第4話 hello world
寝巻きのまま飛び出したから、水や食料は持っていない。今手元にあるのは、森を進むからと持ってきた"枝打ち用のナタ"のみだ。それと、【盗賊】としてのスキル。正確に言えば、まだ盗賊でもない。【見習い盗賊】だ。
職業はすべて、零級と呼ばれる見習いから始まる。経験を積んで、天職の儀を行うことで上位の職へとランクアップしていく。そのランクアップには神殿に行く必要があると本には書いてあったけど、ここはダンジョン。天職は諦めよう。知恵と工夫で乗り切るんだ。
「えい、そら!」
練習のために、ナタを何度か振り回してみる。剣術を習ったことがない僕にとって、正しい型は分からない。今やってることが正解なのか不安になりながら、スムーズにナタを振れるように練習あるのみ。
一心不乱にナタを振り回した。不安な時は没頭することで気が紛れる。
目標は"安全地帯"。水も食料も持っていない僕が生き延びる可能性があるのは、そこしかない。毎階層に存在するという安全地帯を見つけるんだ。今ここが何階層かは分からないけど、この階層にもどこかにあるはずだ。
唯一の武器を握りしめ、壁伝いに進む。自身の足音が反響し、時折り振り返る。左足は痛むが、心労もひどい。常に気を張るからか。
ヒタヒタと、聞き慣れない足音がした。次の瞬間、突き当たりの曲がり角から二体の小さな人影が現れた。
「ーーゴブリンッ!」
「ニンゲン!」「ニンゲン、コロス」
やっぱり言葉が分かる。動物の時と同じだ。孤児院のみんなは分からなかったし、隠された盗賊のスキルなのかな?
ゴブリンーダンジョンの中で最も低級な魔物。身長は子供と同程度で、力も強くない。知能は低く、初めてダンジョンに足を踏み入れた冒険者にとっての練習相手のような魔物、と魔物図鑑には書いてあった。
でも…、実際に目の前に現れると、全然違う。一言で言えば、悪意の塊りだ。粗末な棍棒を振り回して、僕を殺そうと殺意が滲み出ている。
「フゥッ、フッ」
「キシャー!」「コロス、コロス!」
敵は二体。ナタを持つ手にじんわりと汗が滲む。まずは先手必勝。一撃で一体目を倒すぞ。
「まずい!」
「ギ、ヒャヒャ」
僕の渾身の一撃は粗末な棍棒に防がれる。余裕のある笑みを浮かべるゴブリン。
「ぬ、抜けない」
「ゲヒャヒャヒャ」
棍棒の半ばまでめり込んだナタ。押しても引いてもびくともしない。まるで不格好な綱引きだ。その間にも、ゴブリンの片割れが僕の後ろに回り込もうとしている。この狭い通路で挟みうちにされたら、おしまいだ。判断するなら素早く。
「あーもう!!最悪だ!」
僕はナタを思いっきり引っ張り、一呼吸置いて手放した。そこで拮抗を保っていた綱引きは、ゴブリンが大きく尻餅をつく形で幕を下ろす。
「ゲヒャ!?」
まさか武器を手放すとは思ってもみなかったのだろう。ゴブリンが面食らってるうちに、素早く反転。全力で逃げ出した。
「マテ! ニンゲン、ニゲルナ!」「ドウドウト、タタカエ!」
後ろからゴブリンが叫んでいる。魔物にこんな堂々と戦えなんて言われた冒険者は僕くらいだろう。正式に冒険者になれてはないけれど。
目の前の分岐を右に急カーブ。ここで僕が唯一使えるスキルを発動。
『忍び足』
走る速度を落とし、極力足音を立てないように慎重に走る。
「ドコダ! ミウシナッタ!」「ドッチニ、マガッタカ、ワカラナイ!」
ギャーギャーと騒ぎ立てるゴブリンの声を聞きながら、なるべく遠くへと進む。
「とりあえず、ここまで来れば大丈夫かな」
壁にもたれかかったままズルズルと座り込んだ。出だしは最悪だ。早々に唯一の武器を失ってしまった。得たものといえば、見習い盗賊が最初から持っているスキル、これがなかなか役に立つと分かったことのみ。
脇目も触れずに無我夢中で走ったから、ここがどこだか分からない。頭の中の地図も最初からやり直しだ。
立ち上がろうと、顔を上げた瞬間、目の前に毛むくじゃら。
「黒い、狼?」
子犬のような真っ黒い狼だ。目だけが赤い。暗闇の中で見たら、目だけが浮かんでそうだ。怪談のような映像を想像する。
「ガウ? オマエ、ニンゲン?」
僕が首をかしげると、真似してかしげる。手を上げると、同じように前足を上げる。面白くなってきた。魔物図鑑に載っていないから確証はないけど、たぶん子供だろう。未知の魔物でも、子供ならそんなに危険はないのかな?
