Ⅲ-私の名前は供華 秦菜-
「クダラ……」
パソコン室から声が漏れこぼれていた。
「クダ……―――!!」
荒い息を整えながら頭を押さえつける零。
「夢、か……」
パソコン室に沙耶の姿は既になく、昼休みもとうの昔に終わっていた。
額の汗を手で拭うと、パソコンの電源を落とし教室に向かった。
教室からにぎやかな声が廊下に反響している。
「授業中だろ……? 静かにしろよ……」
後ろのドアから無言で入り、無言で自分の席に着く。
その間、不思議な事にクラス中の視線が零に集まった。
普段は目を反らすというのに。
「何だ……!?」
不思議に思い、黒板に目を向ける。
するとそこにはデカデカと零の名前がフルネームで記入してある。
その横に文化祭実行委員長と小さく記入してあり、どうやらクラスで誰がやるか話し合っていたようだった。
「と言う訳。驚いたかもしれないけど、零君が文化祭実行委員長だからね?」
零の目の前にいる女子生徒がこのクラスの学級委員長、供華 秦菜。
「勝手なことしやがって……委員長がやればいいだろ?」
零の目が大きく見開かれる。
「はい、黙る! 詳細はこのプリントに書かれてあるから!」
秦菜はそう言い、零の顔にプリントを叩きつける。
「あぁゴメン!」
そんなつもりは無かったと焦って謝りだす秦菜。
すかさず少しハゲかけている担任の安東先生がフォーローに入る。
「怒るなよ遠山。供華なりにお前がこのクラスに馴染んでもらえる様に推薦したんだよ」
秦菜はその話をして欲しくなかったのか、先生にあまり痛くもないパンチを浴びせる。
ただ1発の威力が弱いだけで、そのダメージが蓄積されれば痛いものである。
安東先生は病院送りになりそうな手前で秦菜の行動をどうにか止めた。
「分かったよ! だけど全ての権限は俺が持つ。それでもいいのか?」
秦菜はパッと満面に笑顔を浮かべる。
「難しいことは良く分かんないけど、やってくれるんだね!」
そこは分かってくれよとクラスの誰もが思った。
そしてクラスの中には喜ぶ者、陰口を叩く者と様々だった。
(こき使ってやるよ。どうせ誰もやりたくないから俺に押し付けたんだろ? 残念だけどお前らに楽なんてさせねぇよ)
それからの毎日、零は実行委員長という名の権限を使い、作業工程を見事に進めていた。
「木材はこの寸法で明日までに準備しとけ。お前等はこの箇所をそこの材料で設計図どおりに組み立てろ。いいな!?」
文化祭で作る物の設計図を零はパソコンで作成しており、それを元に皆に指示を送る。
時には飲み物を運ぶ作業、つまりパシリのような命令を出す事もあった。
しかし零のことが気に食わないのか、全くやる気を出さない者もいたことは言うまでもない。
「お前らやる気あんのか?」
そこに仲裁の為、秦菜が入る。
「零君もそんなこと言わないで? 貴方達ももっとしっかりやって!」
「そいつの言う事なんて聞けねぇーよ!」
「お前らが働かねぇなら作れねぇだろうが! 作るなら完璧な物作るんだよ!! 俺が他のクラスに敗北するなんてありえねぇんだよ!!!」
零の目が大きく見開かれる。
「自分勝手な奴だな……分かったよ、ちゃんとやるよ……やればいいんだろ!」
秦菜が胸を撫で下ろす。
「良かった、零君が実行委員長で……」
零は舌打ちをし、教室に1台だけ置いてあるパソコンの前に座った。
***
「明後日が文化祭かー、俺達のクラスってさ、よくこんなもん作ったよな!」
零のクラスメイトが、皆で作成した作品を眺めながらウットリとしている。
そこにクラスの女子が口をこぼす。
「ほんとそうだよね。これも全部零君が実行委員長をやってくれたからだよね」
零は照れ隠しなのか後ろ髪を掻きつつ廊下に出た。
「どこに行くの?」
零は振り向くこともせず秦菜の質問に答える。
「俺の安息の地……かな」
パソコン室に着くといつものように椅子を掻き集め、自分の寝床を作る零。
ここ数日文化祭の準備のせいで、パソコン室に来ることもままらなかったのだ。
久し振りにこの場所で眠りにつこうとした瞬間、零は誰かに呼び止められた。
「先輩、ちょっと見て欲しい物があるんですけど……」
その声の主は西島 沙耶だった。
彼女は休み時間を全て費やし、今日の、この日の為に頑張って来た。
それをとうとう愛しの人に見せる時が来たのだ。
しかし、零の返事はあっさりとしたものだった。
「ワリィ、今眠いからまた今度」
嘘だった。
ただ、めんどくさい事になるのが分かっていた零は避けたいだけだった。
沙耶が自分に好意を持っている事をなんとなく感じていた。
いつも休み時間にC言語で何を作っているかもなんとなくわかっていた。
けれども人と接触することによって、結局は何かに巻き込まれる。
自分も、他人も。
零は何にも巻き込まれたくは無かった。
或いは巻き込みたく無かったのか。
遠山 零という男は上下関係の中でしか生きていけない生き物だった。
平等の者が集まる場所では居心地が悪くなってしまう。
下のほうにいても居心地が悪い。
だからこそ他人の目を気にすることがない自由の地位である上に立っていたかった。
そうすれば誰も自分とは接触しようとはしない。
