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もうひとつのゲーム業界物語  作者: 平野文鳥
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ドラゴン&ファンタジー狂想曲 ~その5〜

 ドラゴン&ファンタジー3の発売初日から二週間後――。

 予約分の二百五十万本がすべてのユーザーに行き渡ると、ドラファン3の異常な過熱ぶりも一段落した。発売初日のトラブルで行政の指導を受けた各小売店やフェニックス社も二度とそのようなことが起こらないように、発売日を平日から土曜に変更したり整理券を発行するなどして対処していた。

 そんなある日のこと――。


「私たちは、日本の国体を考える『正しい日本の会』であります! 私たちは、株式会社フェニックスが発売したゲームソフト、ドラゴン&ファンタージ3における青少年、および社会に与えた影響について深く憂慮するものであります!」


 突然、外から聞こえてきた大声に、社員全員が何事かと一斉に窓際に集まった。そして、眼下の道路を見て全員が息を飲んだ。そこにはアジ演説をスピーカーから流している一台の白塗りの車が停まっていた。俗にいう右翼の街宣車だ。


「ゲームを求める為に学校をさぼる生徒児童! 学生による強奪事件! 整理券も発行せず徹夜で並ばされる青少年たち! そのような現象が起こることは予想するに難くなかったのにもかかわらず、特に対策も立てず、自分たちの利益の為に販売に至ったフェニックス社の行為は批判に値するものと我々は考えます!」


 アジ演説を聞いた街ゆく人々が次々と足を止め、フェニックスが入っているビルを見上げた。窓際に並んでいた社員たち全員がその視線から逃れようと慌ててそこから離れた。


「課長。こりゃやばいですね。警察に通報しますか?」


 不安げな顔の坂下が持田に訊いた。


「いや、それはダメだ」

「え? なぜですか」

「街宣車による活動は法律で保証されてるんだ。表現の自由として。だから何人も彼らの活動を妨げることは許されないんだよ。それにスピーカーの音も条例に触れるほどの大音量でもないみたいだし。もし通報して警察が来たら、かなり面倒くさいことになるよ」

「でも、どう考えてもあれは嫌がらせですよ」

「仕方がないよ……。気が済むまで言わせておくしかないよ」

「目的は金なんですかね?」

「さあ、どうなんだろ? あの手の人たちにもいろんなタイプがいるからなぁ……」


 坂下は納得できない表情で窓際まで近づき、眼下の街宣車を見た。車はよく見かける右翼の大型バスではなく、白塗りされた普通のワンボックスカーで側面には赤い文字で『正しい日本の会』と書かれてあった。


「よく見たら、ずいぶんこじんまりとした街宣車だなぁ……」


 そうつぶやく坂下の横に持田が寄り、その肩をポンと叩いた。


「もう、いいだろ。さあ、みんな仕事に戻って戻って!」


 社員全員が席に戻り仕事の続きを始めた。しかし、街宣車の声が気になるのか、社員のほとんどが窓の方をちらちら見て仕事に集中していなかった。それからアジ演説は十分ほど続いた。


「いつまでやってるのかな」


 うんざりした顔で持田がそう思った時、演説がぴたりと止んだ。


「ん? 帰ったのかな」


 気になった持田が窓から覗いてみると相変わらず街宣車は停まっている。


「突然の訪問の無礼をお許し願いた~い!」


 突然、野太い声が聞こえた。それは外からではなくビルの廊下からだった。どうやら声の主はフェニックスの玄関前にいるようだ。


「私は『正しい日本の会』代表、山本義三郎であ~る! 株式会社フェニックスの代表取締役様に一言意見を申したく面会をお願いした~い!」


 企画室内に緊張が走った。まさか会社にまでやってくるとは思ってなかったからだ。坂下が少し震える声で持田に言った。


「課長、まじやばいですよ。これは警察に通報したほうが……」

「だからダメだって。相手は何もしてないんだから」

「でも、みんな怖がってますよ」


 持田が社員全員を見回すと、どの顔も青ざめて仕事どころの話ではない。


「わかった。僕が応対する。もし相手が不法な行為をしたらすぐに通報してくれ」


 持田が覚悟を決めた表情で玄関へ向かおうとしたその時、企画室のドアが開き、スーツを身にまとった男が入ってきた。


「専務!?」


 全員が驚いて声をあげた。男は専務でドラファンのプロデューサーの万田かずただった。万田は企画室から出てゆこうとしていた持田を手で制した。


「君はいい。僕が応対する。君たちは仕事を続けてくれ」


 やはり皆と同じように緊張していたのだろうか。万田の額にはうっすらと汗がにじんでいた。


「もしなんかあったら、その時はよろしく頼む」


 万田は無表情でそう言い、まるで決死の覚悟で戦場に赴く兵士のように体を強張らせて玄関へと向かって行った。

 玄関に着いた万田は外に立っていた男を見て息を飲んだ。男は顎髭を生やしたスキンヘッドの大男で、高級そうな銀縁眼鏡とスーツを身にまとっていた。年齢は六十過ぎぐらいと思われ、顔に深く刻まれたたくさんの皺と、わずかに残る傷跡が男の生きざまを物語っていた。

