08 打倒
サミュエルが立ち止まり、ふり返って、再びこちらへやってきた。
「何用でございましょう」
「グレイス様は元気にしているのか」
とたんにサミュエルがおや? という顔をした。怪訝そうな顔つきだ。どうやらオリバーらしからぬことを口にしてしまったらしい。オリバーが誰なのかもわかっていないから仕方がない。
ただひとつ明確にわかっていることがある。それはこの男を倒さなければ前へは進めないということだった。これだけははっきりとわかっていた。
あらぬ方向を見上げて、サミュエルは何か思案している様子だ。
「どうした。グレイスは元気にしているのか」
声を強めて言った。
「は。グレイス様にはお変わりなくお元気でございます」
話しながらもやはりどこか探るような目を向けてくる。
「オリバー様におかれましては、旅はいかかでございましたか」
「うむ」
さてどうしたものかと思いながらまず頷いてみせる。
「サミュエル! 腹が立つ!」
突然、扉の方角から威勢のいい声が聞こえた。
「あれほど会わぬといったのに! しつこいったら!」
カンカンという靴音と共にその姿があらわれた。
「あ!」
両手で口を押さえて、グレイスが驚いた表情をしている。
「兄上様。まさか」
「グレイス……」
兄上と聞こえた気がする。どういうことだ。
「おまえのことが心配で来たのだ。驚かしてすまない」
言い終わらぬうちに、だだだっとグレイスが駆け寄ってきた。
いきなり飛びついてきて、ぎゅっと抱き締められる。よろけつつ腕をひろげ、俺もグレイスの背中に手をまわす。
抱き締めると、グレイスのうなじから甘い香りが漂ってきて、くらくらしてしまう。
「すまないなど水くさいことを。久しぶりであろう。こうして会えてあたしはうれしくてならぬ」
「俺もうれしいよグレイス」
胸が苦しくなってくる。このまま連れて帰りたいと思った。
ふと視線を感じて横をみる。警戒心を露わにした表情でサミュエルが立っていた。不躾なその目つきを見て、早くしなければと思う。
「どうした、サミュエル」
「いえ。グレイス様がご無事で安心しておりまする」
取り澄ました顔で答えている。
「グレイス様、魔王様がお呼びでございます。ザカイアの間へおいでください」
「いいえ! いやだと申したであろう!」
ふたりのやりとりを聞きながら、俺は、剣の柄をそろりと握る。
「しかしグレイス様――」
剣先をサミュエルに向けた。サミュエルの目が見開かれて信じられないという表情をしている。
さらに剣をサミュエルに近づけ、胸元に突きつける。あともう少しでぐさりといく、というところで止めている。
「兄上様……?」
剣を持ったままちらりとグレイスを見て、ウィンクをしてみせる。
『ああっ』という口をして、グレイスが両手を頬に当てた。
「もしかして……」
「オリバー様いったいどうなされたのです。このようなことをなさっては魔王様が黙ってはおりませぬ」
サミュエルが引きつった顔をして早口で捲し立てている。額に汗が滲んでいるのがみえる。
「グレイス様の兄君といえども許されることではござりませぬ。どうか、オリバー様」
「俺はオリバーではない。勇人だ!」
声に力を籠め、剣を構えなおす。ずしりと剣が重みを増した。
言葉も動きもぴたりと止まってサミュエルがまじまじと俺を見つめる。
「勇人だと」
笑みが浮かんだ。呪文を唱え始めている。何度も何度も同じ呪文を唱えている。剣を振り払おうとしているようだった。
サミュエルの顔から笑みが消える。
「なにゆえ……なにゆえ効かぬ」
左右に首を振って、俺を見て、グレイスを見て、また俺を見た。それから再び口のなかでなにやら呪文を唱え始めている。
「ええいっ。なぜだ」
言葉を切って、サミュエルは剣先から飛び退いた。こちらをふり向き必死の形相で、サミュエルはぱっと拳を握って、ひろげた。もう一度握ったときには黒い杖を掴んでいた。
「愚か者めが。何をしに来た」
「グレイスを取り戻しに来たんだよ」
ふたたび剣がずんと、さらに重みを増した。
サミュエルが杖をこちらへ向けている。だが一昨日のときとは違う。俺は何も感じなかった。
ゆっくりと剣を構えてサミュエルに近づいていく。サミュエルは杖を振りまわし、わけのわからぬ呪文を虚しく唱えている。
「なぜだ」
そう言ってはっと思い当たったようにサミュエルが俺の持つ剣を凝視した。
「この剣――」
その隙を逃さず、剣を振りかざす。サミュエルにむかって振りおろす。
白くまばゆい光が剣からあふれ出ていた。
サミュエルの両膝が床をつく。それからどうっと全身が崩れ落ちていった。
倒れたサミュエルの体のもとへグレイスが駆けよった。腰を落として立て膝になっている。うつぶせに倒れている側近の肩に手をあて、それから、俺を見た。
「サミュエルはどうなったのだ」
「倒した」
もう一度サミュエルの体をみて、グレイスは何かを呟いている。
立ち上がったグレイスが、俺のそばへやってくる。
「ほんとうに勇人なのか」
剣を持った手を下げる。近づいてくるグレイスを見つめる。
「勇人なのだな」
見上げてくるグレイスの目、二日ぶりにみる青い瞳。
「ああ。俺は勇人だ」
ふうとグレイスが息を吐いて、眉をつり上げた。
「ややこしすぎる。どう見ても兄上様にしかみえぬ」
すいと両手を伸ばしてグレイスが俺の頬をごしごしと撫でた。
その手のうえに剣を持っていない手を合わせる。温かい。グレイスの手の温かさに心が柔らかくなっていく。
だが、そのグレイスの手を離して、俺は剣を握った手に力をこめた。
「次は――魔王だ」