第五話 交渉何それ美味しいの?
目が覚めたら目もくらむような美少女が自分を見ていた。一息に言うならこれが今の睦月の現状だった。
「睦月様? 如何なさいましたの?」
不思議そうに首を傾げる少女の顔の造詣のなんとも素晴らしいこと。と、睦月は目前の少女に目を奪われ、思わず伸ばしかけた両腕がろくに動かないことに我に返った。
……そうだった。この子は俺が呼び出した。
『サラ・アブル?』
ルクスと同様に、思念通話の魔法でもかけたのだろう。声にならぬ声をしかと聞いたと少女は頷いた。
「その問いへの答えはイエスですわ。睦月様」
そして、とサラは言いつなげて体を横へとずらす。その分だけ視界が広がり、サラによく似た少年の姿が視界に入った。
「これが私の愚弟! ですわ」
「……ギム・アブルだ。ところで姉さん。何故に愚弟と強調したのかを伺いたい」
「え? それを聞くの? いいの? すっごく色々あることないこと捏造したり強調したり誤解させたりして語っちゃうけど。……本当にいいの?」
「やっぱりやめておくから勘弁してください」
『あ、あはは……ああ、うん。よろしく二人とも』
どうやら気遣われたらしい。和ませようとふざけた調子で語る二人に睦月は顔を綻ばせた。
「ええ、よろしくお願いしますわ。ところで睦月様、お体のほうは大丈夫でしての?」
『ああ、特に痛みもないし、大丈夫……だと思う』
ただ、召喚など今までの人生で使ったことがないために本当に大丈夫かはわからない。睦月は不安に思いながら自分の小さな体を見つめる。
「僕が見た限り大丈夫だから安心して、睦月」
『そうか。ルクスが言うなら大丈夫だろう』
よく分からない力を本能のままに使った自分などより、魔法という不可思議な力を使いこなすルクスの見立ての方がよほど確度が高いだろう。睦月は若干強張っていた体から力を抜いた。
『それで、俺が寝てる間に何がどうなった?』
「うん。ゴブリンの集団に襲われたけど、二人のおかげでどうにか撃退できたよ。今は多分、連中もこっちにどう対処するか考えてるところだと思う」
「補足しますと、連中の町民への攻撃は治まっていましてよ。包囲自体は維持しているようですけどね」
『なるほど。ならここからどう動く?』
睦月の問いに使い魔一同は押し黙る。
「パスしますわ。私、そういうのは苦手ですの」
早々とサラが匙を投げた。
仕方ないとルクスを見れば。
「あ、あはは、ごめん。僕もどっちかっていうと、人に使われる側の人間だったし。それに集団戦の経験はほとんどなくて」
『……ぎ、ギムさんはどうだ』
「ギムと呼び捨てでいい。しかし、その問いには俺も答えられない。何故なら精霊は集団戦闘など行わないからだ。そもそも引きこもって戦闘などしないのがほとんどだからな。ノウハウがない」
「私も呼び捨てでお願いしますわ!」
『あ、うん。わかったよサラ』
呼び捨てにすると何故かガッツポーズをするサラを横目に、睦月はどうしたものかと口を噤む。
『こうなったら戦術に明るい人を呼ぶしか……』
「いや、それには及ばないようだ」
『ギム?』
ギムの言葉に睦月は視線を彼へと向ける。気づけばギムはその鷹のように鋭い視線で、遥か彼方を睥睨していた。
「どうやら撤退するようだ。連中が包囲を崩して移動を開始している」
「あら? そのようですわね」
『わかるのか。凄いな』
大地の精霊姉弟が、その感知能力を持ってゴブリンの動向を察していた。何気に地球のレーダーとかより凄いかもしれないこの二人。と、睦月は感嘆の息をついて二人を見上げた。
しかし、何にせよ。
『これでどうにかなったか……』
X X
一先ずゴブリンの集団を退けた睦月たち一行は、その足で町民が集まる町の中央部へと向かっていた。
瓦礫と死体の山を横にしながらの歩みに睦月の体調は悪くなる一方であったが。
「大丈夫、睦月?」
自身を抱えるルクスの言葉に大分救われていた。ルクスの慈愛のこもった眼差しに睦月は深く息を吐き出す。
『大丈夫だ。ほんとは大丈夫じゃないけど大丈夫ということにしておいてくれ』
なにそれ、と微笑むルクスの顔に勇気付けられ、睦月はとても長く感じる距離を耐え抜いた。
そうして、歩いた先に町民の姿が見えてきた。睦月の視線の先では、傷ついた人々が互いの傷の手当をしている姿が見える。同時に、治療のかいなく息絶えたのであろう死体の山と、もうすぐそこに加わろうしている人々の姿も目に入った。
……酷いもんだ。
これがこの世界の現実。むせ返るほどの血臭に、睦月は背筋が冷たくなった。
