第七話 交渉という名の初見殺し
「さすがにこちらの茶葉には詳しくありませんからね。ある程度はご寛恕をお願いしますよ」
言って、少女は紅茶を入れる準備を進めていく。事前にポットやカップを温め。ついでそこに茶葉を入れてお湯を注ぐ。
ふと、気づけば少女の手には古びた懐中時計が握られていた。彼女はふむ、と時計の秒針と茶葉の入ったポットにしばしの間視線を向けて。
「こんなものですかね」
軽く頷くと、なれた手つきでポットに出来上がった紅茶を注いでいった。白いカップの中を澄んだ紅色が満たしていく。見た目にも鮮やかな色合いのコントラストは視線で人を楽しませるものだ。
「では、どうぞ」
少女はそう言って、二組あった内の片方のカップをこちらに差し出す。クロードは一言礼を言いカップを受け取り。
「……これは」
「如何です?」
「ああ、美味しいよ。少なくとも私程度の舌では、否定する言葉が見つからないほどに」
驚きのあまりか、どうにも迂遠な言葉しか出てこない。しかしそれでも少女はたおやかな所作を崩すことなく、自身もまた手にした紅茶を口にして目を細める。
「中々、良い茶葉ですね」
「そう言ってもらえると、亡くなった彼も喜ぶよ。紅茶の扱いは彼に任せていたからね」
クロードはつい数時間ほど前に、もう二度と会うことの出来なくなった友人の顔を思い浮かべ、紅茶に口を付けた。しかし何時までも思い出になど浸っていられない。すぐに目の前に座る少女へと目を向けた。
現在、クロードは町の中心部にあったがためか多少なりとも無事だった町長宅、つまりは自分の自宅の客間にて一人の少女と相対していた。テーブル越しに向き合った少女は、優雅な仕草で先ほど少女自身が入れた紅茶に口をつけている。
……先ほどまでの狂騒ぶりからは想像もできなかったが。
紅茶の入れ方は文句の付けようがなかった。先の戦いで長年家に仕えていた使用人を失いどうしたものかと困惑するクロードを見かねて少女の入れた紅茶は完璧だった。非の打ち所がない。それこそ亡くなった使用人にすら匹敵するかもしれない。
少女の口にした言葉を信じるならば、この世界の茶葉を使って入れるなど初めてだったろうに。
……紅茶を美味しく入れるのもまた、一つの技術だ。
少なくとも自分では美味しい紅茶を入れることは出来ない。なにせ紅茶は茶葉ことに適した入れ方というものがあるのだから。
茶葉の量にお湯の温度、蒸らす時間。クロードの浅い知識でもこれだけの事柄が茶葉ごとに存在している。実際、クロード自身、適当に選んだ茶葉をこんなものだろう、と入れて後悔したことがある。あれはただ渋いだけの水だった。それを見知らぬ世界の茶葉で美味しく入れるというのは、もはや一つの技術ですらある。一体どうやって初見の茶葉に適した入れ方を見抜いたというのだろうか。
……あるいは彼女の生まれた世界に類似する茶葉があって、それでたまたま? だとしても……
茶葉の扱いを完璧にこなせる知識がある。見た目幼い少女は、それだけで自身が豊かな教養の持ち主であろうことを証明してしまった。少なくとも、先ほどまであった芸人一味という印象は吹き飛んだ。自分を高く見せる、これが交渉の前振りというのであれば中々の曲者だろう。
あるいは、もしかすると見た目通りの年齢ではないのかもしれない。なにせ相手は召喚された存在だ。年齢の桁が自分と一つ違っていても驚きはしない。
……油断して良い相手ではないな。
クロードは少女と相対する前に抱いていた印象を現在進行形で書き換えながら口火を切った。
「さて、いきなりで申し訳ないが、君たちは一体何者なのか。それをまずはお聞きしたい」
「あら、そんなの召喚者と使い魔以外の何者でもないでしょうに? わざわざ改めて聞くことかしら?」
「む、いや、それはわかっているのだが。そうではなく……」
初手から躓いた問いかけにクロードは困り果てる。しかも相手は笑みを崩していない。どう見ても狙ってやっているようにしか見えない。
……やりにくい。
これくらいは軽いジャブよ、と言っているかのような笑みと視線にクロードは唇を噛んだ。
「まず、そちらの目的を聞きたいのだ。何ゆえに私たちの町を訪れたのだろうか?」
