第三話 町とゴブリンナイト
ルクスの言葉にしばし睦月は固まった。だが、やがて事態を飲み込むと、放っておいていいのかと思うようになった。
状況はわからない。しかし、赤子である自分が行っていい場所でないのはわかる。けれど、もし人が襲われている、などという事態であるならば放っておけない。
『なあ、ルクス。状況はわかるのか?』
問われたルクスは、しばし迷うように唇を噛み締め。
『木々の間から見たことだから、間違いないとは言えないけど……人が魔物に襲われているように見えた』
『ッ……』
睦月は息を飲んだ。
『それって、つまり』
『わからないけど多分、町が襲われているんだと思う』
町が襲われている。そのことを知った睦月が思うことは一つだ。
『じゃあ、助けに行かないと』
これが戦争で、兵士と兵士がぶつかっているというのなら睦月も首を突っ込むつもりはない。この世界の事情も知らずにそんなことをすれば自分も助けた誰かも困るだろう。
だが、そうではないならば、と思うのだ。無辜の民が襲われていて、命が奪われるのを座して見ているなどできないと。
そして、それはルクスも同じ気持ちなのだろう。顔には迷いの色があった。
『……けど、それは睦月を危険に晒すことになるよ。それでもいいの?』
『……俺だって、好き好んで危険に突っ込みたいわけじゃない。けど、けどさ。今の俺には振って湧いただけだけど、それでも召喚っていう力がある。助けられるかもしれない力があるのに無視するなんてできない。
……もちろん、ルクスが嫌だって言うなら諦めるけど』
結局のところ、睦月ができるのは戦って欲しいと頼むことだけなのだ。召喚という技能はそういうものとわかっていても眉を顰めるしかない。侮蔑すべき所業だ。
だが、それでも睦月は願う。それはルクスもまた助けに行きたいと思っていることを知っているから。召喚した睦月には、薄々とだがルクスの想いがわかるから。
そうして、睦月の言葉を聞いたルクスは足を止めて。
「はあ……睦月は少しバカだね」
『おい……』
「ほめてるんだよ。ほんと、君に召喚されて良かったと思うよ」
ルクスは迷いを払った澄んだ笑みを浮かべて、先ほどまで向かっていた方角へと歩き始めた。
歩みは次第に速くなり、森の風景が流れていくまでに加速する。
「いい、睦月。もしかすると僕一人じゃどうにもできないかもしれない。そうなる前に、召喚するんだよ」
『わかってる。けど、どう呼べば……』
「簡単だよ。君の心の赴くままに、さ。変に飾る方がダメ。君は君らしく呼ぶのが一番だと思う」
心の赴くままに、言われた言葉をそのまま睦月は呟く。
悩む睦月をそのままに、ルクスは森を走り続け。ついには森を抜けた。
X X
森を抜けたルクスが思ったことは一つだ。
……酷い、な。
見れば一目瞭然だ。町を覆い護っていたのだろう。大きな石造りの塀は倒壊し、塀があった場所には無数の足跡が残っている。
足跡を追えば何人もの男性が倒れているのが目に入る。みな胸や腹から血を流し、苦悶に満ちた形相で事切れている。足跡を追えば追うほどにその数は増えていくし、その先からは悲鳴が幾度となく上がっている。今なお戦っているのだろう。
『る、ルクス。これって……』
「やったのはアレだね」
腕の中で震える睦月にわかるように、指で一体の死体を指し示す。それは人の形はしていたが、致命的に人間とは異なっていた。
薄汚い緑。ルクスの見た感想ではそんな色合いの体色をした人型は、人間と同じ二足歩行の生物でシルエットは似ていたが、それでも顔が人とは明らかに違っていた。