だが、当事者である町民たちの反応はいささか違っていた。戦死者を悼む気持ちはあるのだろう。だが、それ以上に生き残れたことへの感謝と喜びが強いようだ。生き残ったもの同士で肩を叩きあい、精力的に瓦礫の撤去や負傷者の治療に当たっている。睦月は、その反応に少し戸惑った。もっと暗雲とした空気が渦巻いているものだと思っていたのだが。
「なれだろうね。僕のいた世界でも魔物と人は争っていたけど、特に激戦区での光景に近い。きっと、この世界では魔物の襲撃がとても身近なものなんだ」
……なにそれ怖い。人の命が安すぎやしませんか。
睦月はさすがにルクスの言葉を疑うが、目の前の町民たちはルクスの言葉を裏付けるように忙しなく動いていた。少なくとも悲しみに暮れて動きを止める人間はいない。それこそが真実を裏付けていることを察し、睦月は軽く現実から逃避した。自分の転生した世界が、さすがにこれほど危険な世界だとは思いたくはなかった。
『はは、勘弁してくれよ』
「あ、あれ? 睦月大丈夫?」
「どうしましたの? は!? まさかお腹がすきましたの!? でもダメですわ! 私、まだ母乳は出ませんの! ルクス、貴方が代わりにやってあげてくださいな!」
「ええ!? む、無理だよ! ギムパス!」
「お、俺が出せるわけがないだろ!」
と、そうして虚ろな目をした睦月と使い魔たちが漫才をする中。
「……少し時間をよろしいかな、そこな御仁方」
『ん……?』
睦月たちの前に一人の男性が現れた。見た目初老の男性は、その歳に見合った風格というものを備えたナイスミドルであった。
それは、どう見てもこの町の住民で、しかも偉い人であることは一目瞭然であった。そして、気づけば町民たちも作業の手を止めて睦月たちに視線を向けている。
……まあ、そりゃそうか。
こんなところで漫才じみたこと始めれば目に留まらないはずがない。睦月は集まる視線に顔が引きつるのを自覚した。
『睦月どうする?』
『まあ、話してみるしかないだろ。今、俺は住むところも親もいない、ないないづくしだからな。それに、もしかしたらまたゴブリンの襲撃があるかもしれないし、上手いこと交渉して話を進めないと』
『そうだね。で、誰が?』
え、と睦月は凍りつき。使い魔一同を見渡した。
サラ。何故か初対面の人を前に、胸を張って仁王立ちをしていた。美人がそれをやると絵にはなるが意味はわからない。とりあえず睦月は見なかったことにして視線を逸らした。
ギム。目があった瞬間に逸らされた。おい、と思わず突っ込みを入れたくなったが、彼には彼でもしもの時に姉を抑えてもらいたいのでやめておいた。
睦月。さすがに赤子が交渉役を担うのはアウトだろう。更に言うならこの怪しいことこの上ない集団について説明するのは少々難易度が高かった。
やむをえず、本命に目を向ければ。
『え、ごめん、無理……僕、交渉とかそういうのはちょっと遠慮したいかなって……』
『お、おう……そうか』
実際のところ、ルクスも見た目年若い騎士だ。交渉役としては迫力にかけているし、お人よし過ぎる点もマイナスだ。
結論、交渉ができる人間はここにはいなかった。
……どうしよう?
「…………」
声をかけた男性が困ったように待ちぼうけ、それにどう相対したものかと睦月たちが沈黙する。痛すぎる空気が場に充満していった。
……い、いかん、ナイスミドルの顔がまるで困り果てたチワワのような顔に!?
『る、ルクス! こ、このままというわけにもいかないから頼む!』
『ええ!? ……い、いや、どうにもならないなら仕方ないけど。その前に一応、交渉役ができそうな人が召喚できないか試してみたら?』
『それだ……!』
武力のある使い魔しか呼べないと当然のように考えていたが、別に呼ぶ対象は力がなくても問題ないのだ。それに、ある意味では交渉力も力である。
……そうと決まれば早速。
睦月は自己の内に埋没し、世界へと伸びる管へと意識を集中した。
……アクセス、我が呼び声に応えし者よ。共に世界に並び立たんや。
世界へ伸びる管。それは世界とのつながりであり、召喚術はこの管を通して他の世界、時間軸へと干渉する。
今はその第一段階。管をスピーカーに見立て、自身との契約に同意するものに呼びかける作業だ。無論、無作為にではない。根本的なところでは、そもそも睦月と魂の相性が悪い存在は声を聞くことが出来ない。この時点である程度の選別はされる。そしてその中から武力のあるもの、魔法が使えるもの、場合によっては具体的に竜や虎といった種族を特定して呼びかける形になるのが基本だ。
睦月は半ば無意識の内に理解した召喚の理にそって、呼びかける。
そして今その呼び声に。
『突然声が聞こえたかと思えば、まさか異世界からとは驚きです』
一人の少女が応えた。