ヒーローの正体は悪役令嬢〜命をかけても主人公(あなた)を守ります〜
彼女に危機が訪れると、昔から右手が疼いた。
例えばそれは彼女に変な男の魔の手が現れた時、例えば彼女が不意に入った森で魔物に襲われた時、例えば彼女が崖から落ちかけた時。
生まれた時から時折疼く右手に違和感を持ち、医者にかかっても異常は無し。
永遠にこれと付き合わなきゃいけないのかと、ため息をつきかけた頃、親の紹介で彼女と出会ったのだ。
自分の家と太古から深い関わりがある家の令嬢。
家柄は格下であり、父と母は傲慢な態度を取っていたが、祖父は最後まで愛おしそうな目で彼らの事を見つめていた。
そしてその家の愛娘に出会った時、私は直感で、もしくは本能的に、それを悟ってしまう。
『あぁ、私はこの方を守る為に生まれてきたのだ』と。
私はすぐに祖父の元へ走った。あの微笑みが私のそれに関係があると確信したからだ。
『お爺様!お爺様は右手が疼いたりしない!?』
そう言うと、祖父はにこりと『若い頃の話だよ』と笑った。
祖父の話では、あの一族は聖女の末裔であり、我が家はそれに仕える一族だったらしい。
長い時を経て、力関係が逆転し、今に至るようだが本質は変わらない。
聖女の素質があるものが生まれると同時に、我が家にはそれを守る為の生贄が生まれてくる仕組みになっているようだ。
だが、その仕組みと言えば、聖女に危険があれば右手に強い痛みが走るだけ。
聖女は短命で、他人の怪我や病気を治せる代わりに、死を引き寄せる性質がある。
そして私たちは彼女らさえ死にさえすれば右手の痛みは生涯治る。
だから放置する者も少なくなかったらしい。
だって放っておけば治るのだから。
だが祖父は違った。祖父の代の聖女は酷く優しい方で度々なる危険による痛みで夜も眠れず祖父はとうとう根負けして聖女を守るようになったらしい。
聖女はそんな祖父に好意を持つようになったようだが、それは別の話だ。
そしてその話を聞いて、放っておける私でもなかった。
『だって私が守らなきゃあの子は近々死んじゃうかもしれないって事でしょ?』
『そうなるな』
『だったら私強くなってあの子を守るわ。お爺様、私に稽古をつけて頂戴』
『人生を捨てることになるぞ』
『夢見が悪いのは御免なだけよ』
ナイト様になるつもりはなかった。
ただ、最初は痛みが無くなる恐怖ーーつまりは人が死んだ事を自覚する事ーーからだった。
だが、それは彼女。マリアと関わっていくうちに変わっていく。
『きゃあ!』
『ひっ……!』
『誰か……!』
(この子、本当に誰かそばにいないとダメだ……)
右へ歩けば暴漢にあたり、左へ歩けば魔物に襲われる。毎日が厄日な彼女に、私は若干の同情心を持つようになる。
だが、そんな彼女と友達になって自ら厄介の中心になるつもりもない。
あくまで自分は彼女を守る「システム」で良いのだ。
だから私は、表はマリアを虐める最悪令嬢、裏ではボロ布と仮面を身にまといマリアを守る「システム」としてこの十年動いてきた。
今年でマリアも私も十六歳。
「学園」に入学する時期になった。
マリアは美しく育った。
これから仕事はさらに増える事だろう。
「きゃっ!」
「あら、ごめんなさい。マリア嬢?壁と同化し過ぎて気がつかなかったわ?」
「ライナ様にぶつかるなんて不敬よ!謝りなさいよ!」
「そうよ!相手は誰だと思ってるの?!学園を仕切る生徒会副会長、ライナ・エドワード様よ!」
取り巻き達がやいのやいのと騒ぎ出す。
家の付き合いで側に置いているが、出来れば距離を置きたい。彼女達がマリアを虐めると右手が疼き出すのだ。
逆に私がマリアを虐めているときは疼かないのだから不思議なシステムだ。
「ご、ごめんなさい……」
「それで済むと思ってるの?!」
「土下座しなさいよ」
そこまですると痛みがひどくなるので、私は自然にマリアに笑いかける。
「私もそこまで鬼ではないわ。以後気をつけるように」
「ライナ様……!」
「なんてお優しい……っ!」
とんだマッチポンプだ。だが、まさか。
「ハァッ!」
「ぐぁっ……!」
マリアを恒常的に虐めている令嬢が、彼女に手を出そうとする男どもに制裁を加えるヒーローだとは誰も思わないだろう。
