ゲー専講師谷口 ~その2~
「これ、今年のゼミ生のリストです」
スタッフルームの隅にある応接コーナーで、主任の前田が、谷口にゼミ生のリストを渡した。
前田は、学生時代に経営学を学んできたやり手のスタッフだ。彼が提案してきたいろいろなアイデアで、一時期、動脈硬化を起こしていた学校経営が順調になった。その業績もあってか、学校の親会社からの評価は高く、来年あたりに学校長になる噂も広まっている。
しかし、授業内容より経営を優先する彼のやり方に反感を持つスタッフや講師たちも少なくなく、それが原因で辞めていった者も多い。
そんな前田がここに入ってきて最初に実践したアイデアがゼミだ。
一般的にゼミというと、担当講師と学生がグループで研究活動を行うイメージがあるが、ここでは、就職率を上げる為の補完授業が主な目的だ。だから就活シーズンになるとゼミの講師独自の方法論で企業の一次審査用の企画書作成や、面接の練習などを行わせている。
「それで、ゼミなんですが、とりあえず今期をもって終了とさせていただきたいのですが」
「えっ、終了? もしかして、僕のゼミの生徒数が少ないからですか」
「いえいえ、とんでもない! 谷口先生も含めた全てのゼミです。つまり、カリキュラムからなくす、という意味です」
「そうですか……。しかし、急ですね」
「先生もご存知の通り、少子化の為に年々入学生の数が減ってきております。あと、若者たちのニーズも昔に比べて多様化してきているので、それに対応すべくカリキュラムを見直そうという動きになってきたんです」
谷口は(じゃあ、仕方ないな……)と素直に納得した。
谷口が講師になった七年前はゲーム業界はまだ家庭用ゲームが主流だった。しかし、その後、ソーシャルゲーム、スマホアプリゲーム等が現れ、ゲームメディアの環境が激変してきた。また、ゲームに対する若者たちの意識も変化し、既におじさんとなった谷口との意識との間にジェネレーションギャップも生まれていた。
どんなに時代や技術が変わろうが、人を楽しませる事の本質は変わらない。だから意味もなく生徒に合わせる必要はない――。
その信念のもとに今まで授業を続けてきた谷口だったが、理想だけでは学校運営が成り立たない事もよくわかっていた。だから前田のゼミ中止の提案に対して、特に大きな動揺もなかった。
「それでは、今年で最後となりますが、生徒たちをよろしくお願いいたします」
「わかりました。ちなみに、ゼミの代わりにどんな授業を予定されてるんですか」
「え? ……。そうですね……。それは今から考えます」
前田は椅子から立ち上がり、会釈して立ち去った。
(今から考える? ほんとかな。実は次の授業なんか初めから予定してなくて、ただ経費削減のために授業数を減らしたいだけなのかも……)
谷口は渡されたリストに目を通した。ゼミを希望する生徒数は五人。他の講師のゼミが二十人近くなのに比べると極端に少ない。
(例年どおりの人気のなさか……。まぁ、そんなもんだろう。他の若い講師に比べて、俺、かなりおっさんだし。講義内容もくそ真面目だし。まぁ、それでもそんな俺に期待してくれる生徒たちがいる事は、ありがたいことだよ)
谷口は椅子から立ち上がり、スタッフルームを見回した。忙しなくスタッフたちが働いている。生徒たちの対応をする者。電話で来年度の入学生の勧誘をする者。講師のクレームにおろおろしている者――。
谷口がここに来た時にいたスタッフは一人もいない。数年で全員入れ替わってしまった。
(スタッフも数年で辞めてくなぁ。ここは、生徒たちだけではなく、スタッフにとっても何かの専門学校みたいだよ……)
今年最初のゼミが始まった――。
教室のドアを開けると、五人の生徒たちが席に着いて待っていた。全員、期待と緊張が入り混じった表情で教壇に進む谷口を目で追った。
「谷口ゼミにようこそ。これから卒業までよろしく!」
「よろしくお願いします」
挨拶にちょっと元気がない。まぁ、こんなもんだろう。
谷口は一人一人の顔を確認しながら出欠をとった。
