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あれから1年が過ぎた。
移動させて最初の食事にいきなりステーキを出して食べられないと泣かれたり、日差しを浴びせようと馬に乗せて遠乗りさせようとして倒れられたり、いろいろしでかしたが、劣化版もようやく、初めて見たときのような顔に戻りつつあった。その顔を見ていると、まあ、確実にトーイよりは落ちるのだが、それでも劣化版と(心の中でだが)呼ぶのが嫌になった。しかし今更名前を聞くのもなんなので、兄と呼ぶことになっていた。
兄とはよく話をした。兄の話はあまりにも私と考え方が違っていた。兄は私以外と話すのは嫌がった。緊張するから嫌なのだそうだ。さらってきたのは私なのに。寝ているのは楽しいという。寝ているのになぜだ、と思うが、ふわふわしてて幸せだ、などというのは本当に理解不能だった。アホ鳥を可愛いという。あいつの容姿が綺麗なのは皆が認めるが、可愛いというのは珍しい。なぜだと聞くと、全然当たらないのに必死に未来を見つめてるのがいじらしいという。本当に兄の思考は面白い。
何がきっかけだったのか、ある日、兄の生い立ちの話になった。城の中庭のバラに囲まれた四阿で、椅子に腰掛けて、私は彼の話を聞いていた。
兄は、1歳半で弟ができたので、弟が生まれる前の状態をほとんど覚えていないそうだ。だから、周りの関心や好意を一身に集める美しく賢い弟にもっていかれ、さみしかったそうだ。それでも、両親が生きているころは、多少の贔屓はあれど自分も愛してもらっていたが、事故で亡くなり、近くに住む叔母に面倒を見てもらうようになると、明らかに待遇がひどくなった。弟が早く大きくなってくれたおかげで着るものはお下がりでなんとかなったが、弟には割と自由にさせて可愛がっていたのに、兄は一日中働かされ、なのに食事はいかにも余りものを別食卓で取らされ、弟がたまに持ってきてくれるデザートが涙が出そうになるほどありがたかったとか。
造作以前にみすぼらしく感じたのは、実際にみすぼらしくなる状況に居たんだな、と思いながら、兄にいう。
「弟は嫌いか?」
「すごく好きです。あんなに綺麗で賢いのに、僕にも優しい。今も僕のために頑張ってくれてる。」
「弟のせいで差別されたのに?」
「それは仕方がないです。だって弟はかっこいいんだから。弟は太陽ですよ!あんなに輝かれたら、僕みたいな普通の人間は、どうでもよいと思われても仕方ないです…。」
「なるほど。そういうのを卑屈というんだな。」
つい思ったことをそのまま口に出すと、兄は見るからに落ち込んだ。
「だって…。弟はすごいから…。」
肩を落としたいじけ顔が、なんだかとてもかわいらしく感じて、私はすっかり艶を取り戻した兄の柔らかい髪に手を突っ込み、撫でながら言った。
「私はお前の方が可愛く見えるぞ。」
劣化版とか呼んでたのが嘘のように、今は心からそう思った。もちろん、一般的な評価は向こうの方が上だろう。私の趣味が悪くなったのか。でもそれでもまあいいか、と思うくらいには、兄を気に入っている自分に気づいた。兄は一瞬赤くなったが、すぐにぷっと頬を膨らませた。
「うそばっかり。僕は単に弟をおびき
出す餌なんでしょう。」
意外な返事に驚いた。
「なぜだ。」
「僕の名前もきかないじゃないですか。」
兄がそう言った時、私は彼の名前を聞く気がしない理由がわかった。彼の頭に置いて居た手を肩に滑らせ抱き寄せた。
「私は自分でお前に名付けたい。人が呼んでた名前で呼びたくない。」
我ながらなんたる独占欲。兄は固まってしまって動かなくなった。私は少し力を抜いて、兄の顎を持ち上げる。
「いいか?」
「へ、変な名前は嫌ですよ。」
耳まで顔を赤くして、目を伏せながら答える兄が可愛くて愛しい。愛しい。愛しい。ああ、こういう感覚は長く生きてきて初めてだ。浮き立つ気持ちというのはこういうものを指すのだな。私は兄の唇に吸い付く。一瞬体を押しのけるように力を込めた兄は、すぐその力を抜いて、私を受け入れた。兄の唇は、今まで遊んだどんな淫魔よりも甘くて柔らかい気がした。