「この世界だとゴブリンって言うらしいね。僕の世界にも似たようなのはいて、小鬼なんて呼んでたけど」
『ゴブリン……』
胸の中の睦月の声に僅かばかりの安堵の色が浮かぶ。ルクスは疑問に思う。ゴブリンを見たことがあるのだろうか。
「睦月? ゴブリンを知ってるの?」
『あ、いや。知ってるというか、俺の世界でのゴブリンって言ったら、あんまり強い印象がなくて』
「ああ、それは誤った認識だね」
『え?』
「ゴブリンは人ほどではないけど知性の高い魔物。武器だって使うし、群れを率いる長の器量しだいで罠も戦略も使う。最悪、強力な指導者が群れに生まれでもすれば万を超すゴブリンの集団が作られることすらある危険な魔物なんだ」
『ま、万って……』
睦月は唖然とした様子で町に横たわるゴブリンの死体を見やる。
「まあ、個体としての強さは上位の個体を除けば大したことがないし、睦月のいう強くないっていう印象は間違いでもないけどね」
言って、ルクスは町の中へと駆け入っていく。
町の中心部へ近づけば近づくほどに死体の数は雪だるま式に増えていく。どうやらゴブリンたちは町をしっかり包囲して攻め入ったらしい。町の中心部から聞こえる鬨の声にルクスは舌を打った。
……群れをほぼ完全な形で統制している。それに町の規模も結構大きい。これはまずいかな。
包囲戦を仕掛けられるだけの練度と頭脳に、おそらく苦戦しているであろう町の規模から推測して、ゴブリンの長は千人単位の群れを率いることができるだけの格がある。
ナイト、バロン、ヴァイカウント、アール、マーキス、デューク、そして最上位のキングと続くこの世界における魔物の長への格付けにおいてバロン級に当たると見る。千人規模の町ならば揉み潰せるだけの戦力を抱えていると見てまず間違いない。
さすがのルクスも、単騎で千の軍勢を相手には出来ない。
「見えてきた、けど……」
やがて町中を疾走するルクスはゴブリンの群れ、というよりも軍勢といってもいいそれを発見した。百人規模の手勢が町の中心部を覆うように複数展開している。それらの数を合算すれば千をも超えようかという数だ。
対して町の中心部にて方陣を組む一団がある。数にして千足らず。人間である彼らは、年若い者から老人、はては女性であっても体格のよい者まで全てが何らかの武器を手にしてゴブリンの集団に対抗しようとしている。だが、数で劣る上に、まともな武器を持った人間の方が少ないくらいの彼らに勝ち目はないだろう。一応、頑丈そうな家屋を簡易の砦に見立て、元は家屋や家具だったのであろう建材を利用した即席のバリケードを作って盾にしているが、焼け石に水だろう。
そして、それをゴブリンたちはわかっている。あえて強引に突き崩すのではなく、散発的に矢を射掛け、時折波のように押し寄せては引いている。狙いは町民の消耗だろう。疲れたところを一息に飲み込むつもりだ。
時間はない。肩で息をしている町民たちの消耗は激しく、今この時にでも一斉攻勢がかけられてもおかしくはなかった。だからルクスは言う。
「睦月。願って。君が頼るべく従者の存在を。君に剣を捧げてくれる猛き勇士を。君の心に応えてくれるパートナーを」
X X
願って、そう言われた睦月は目を瞑り己の内へと没入する。
そも願うとは何だ?
この状況を、町民を助けてくれるようにと願うことか? 力ある存在へと請い願うことか?
それは間違いではない。事実今は力が必要だし、大きな力持つ存在を呼べればそれでどうにかできる。だが、それだけではダメなのだと睦月には思えた。足りないのだと思うのだ。
では何が足りないのか?