 万田が玄関のドアを開け男に中へ入るように促すと、男は「お邪魔する!」と一礼して中に入った。そして二人は名刺交換を始めた。


「突然の訪問の無礼をお許し願いたい。私は『正しい日本の会』代表の山本義三郎という者である」

「初めまして。私はフェニックスの専務の万田と申します。本日は代表取締役の嶋田が出張不在の為、代わって私がご対応させていただきます」

「なるほど……。わかりました」

「では、こちらの方へ」


 万田は山本を応接室へ連れて行った。



 それから三十分たった――。

 その間、フェニックス社員全員は仕事に身が入らなかった。相手が相手だ。万田に万が一のことがあったらと気が気でなかったからだ。


 さらに三十分たった――。

 企画室の社員がざわつき始めた。坂下が課長の持田にささやく。


「長すぎませんか……。まさかやばい状況になってるんじゃないでしょうね」

「確かに気になるね。でも、相手を脅すような大声は聞こえてこないし……。ちょっと応接室の前まで行って盗み聞ぎしてこようかな」

「だったら僕も行きます」


 持田と坂下が意を決して応接室へ向かうとしたその時、突然廊下から大きな笑い声が聞こえた。驚いた社員全員が一斉に廊下の方を向き、聞き耳を立てた。


「わ~っはっはっは! いやあ、あなたはまれに見る誠実なお方だ!」


 その大声の主は山本だった。すこぶる機嫌が良さそうだ。


「御社のあの件に対する深い反省と、これからの社会に対する姿勢、そして日本の青少年に対する熱い想い、しかと受け取りましたぞ! それでは、私はこれにて。お邪魔した!」


 その声を最後に廊下は静かになった。


「どうやら、帰ったみたいだね」


 持田がそう言うと社員全員が一斉に窓際に向かい下を覗いた。ビルの前から走り去ってゆく街宣車の後ろ姿が見えた。


「ふ~、疲れた~……」


 企画室のドアが開き万田がネクタイを緩めながら入ってきた。その顔は一時間前とは別人のようにやつれきっていた。


「お疲れさまでした! 専務」

 

 持田がねぎらいの言葉をかけると、残りの社員全員も同様に声をかけた。


「いやあ~、死ぬかと思ったよ……」


 万田が脱力したように自席の椅子に深々と腰を沈めると、すぐさま持田が前に駆け寄った。


「何事もなかったんですか?」

「ああ……。とにかくこちらの考えを誠心誠意で話したら、やっと理解してもらえたよ」


 坂下が訊いた。


「金を払えとは言われなかったんですか?」

「それはない。もしそう言ったら恐喝になるからね」


 坂下は本当だろうかと、少し懐疑的な表情を見せた。


「なに疑ってるんだよ。本当にそうなんだから。さっきの山本という人は金が目当てではなかった。純粋に社会正義とこの国の将来を真剣に想う、今時珍しい真面目な思想家だったよ。ただ、彼の思想を一時間近くも聞かされたのには、まいったけど……」

「本当ですか? 金を払えとは言わなかったけど、誠意をしめせ、とか言われませんでしたか?」


 万田の表情が一瞬険しくなった。


「坂下君。君は漫画の読み過ぎだよ……。あと、これは会社の問題だ。社員の君はあれこれ詮索せずに業務に集中してくれ。皆もだ。さっきの件はこれで終わりだ」


 万田は全員にそう指示すると、椅子から腰をあげ企画室から出て行った。その表情は何故か不愉快そうだった――。




 その夜、万田は米村と坂下とを馴染みの居酒屋に誘った。昼間の精神的疲労を癒す為に一杯飲みたかったのだ。


「専務、今日はお疲れさまでした!」


 米村の音頭で三人は冷えたビールで乾杯をした。万田はジョッキのビールをぐいぐいと喉に流し込んだ。


「く~、うまい! 今日のビールはいつもと違って五臓六腑に染み渡るよ」


 破顔させてしみじみと言う万田に米村と坂下が笑った。


「ところで、専務。今日の件ですが――」

「いや、その話はもういいから」


 万田は坂下の質問に眉根を寄せた。自分の無粋な質問に気づいた坂下が「すみません」と謝ってビールをあおると、米村が場の空気を変えようと話題を振った。


「専務。以前から御聞きしたかったことがあるんですが」

「なんだね」

「ニュースで、ドラフォー3を欲しがる人たちの長い行列を見て、どんな気持ちでしたか」

「気持ち? それは言葉ではうまく言えないなぁ……。とにかくあれを見たときは嬉しいというよりも、まず背筋がぞくぞく~ってしたね」

「背筋がぞくぞく~? それって鳥肌が立つような感じですか」

「う~ん、そういうんでもないんだよなぁ……」


 米村は万田のような成功者にしか味わえない特別な感情に強い好奇心を持った。そして自分もいつかドラファンのような大ヒットゲームを作り、そのような感情を体験したいと思った。と同時に、そのような成功体験はいくら頑張っても『運』に恵まれた特別な人間にしかできないんだろうという半分諦めの気持ちもあった。

