると震えているその眼の奥には純粋な恐怖ではなく何か仕返しを恐れるような恐怖を感じ、違和感を持つ。
「――この郷で、何があったんだ? 呉って、誰なんだ?」
「呉は――この郷の鬼仔です。鬼、なんです――」
「へ?」
「……あいつは、長の奥方の不貞で生まれた鬼仔なんです」
冬の言葉から聞いて、どんな奴なのかと思えば、ただのそんなこと。
何をそこまで恐れて、鬼仔だなんて言うのだろう、ただ母親が浮気しただけだろうに。
蔑むならば子供じゃなく、母親と相手を蔑めばいいのに。
亜弓は嫌悪感を丸出しに、それを訴える。
「――子供に罪はないじゃないか」
「ッあんたは事情を知らないから言えるんだ! あいつは生まれたときから災いを持つ仔だと思った。だから、里の皆で放っておいたんだ」
「それって……――まさかっ、育児を放棄したの!?」
亜弓は怒髪天を衝かれ信じられないと呟き、即座に身を立たせて、テントから出て行く。
冬は何故急に亜弓が怒ったのか分からないので、続けて説明をする。
何せ妹の命がかかってるのだ、下手に帰られては困る。
「あいつはっ、蒼刻一に育てられてきたんですよ?!」
「だからといって、最初に育児を放棄したのはあんたたちだっ! 海幸ッ、海幸は何処?!」
「んー、何してるんだ、あゆ」
海幸は沢山食べ物を抱えながらやってきて、亜弓の憤慨しているのを見るなり、何かあったのかと悟り、文句なく亜弓に従う。
秒で亜弓の野生の勘を信じ、その通りに動く。
「悪いね、少年。うちの坊ちゃんがお怒りだ。長に伝えておいて、交渉は決裂だって――」
「待って、ねぇ待って! そしたら、うちのホワンはどうなるの?! 妹が、妹が死んじゃう!」
「坊主、世の中どうにもならねぇことだってあんだよ、うちの坊ちゃんが怒ることは、郷の者全員が怒り狂う事だ、諦めろ」
「――何それ、おかしい、おかしいよ! 呉に関わったら不幸な目にあうだけですよ?! あいつは、鬼仔なんだ、忌み仔なんだっ!」
呉の単語を出すだけでざわつく里――それらを亜弓は睨み付け、黙らせる。その姿を見て怒る理由が分かった海幸は成る程、と納得し、静観する。そこに、長が出てきた。
長の姿を見るなり、迫害が大嫌いな亜弓は嘲るような眼で睨み付けて、つり目の印象を悪くする。
「長、交渉決裂だ」
「――それは、敵対するということですかな? 此方こそ断る」
「は?」
「親睦と称して、此方に攻撃してくる民族なぞ殺さねばな」
「はぁ?! うちの奴らが攻撃してくるわけないだ……ッ嗚呼、そういうこと。親睦って称して、最初から戦してくる気だったんだ。うちから仕掛けたって事にして」
「――いやいや、亜弓殿、誤解されては困る。其方が悪いんじゃないか、現場には貴方が居たと聞く」
「――へぇ」
少し妖術師になれる可能性のある人間ならば、死に神が見えよう。
その証拠に、冬が一歩後退り怯え、「化け物」と小声で呟いた。
死に神だけではない、その計り知れない怒気が冬に亜弓を化け物と言わせたのだ。
だがたぬき親父のような長は、くくっと笑い、同胞に指令を出す。
海幸を捕らえるよう――。
「うおっ、何だよ、おい、男のハニーは鮎だけで十分だぜ」
「きしょいこというな! 海幸をどうするつもりだ?」
「その男は妖術が使える――それもトップなんじゃろう? 有効的に使わせて貰おう」
「海幸、もてもてだね?」
「いやーん、俺は野郎は鮎坊だけで満足だから、焼き餅やかないでー」
二人は軽口を叩いてはいるが、既に戦闘態勢だ――。
と、その時、またも爆薬の匂いを亜弓は感じたが、今度は言わない。
今度の匂いは、先ほどの匂いと違って、怨念に満ちている。
怨念をこの里から感じる者と言えば、一人しか居ない――呉だ。
「わ、わぁあ?!」
長のテントが爆破されると次々と別のテントが爆破されていく。
あっという間に先ほどの被害に遭わずに済んでいた箇所が火の海になり、冬も長もそれぞれ逃げ散り、呉から逃れる。
亜弓は口笛を吹いて、拍手をすると、呉が出てくる。




