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 ゼファー伯爵が快諾したことにより、ディジネはヴァルムと婚約を結んだ。そしての継母カスカドの企みであろう、早速住み込みで花嫁修行をすることになり、ディジネはひとりカーマイン侯爵家のタウンハウスを訪問することとなった。


「どう考えても、二度と家の敷居を跨がせるつもりはないようね」


 花嫁修行が決まるなり、カスカドは使用人達に命じ元々持ち物が少なかったとはいえ、あっという間にディジネの荷物をまとめ上げてしまったのだ。


 この婚約が破談となったら、路頭に迷うのは決定的だ。贅沢は言わない。美味しいご飯と温かい寝床があれば、将来の侯爵夫人として努力は惜しまない。生きて行く為にもディジネは固い決意を胸にした。



 馬車が止まり客車をノックされたので、ディジネが返答をすれば、開かれたドアの先には図体のでかい赤髪の青年が待ち構えていた。


「お初にお目にかかる!婚約者殿、私がヴァルム・カーマインだ!」


 目の覚めるような溌剌とした声で自己紹介し手を差し伸べるヴァルムにディジネは驚愕し後退りする。耳が痛いし眩暈もした。


「は……初めまして。ディジネ・ゼファーでございます」

「ディジネ殿!お会いできて光栄だ!さあ、我が家を案内しよう!」

「きゃっ」


 ヴァルムに比べたら蟻のように小さい声でディジネは恐る恐る彼の手を取ると力強く引き寄せられてしまい、短く悲鳴を上げてしまった。


「すまない!怖がらせてしまったな。どうもエスコートが苦手でな。必ず改善しよう!」

「はあ……」


 明朗快活なヴァルムに気圧されつつも、ディジネは恐る恐る馬車を下りる。眼前にはタウンハウスにしてはこじんまりとしているが、赤い屋根と白い壁が美しい屋敷が待ち構えていた。


「さあ行こう!我が家へ!」

「えっ、あの、待って下さ……」


 ヅカヅカと大股で歩き出したヴァルムについて行けず、ディジネはバランスを崩し転倒してしまい、両膝に痛みが走った。


「ディジネ殿!何ということだ、すぐに手当せねば!ばあや!ばあや来てくれ!」


 負傷したディジネをヴァルムは躊躇うことなく抱き上げると、一目散に屋敷へと走り出した。突然のお姫様抱っこの衝撃にディジネは両膝の痛みが吹き飛ぶ。それでいてヴァルムの逞しい腕のお陰か疾走の中でも安定感があり、体から揺さぶられることはなかった。


「あら坊っちゃま、今回の婚約者様とは随分と仲良くなられたのですね。ばあや感激」

「泣くのは後だ。ディジネ殿が怪我をした!手当を頼む!」

「かしこまりました」


 ハンカチで目元を拭う小柄な老婆に指示をしてから、玄関から一番近い部屋に移動したヴァルムはソファにディジネをおろす。


「婚約者とはいえ、男の私が女性の脚を見るのはよくないだろう。傷が痛むだろうが、ばあやが来るまでしばし耐えてくれ!」


 先程から無神経な行動が多いと感じていたが、最低限の礼儀は兼ね備えていたようだ。ゴリラのような風体でもれっきとした貴族だったヴァルムにディジネは内心ほっとした。


「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

「否、力加減を誤り君を守れなかった私に瑕疵がある。二度とこのようなことが起きぬよう努めたい!しかし私は察しの悪い男でな。思うことがあれば関係を気にせず指摘してくれ!」

「で、ですが……妻は夫に口答えをしてはいけないと学んでおります」

「君は勤勉なのだな。素晴らしい!ならば私の頼みは命令として受け取ってくれたまえ」


 陰気な自分に眉を顰めることなく、明るく接してくれるヴァルムにディジネは少しだけ彼を信じたいと感じ、恐る恐るお願いを申し出ることにした。


「では……早速ですが旦那様」

「長い付き合いとなるのだ。ヴァルムと呼んでくれ!」

「ヴァルム様……大変恐縮ですが、もう少し声を小さくして頂けますか?」


 騎士という職業柄か、本人の性分か、終始声が大きいヴァルムにディジネの耳と心臓は驚かされ続けていた。これから一緒になる上でここは直してもらわないと生活に支障が出ると思ったのだ。


