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06 転生

 俺が痛みからようやく解放されたとき通路にはもう誰もいなかった。

 魔王に遣わされた側近のサミュエルによってグレイスは連れ去られていた。

 



 翌朝。


 目覚めてすぐにグレイスがいないということを思い出す。

 紫色の長い髪。にっと笑った顔。つんとした横顔。組んだ素足。青い瞳。スライドショーの画像が数秒間隔で切りかわっていくようにグレイスの姿が次々と浮かぶ。


 いまにもここへ現れるのではないかとつい部屋のなかを目で探してしまう。


 この瞬間も、異世界でひとり、こちらへ戻りたいと悲しんでいるであろうグレイスのことを想うと、いてもたってもいられない気持ちに駆られる。早く。早く何とかしなければと、気持ちばかりが急く。


 ぴろぴろぴろと電子音が鳴っていた。

 枕元で充電中だったスマートフォンを手に取る。


「坂下?」


 液晶画面にメール着信のお知らせがある。俺のメール受信履歴には個人からのものは一件もない。サマゾン様やムフー様、ネットバンク様などからのメールばかりなのだ。


 坂下とは同じ高校からいまの大学へともに進学した。高三のとき同じクラスで仲は良かったほうだ。事故のあとも入学当初もなにかと話しかけてきた男だった。一度だけこの部屋にも来たことがある。といって無遠慮なところはなかった。あのころは彼の気遣いがありありとわかってかえってそれが心苦しかったのだ。


 いまはもう友人といえるほどのつき合いはないのだが――。

 何事だろうとメールを開く。


『いまからそっちいく』


 ええええええ。

 よくみると昨夜もメールを一通もらっていたようだ。通話の受信も一回。どはー。まあ昨日はそれどころではなかったからな。


 現在時刻を確認すると午前十一時十分だ。


 『いまどこ』と返信する。


 一分後。ぴろりんと着信音がした。

 『おまえんちの前 コンビニ』


 近い。


 ほぼ着いているといっていい。

 本当に来る気でいるらしい。


 もうしわけないが断ろう。

 いままでずっとそうしてきた。


 断りのメールを書こうとして――なぜか手が止まった。

 

 柔和な坂下の丸い顔が浮かぶ。

 小さな目に小さな鼻。どことなく愛嬌があってちょっと世話好きなところもある男。


 昔からそうだったなと高校時代を思いだしていると、だんだんと素直な気持ちが湧いてくる。


 このままだと俺は、この部屋にひとりで籠もり、ひたすらグレイスの幻影に浸るだけの日々を過ごしてしまいそうだ。どうすればいいのだという堂々巡りばかりで、ますます落ち込んでいくだけだろう。


