第八話 一先ずの休息と悪巧み
……ふう、まずまずの成果といったところですかね。
アルマはしてやられた、と天上を仰ぐクロードを前にして紅茶を一飲み。
……実際のところ私も交渉役の経験が豊富なわけではないですからね。
ただ、長生きしているだけはあり、それなりの対人経験があるというだけ。今回はその経験と一つの誤認を用いて話を進めてみただけだ。
……まず何より重要なのは相手がこちらの召喚者を知らないということ。そして。
召喚者が中身は成人でも外見は赤子であるという点だ。
「やられたよ。まさか赤ん坊が召喚者だとは」
「もしそうと気づいていれば不干渉だなんて契約は結ばなかった、ですか?」
そうだ、と頷くクロードにアルマは微笑んだ。まさに狙い通りだったから。
そう、クロードは召喚者と赤ん坊をイコールにして考えていなかった。故に生まれた誤認、それこそが肝だったのだ。
X X
『肝、って。そりゃ一体どういう意味なんだ?』
急ピッチで補強作業が進められている町の建物をアルマの腕の中で眺めながら睦月は言った。見上げる位置にいるアルマは、いいですか、と教師のような口調でつなげて言う。
「まず、召喚者が赤子である、とこの町の町長であるクロードさんは考えてはいなかった。では、赤子の存在は何なのか。そして、そうであればその対応方針は? ……さて、クロードさんはどう考えたと思いますか?」
『それは、なんだろ』
「自分のことだからか、少し鈍いですね。こういう時はその人物の立場、目線でものを考えるといいですよ」
目線と言われ、睦月は考える。ようは、クロードの立場になって考えてみればいいのだ。クロードはこの町の町長で、町を護ることを第一に考えている。ならば赤ん坊の存在は必然この立場に沿って位置づけられる。つまりは。
『赤ん坊は召喚者にとって大事な人物? だから保護して恩を売っておきたい。……とかか?』
「正解です。つまりはそういうことです。クロードさんにとって赤子自体はどうでもいい存在なのです。しかし、そのバックに召喚者がいるのであれば話は別です」
なぜならば。
「召喚者の協力が欲しいから。そして協力を得るためには心象を良くしておきたい。だから保護もするし、援助もする。過剰な干渉を嫌うのであればやめよう。藪を突いて蛇が出たら困る。これがクロードさんの思考が辿った道筋です。
もしこれが、赤子が召喚者であると知っていたならば、不干渉などという条件は拒否したでしょう。だって、その召喚者の力こそを借りたかったんですから」
はー、と睦月は感心する。よくもまあ初見の相手に対しそこまで読めるものだと驚いた。しかし理にかなっている。
「ああ、もちろんこれはクロードさんだからですよ。彼、自分では表情読めない人間だと思っていたみたいですが、割と読みやすかったですし。それに人が良かったですからね。なにせこの策、相手が小悪党の類だった場合、赤子を人質に、とか言い出しかねませんから」
その点含めてクロードさんは交渉しやすかった、とアルマは笑みをこぼした。ちょっぴり黒いものがもれる笑みを。
『お、おう。けど、凄い騙した感があるんだが、大丈夫なのか?』
「大丈夫ですよ。そも交渉とは互いの妥協案を見つけ出す作業なんです。故に、絶対にこれだけは、という最低基準が存在しています。私たちの場合は衣食住と身分。クロードさんの場合は町の防衛」
ほら、お互いに全て満たされているでしょう、とアルマは言い。それにプラスアルファとして、とつなげて。
「クロードさんは睦月に対する町の内からだけではなく、外からの干渉も防がなくてはなりません。なにせ召喚のスキルは希少だそうですからね。後ろ盾は必須です。だから」
誤認していた分、こちらが少し得しましたね。と鼻歌混じりに告げた。
これが交渉役。この世界に来て早々だというのによくもまあやるものだ。睦月は興味深げに町を眺めるアルマを見上げて思った。
「でもさ、こんな誓約書ほんとに結んでよかったの? すっごいやばげなんだけどこれ」
X X
ルクスは自身が張った魔法陣の上に座りながら、広げた紙面から漂う邪気に顔をしかめる。
「死んだりはしないだろうけど、すっごい酷い目にあう気しかしないんだけど」
「わかりますか。さすがですね」
アルマは軽く頷き。
「契約を破った場合は、痔や水虫に禿げ、その他諸々襲いかかる素敵な呪いの誓約書ですからね」
うわ、とルクスは誓約書を放り投げる。
ひらりと宙を舞った誓約書が睦月の顔面へと張り付いた。
『ちょ、おま……っ』
「あらあら……」
アルマは、とってとってと騒ぐ睦月を慈愛のこもった瞳で見つめる。見つめるだけで何もしない。それどころか笑みすら湛えている。
……この子もドSなの!?
