『全世界平等宣言』
ある時、ある場所。「平等」が神聖視された国があった。
男女を区別するのは不平等である。
老若を区別するのは不平等である。
言語を区別するのは、職業を区別するのは、建物を区別するのは、個人を区別するのは、時刻を区別するのは、論理を区別するのは、物質を区別するのは、不平等である。
不平等であることは「不平等」であるが故に許されてはいけない。
不平等であることのみが、世界において区別されても許される許されざる所業である、と。
科学技術が発展したか、その区別すらも許されない理想的なまでに平等な国。
「──こんにちは」
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
その三つの表現は時刻を区別してしまうから。
区別は不平等であり、もしかすると今「夜」である人が傷付くかもしれないから。
だから、時刻を区切ることは差別であり不平等である。
故に、許されざる大罪である。
「はい。こんにちは」
「ごはんはなに」
「たまご」
今日の朝ごはん。
その言葉は時刻を二重で区切る言葉である。
今日が訪れることを望まない、ましてや悲しむ人までいるというのに「今」を今日と表現するのは、不平等である。
好物、その言葉も不平等である。
あなたが好きなものは、誰かの嫌いである。
あなたが嫌いなものは、誰かの好きである。
それ故に、あなたが喜べ/悲しめば、同じものに対して誰かが悲しむ/喜ぶ。
それはいずれ貧富の差となり大罪となり、人類の差別を助長する大罪である。
従って、世界を語るには事実以外の装飾は不要となる。
考察が、推察が、主観が入るということはそれ即ちあなた以外が考えられないことをあなたが考えたことになるのだから。
それはあなたとあなた以外とでの差別である。
故に、大罪である。不平等である。
「わたしはいく」
「にんしきする」
行ってきます、などという意思を提示してはいけない。
世界には望む場所に赴けない人もいるのだから。世界には行きたくても行けない人が大勢いるのだから。
そんな人々を無視して「行ってきます」などという意思を表明する言葉は紛れもない差別である。
故に不平等、故に大罪。許されざる罪となる。
わかった、などという主観を入れることは許されないことである。
向けられた言語、その全てを理解しているのか。
それを推し測る手段はなく、だというのに「わかった」などと言うのは発言者への侮辱であり区別であり、不平等である。
故に、大罪。
正しきは「認識」である。
その現象を、その言葉を認識したという事象は世界に対して紛れもない事実。
許される平等、望むべき平等、夢たる平和。
──平等の夢は加速する。或いは、不平等への不平等が加速する。
徒歩は罪である。
世界には徒歩を望めど叶わぬ人々がいるのだから。
交通機関の有料化は罪である。
世界には金銭を持っていない人々も数多いるのだから。
学ぶことは罪である。
世界には学べない人々がいるのだから。
あなたが目を開けることは罪である。
世界にはあなたの視界を共有出来ない人間がいるのだから不平等となる。
あなたが香りを味わうのは罪である。
世界にはあなたの感覚を共有出来ない人間がいるのだから不平等となる。
あなたが感じるその全ては罪である。
世界にはあなたと同じ経験を迎えられない人間がいるのだから。
あなたが死ぬことは罪である。
世界には死にたくとも死ねない人間がいるのだから。
──あなたが生きるのは罪である。
世界には、生きたくも生きれない人間がいるのだから。
世界には、生まれたくとも生まれられない人間がいるのだから。
──あなたの存在そのものが不平等である、差別である、許されざる大罪である。
世界には存在出来なかった数多のそれらがあるのだから。
そう。 夢の 平等は加速する。
或いは悪夢の不平等は加速する。
人類の存在が不平等である。
この国の存在が不平等である。
生命体が生存可能であるこの天体は不平等である。
────故に、この世界は大罪である。