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「約束通り君との婚約は破棄だ。今後私はヒュエラ嬢と婚約を結び直してゼファー家に婿入りする」


 淡々とした口調で婚約破棄を告げたのは、雪のように白い肌に銀色に輝く瞳、背中まで伸ばした薄水色の髪を束ねた姿と常に表情を崩さないことから社交界で氷の貴公子と呼ばれているスマルト子爵家の三男クヴェールだ。


 そして婚約破棄を告げられたゼファー伯爵家の長女ディジネは細腕でティーカップを持ち、ミルクティーで喉を潤し返答の準備をする。


「承知致しました」

 

 掠れ消え入りそうな声で返答するディジネをクヴェールは無表情で長い足を組み直し一瞥する。


 五年前婚約を結んだ際には健康的な容姿をしていたディジネだったが、三年前に生母が亡くなった影響で気鬱が続いたのか、日に日に痩せていき今では風が吹けば飛ばされてしまいそうなくらい華奢になっていた。


 母親を亡くして落ち込むのは仕方ないことくらいクヴェールも知識として持ち備えていたので、婚約者として励ましの贈り物を執事に手配させたが、効果はなかった。


 このままだとディジネが貴族の妻として務めを果たすことは不可能だと判断したクヴェールは半年経っても健康になれないのならば、婚約を破棄すると宣言して今日に至ったのである。


「話は以上だ。書類にサインをしたら飯でも食って寝ろ」


 テーブルの書類に視線を落としたディジネは手を震わせながらペンでゆっくりサインをすると、徐に立ち上がりよろよろとお辞儀をして、部屋から出て行った。



 なんとか自室に辿り着いたディジネが薄汚いベッドに倒れ込み、朦朧とした意識の中でクヴェールの姿を思い浮かべた。


 政略結婚だからか、クヴェールはこちらに笑顔を向けたことがなかった。ディジネがやつれてからは会えば自己管理がなってないと苦言を呈するだけで、意を決して悩みを打ち明けようとしても聞いてくれず、こちらの事情に踏み込んではくれなかった。


 ディジネが母の死で落ち込んで食欲が無かったのはせいぜい一週間程度。その後悲しみはしても普通に食事が出来ていた。ならばなぜ今こんなに痩せているかというと、母の死後半年に女主人がいないと困るし、ディジネに母親が必要だろうという考えに至った父が連れてきた後妻とその連れ子に虐げられているからだ。


 国の外交を担う父ニヒリティ・ゼファー伯爵が家を留守がちにしているため、後妻のカスカドに屋敷を任せた途端に使用人が総入れ替えされた。


 味方がいなくなったディジネは使用人が食べるような食事を出されるようになった。その後次第に量が減り、今では具のないスープと硬くなったパンだけになった。


 そうなれば痩せていくのは当然だ。母親譲りの艶やかな金髪は軋み、みずみずしい肌も干からびていった。頬は痩け、体は胸骨や肋骨が浮かび上がり、とても健康とは言えない。


「久しぶりのミルクティー美味しかったな……」


 虐待を隠すためにクヴェールと会う時は身なりを整えてもらい、紅茶とお菓子が用意される。これがディジネにとってはご馳走で、余ったお菓子はこっそりハンカチに包んで部屋に持ち込んで、少しずつ食べるのが楽しみだったのだが、流石に今日は出来なかった。


「でもきっとまた食べることが出来るわ」


 相手が義妹のヒュエラであっても、クヴェールがゼファー家に婿入りすれば、自分の待遇も今よりはマシになるはずだとディジネは無理矢理楽観視して、疲れに任せて眠りについた。



 ***



 しかし婚約破棄の報を受けた父が帰宅した日の晩餐に事態は思わぬ方向に展開した。


「全く、偏食が原因で婚約破棄されるとは情けない」

「……申し訳ありません」


 ゼファー伯爵は妻のカスカドからディジネが好き嫌いをして食事をろくに取らないと嘘の報告を受けていた。ディジネは何度か誤解をとこうと試みたが、カスカドとヒュエラたちに妨害されて叶わないでいる。ちなみに彼女たちはディジネの分の食事……もしかしたらそれ以上を食べているのか、ふくよかな体型をしている。


「まあまあ旦那様、お怒りにならないで。ヒュエラのお陰でスマルト家との婚約は継続されているのですから」

「うふふ、私が愛の力でクヴェール様の氷の心を溶かしてみせますわー」


 大盛り上がりの継母と義妹に呆れながら、ディジネは消化のよい食材を口に運ぶ。肉や脂っこい物は胃腸を痛めるので避けているのだが、それが父には偏食に見られてしまい悪循環となっている。


「そうそう旦那様、カーマイン侯爵家のご長男が結婚相手を探してましたので、ディジネさんを紹介しましたら、是非お嫁に来て欲しいとのことですわ」

「カーマイン侯爵家か。あそこなら家格も問題ないな。話を進めよう」


 突然の縁談にディジネは耳を疑った。継母が本人への打診もなく話を進めるのはいつものことだが、今回ばかりは事前に聞いて欲しかった。


 カーマイン侯爵家の長男ヴァルムといえば、王立騎士団第二部隊の副隊長を務め、剣術の腕は確かで、こんがり小麦色の肌で、短く刈り上げられた燃えるような赤い髪と曇りなく輝く赤銅色の瞳、背が高く鍛え抜かれた体は迫力があって、その姿から社交界では炎の貴公子と呼ばれている。


 婚約者が氷の貴公子から炎の貴公子に移り変わるとは、不思議な縁である。もしこの婚約が失敗したら、次は雷の貴公子とか風の貴公子とかが現れるのだろうかと、ディジネは呑気なことを考えながら、胃をびっくりさせないようにミルクスープを味わった。


「ぷぷぷ、カーマイン家の長男ていったら見た目も中身も熱苦し過ぎて縁談相手が全員逃げ出しちゃったらしいわよー!ま、お義姉様もクヴェール様に逃げられちゃってるし、余り者同士仲良くしたら?」

「ヒュエラ、お前はゼファー家の将来を背負うことになったのだから、言葉遣いに気を付けなさい」

「はーい、お父様」


 悪口よりも言葉遣いを注意するとは……父は家のことばかりで少しも自分を庇ってくれない。分かりきっていたことだが、ディジネは一抹の寂しさを覚えたのだった。


ヒーローの名前と継母の名前を混同する凡ミスをしてしまったので、継母の名前を変更しています。変更前に読まれたみなさんごめんなさい。

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