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少し長くなったので、分けようと思いましたが、最終話と予告したので分けずに載せます、
王宮で行われる夜会には貴族令嬢として毎年参加して馴染んでいたはずなのに、今日はいつもより輝いて見える。それはきっと相思相愛の婚約者と一緒だからかもしれない。
「ディジネ、手を」
「ありがとう、ヴァルム」
先に馬車から降りたヴァルムが差し伸べた手をディジネは嬉しそうに取る。初めて会った時は加減を知らず引っ張られてしまったが、宣言通り改善されたヴァルムのエスコートは自然で、まるで彼が自分の体の一部になったようにすんなり馬車を降りることができた。
今日のディジネのドレスはヴァルムと一緒に選んだ炎を彷彿させるような真っ赤なドレスだった。ロンググローブとアクセサリーも同じ色だ。こんなにはっきりとした派手な色を着るのは初めてだったが、どうして今まで着なかったのかと後悔するくらいしっくりきていた。とはいえ、昔の虚弱な自分だったら着こなす自信がなかっただろう。健康的な体型となった今だからこそなのである。
一方でヴァルムは騎士団の正装姿で、金色でイニシャルがワンポイントで刺繍された白い手袋はディジネからの贈り物だ。赤髪を後ろに撫で付けたヘアスタイルは雄々しく、ディジネはこっそり惚れ直していた。
社交シーズンに合わせて王都に来たヴァルムの両親カーマイン侯爵夫妻と共に入場すると、周囲から注目を浴び、ディジネは一瞬固まるが、肩に添えられたヴァルムの手から伝わる体温が緊張を和らげてくれた。
「あれが虚弱令嬢?以前と別人みたいだわ」
「でも炎の貴公子と意外とお似合いじゃない」
「カーマイン伯爵家はいつ見ても熱苦しい一族だな」
縁談がまとまらない炎の貴公子と、氷の貴公子に捨てられた虚弱令嬢の婚約は貴族の間で少しだけ噂になっていたので、婚約後ふたり揃って初めて公の場に姿を現したこともあって、話題になっていた。
概ね悪口は少なかったし、次に入場した長男がグランディア王国の第ニ王女と婚姻したデリシオーサ侯爵家に関心が移動したので、ディジネは内心ほっとしつつ、他の貴族同様話題の第ニ王女の美しさに感動した。
その後貴族が出揃い、国王陛下によって開催宣言がされた。カーマイン家は国王陛下夫妻への挨拶の列に並び、順番が来た所でヴァルムとディジネの婚約を報告した。快い反応に勇気づけられたディジネの気分は上々だった。
国王陛下夫妻への挨拶を終えたので、ヴァルムとディジネはカーマイン侯爵夫妻と別れ、ダンスが始まるまで知り合いへの挨拶を行うことにした。
「待っていたぞ」
「勤務中に失礼します。紹介します。私の婚約者のディジネです」
「初めまして、ディジネ・ゼファーと申します」
真っ先にヴァルムが向かったのは警備中と思わしき騎士団の制服に隊長格のマントをつけた金髪碧眼の美丈夫だった。体格はヴァルムの方が大きいが、彼もまた逞しい体つきである。
「王立騎士団第二部隊長ローラン・デュランダルだ。部下が世話になっているようだね」
「い、いえそんな!私の方がお世話になっていますわ。いつもヴァルムには助けられてばかりで……」
「否、ひたむきに頑張るディジネに毎日元気付けられている私の方が世話になっている」
「ははは、随分と仲が良いみたいだな。安心したよ!」
お互い惚気たつもりはなかったが、ローランには惚気にしか見えなかったらしい。ディジネは羞恥に顔を赤らめながらも、否定はしなかった。ヴァルムはどこか誇らしげだ。
「もう少し惚気話を聞きたい所だが、次の楽しみにしよう」
「はい、お忙しい所失礼しました」
ローランを後ろ姿を見送ったヴァルムとディジネはそれぞれ縁の人間への挨拶をこなしていき、ひと段落ついた所で休憩することにした。
「たくさん話して喉が渇いただろう?新しい飲み物を取ってくる」
「では、ぶどう酒をお願いします」
