プロローグ:3
ザーザー......ザー、とけたたましい音を立てて空気が唸る。雨が降っているのだった。
バラックの粗末なつくりでは雨風を凌げないため、雨漏りが激しいところには鍋やバケツなどが置かれている。いずれも、再利用するためなのだという見当はつく。
コルは台所で食器を洗っているようで、台所とは一枚壁を挟んだ玄関にエルノは呼び出された。
目と目があってしまい、気まずい雰囲気が流れる。
呼んでおいて、なんなんだ? エルノは場の雰囲気を変えようと、例の宝石の話を持ち出すことにした。
「父さん、これ、拾ったんだ」と言って、ポケットから手のひらサイズの宝石を取り出す。まばゆい紅色が辺り一面に光り、自分でもその光を直視できなかった。
その瞬間、ファズムは血相を変えた。そわそわしているのは両手をしきりに揉んでいるからで、彼の癖だったが、速度が違う。赤くなった手をさらに擦り合わせながら、「しまえ、それを」と短く告げる。
手のひらに包み込もうとすると、かなりの熱を発しているようだ。注意深く、そっとすくいあげ、ポケットに押し込んだ。途端に紅色は消え、辺りは薄暗くなる。
「なぜ、お前が......?」などと口にしながら、その場を二回転した後に額に浮き出た汗を拭う。呼吸が荒くなっている父を目の当たりにしたエルノは「もう、休んだ方がいいんじゃ? 変だよ」と声をかけた。
「静かに」
そう一喝して、ファズムは話を続ける。
「恐らくだ。落ち着いて聞け。......魔球だよ、それが」
「魔球......これが? 嘘だろ。その辺に落ちてたヤツなんだ。なんで......ぼくが持ってるんだ!?」
「落ち着けエルノ。実は、魔球について話をしようと思っていたところだ。ああ、俺も落ち着こう」
エルノは父の言葉など聞いてはいない。魔球。その言葉が耳にこだまする。鼓膜が張り裂けそうなほど胸の鼓動の高まりを知覚しながら、しばらく沈黙を続けた。
これが魔球なのだとしたら、数千どころの騒ぎではない。一生”上“の世界で何もせずに暮らしても、有り余るほどの大金......。低く見積もっても100万はいくだろう。もはやそれ以外の思考はなく、理性を取り戻す術もない。
「明日にでも売ってくるよ! すごい大金になる! そしたらぼくがみんなを......」
「いかん」
「なんで? 父さんは100万ベイトが欲しくないのか。一生好きなことやって暮らしていけるんだ、これほどの事は無い!」
「エルノ!! よく聞きなさい......。これを聖府に渡してはならんのだ......。本当にこの国にあるとは思っていなかったが、持ち主がお前なら尚のこと。誰にも渡すな」
煩わしさを胸に覚えたエルノは、肩に添えられた手を振りほどいた。父をきつく睨みつけている自分に驚いたが、この時ばかりはいつも味方をしてくれる彼に強い抵抗心を覚えた。しかし、動じずにファズムは続けた。
「終生お前が持っていなさい。聖府は力をつけすぎた。奴らは神でも何でもない、我々と同じだ。それなのにこの差はなんだ? ......話を、戻す。これで魔球や力の泉が存在したという伝説は、本当のものになった。奴らの情報網は硬い。あれでさえ、奴らの手先かもしれん。お前が魔球を持っていることがばれれば即、死刑だ。そうまでして奴らは執着する
「そんな!」
「そう思っておけということだ。俺はガーダーとして各地を転々としてきたが、聖府のいい話などはこれっぽっちも聞かなかった! 過疎や貧困が激しい村からあるだけの金を巻き上げて、抽出した地底のエネルギーを擬似的なフォースに転換する“プラントル”という機関を設立している。お陰で環境問題が続出、人が住めなくなった地域もある。お前たちが普段、フォースと呼んでいるものは、そのプラントルでつくられたものであり、本物のフォースではないのだ。人が触れれば瞬時に蒸発する、それほどのエネルギーを本来のフォースは秘めている。お前が持っているのはその6分の1の力だ」
この剣幕を前にしては、唾を飲み込む余裕さえもない。
「いいか? お前は魔球に選ばれた! 力の泉を復元させてはならん! あれは伝説では無限のフォースを生み出すとされているが、実際には破滅のエネルギーだ。聖府はそのエネルギーを利用して、この世界を為すがままにしようとしている。断固阻止しろ! お前の任務は、聖府の持つ方の魔球を奪うこと。しかし、到底できるとは思えん。ならば、その一つだけでも守り抜いてみせろ」
全てを聞き終わった時、立っていられる自信はなかった。断片的に聞かされたファズムの話を、できる限り繫ぎ合わせようとする......。そう言うファズムの言葉こそ、確証がないものだったが、エルノの心にはずっしりとのしかかった。有無を言わせぬなにかが、あの言葉にはあった。ぼくが......魔球に選ばれた。
「明後日、経つ。今日は寝るぞ」
コルに一声かけたファズムは、先ほどのことなど何食わぬ顔で居間にあがり、寝転がった。
魔球を全て集めることで力の泉が復活する。聖府はその泉から無限に湧き出すフォースを、思うがままに操る。
これは......今ガルデ公国に行われようとしていることは、それの事前準備にしか過ぎない。魔球を明け渡さなければこうなる、という見せしめ。それにここが選ばれた。しかも都合の良いことに、その魔球は実在し、魔球そのものは見慣れたジーンズに隠されている......。
未だほとぼりが冷めない体をそのままに、朦朧とする意識を保つと、居間には母の姿があった。
「母さんは、何も隠してないよな......?」
無意識にそう問いかけた。当然、コルは「変なことを言うのね」と言う。これが、スパイ......? もはや自分以外は信じられない。ニノだって、パーシャだって、実はこの魔球を狙っているのかも......。
考えれば考えるほど疑心暗鬼は広がり、止め処がない。
「疲れてるんだ。ぼくももう寝るよ」
と言い残し、しみのできた天井を見上げた。自分という存在が吸い込まれてしまいそうだった。