 その後、三人は世間話に花を咲かせた。酒も進み、かなり酔った坂下が万田に訊いた。


「専務、話は変わりますが、RPGロールプレイングゲームって、役割を演じるゲームって意味ですよね」

「ああ、そうだが」

「で、僕は思うんですよ。役割を演じるっていったら、この世の中、すべての人間はRPGをやってるんじゃないかと。つまりですね、僕で例えるなら、昼間は会社員という役割を演じ、あと、家に帰れば夫や父という役割を演じるみたいな」


 米村が酔いで少し赤くなった目を丸くした。


「へえ~。坂下さん、面白いこと言いますね。確かに、僕も含めてこの社会に生きる人たちはみんな、各々の役割を持って、それを一生懸命演じているのかもしれませんね」


 万田が目を細めた。


「演じているか……。なるほどね。たしかにそうかもしれんね。僕もこの会社の専務という役割をよくわかっていたから、今日の昼間のようなことができたのかも。相手も相手で自分の役割がよくわかっていたから、あんな格好や言動をしていたのかもね。でも、その役割から離れたら、素の自分にもどって、ぼんやりとしているのかもしれないなぁ。今の僕のように……」


 坂下が赤ら顔でつっこんだ。


「確かに、専務と飲むと、いつも普通のおじさんと飲んでる感じしかしませんからね」

「普通のおじさん? う~ん、その通りかもなぁ。仕事が終わったら僕はただのおじさんだから」


 万田は苦笑しながら徳利の日本酒を手酌した。米村はその会話を聞きながら考え込んだ。


(自分の場合はどうなんだろ? 役割を演じてない自分っていったい何者なんだろ? ただの青年? ただの青年ってなんだ? もしかしたら『ただの青年』も役割なのかな? 役割を演じてない自分っているのかな? いかん、頭が混乱してきた……)


 酔っているのに難しい事を考え過ぎた米村は、そのせいでますます酔いが回り、呂律も回らなくなってきた。それに気づいた万田が「じゃあ、そろそろおひらきにしますか」と言って店員に会計をお願いした。


 店を出た三人は軽く別れの挨拶を交わしてそれぞれ別の方向へ去って行った。

 米村は酔いを醒ますために自販機で買った冷えたコーヒー缶を火照った頬にあてた。そして何気に空を見上げると都会の明かりで霞んだ夜空の中に、一個だけ輝く星を見つけた。


(あんなに夜空は広いのに、見える星はたった1個か……。まるであの星はドラファンみたいだなぁ……)


 米村はそろそろ終わりに近づいたドラファン狂騒曲そうどうにほっとしつつも、どこか寂しさも感じていた。





「米村くん!」


 デモ画面が流れるディスプレイの前に立ち、三十年前の事を懐かしんでいた米村は、突然自分を呼ぶ声で我に戻った。


「あれ? 坂下さん。どうしたんですか」

「君との打ち合わせ場所へ行こうとこの店の横を歩いてたら懐かしい曲が聞こえてきたので、ちょっと覗いてみたんだ。まさか、君もいただなんて。お互い三十年たってもドラファンの呪縛から抜けきれないのかね」


 坂下は苦笑しながらデモ画面を覗き込んだ。

 彼は25年前にフェニックスを退社した後、漫画専門の出版社を起業した。経営はヒット作品に恵まれたおかげで順風満帆だ。二人はデモ画面の前で軽く談笑し、そして打ち合わせの喫茶店へと向かった。


「坂下さん。ドラファン3のこと覚えてますか」

「ドラファン3のこと? 覚えてるけど、どうしたの、突然」

「いえ、ちょっと思い出して……」

「忘れたくても忘れられないよ」

「あの大騒ぎはなんだったんでしょうね?」


 坂下は米村の問いに腕を組んでしばらく沈黙した後、口を開いた。


「たぶん、時代が求めていたんだろうね」

「えっ?」

「現実世界で役割を演じ続けることに疲れた多くの人たちが、その現実から一時逃れるために、あのゲームを選んだんだろうと僕は思ってる。あれは皆んなが子供の頃によくやってた『ごっこ遊び』だからね」

「ごっこ遊び……ですか」

「そう。あの楽しかった日々にもう一度戻るために」

「……」


 二人の姿が雑踏の中に消えていった――。

 冬を迎えた街はあの時のドラファン3の狂騒曲そうどうが始まる前の冬にどこか似ていた。




 ~『ドラゴン&ファンタジー狂想曲』おわり~

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