第8話 勧誘
「いいだろう。この者は、野心のあるいい眼をしている。子供達のいい刺激にもなるだろう」
マーナのお許しが出た。これでカインも僕達の仲間だ。
「ハハー!ありがとうございますだ」
カインは仰々しく平伏していた。初めてマーナを見たときは僕も同じ気持ちだった。気高く美しく、そして強者の風格を持ち合わせているのだ。
「よかったね。いきなり来て大丈夫なの?家族とかにお別れはした?」
「ロキは、ゴブリンのことはまだまだ知らぬな。アイツらに血の繋がりは重要ではない。性欲や食欲といった己の欲求を満たすことだけが大事なのじゃ。 ワシは爪弾き者だった。悲しむ奴はいないだろうよ。
…いや、一人いたか」
最後の言葉は誰に宛ててもない呟きだった。
確かにカインは今まで会ったゴブリンの中でも異質だ。乱暴ではないし、知性を感じる。ゴブリンの集団の中にいたら浮いてしまうのかもしれない。集団は自分と違う者を拒む。僕も経験があるから分かる。動物の言葉が分かるこの特技のおかけで、いつも虐められてばかりだった。
「ゴブリンに未練はないが、ワシが集めた武器防具と道具がある。一度、取りに戻りたい」
「分かった。また虐められないように、ハティとついて行くよ」
「ウォン!」
「本当か!?助かるわい!」
「お主たちは、ここで待っててくれ」
カインの案内でたどり着いたのは、迷宮の壁に空いた小さな穴だった。子供一人分、ちょうどゴブリンが通れる大きさの穴だ。
「ちと、行ってくる」
カインが穴を潜ってから、一時間ほど経過しただろうか。何やら大勢の足音が聞こえてきた。物騒な声までする。
「すまん!ワシの見立てが甘かった!逃げるぞい!」
ひょっこりと顔を出したカインは先頭を走り出した。小柄な体に似つかわしくない大きな風呂敷を担いでいる。
「どうしたんだーーうわっ!!」
穴を覗き込むと、魑魅魍魎のごとく何十匹ものゴブリンが蠢いていた。出口が小さすぎて、つっかえてしまい手間取っているようだ。
「ハティ、逃げるよッ! カインを乗せて!殿は僕が!」
「ウォン!」
尻尾をカインの体に巻きつけると、そのまま背中の上へ持ち上げた。そして、走り出す。
「どわっ!ーー速い!こりゃええのう!」
この速さで撤退すれば、追いつかれないだろう。
「ぬ!? ワシごときに、ゴブリンライダーまで借り出してきた!こりゃまずい」
後ろを振り向いたカインは焦ったようにそう注意する。慌てたあまり背中から落ちそうなって、尻尾で支えられている。
「ゴブリンライダー?」
「ワイルドドッグに騎乗したゴブリンのエリート部隊じゃ!並のゴブリンの何倍も強いんじゃあ…」
「ハティがいれば怖くないよ」
「背中の荷物が無ければ負けない。これ、捨てていい?」
尻尾でチョンと、カインと大風呂敷をつつく。
「わー!勘弁してくれー!」
追手との距離が縮まっていく。判断するなら今だ。
「僕が時間をかせぐ」
走る速度を緩めると、後続からやってきたゴブリンライダーに囲まれた。ゴブリン五体に、ワイルドドッグが五匹。先頭を走るのがリーダーかな?腰に"短剣"を差している。ゴブリンが棍棒以外の武器を持つのは珍しい。
少なくとも刃を扱う技術と知能があるということだ。
「ゲヒ!裏切り者を渡セ!処刑すル!」
「「ゲヒャ、ゲヒャ!!」」
ゴブリンリーダーは、僕に短剣を突きつけて叫ぶ。お供のゴブリン達もそれに倣う。
「知り合った期間は短いけど、大事な仲間だ。お断りするよ」
ゆっくりと腰を落とす。
「シッ、シッ」
時間差をつけた両手からの投擲。ワイルドドッグには避けられた。しかし、本命は二投目。急制動によって、バランスを崩したゴブリンに見事命中した。しかも狙っていないけど、運良く喉に刺さっていた。これらは別れ際にカインから譲り受けたナイフだ。手元にあるナイフは残り二本。