「短的に言えば偶発的事故。もう少し言うのであれば我らがマスターの温情故に、かしら?」
「つまり、たまたま町が襲われているのを見て、助けにきてくれたと?」
もしそれが本当ならば、彼女らの主人は随分とお人よしなのだなとクロードは思った。わざわざ見ず知らずの他人が住まう町を助けようというのだから、それはきっと、計り知れない慈愛の心を持った立派な御仁なのだろう、と。クロード個人として召喚者への深い感謝が浮かぶ。
同時、この町を預かる管理者として打算的な考えが浮かぶ。
……町の防衛、いや存続させるにはこの御仁たちの力が必要だ。
この町は、先の戦いで町の護りを担っていた人々の大半を失った。それ以外の多くの町民もだ。それは早急に回復せねばならない損失で、大きすぎるが故に町の存亡すら左右しかねないものだった。いかにこの町が魔物との衝突になれているとはいえ、今回の損失は少々というには被害が大きすぎたのだ。
故に町の滅亡を回避するために、彼ら召喚者とその使い魔は、喉から手が出るほどに欲しい人材だった。それこそ召喚者がお人よしだというのならば、それを理由に町に縛り付けてでも。
……私は随分と酷い男だな。だが、次の襲撃を退けるには、彼らの協力が必要不可欠だ。
胃の底に深く沈殿していく苦い思いに、クロードは目を伏せる。
「そう、悲嘆することもないでしょう。あなたのそれは為政者としては至極妥当なものです」
内心を言い当てられたかのような言動に、クロードは呼吸することを忘れた。それは時計の秒針が一つも進まない短い時間だ。それだけの合間でクロードは動揺を飲み込んで、相手への言葉をつなげる。
「……なんのことだろうか?」
「私たちの力をあてにしたいのでしょう? 欲しいのでしょう? 町の存亡の危機ですものね」
……完全に見透かされている。
クロードは動揺を表さないように努めて顔に力を入れる。しかしそんな仕草ですら子供の嘘にも等しい抵抗だったのだろう。
少女はまるで大人が子供をたしなめるように優しい口調で、いいですか、と前置きして。
「これでも私は交渉役として呼ばれた身です。この町の状況と表情を見れば大体わかります。まして、あなたは少々わかり安すぎる。愚直なのも過ぎると損ですよ」
「そんなにわかりやすいだろうか……」
これでも町長をやるようになって多少は腹芸を見に付けたつもりだったのだが。クロードは思った以上にダメな自分の立ち回りに肩を落とした。
とはいえ何時までも落ち込んではいられない。たくらみがばれているのであれば、あとは正面からいくだけだ。
「まあ、察せられているのであれば話は早い。率直にお聞きしよう。町の復興に手を貸していただくことは可能だろうか」
「無論ただとは言わないのでしょう?」
「もちろんだ。と、言いたいが、町がこんな状況だ。望むものを何でもとはいえない」
「それはそうでしょうね。しかし、叶えられるのであれば可能な限りは叶えて頂ける。そう考えて相違ないですか? なにせ町の英雄ですものね」
少女の具体案を告げない言葉にクロードの言葉は途切れる。
……一体何を望む?
怪しいことこの上ない。クロードの勘が告げている。ここが肝だと。
「申し訳ないが先も言ったとおり、町の状況を考えればあまり無茶な望みは無理だ」
「ふむ。では、こう付け加えましょう。町の復興、町の利益に損害を与えないことであれば問題ありませんか?」
また具体的なようで具体的ではない問いかけだ。むしろここまで条件を指定してきているのであれば。
「問いたい。具体的に何を要求するか決まっているのであれば、明確にして欲しい」
「愚直ですね。わかりました。では私たちの望みを言いましょう」
それは、と少女が言いつなげ。
「我らと共にいた、あの赤ん坊への援助です。具体的には身分の保証に金銭の援助、それにこの町での住居。ああ、生活の世話に関してはこちらでやりますのでそちらは問題ありません。むしろ必要以上の干渉は不要です。それよりも町の人間や、町の外の人間からの過度の干渉を行わないようにしていただきたい」
「それはまた……」
……どういうことか?