「そうだよ。僕は、ロキ。よろしくね。君は一人なの? 名前は?」
「ーー!! ニンゲン、ハナス!ワカル! オラ、フレキ! トトサマ、アニサマ、イッショ!」
言葉が通じると分かると、小さな狼は興奮して飛び跳ねた。
「フレキ、かっこいい名前だね。お父さんとお兄さんがいるんだ。 僕、初めてこのダンジョンに入って迷っちゃったんだ。 君に聞くのも変だけど、魔物が近づけない場所って知らない?」
「オラ、ホメラレタ! チカヅケナイ、バショ! シッテル、ツイテコイ!ガウガウ!」
フレキは頭上を飛び越えて、歩き始めた。振り返って、僕が着いてくるのを待っている。どうしよう。着いていったら彼らの寝床に案内されて、そのまま食べられちゃうなんてことはないよね?そんな童話を読んだことがある。
迷っていたら、機会を逃すかもしれない。今より悪くはならないだろう。決心した。
フレキの後を着いて歩く。フレキは、左足を引きずって歩く速さに合わせてくれてるみたいだ。純粋に優しいのかもしれない。
「グルル」
フレキが何かを察知して唸ると前方からゴブリンが現れた。今度は三体だ。
「ゲヒャ!! "ヤツ"、ガ、デタ!? イヤ、コドモ、ダ」
「"ヤツ"、ガ、イナイ、イマナラ、タオセル?」
「タオス、コロス! ゲヒャ!」
「ガルルルル、ナメルナ」
フレキが後ろ足に力を込め、うずくまるように小さくなる。それを一気に解放すると、ゴブリン達との距離を一瞬でつめる。驚愕の表情をしているゴブリンに振るわれる鋭い爪。最初の一撃で、勝負は決まった。前足を一振りすると、先頭にいたゴブリンは致命傷を負う。そこからは、一方的な蹂躙だった。逃げ惑うゴブリンに追撃をする。
仲間の死体を盾に、最後の一匹はフレキから逃げ切るかと思われたその時、
「まだまだ甘い。ゴブリンごときに遅れをとるでないぞ。ましてや取り逃すなど、このガルムの子として恥を知れ」
巨大な漆黒の狼がゴブリンを取り押さえていた。悠然とたたずむその姿は、絶対的な強者を彷彿とさせる。その自信に裏付けされた強靭な肉体と、四肢に備わるは業物に匹敵するように研ぎ澄まされた爪。
「トトサマ!! ゴメンナサイ」
「ほら、練習だ。もう一度やってみなさい」
ゴブリンを解放すると、よろよろと立ち上がる。泣き出しそうな顔で必死に逃げだす。
「ワカッタ!! ウォーン」
遠吠えのように一声鳴くと、体を低く駆け出した。速い。あっという間にゴブリンに追いつくと、背後から無慈悲に爪を振り下ろした。
ガルムはその様子を目を細めて眺めていた。満足そうだ。
「ふむ。して、フレキよ。その後ろの人間はどうした? 非常食か?」
「コノ、ニンゲン、ハナシ、ワカル! マモノ、チカヅカナイ、オラノ、イエ、ツレテク」
「な!? えっと、初めまして、僕はロキと言います。フレキには、"安全地帯"に案内してもらおうとしてたんだけど…」
「この誇り高き我らを小間使いにするか!? 我の寝床なら並の魔物であれば恐れて近づかないだろう。 小僧、何が目的だ?」
「僕は、ただこのダンジョンで生き延びたいだけです! 今は武器もスキルもないから、安全な場所を探して、それから…」
「もうよい。我はお前みたいな奴は嫌いだ。ここは迷宮、力無き者は強者の糧に、弱き者は自然に淘汰されてきた。それがここでの真理」
「そんな…」
「お前に、一つ仕事をやろう。我が子、ゲリとフレキの狩りの相手を務めて欲しい。無論、獲物としてだがなぁ、ガハハハ」
「ーー僕は…!」
「トトサマ、カリ、シテイイノ?」
「ネドコ、モウイイカ?カリシタイ!」
「ああ、いいぞ。そら、始めだ。小僧、逃げなくていいのか? 迷宮で時間は貴重だぞ?」
「「ウォーン」」
「なんで、こんなことに」
僕は踵を返して、走り出した。足の痛みが襲ってくる。フレキの後について歩いていた時は、ここまで痛くはなかった。上手くいかない時に、疲労はまとめてやってくる。
『忍び足』
角をまがり、スキルを発動する。ゴブリンはこれで巻けたけど、通用するか?