空になった二人分のグラスを手にヴァルムはドリンクコーナーへと向かう。ディジネは人々の邪魔にならないように会場の端へと移動した。
「ディジネなのか?」
「クヴェール様。お久しぶりです」
彼を知らない人間ならば無表情と思うかもしれないが、珍しく瞳に動揺を宿らせた人物、クヴェールが声をかけた。
元婚約者との再会にディジネは臆することなく、堂々とお辞儀をする。その姿にクヴェールは更に驚かされる。
「随分と健康になったようだな」
「はい、お陰様で。その節はご心配をおかけしました」
心配ではなく不満に思われていただろうが、正直に言う必要もない。彼は元婚約者で将来の義弟ではあるが、親しくもないのでディジネは社交辞令を述べる。
「……今の君となら婚約を結び直しても問題なさそうだな」
「え?」
ディジネは己の耳を疑った。以前のクヴェールならばこんな未練がましい台詞を絶対言わないからだ。しかし彼女の知る元婚約者は冗談を言うような性格でもないので本気なのかもしれない。
「ヒュエラは駄目だ。痩せすぎよりましだと太っていることに多少目を瞑ったが、暴飲暴食を繰り返し怠惰に生活して、教養もない上に努力もしない。あれで伯爵夫人など到底無理だ」
どうやら新しく婚約者におさまったヒュエラがお気に召さないらしい。彼女は外見に現れるほど食生活が乱れている。おまけに勉強嫌いで、ハリボテのの礼儀作法しか持ち備えていない。もしクヴェールと共にゼファー家を継いだとして、伯爵夫人として切り盛りをするには今の時点では難しいかもしれない。
本性を知っているディジネにとって何を今更という話だが、継母同様外面が良いヒュエラに思えば人の上辺しか見ていないきらいがあったクヴェールは騙されてしまったのだろう。
「お断りしますわ。そもそも私はヴァルム様と婚約を交わしている身。クヴェール様はカーマイン侯爵家を侮るおつもりですか?」
「それは……ヒュエラと交換すればいいだろう」
こうして健康を取り戻すことが出来たのはヴァルムを始めとするカーマイン侯爵家のお陰だ。そんなカーマイン家に対するクヴェールの無礼にディジネは声に怒気を込めた。
「ふざけないで下さい!私達姉妹は物ではありません!大体私が辛い時に気に掛けて下さらなかったあなたと婚約を結び直すなんて有り得ませんわ!」
「なんだと?」
怒りで思いの外大きな声が出てしまい、ディジネとクヴェールは周囲から注目を浴びてしまう。ディジネは好奇の目に逃げ出したい気持ちもあったが、ここで決着をつけるべきだと判断して、僅かに顔を顰めているクヴェールに向き直る。
「私が気に掛けなかったと言うが、君の母上が亡くなった際には励ますために贈り物をした。なのに君は不幸に酔って無視をしたじゃないか」
「贈り物?」
身に覚えがないディジネは懸命に過去を振り返るも、クヴェールから贈り物を貰った記憶は全くない。
「しらを切るな。銀の髪飾りや珊瑚のネックレス、真珠のブローチ……他にも様々と手配させたのに、君は身にもつけなかったじゃないか」
クヴェールが挙げた贈り物の一例にディジネは次第に記憶が甦る。
「……申し訳ありません。どうやらヒュエラが私の手に渡る前に横取りをしていたみたいです。銀の髪飾りも珊瑚のネックレス、真珠のブローチ、どれもヒュエラが身につけていたのを思い出しました」
ヒュエラが屋敷に来て間もない頃、彼女が自慢げに銀の髪飾りを見せびらかして来たのをディジネは思い出した。当時は父親からプレゼントされたのだろうと片付けて、仲良くなりたい気持ちもあって似合うと誉めていたが、まさかクヴェールからの贈り物をくすねていたとは思いもしなかった。
「つまり私からの贈り物は君に届いていなかったということなのか」
「そのようですね。大変遅くなってしまいましたが、お気遣い頂きありがとうございました」
とはいえ一つも手元にはないし、話に出ていない物はどれがクヴェールからの贈り物だったか分からないので、ディジネにはクヴェールからの気遣いを実感することが出来なかった。
「……」