あの赤ん坊に何かしらの秘密がある。あるいはお人よしの召喚者がどこかで拾った赤ん坊を助けようとしている。それとも別の何かか。それこそどこかの権力者の落とし種で追われている身なのではないか。もしそうであれば、この契約は追っ手から赤ん坊を護る盾になれと言っていることになるが。
「ああ、別にあの赤ん坊が誰かに追われているとかそういう話ではないですよ。あの赤ん坊を助けるのは、私たちの私的な都合故にです」
またも放たれる心を読んだかのような言葉にクロードは頭痛を感じた。どうにもいいように踊らされているようにすら思える。まるで少女の手の平で踊っているかのような感覚だ。これが交渉というのであれば絶対にこのまま乗るべきではない。しかし。
……あの赤ん坊が召喚者にとっての肝というわけか、ならば。
「あの赤ん坊が町に被害をもたらす存在ではない。その一点においては確約を頂けるのかな?」
「無論です」
「口約束、というのではな。申し訳ないが、身分を偽る以上は国に対してもそれなりに隠蔽を行う必要があるわけで……」
「何なら手形代わりにこの町を護るための援助を約束してもいいですよ。具体的には、次にあるだろうゴブリンたちの襲撃への対処、ではどうでしょう?」
「なんだと!?」
思わずテーブルに手を着いた。反動で紅茶がカップより零れてテーブルが濡れる。
……都合が良すぎる。
あまりにも譲歩された答え。しかし、これは詰みだ。相手が差し出せるこれ以上ないカードを向こうは切ってきた。クロードがもっとも欲する要求。それを確約してもらえる以上、これ以外の答えはない。たとえその裏にどのような意図が潜んでいようとも。ここで彼女らの協力を得られなければ町は終わるのだから。
……それに、召喚者への恩を売ることもできる。
決して損ばかりではない。故にクロードは言った。
「わかった。あの赤ん坊への援助を約束しよう。身分は私の方で用意させてもらう。ちょうど町への襲撃があって行方不明になった家族も少なくない。どうにでもなるだろう。あとは金銭も、あの赤ん坊が成人するまで一切困らないだけの援助はしよう」
「それと……」
「ああ。必要以上の不干渉だな。とはいえ、町に住むのであれば多少の会話などは認めて欲しいものだが」
「もちろん、その程度あれば全く問題ありませんよ」
「そうか。ではこちらは今の条件で問題ない」
……むしろ良すぎるほどだ。
クロードは椅子に座りなおすと、先の振動で少し零れてしまった紅茶をふきんで拭いた。ついで、少し冷めてきた紅茶を一息に飲み干し、深く安堵の息を吐き出した。
「調子がよさそうですね?」
「まあ、これで町の防衛にもめどがたったのでな」
おかげで胃痛から開放されそうだよ。クロードは顔を綻ばせた。
「そうですか。良き交渉ができたようでよかったです」
「良き交渉? そちらが大きく譲歩したように思えるが」
「ふふ。良き交渉とは、互いが満足し合える結果を得られることですよ。一方が満足するのでは、良き交渉とはいえません。それは単なる脅迫、恐喝。互いにメリットを得られてこその交渉なのです」
「なるほど」
クロードが勉強になった、と頷く。それを静かに見守った少女は、では、と懐より一枚の紙を取り出して。
「これにサインを。ちなみにこれ、私の世界で作られた呪いの誓約書です。約束を違えたら痔に水虫に禿げ、それから糖尿病、などなどと色々な病気を死なない程度に併発する呪いが降りかかるスペシャル仕様のものです」
そんなスペシャルはいらない。クロードは頭に手をやってまだ健在な、否、ずっと健在であって欲しい頭髪を軽く撫でる。
「は、はは……」
「どうです、素敵でしょ?」
笑顔で告げる少女にクロードは今からでもなかったことにできないかな、と半笑いの顔で誓約書にサインをした。
「あ、それ血判もお願いしますね」
……ますます呪いじみてきたなこれ!?
やむなく少女が差し出したナイフで親指を切って血判を押した。すると呪いの誓約書の名に嘘偽りはないとばかりに、誓約書の紙面に血のように赤い字で「契約完了」と浮かび上がった。
正直、後悔している。クロードは泣きたくなった。
「はい。ではこれにて契約完了」
「そうだな。色々なものを犠牲にしてしまった気がするが。……時に、ここまでしたんだ。君たちの召喚者には会わせてもらえるのかな?」
肩を落としたクロードがそう告げれば。
「もう会っていますよ」
と、少女は今日一番の笑みで答えた。
……え?
一瞬、何を言われたわからず。ついで少女の笑みと今までの言動、とりわけあの赤ん坊の扱いについて契約を結ばされたことに思考が及び。
「ま、まさかそう言うことか!? 全てはあの赤ん坊を護るために!」
「正解です。いや、気づくのが中々に早い」
……やられたッ!
全ては召喚者である赤ん坊を護るための交渉だったのだ。