 スマートフォンを握り直す。

 坂下あてに『りょ』と二文字だけ打って返信した。



  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ぴんぽんとインターフォンが聞こえた。

 玄関のドアをあけると坂下の笑顔があった。


「元気か」

「なんとか」


 靴箱とは反対側の棚に目をやった坂下が「……お」と声を漏らしている。

 そこには淡いピンク色のミニバラを挿した花びんがある。


「花なんか飾って。どうしたんだい」

「いやこれは」


 よほど意外だったのだろう。靴を脱いだあとも坂下は花をちらりと眺めてそれから歩きだした。


 このミニバラもそうなのだが、江里花と住むようになって俺の部屋には物が増えている。


 もっとも賑やかになったのは、以前はガスコンロ台も置いていなかったキッチンだが、玄関や洗面台のある脱衣所内なども雰囲気がずいぶんと変わった。


 部屋のカーテンも替わっているし、装飾品や化粧品の置かれた一角もできている。ベッドには枕がふたつあった。


 コンビニで買ったというペットボトルとおにぎりを坂下は持参していた。

 扉を開け、二人で部屋に入っていく。


 坂下がぴたりと足を止める。


「お? おー?! 勇人おまえ」


 こっちをふり返った坂下の顔が輝いている。


「枕がふたつか! カーテン花柄か! ふほー。彼女ができたのか! そうか。そういうことか」


「ちがう。そういうことじゃない」


 手で坂下の背中を軽く押して部屋のなかへと進ませる。

 テーブルの前に落ちついた坂下は柔らかい笑顔を見せた。顔が緩んでいる。


「いいじゃないか。めでたいことだろ」


 言いながら坂下はおにぎりの外装セロファンをぴりりと破っている。


「よかったなあ。彼女ができたとはなあ。ほんっとに安心したんだぜ。よかったよかった」


「ああ……まあ」


 恋人ができたと誤解されているようだ。それを解くのも大変そうだから、とりあえず俺は、否定も肯定もしないことにした。そしてここは話題を変えようと思った。


「ところで何かあったの。急でびっくりしたよ」


「すまんな。この近くまでくる用事があったもんでついでにさ。いやあ、ずっとおまえに連絡取らなきゃと思ってたんだよ」


 お茶をぐびぐびと飲んで坂下がひと息ついた。俺もペットボトルの蓋を開ける。


「勇人さ、実家にも最近帰ってないんだろ? おれ夏に帰ったときおまえのお袋さんにばったり会ったんだ。商店街でさ。心配してたぞ」


「ああ。――盆にも帰らなかったな。そういえば」


 あの時期は地下十階くらいまで俺は沈んでいた。思い返しただけでも気が重くなってくる。


「年末には帰るよ」


「うん。そのほうがいいよ」


 親指にご飯粒をつけたまま坂下が頷いている。


「花束をお供えしてきたよ。事故現場に」


 急降下してきた爆撃機に銃弾をくらった。あるいは胸にどさりと土嚢を積まれた。そんな気分になる。


 辛うじてなんでもないような顔を取り繕う。だが心のなかにはぐわんぐわんと渦巻きができていく。そこがぎりぎりと痛む。


 ――あのときもそうだった。昨日もそうだった。俺は無力で何もできなかった。


 そんな俺の淀みに坂下は気づくことなく話をつづけている。


「最近聞いたんだけどさ。盆のあとにね、また事故があったらしいよ」


「……え」


 手に持っていたペットボトルを俺はテーブルへ置いた。


「な。やばいだろあの場所。真崎のときと同じでさ。トラックに轢かれたってきいた」


 時間が止まったような気がする。


 がっちりと何かに掴まれたみたいで首が動かない。体中に力が入っている。


 なぜかはわからない。


 頭のなかでは、ばかみたいに、『トラックに轢かれた』という坂下の言葉が、何度も何度もリフレインしている。


 江里花はトラックに轢かれて異世界へ転生したと言っていた。

 だったら……俺も同じ目に遭えば異世界へ行けるのではないだろうか……?


 そんな考えが頭に浮かんでいた。


 グレイスが戻ってくるのを待つしかないと思っていた。それ以外に会える方法はないと思っていた。


 だが、そうじゃないかもしれない。


 俺が異世界へ行ってグレイスを連れ戻してくればいいのだ。


 確証はない。

 死んでそのまま転生できないことだってあるかもしれない。いやその確率の方が高いのではないか。


 だがわずかでも可能性があるのなら――。それをすべきではないか?



  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 坂下が帰ると、俺は服を着替えて部屋を出た。


 駅に着く。故郷まで新幹線の切符を購入する。


 あの最後の日。江里花が立っていた交差点。

 その場所を目指して俺は車両に乗りこんだ。


 四時間後。俺は駅のホームに降り立っている。事故の起こった時刻までまだ一時間ある。俺は、あの日と同じ場所、同じ時間に合わせようと考えていた。


 閑散とした改札口を通り駅前の通りに出る。しんとした空気に包まれる。


 バスに揺られて海岸通りへと向かう。

 窓から海が見える。

 白っぽい薄い色をした水平線を眺めながら、心がだんだんと鎮まっていく。


 バス停についてドアを出る。アスファルトの地面に足を着ける。防波堤が遠くまっすぐに伸びているのが目に入る。


 走り去るバス。後続の車が走っていく。対向車線は途切れなく車が走っていっている。


 ガードレール沿いに横断歩道へと歩いた。江里花と歩いたことを思いだす。磯の香りに胸が締めつけられる。あの日とはちがう海の色。


 赤信号だった。


 横断歩道で足を止める。

 あとは――。あとは。トラックが来るのを待つだけだ。



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