私が顎を蹴り上げた男は、不細工な顔をさらに不細工にし地面にのびた。
今月でもう八回目だ。蹴り技にドレスは向かないので、私のドレスは上と下が分かれている特別製になっている。下には動きやすいように伸縮性のあるパンツを履いている。淑女としてのプライドはとうに捨てた。
「大丈夫?」
乱暴されかけ乱れた服装の彼女に手を差し出すと、マリアはぼぉっとした顔で私の仮面を見つめてくる。
「はい……。いつもありがとうございます……」
「これが僕の仕事だから」
マリアには私が少年に見えているはずだ。幸いにして声は女にしては低く、少年に聞こえなくはない。身長も高いので、きっとマリアは私のことを「僕」という少年だと思っているだろう。
「それじゃ……」
「待ってください!お名前だけでも……!」
私は何も言わずに去っていく。これを十年も続けていると、マリアも何も言ってこない。
出来ればマリアと関わりたくない。別次元の存在のまま。その生涯を終えて欲しい。
私はそう思いながら、今日も右手の疼きと戦うのだ。
私には王子様がいる。
危ない時になればいつも助けてくれる私だけの王子様。どんな時も駆けつけてくれて、私の事だけを守ってくれる私の愛しい人。
「きゃっ!」
学園の廊下を歩いていると、いきなり肩に衝撃が走った。どうやら誰かにぶつかってしまったらしい。
尻餅をついた私が顔を上げると、そこにはライナ・エドワード様が私を豚を見るような目で見下ろしていた。
「あら、ごめんなさい。マリア嬢?壁と同化し過ぎて気がつかなかったわ?」
かの令嬢は明らかな嫌味を飛ばして私の身体に触れた部分を手袋をした右手で払った。
私の胸からわなわなと熱いものが込み上げてくる。
それは悔しさでも憎らしさでもなく。
(ありがとうございます!ライナ様っっ!)
むしろ快感、だった。
私、マリア・リグレッドの本名は花咲かなえと言う。
だがそれは現実世界の話。
花咲かなえは、もういない。
通り魔に刺されて死んでしまった私は、有給を使って最後に遊んだゲーム『シークレットブルーム』の世界に転生してしまったのだ。
『シークレットブルーム』は18禁乙女ゲーム。
そして乙女ゲーム界の大問題作でもある。
途中までは普通の乙女ゲーム、だが、なんと共通ルート全解放でプレイできるようになるキャラクター、共通ルートの全てで自分を守ってくれていた『仮面の少年』の正体が、自分を虐めていた悪役令嬢、ライナだと言うことが明かされるのだ。
18禁乙女ゲームの隠しルートが、まさかの百合ーー……界隈では地雷ゲーだとかなりの話題になったが、ドMの百合豚の私にとっては神ゲーとしか思えなかった。ライナ様ルートは十周はした。
そしてなんの因果か私はマリア・リグレッドとして生を受けてしまう。
マリアは二十歳になる前に死ぬ運命だ。
それは何周もプレイしたから理解していた。
今世も短命なんてーー……私は物心ついた時、自分の運命に絶望したが、幼いライナ様との顔合わせの時、全てが吹っ切れたのだ。
(なんてお可愛らしい!!!!!スチルでめちゃくちゃ見たけど実物可愛すぎて無理か?!!!)
この子が全ルートで私を守ってくれるなんて、世界、優しすぎる。
絶対にライナ様ルートに入りたい。
だが、ライナ様ルートは真ルート。
全ての攻略対象をプレイしないと解放できない。
どうしたものかーー……私は考えた。
そして閃いた。話を「改変」する。
ストーリーブレイク。全ての攻略対象を避け、イベントを無視。ライナ様だけに一点集中する。
幸いライナ様のハッピーエンドの選択肢は全て暗記している。
いけるーー……私は確信を持って学園に入学した。
「ライナ様にぶつかるなんて不敬よ!謝りなさいよ!」
「そうよ!相手は誰だと思ってるの?!学園を仕切る生徒会副会長、ライナ・エドワード様よ!」
有象無象の声なんて聞こえない。ライナ様だけにむけて、きゅるきゅると可愛らしい声でか細く謝る。
「ご、ごめんなさい……」
「それで済むと思ってるの?!」
「土下座しなさいよ」
もちろんさせていただきます!むしろご褒美です!