(おっ? あの生徒が来てる……)
その一番後ろの席に座った細身の女子生徒の名は、伊藤美恵子。
伊藤は今年で二十八歳。入学前は社会人として一般事務の仕事をやっていた。
谷口の授業では遅刻、欠席は一度もなく、授業態度もいたって真面目で課題もきちんとこなしてくる。ただ、年齢が他の生徒たちよりかなり上ということもあって、どうしても一人浮いている印象は否めない。
彼女が、なぜそんな年齢になって仕事を辞めてここに入学したのか、谷口はその理由を知らない。
普通に考えれば、その年齢のゲー専卒業生が業界に就職できるのは、よっぽど秀でた能力や技術を持っていない限り無理だという事は本人も予測がつくはずだ。ましてや社会人経験者。夢や理想がそう簡単にかなうはずがない世の現実もよくわかっていると思う。それでも入学したのは何故なのか。よっぽどの個人的な理由があったのだろうか。それとも、あまり考えたくはないが、異常なノルマを課せられた運営スタッフの勧誘の口車に乗せられたのだろうか。谷口はそれをゼミを通して訊き出そうと思った。
「僕のゼミは、幸いな事に人数が少ないので、マンツーマンで指導してゆこうと思います。他のゼミは人数が多くてたぶんできないと思うので、皆さん、ラッキーでしたね」
谷口の自虐的とも前向きともつかぬ冗談に、生徒たちが小さく笑った。
「では、今から皆さんの事をもっと良く知るために個人面談をしたいと思います。呼ばれた人は僕の席まで来てください。じゃあ、まず、赤塚くん!」
呼ばれた赤塚が「はい!」と元気な返事をして谷口の席へ向かった。
「まさか君が僕のゼミに来てくれるとは思わなかったよ。なんで?」
赤塚修一、十八歳。
彼は同学年の生徒たちの中でトップクラスの成績優秀な生徒だ。性格も明るく積極的で、どう考えても地味な谷口のゼミには似合わない。
「前から谷口さんの考え方に興味を持ってたんです」
「考え方?」
「正直言って、他の講師が言われる事は本やネットでよく見かける情報ばかりで……。それはそれで分かりやすくて良いんですが、でも、僕はもっと深い事が知りたくて……。それで谷口さんの仰る事に興味を持ったんです。だって『面白さの本質』とか哲学的な事を教える講師って、他にいませんよ」
生真面目に言う赤塚を見ながら、谷口はふと昔似たような生徒がいた事を思い出した。
その生徒も赤塚のように成績優秀だった。高卒だったが大学で学んでもいいくらい頭脳明晰で、知識欲も旺盛だった。運営スタッフも同級生たちも、彼が一番最初に就活に成功するだろうと信じて疑わなかった。
しかし、その生徒は失敗した。就職を希望していたゲーム会社に一社も入れなかったのだ。
その原因は意外だった――。個性が強過ぎたのだ。
彼は自分のゲームに対するしっかりとした考え方を持っていた。それも『ゲームおたく』的な偏狭なものではなく、まるで大学生のようなアカデミックなものだった。あと頑固過ぎた。自分の信念に忠実過ぎて、相手に合わせるという事が苦手だったのだ。だから、よく同級生と激論をかわしては論破していた。
その個性が--面接の時に人事担当から読まれて、『自己主張の強い理屈っぽい奴』という悪い印象を与えてしまったようなのだ。
何より協調を重視するゲーム開発現場において、そのような性格のスタッフは周りから敬遠される。それが新人なら尚更だ。
新人は白紙のようにまっさらな方がいい。その方が会社の考え方や方法論に染まり易く、ゲーム開発の現場で扱いやすくなるからだ。どんなに素が優秀な人間でも、必ずしも優秀な開発スタッフになれるとは限らない。
結局、その生徒はゲーム業界ではなく、ゲームのノウハウを欲していたパチンコ業界に就職した。そして数年勤めた後、業界から去っていった。
谷口は赤塚を面談しながら、その生徒の二の舞にならないように、これからの指導方法を考えていた。
「次、伊藤さん!」
赤塚の面談が終わり、呼ばれた伊藤美恵子が小声で「はい」と答え、立ち上がった。
~つづく~