それもかなりのハイセンスな。とルクスは恐ろしいものを見る目で新たな仲間に視線を送った。
「何気に酷いですね。原因はあなたなのに」
「しれっと心を読まない。……まあでも、死にはしないし」
『お前らどっちもひでえょ!?』
ま、それはそれとして、とアルマは相変わらず顔に誓約書が張り付いた睦月を無視しながら言って。
「誓約書は結んで大丈夫ですよ。こちらが契約を果たせばいいだけですから」
「大丈夫なの? 町の防衛だよ。そもそもゴブリンがもう一度来るかもわからないのに」
「いいえ来ますよ」
言い切った。ルクスは軽く目を見張って問いかける。
「根拠は?」
「ゴブリンの残存戦力と撤退の仕方ですね。聞けばまだ千体近いゴブリンがいたそうじゃないですか。そして集団は完全な統制を保ったまま町から撤退した」
事実だ。それはサラとギムが、その反則染みた感知能力で確認している。
「数は十分。群れは統制を保っている。聞く限りの状況ではゴブリンが逃走する理由がない。故に、その状態でゴブリンが撤退したのだとすれば、それは単なる仕切りなおし。未知の戦力を警戒しての一時的な後退に過ぎません」
だから、とアルマは告げて予言する。
「すぐに来ますよ。再進攻」
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睦月たちが現在滞在している町、シーラは北を険しい山岳に、それ以外を緩やかな平地に囲まれた町である。
また、北からは大きな河川が流れており、シーラの町を貫くようにずっと西へ行った首都にまで続いている。そのため水運も盛んであり、シーラの町は周辺都市間における貿易拠点の一つとしても機能している。
その町の外れ。大きく北へと移動した場所でギムは姉へと問いかける。
「なあ、姉さん。俺たちこんなことしてていいのか? どうせなら町の人たちの手伝いでもしていた方がよかったんじゃ」
「不満なの愚弟?」
「不満というか。……ルクスみたいに助けられる範囲で助けた方がいいんじゃないかと思ってさ」
ルクスは自身を騎士と名乗っているが、その実かなりの魔法使いでもある。魔法を使っての瓦礫の撤去に火災の鎮火、更には負傷者の治癒までルクス一人でこなせる。ここを出る前に張っていた大規模集合型治療陣、とかいう魔法は百人単位の人間を一度に治療できる魔法だとか言ってもいた。さすがにそれを展開すれば陣の維持が精一杯で動けないとも言っていたが。
とはいえだ。ルクス一人でどうにかできそうだから手伝わないというのも何か違うだろう。ギムはそう思ってサラに問うたのだが。
「ばっかじゃないの!? ほんとアンタは鈍いんだから! 鈍すぎてお姉ちゃん心配よ! この歳になっても姉離れできないなんて!」
「さ、さすがにそれは酷くはなかろうか!?」
この姉は相も変らぬテンションで自分をこき下ろしてくるな、とギムは力一杯否定した。
しかしサラは腕を振りかぶり。
「アンタ」
ビシッと、人差し指をギムへと突きつけて言い放つ。
「自分があのアルマっていう子より頭いいと思ってるの?」
「なんだと……?」
「にっぶいわねぇ。ここにいるのはあの子の指示だって言ってるのよ。お姉ちゃん最初に説明したわよね?」
「何それ初耳!? というかいきなり、さあ逝くわよ愚弟! この素晴らしき異界の大地に至高の旗を立てるのよ! おーほほほ! ……とか言って俺を連れ出したんじゃないか!」
そうだったかしら、とすっとぼける姉にギムはうなだれる。ダメだこの姉。
しかしそうか。あのアルマという子の指示なのか。ギムは納得ともに少しの不安を覚えた。納得は、ぶっ飛んだ言動に反して人の良いサラが町民を放り出して遊びに行くとは思えなかったことへの納得。そして不安はアルマという少女への不安だ。
……交渉役として呼ばれたからには、頭はいいのかもしれないが、さすがにそれだけで信用しきるにはなぁ。
さすがに不安だ。だが、サラはそうではないようで。
「あの子は良い子よ。私が保証してあげるわ」
「それは姉さんの勘か?」
「ええ。私の勘に狂いはないわ。それこそ未来だって予知しちゃう!」
それは凄い。と、ギムは苦笑と共にサラを見やる。
……全くこの姉は。
だが不安は晴れた。サラの勘は当たるのだ。それは生まれてからをずっと共に過ごしてきたギムが誰よりも保障する事実だ。
「わかったよ。信用する。……けど、こんなところにきてどうするんだ?」
「あら? 言ったでしょ」
サラは不敵に、かつ自信満々に微笑んで。
「旗を立てるって」
大地を踵で踏み鳴らした。