「イナクナッタ!ゲリ、ドウスル?」
「ハナヲ、ツカエ。ニオイノ、ミチガ、デキテルダロ」
「ホントウダ!ガルガル!」
「ニガサナイゾ」
目標を見つけたように二匹の狼が物凄い速さで近づいてくる。
「ーーやっぱり効かないか。こうなれば、やけくそだ」
『忍び足』
『忍び足』
『忍び足』
スキルを連続で発動させながら、回り道、途中まで進んで引き換えしたり、撹乱のためにめちゃくちゃな動きをした。
「ム、ドッチダ。ムム、フタテニ、ワカレテ、オウゾ」
「ワカッタ、アニサマ」
分断には成功したようだ。あとは一対一でやり過ごせれば、助かるかも? ゲリ、兄狼が近くにいる。まだ居場所はバレていないが、早くここを離れないと時間の問題だ。
『忍び足』
「ソコダ」
背中に強い衝撃。気配を消す、その直前を狙われた。
慣性に従い、前方へ吹き飛ばされる。ダンジョンの壁に頭からぶち当たった。頭から流血。脳震盪のようだ、クラクラする。それに、気持ち悪い、吐きそうだ。
「オェッ。な、なんで…?」
「ケハイ、フシゼン。ニオイ、ノコッテル」
「気配と匂い?」
「今まで感じていた気配が急に消えるのは不自然だ。あと気配は消せても、その場に残る匂いは消せない」
「ガウガウ!」
父ガルムが、兄狼ゲリの通訳をする。そうか、匂いか。それに、スキルを多用しすぎた。僕のスキルは、ここぞと言う時に使うべきなんだ。
「ゲリの勝ちだ。好きにするがよい」
「ーーイタダキマス」
それから先は、思い出したくない。幸運なのは、早めに意識を失ったことと、五体満足で四肢が欠損しなかったことだ。無事にすんだ箇所を探す方が困難なくらいだけど。もしも意識を保っていたら痛みで狂っていたかもしれない。それだけの大怪我だった。
次に、意識を取り戻した時、目の前には、白銀の狼。どうやら僕は、狼に縁があるらしい。
「私は、マーナ。一応、お前の命の恩人だ。…人ではないがな、ククク」
「僕は、ロキ。ただのロキだ。助けてくれてありがとう」
「ほう。やはり言葉が分かるか。これは珍しい」
エメラルドグリーンに輝く瞳は、どこか優しい。その姿は凛として、媚びず、気高く、そして慈愛を感じる。
「人間、起きた?」
「チッ、死んでたら食おうと思ったのに」
マーナの背後から二匹の子供狼が現れた。
「こっちが、兄のスコル。ロキの近くにいるのが、弟のハティだ。感謝ならこの二人にしな。危うく死ぬ寸前だったよ、ククク」
この兄弟は、ガルムの子供狼よりも話すのが上手だ。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
「もしロキがよかったら、私達と暮らすか? 武器や防具も持たず、着の身着のままの姿で遭遇した人間はロキが初めてだ。大方、人間の世界からその身ひとつで逃げてきたんだろう?」
「ーー僕はッ!僕は! うああぁぁぁん」
昨夜あった一連の出来事を思い出し、目から涙が溢れる。気が緩んだところに優しくされて、気持ちが決壊してしまった。
「ほら、ポーションを飲め。まずは、体を癒すことだ。次に、飯だ。再び立ち上がるために、飯は食え」
マーナは口に咥えた瓶を放り投げた。放物線を描いて、僕の手に収まる。道具図鑑で見たことがある、青ポーションだ。確か青色は中級だったはず。決して安い物ではない。
「いいの? ありがとう」
煽るようにポーション流し込むと、怪我した箇所の治癒が活性化した。
「俺が集めた冒険者の道具、役に立ったでしょ?」
ハティは飛び跳ねている。末っ子だからか人懐っこい性格みたいだ。
「ハティの人間好きには困ってたが、珍しく役に立ったな、ガルル」
対してスコルは、皮肉を口にするが、さりげなく僕を思いやる行動をとっている。いわゆるツンデレというヤツか。
「僕を、ここに置いてください」
ペコリと頭を下げた。
「違うぞ、ロキよ。我々が再起を決意する時は、上を向くのだ。ウォーン」
「ーーはいッ! う、うぉーん」
見よう見まねで遠吠えをする。少し照れる。
「「ウォーン」」
ハティとスコルが僕に続いた。認められたってことかな?
もう下は向かない。誰よりも強くなる。僕の人生は、今日ここから始まるんだ。
「僕に、戦い方を教えてください」