第3話 逃避行
「孤児院が燃えてるぞ!」
「なんだって!? 水の魔術師は足りてるのか?」
「おい!こっちだ!ケガ人もいるぞ!」
深夜なのに騒がしい。孤児院の大火事で街が起き出したようだ。
「スヴィル!!」
大勢の人が行き交う通りで、ふらふらと寝巻き姿のまま彷徨うスヴィルを見つけた。
「ーー待てッ」
「よかった、逃げ出せたんだね!」
思わずミックからの制止を振り切り、スヴィルの元へ駆けつけた。声をかけると、ひどく怯えた様子で僕の顔を見上げた。
「ーーあ、ぁあ」
「スヴィル?」
震える手で、首から下げた笛に手を伸ばした。笛を吹くが、音は鳴らない。それよりも汗びっしょりだ。あの後、何が起きたんだろう。
「落ちてついて、何があったの?その笛は…?」
「おい!何やってんだ!! 奴らが集まってくるぞ!逃げるんだよ」
「に、げろ」
スヴィルは苦しそうな表情で、小さくそう呟いた。
「でも、スヴィルは」
「逃げられたら困るな」
背後から肩を掴まれた。ゆっくりと振り向くと、顔に傷のある男が一人、笑顔で待ち構えていた。
「路地裏に移動する前に、とりあえずこれ咥えようか」
布を、僕の口に無理やり押し込んだ。
「ほれ、挨拶がわりだ」
そして、なんの前触れもなく僕の太ももを"刺した"。
「ーーヴヴゥゥゥ!!」
口に当てられた布のお陰でくぐもった声が出る。冷や汗が止まらない。頭の芯に響くような痛みが断続的に押し寄せる。涙で視界がにじむ。
「ーーフギャア!!フーフー!」
「うおっ!なんだこのクソ猫!いててて」
スージーが男の顔に飛び乗った。その隙に僕の肩にミックが飛び移る。男の手が一瞬緩んだ。
「ーー今だ!」
「もが、もが」
布を吐き出し、左足を引きずりながら、人の流れと反対に進む。汗が止まらない。
「クソ猫が!しつこいんだよ!」
「ーーギャン!」
スージー!!…僕のために。どうか無事で。
「あのガキぃ、どこ行ったぁ!?」
「あそこの角を曲がれ! 次は、まっすぐ! その次は左だ! そこの物陰に隠れろ」
ミックの指示で僕は脇目もふらず一晩中、走り回った。布できつく縛ってはいるが、もう左足の感覚がない。もうすぐ夜が明ける。
「よくここまで逃げ回ったな。初めてにしちゃあ上出来だ。これで、最後だ。あそこに見張りがいるだろ? これからアイツに隙が出来る。そしたら全力で走り抜けろ。そして奥にある扉の先へ行くんだ」
「扉の先には、何があるの? あの扉の模様、本で見たことあるような…」
「そりゃあ、おめぇ、あの封印刻が刻まれた扉と言えば…、いや、孤児院の外は初めてだったな。あの先は、"ダンジョン"だ。ここは裏門みてぇなところだがな」
「あれが…ダンジョン」
「行ってからのお楽しみ、とは言わねぇ。生死を彷徨うことなんて一度や二度じゃ足りねえだろう。でも、お前さんならなんとかなるんじゃねぇかと俺は思うんだ。こんな逃げ道しか用事してやれなくて申し訳ねぇが…」
「ミック! 僕のために、本当にありがとう。スージーも…無事だといいんだけど。 僕やってみる。ダンジョンで強くなって、また戻ってくるよ」
「その粋だ。あばよ。お前のこと大好きだったぜ」
ミックは最後にそう言い残すと、見張りに向かって走り出した。
「ふぁ〜あ、街は騒がしいみたいだけど、ここは暇だなぁ。 交代までまだ時間あるな」
暇を持て余す見張りの衛兵。
ダンジョンへは正面にある立派な扉から出入りする冒険者が多い、というかほぼ全員がそうだ。正面の正門から入れば、毎度同じ部屋にたどり着く。一方で、裏門から入ると、ダンジョン内のどこに放り出されるかは誰にも予想できない。命知らずの一部の物好きを除いて、正門から入るのが一般的だろう。
そんな怠惰な彼の足元には一匹のネズミ。日中でさえ閑古鳥が鳴いているのに、今は早朝とはいえ日の出前だ。彼がネズミ一匹に気付かないのは、仕方ないだろう。
「いてててて!」
急に耳を押さえる衛兵。彼の耳には齧り付かれた跡。
(ありがとう、ミック! そして衛兵さん、ごめんなさい)
「子供!? ま、待て! いてててて!今度は鼻が!」
足を引きずり、関所を強引に突破する。後ろを振り向くと、衛兵の頭の上で飛び跳ねるミックの姿だった。
ミックはあんな小さな体で、本当にすごい。一呼吸して、扉に手をかけた。
扉を潜る瞬間、不思議な感覚を覚える。水中ではないのに、薄い膜のようなものを通り過ぎたような。
次は、異物が紛れ込んような違和感。キョロキョロと周りを見渡す。
空気はひんやりと少し肌寒い、それに洞窟の中だからか湿度が高い。少し薄暗いが、光源はある。苔が薄く発光していた。段々と目が慣れてきた。
洞窟の中で、違和感の正体を突き止める。異物は僕か。何者かの意識に触れた感覚。ダンジョンが僕に気づいた。地鳴りが聞こえたような、そんな気がした。