「ギャッ!」
乗り手を失ったワイルドドッグはこちらを一瞥すると、怯えたように逃げていく。あと四つ。
僕を取り囲む包囲網は一角が失われた状態だ。立て直される前に引っ掻き回す。
疾駆する。重心は低く、地面を縫うように。
「よし、包囲網の外に出た」
僕は速さでは、スコルとハティには敵わない。でも、優れているところもある。
僕は速度を落とさず壁に突き当たると、そのまま切り立った壁を蹴り、登り始めた。両手に持つナイフを壁に突き立て、さらに登る。そして天井に手をかけた。頭上を取った。ゴブリン達は僕を見上げている形。
ここでワイルドドッグにナイフを投げるとどうなるか。両手に持っていたなけなしの二本のナイフを同時に投げた。標的は二匹のワイルドドッグ。一匹は頭に命中、絶命。もう一匹はお尻の辺りに突き刺さった。頭上を見上げることができない無防備に近いワイルドドッグは、急な痛みに突如走り出す。当然、その上の乗り手は尻餅をつけて投げ出された。
「狙い通りだ」
天井を蹴って、一直線に降り立った僕は続け様に二度、短剣を振り抜いた。その後ろで倒れる二体のゴブリン。ワイルドドッグの頭に残されたナイフを抜き、走り出した方に投擲、今度は頭に命中。
「あと、二つ」
短剣を逆手に構え、ゴブリンリーダーに向けて歩き出す。最初は格下だと思っていた相手から手痛い反撃を食らって、怒りと怯えが入り混じったような表情をしている。
「ゲハッ!お前は左だ。オレが右からだ。二人で同時にやるゾ」
「ゲヒャ!!コロス!」
やはりあのリーダーには知能がある。
「撤退するなら、命までは取らない」
知能があるなら、説得に応じてくれるかな?
「舐めるナ!!コロス!!」
「コロス!!」
かえって怒らせてしまったみたいだ。
逆手に短剣を構えた。向かい合い、一斉に走り出す。
『忍び足』
「消えタ!?」「!?」
右手で短剣を振る。そのまま勢いを殺さず半回転、反対側にいるゴブリンの心臓に突き立てた。
「ナ、ナンデ?」
ゴブリンリーダーはまだ息があるようだ。
「逃げるためにではなく、前に進むためにたくさん練習したんだ。その結果だよ」
かっこつけて言ってみたけど、成功してよかった。練習では失敗したらやり直しがきくけど、本番は一回きり。失敗したら代償は自分の命。やっぱり緊張したし、神経をすり減らした。それにこの技は、初見の相手になら有効かもしれないけど、ネタがバレたら二度目は通用しないだろう。初撃で倒し切る必要があった。
「ーーお前は、逃げられないゾ。もうすぐ…」
最後に不吉な言葉を残して死んだ。ワイルドドッグはいつの間にかどこかへ逃げていってしまった。ハティとカインに急いで追いつかないと。
「ーー見たカ?兄者よ」
「あぁ、見たゾ、弟よ。我らゴブリンは受けた屈辱は必ず返す。このままでは終わらせヌ。今日は引クが、お前が糞をしている間、飯を食っている間、寝ている間、一刻足りとも平穏はないと知れ」
物影から戦闘の一部始終を見ている者がいた。隠れるにはあまりにも巨大なゴブリンが二体。身長は子供の背丈を優に超え、大人よりも大きい。その身長に見合うだけの体格と筋肉。背中には大太刀。人間の図鑑を開けば、その者達はこう書かれている。
"ホブゴブリン"と。
ロキは軽視していた。ゴブリンの執拗なまでの執念深さを。
ゴブリンの本質は欲求に忠実なこと。さらに、あまり知られてはいないが、もう一つある。それは、その醜い容姿とは反比例する高い自尊心。この自尊心を傷つけられたゴブリンは地の果てまで追いかけて復讐を果たす。
こうして、デスレースの火蓋は放って落とされた。