しばしの沈黙の後、クヴェールがディジネに跪き手を取った。常に無感動な氷の貴公子の氷解に周囲はざわめく。
「どうやら私たちの間にすれ違いが生じていたようだ。すまなかったディジネ。これからやり直していこう」
真摯なクヴェールの眼差しから本気が伝わる。それでもディジネは手を引いて、拒絶を示した。
「私はこれまで継母とヒュエラから食事を減らされひもじい暮らしを強いられて来ました。その結果痩せ細り、周りから虚弱令嬢と揶揄されました。父に報告しようとしましたが阻まれ、ならば当時婚約者だったクヴェール様に助けを求めようとしましたが、話を聞いて下さらなかった」
ディジネの訴えに思い当たる節があったクヴェールは返す言葉がなかった。贈り物が届いてないのか確認すれば、話を聞いていれば……彼女はあそこまでやつれることがなかったのかもしれない。
「でもヴァルムは私の話を聞いてくれた。共に歩み高めあってくれた!私が今健康なのはヴァルムがいたからです」
いつの間にやら近くで見守っていたヴァルムにディジネは寄り添い、持って来てくれたぶどう酒を受け取る。心配はしてなかったが、クヴェールではなく自分を選んでくれたディジネにヴァルムはより愛しさを感じ、彼女の肩に手を添えた。
「生憎ディジネは私の最愛の婚約者だ。愛は最初からあるものではない。育むものだ!貴公も自身の婚約者と互いをもっと知り、思いやっていけばいい」
「その通りですわ。私とヴァルムも政略的な婚約でしたけど、愛が育まれた今では相思相愛ですのよ」
「愛は育むもの……」
愛という感情を冷めた目で見続けていたクヴェールも、目の前で熱苦しい位仲睦まじいヴァルムとディジネの熱気に当てられ、考えを改め始めた。
「そろそろダンスの時間ね。行きましょうヴァルム!」
「ああ、今宵は踊り明かそう!」
過去の自分と決別したディジネはヴァルムと手を取り合いダンスホールへと歩き出す。燃え盛るような熱気あるカップルに群衆は思わず道をあけるのであった。
その夜のダンスの主役は完全にディジネとヴァルムだった。大柄なヴァルムと真っ赤なドレスを翻すディジネの存在感は圧倒的で、情熱的で息の合ったステップに人々の注目を浴びた。
「ディジネ、改めて乞う。どうか私と結婚して欲しい!」
「もちろんよ!ヴァルム、これからもふたりで燃え上がりましょう!」
ダンスの最中のプロポーズにディジネとヴァルムは更に愛を深め、熱苦し…熱い夜会を過ごしのだった。
***
プロポーズを機に結婚の話が進み、ディジネとヴァルムは半年後に結婚式を挙げて夫婦となった。カーマイン侯爵家の家訓を遵守したディジネはあれから更に体を鍛え上げ、素晴らしい背筋と上腕二頭筋をウエディングドレス姿で披露して招待客を驚かせた。虚弱令嬢のあだ名は返上され、今では筋肉夫人と言われているらしい。
ヴァルムも結婚後益々肉体改造に磨きがかかる一方で、剣術の腕も上がり、近々第七部隊隊長に昇格する話も出ている。休日は相変わらずディジネとダンスを踊る日々だ。
クヴェールとその場に居合わせていたゼファー伯爵はヴァルムの言葉に感銘を受けたらしく、ヒュエラとカスカドの愚行を咎めつつも己の不甲斐なさを反省し、婚約破棄と離縁は行わず、互いをよく知り思いやる努力をした。
しかし横暴は減ったが、中々怠惰な生活を改善せず太る一方だった母娘にクヴェール達が悩みヴァルムに相談した結果、カーマイン領で行われている事業である軍隊式トレーニング合宿を勧められ四人で入隊し、協力し合い厳しい訓練を乗り越えた。
合宿を終えて、心身共に生まれ変わった四人の姿にディジネも謝罪を受け入れて、ようやく家族としてやり直すこととなり、時々皆で集まり仲良くトレーニングを行うようになった。
そしてこの美談が社交界に広まると、影響を受けた貴族達による筋力トレーニングブームがしばし続いたとか続かなかったとか。
何にせよディジネはヴァルムとよく食べて、よく笑って、よく動いて、よく寝て、楽しい毎日を過ごしていくのであった。
めでたしめでたし。