だがここで土下座するのは「ライナルートのマリア」のすることではない。
ここで土下座しようとすると、エドワード家と対立している生徒会長が湧いて出てくるので、私は涙を溢しかけるフリをして(この時私はライナルートのエンディングの尊さを噛み締めて涙を作った)ドレスの裾をギュッと掴んだ。
そうすると、悪役令嬢の「フリ」をしているライナが腕の痛みに呼応して、声をかけてくれる。
「私もそこまで鬼ではないわ。以後気をつけるように」
「ライナ様……!」
「なんてお優しい……っ!」
わかる〜!!!!!そう、ライナ様は基本的にお優しい方なのだ。
マリアを救う理由も「夢見が悪いから」だと言うが、本当は「人が死ぬのを知るのが怖いから」だし、イジメだって大きいことはしてこない。精々こうして嫌味を言う程度で、周りが調子に乗り出すと諌めてくれる。
正体がバレたくないのはマリアの側にいると色々巻き込まれて厄介だから、という理由だけど、毎回自分が傷を負ってでもなんだかんだ助けてくれるし、ライナルートで紆余曲折あり「貴方を失いたくない」と言ってくれる。ちなみにそのボイスは保存してめちゃくちゃ聞いた。
どの攻略対象よりもかっこいいのに女と言う事でスレは荒れに荒れたが、私はライナ様が男だったらこんなに好きになっていないだろう。
女の子で令嬢で、争い事なんて好きじゃないはずなのに、マリアの為に剣の扱い方を覚えてくれた。体術を覚えてくれた。大きな怪我をしても、反撃されても、泣き言を言わなかった。
両親はそんな淑女らしくないライナ様を疎んだが、ライナ様はそれでもマリアを守る事を辞めなかった。
そんなライナ様を私は素敵だと思う。
いや、私だけじゃない。プレイヤー全てがライナ様の虜になってしまったのだ。
だからスレも立ったし荒れに荒れた。
これがおまけルートみたいなものだったらそこまでプレイヤーの怒りを買わなかっただろう。
私はライナ様が好きだ。愛してる。
だからーー……
「ーーーッ!」
「リグレッド嬢が大人しいってのは本当だったようだなあ」
「何しても文句言わないんじゃね?」
「おもしれ〜!どこまでやる?」
顔の造形も確かでないクソモブ共に襲われても全然大丈夫だ。なんなら余裕まである。
「そりゃ最後までっしょ!」
そんなこと私に言っていいのかしら。
口を開けば最後。
「何をしているのかな?」
ほら、私の王子様が!
「なんだこのガキ……ッ、ガ、は……!」
まずは一人、鳩尾に肘鉄を打ち付けよろめかせる。得意の足技で蹴り払い男は遠くの壁に向かって吹っ飛んでいった。
「てめ、よくも……!」
そう言って襲いかかってきた男はそのまま勢いをいなすように背負い投げする。
一本。受け身もとらずに食らった男はそのまま気を失った。
「……ひっ」
助けを呼ぼうと思ったのか、はたまた恐れをなして逃げ出そうとした男には自分から向かっていき、顎に向かって蹴りを入れる。
「ハァッ!」
「ぐぁっ……!」
あたりには気を失った男が三人。
ライナ様の一人勝ちだった。
「大丈夫?」
そう言って手を差し出してくれるライナ様はこの世の誰よりも紳士だ。
途端にはしたない格好になっていることが恥ずかしくなり、胸元だけでも急いで布を上げ、彼女の手を取った。
「はい……。いつもありがとうございます……」
「これが僕の仕事だから」
マリアにとってはライナ様は『謎の少年』だ。
いつも助けてくれる彼、ライナ様は知らない。
マリアが私である前に、彼に想いを寄せていたことを。
「それじゃ……」
「待ってください!お名前だけでも……!」
自然と口からその言葉が出た。
きっとそれは私だけではなく、マリアとしての存在がそれを問うていたのだろう。
だが、今はまだ彼女はそれを教えてくれない。
それを知るのはもっと先、物語の終盤の話になるのだから。
彼女は息で笑い、その場所から去っていった。
香水の香りであろう花の香りだけがふわりと一瞬、そこに残った。
「ライナ様……私絶対、諦めませんから……!」
マリアが死ぬまで守ってくれるライナ様。
期限は後四年、それまでに何をしても、ゲームブレイクさせたとしても絶対にライナ様と幸せになってみせる。
私はまた心にその誓いを刻み込み、その場を後にした。
まだ、私の物語は始まったばかりだ。
気が向いたら連載として続きます。
追記)連載しました。よろしくお願いします。
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