睦月は自身を抱きかかえるルクスの顔を思い浮かべる。美麗な顔をした騎士は正しく強くあった。けれどそれだけではなく、同時にとても優しい存在でもあった。身動きできない赤子に対して驕ることなく、睦月の心に応えてくれる存在。
……ああ、少し考えてみれば簡単なことだ。
ルクスは言った。君の心の赴くままに、と。そしてこうも言った。君の心に応えてくれるパートナー、と。
そういうことだ。ただ力ある存在を求めるのではない。睦月の心胆に応え、賛同し、共にあってくれる存在こそに願うべきなのだ。でなければきっと、睦月は誰も呼ぶことが出来ない。
何故なら召喚とは。
……両者の同意を持って成される契約であり誓いなのだから。
X X
「睦月、始めたんだね……」
腕の中の睦月の体よりほのかに輝く光の粒子が放たれ始めたのを見て、ルクスは睦月が睦月なりに召喚というもののあり方を捉えることに成功したのだろうと理解した。
ルクスの使う魔法を含めて、この手の技術はまず己の中に確固たる存在としてその技術を捉えることが大切だ。自身のイメージすらあやふやでは、それはもう使う以前の問題だ。だからまず、自分の中でそれはどういうものなのかを位置づけ、理解することから始まるのだ。
睦月はその第一段階を越えた。であればもう、召喚という技術を拙いなりにも使えるはず。
「これで一安心、って言えたらよかったのにね」
睦月の身から放たれる魔力の煌めきに気づいたのだろう。ゴブリンの一団がこちらに向かって駆けて来ていた。
数にして十体ほど。これくらいならば睦月を抱きかかえたままでも十分対処は可能と見て、ルクスは緩やかにゴブリンたちへと歩き出す。
「く、クケケケェエエーーーーーーッ!」
先頭にいる、ルクスと真っ先に接触したゴブリンは痩せた鴉のような耳障りな声を上げて、手にした錆びの浮いた剣を振り下ろした。
背の低いルクスと比較してちょうど同じくらいのゴブリンは、やや跳躍気味の体勢から剣を振り下ろしている。走ってきたがために勢いも乗っている危険極まりない一撃だ。
しかし遅い。完全に剣の軌跡を見切っていたルクスは腕の中の睦月の邪魔をしないように、ゆらりと静かに半歩横へと位置をずらす。それだけでルクスの頭目掛けて落ちてきていた剣は宙を切った。
……睦月の集中の邪魔をするわけにもいかないしね。
だから動作は小さく静かに、と心に決め。回避と同時に、ルクスは剣を横薙ぎに振るった。
力自体は大して込めてない軽い剣戟。しかし、突進の勢いをそのままにしていたゴブリンの体は、呆気なくその身を両断されるに至った。
「け、ケケッ……」
宙を上半身と下半身に分たれたゴブリンの体が舞う。それを視界に収めることなく、続くゴブリンたちの攻撃をかわし、お返しに聖剣の一撃を叩き込んでいく。
空に描かれた軌跡の数は五度。同じ数だけのゴブリンの死体がこの場に転がった。思わず、といった様子で残るゴブリンが後ずさる。
だが、ゴブリンたちがこれで退く訳はなく。ルクスという新手を強者と認めたのか、遠方にて包囲を敷いていた一団からゴブリンたちが駆け込んでくるのが見えた。
先頭を切るのは他のゴブリンたちとは違い、やや古ぼけてはいるが鎧を纏い、大振りな剣を携えているゴブリンだ。背も大きく、筋肉質な肉体は強者の風格を見せ付けていた。
……あの集団のボス。この世界だとゴブリンナイト、っていう魔物になるのかな。
百名程度の集団を率いて余りあるゴブリンの中の強者。それが陣頭に立ちゴブリンの集団を率いている。それも今度は歩兵だけではなく、弓兵までも連れて。その数、約五十。
「さすがにまずいかな」
ルクスの頬を一筋の汗が伝った。
勝てないとは言わないが、それでもギリギリの戦いになる。睦月を抱えたままで倒せるとは到底思えなかった。
しかし、やるしかない。ルクスは剣をきつく握り締め、圧倒的不利な形勢に立ち向かおうと決めて。
『まあ、待ちなさいな。この私が手を貸してあげるんだから』
どこからともなく、気位の高そうな少女の声が響いた。同時、緑光を放つ魔方陣が一つ、ルクスの前に現れる。