「すまない君と会えたのが嬉しくて気持ちが昂っていたようだ。今後は控えめに話そう。但し、ばあやの耳が遠くてな、ばあやと話す時は声が大きくなることを許可して欲しい」

「そういった事情がありましたのね。分かりました」


 早速声のボリュームを下げて事情を説明するヴァルムに好感を覚えたディジネは彼となら夫婦としてやって行けそうな気がしてきた。


「おお噂をすれば、ばあや手当を頼んだぞ!さて、私はお茶の用意でもしよう」


 前言通り大きな声で救急箱を持ったばあやに指示をしたヴァルムはばあやと交代する形で退室した。



 ばあやに膝の手当てをしてもらったディジネはバルコニーへ案内された。柔らかな日差しが心地よく目を細めていると、ヴァルムがティーワゴンを押して姿を現した。


「ばあや、ディジネ殿の怪我はどうだった?」

「擦り傷でございます。ばあや特製軟膏を念入りに塗っておきました」

「ありがとう!」


 お礼を言われたばあやはお辞儀をすると、バルコニーの入り口にある安楽椅子に深く腰掛けてリラックスしていた。


「ばあやは高齢だからな。身内だけの時はああやって待機させている」

「なるほど」


 普通使用人なら立たせているが、ヴァルムなりの思いやりのようだ。彼の優しさに触れたディジネは自然と頬が緩むのを感じた。


「来て早々疲れているかもしれないが、ティータイムに付き合って欲しい。少しだけ今後の話をしたいんだ」


 そう言ってヴァルムは慣れた手つきでテーブルに食器とお菓子を並べて、紅茶を淹れる。貴族子息自ら給仕を行うのが珍しいし、大男のヴァルムがティーセットを扱うと、まるでミニチュアみたいで可愛らしくて、ディジネは楽しげに観察した。


 ヴァルムが淹れた紅茶はメイドが淹れたのと何の遜色もなく美味しくて、ディジネは感心した。そして余裕が出来たら自分もお茶の淹れ方を学び、彼をもてなしたいという小さな夢が出来た。


「改めてカーマイン侯爵家と婚約して頂き、誠に感謝している」

「いいえこちらこそ、傷物の私なんかを引き受けて下さり、感謝してもし足りません」

「私も似たようなものだ。しかしそのおかげで君と縁が出来た。がしかしだな、カーマイン侯爵家に嫁入りしてもらうにあたり、家訓を守ってもらわなければならない」

「家訓、ですか?」


 一体どんな家訓なのか、ヴァルムの表情から想像出来ないディジネは戸惑いの表情を浮かべる。


「カーマイン侯爵家家訓ーー健全な精神は健全な肉体に宿る。日々鍛錬し己を磨け。だ」


 ヴァルムが口にした家訓にディジネは血の気が引く。虚弱が理由で婚約破棄された自分が鍛錬に勤しむなんて到底無理だ。もしかするとこれは遠回しな婚約破棄なのかもしれない。


 けれどもここに来る馬車の中で未来の侯爵夫人として努力を惜しまないと決めたことを思い出したし、出会ってまだわずかだが、もっと彼を知りたいと強く願った自分の気持ちを大事にしたかったディジネは覚悟を決めた。


「私はご覧の通り痩せ細って不健康な人間ですので、カーマイン侯爵家の嫁として相応しくなるまで時間を要することになります。それでも日々鍛錬致しますので……どうかお傍に置いて下さりませんか?」


 か細い声で意思を伝えた。ディジネにヴァルムは満面の笑みを浮かべ彼女の手を取った。


「なんと素晴らしい!ありがとうディジネ殿!これから共に互いを高め合おう!」


 興奮して声が大きくなってしまったヴァルムにビクついてしまったが、一日にこんなにお礼を言われたり褒められたりしたのは母が亡くなって以来初めてだったディジネは嬉しさで目に涙を浮かべ、新しい婚約者を狼狽えさせたのだった。

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