何にも巻き込まれる事は無いし、巻き込む事は無いと思っていたから。
そうならざる終えなかった。
しかし、ここ最近秦菜のせいによってそれが崩壊し掛けていた。
そして、追い討ちをかけるように沙耶の思い。
「見てくださいよ……先輩!」
「今度っつってんだろ!!」
涙声になる沙耶。
零は振り切るために寝た振りをする。
(これは俺の為でも、お前の為でもあるんだ……)
「先輩……先輩……なんで? 私がブスだから? 頭悪いから?」
ポツリポツリと滴がキーボードの上に流れていく。
「でも、見てくれたっていいじゃないですか……」
滴が徐々に赤黒く染まっていく。
「こんなことになるなら……」
沙耶の感情の揺れと共に、背後で再びあの赤黒い斑点が、宙で激しく増殖しあう。
「……こんな事になる位なら……優しくしないで下さいよォォォォオオォオオオオオ!!!!!!」
沙耶の叫び声と共に、学校が揺れた。
いや、学校というよりも大気が揺れ動いたといった方が正しい。
「何だ……地震?」
赤黒い斑点がまるで何かアクションを起すかのように、沙耶の背後をグルグルと四方に移動する。
異変、そして逸脱した何かに気づいた零は上半身を動かし、そっと沙耶の方を見た。
しかし時既に遅し、赤黒い斑点は沙耶の体を包み込んでいた。
「何だ……アレは――?」
沙耶の体は沙耶自身の体ではなくなっていた。
ソレを人と呼ぶには遠い存在。
見た事も無いそれは、ウサギの様に耳が長い黒くて巨大な非現実的な怪物に変貌していた。
「グゥゥゥウウゥゥウゥ……」
口からは白い息を吐き、零のみを見据えている。
「……せん……パイ……」
まだ沙耶の意識は残っていた。
そんな最中、パソコン室のドアが突然開けはなたれた。
「ヤッホー零……くん?」
ドアの向こうには供華 秦菜。
「どうしたの、そんなに身構えて? まさかさっきの地震――」
「来るな! アッチに行け!!」
視線を沙耶に戻し、帰るよう促す零。
「せっかく来たのに酷いなー、しかも話してる時に相手の目を見ないのは人として駄目だよ!それよりさぁ、もうすぐ―――」
「誰? …………ソノオンナ」
(やばい!!)
零はすかさず秦菜の元に飛び込む。
それと同時に沙耶の一部と化している赤黒い大きな手が伸びてきて零の体を掴んだ。
「きゃあぁぁああぁぁあぁぁああ!!」
状況を理解しきれない秦菜は悲鳴を上げる。
「センパイハ……ワタシノモノ……ダレニモ…………ワタサナイ!」
沙耶のもう片方の手が、秦菜の体を掴もうと伸びてくる。
しかし危機を感じた秦菜の本能が身体を動かした。
沙耶の手が幾つかのパソコンを粉砕する。
「零君を放しなさい! この化け物!!!」
間一髪として攻撃をかわした秦菜。
委員長としての正義感からなのか、零を助けるために怪物と化した沙耶に命令する。
「フルエテルクセニ、メザワリナ!」
再び沙耶の腕が秦菜を掴もうとする。
秦菜は再び本能で動こうとした。
しかし、それ以上に恐怖が勝った。
「ヒッ!」
恐怖が体を支配し、意識と反する行動をとる。
強者や異形の前で弱者は動けなくなるのだ。
存在感の違いにより。
「ツカマエタ……」
秦菜は目に涙を浮かべて言った。
「放して放して!」
「だから来るなって言っただろ!」
零が怒った様に秦菜を怒鳴る。
「だって……――!!!」
秦菜の体を力強く握り始めた沙耶。
「アアアァァァアアアアア!!」
「ったく、しょうがない!!」
息を大きく吸い込む零。
「I like Saya!!(好きだ沙耶!!)」
少しでも己のプライドを傷つけまいと英語で言った苦肉の策である告白で、沙耶の動きが止まった。
「センパイ、イマナンテ……」
「今度は聞き逃すなよ? I lik――」
零の言葉を遮る者が一人。
「そんな事言う必要ない! そんな必要無いよ零君!!」
沙耶の顔が秦菜に向けられる。
「アナタナニサマ?」
秦菜は苦しみながらもニヤリと笑う。
「私? 私はく……ウン、My name is kuge shinna!(私の名前は供華秦菜!)Did you understand it?(あなたに理解出来るかしら?)」
零の真似をして英語を使う秦菜。
それを尻目に、零はゆっくりとまぶたを閉じた。
秦菜の発言は沙耶の怒りのボルテージを上げるばかり。
「バカニシバカニシテ!! バカニシテェェェェエエェエエエエ!!!!」
雄叫びを上げた瞬間、学校中に異様なサイレン音が響き渡った。
「この音は……」
秦菜が零の顔を見つめる。
「零君!!」
零はゆっくりとまぶたを上げた。
左目に、小さく青白い魔方陣が浮かび上がらせて。
ゆっくりと唇の端を上げ、軽く見下すかのように言葉を吐き捨てる。
「コイツの処刑の音だ」
3-My name is kuge shinna! ― 終
キャラ紹介[第3話]
安東 光夫(49)-数学教師-
2年6組の担任。
気が強いわけでもなく、日々のストレスではげていく頭皮を心配している。
供華 秦菜(17)-高校生-
ニックネーム:秦菜
2年6組の学級委員長。
誰にでも優しく、天然で、一人独立している零を気に掛けている。