それを見たゴブリンナイトが慌てたように己が率いる弓兵たちへと激を飛ばす。指示を受けた弓兵は、駆けるのをやめて弓を構える。
一拍の後、ギシギシという軋む音が聞こえそうなほどに引き絞られた弓から矢が放たれた。間違いなく直撃コース。ルクスが咄嗟に防護魔法を展開して矢を防ごうとする。
「だから待てって言ってんでしょうが!」
よりも早く、魔方陣より杭が飛んだ。土を圧縮してできた長さ二メートルほどの杭が数本、大地へと突き刺さり矢を防ぐ壁となった。それどころか、杭は地面に突き刺さるや否や太さを増し、ゴブリンとルクスたちを隔てる防壁へと転じる。
魔法だ。それもかなり手練な人物が作った魔法である。自身が魔法使いであるが故にルクスにはわかった。はたして、一体どんな人物が召喚されたのか。ルクスが目を見張る中、魔方陣より一人の少女が現れた。
「まったく。人の話はちゃんと聞きなさいって教わらなかったの?」
「いや、無茶言わないでよ」
ルクスは少女に苦笑を返す。
少女は、長い金髪を縦ロールにした上品そうな子だった。ルクスから見ても整った顔立ちをしている少女の目には、なんとも気の強そうな意思の輝きが宿っている。
一言で言えばゴージャスな少女。その人目を惹きつけてやまない輝きはルクスが一瞬、貴族か何かかと思うほどだ。ただ、着ている服はドレスではなく、そこらの町娘が着ていそうな質素なものなので違うだろうが。
「何かしら?」
「いや、何でも。それより、君が睦月に召喚された新しい仲間、でいいんだよね?」
「ええ、そうよ」
少女は鷹揚に頷き。でも少し違う、と言いつなげた。
「……え?」
ルクスが少女の言葉の真意を探る間に、まだ消えていなかった魔方陣より四本の矢が飛び出した。
矢は杭で出来た壁を避けるようにして進んできていたゴブリンへと突き進み、一体につき一本と正確にその頭を射ち抜いていた。
「ふふん。召喚されたのは、私だけじゃなくってよ。私の弟も一緒なんだから」
「……どうも」
魔方陣より顔を出したのは少女に良く似た顔立ちの少年であった。ただ、生気に満ち満ちた少女と相反するように、少年は陰気な顔をしていたが。
対照的な二人だな。と、ルクスが見守る中、少年が大きな弓を手にしながら魔方陣より抜け出る。すると、今度こそ本当に魔方陣は姿を消した。
そうして、二人の若者は並び立ち。
「我ら大地の精霊の姉弟。サラ・アブルと」
「……ギム・アブル」
「召喚者睦月の命により参上したわ!」
少女が胸を張り高らかにそう己が名を名乗った。
そして少年は居辛そうに小さく名乗り、声が小さいと少女にど突かれた。
X X
ゴブリンの歩兵団
召喚者:なし
名前:XXXX
種族:ゴブリン
属性:土
召喚コスト:1マナ
攻撃/防御:1/1
スキル:なし
詳細
ゴブリンの歩兵。
彼ら一人一人は大した力を持たず、成人男性が棒切れでも持てば撃退可能な程度の力しかない。
だが、集まり群れをなすことでその脅威度は跳ね上がる。
ゴブリンの弓兵団
召喚者:なし
名前:XXXX
種族:ゴブリン
属性:土
召喚コスト:1マナ
攻撃/防御:1/1
スキル:なし
詳細
ゴブリンの弓兵。
ゴブリンの中でも手先が器用な者たちでなる。
練度はお世辞にも高くはないが、それでも数が集まれば脅威となるだろう。
ゴブリンナイト
召喚者:なし
名前:XXXX
種族:ゴブリン
属性:土
召喚コスト:2マナ
攻撃/防御:1/1
スキル:ゴブリンの小隊長
このユニットが場に存在している時、無条件で種族ゴブリンのユニットの攻撃か防御を1引き上げることができる。
ただし、効果対象は最大2ユニットまでであり、同系統の種族強化スキルを持つユニットは対象とならない。
詳細
ゴブリンを束ねし者。
百名前後のゴブリンを束ねるだけの指導力を有する。
群れの長に納まっていることも少なくなく、彼らが誕生するだけで小さな村は崩壊の危機すら迎えることもある。
より大きな群れの中にいる場合には、小隊か中隊規模のゴブリンを指揮していることが多い。
個としての強さは熟練の兵士に相当する。