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02 魔女

 高い天井から床までビロードのような滑らかな生地のカーテンが掛かっている。

 広々とした空間に彫刻の施されたテーブルが中央にひとつ。

 壁の近くには背もたれの二メートルはありそうな肘掛け椅子がある。


 椅子には髪の長い女が座っている。

 膝丈の紫色のスカート。組んだ足の片方をぶらぶらと揺らしていて、赤い靴が振り子のように動いている。


 男がひとり、女の前に跪いていた。


「グレイス様」


 顔を上げた男は床についた膝ごと一歩前へとにじり寄った。


「どうか早まった行動はなさらぬよう――」


「うるさい。おまえの言うことなど聞かぬ」


 切って捨てる勢いで女が鋭い声で答えた。吊り上がり気味の眉がさらにあがっている。青く透き通った瞳が、男の頭上をこえた、何もない空間をきりりと見つめている。


「行く。行くと決めた」


「いいえ、グレイス様。どうかいま一度お考えくださいますよう」


 グレイスの側近、サミュエルは抑えた声でなおもつづける。


「なぜ? どうして行ってはいけない」


「よろしいですか、グレイス様」


 さらににじり寄ってサミュエルは、魔女グレイスの足元へあと数歩までに近づいている。魔女は顔をしかめて左方の壁に目をやった。彼の言葉を真剣に聞く気はない様子である。


「グレイス様は人間ではございません。いまさら元の世界へ戻られましても、元のお身体はすでに『墓』という場所へ納められております。かの世界にあなた様は存在いたしませぬ。その、いまのお姿では完全に別人と申しますか――誰にも元の人間であるとは思われませぬ」


「そんなことぐらい、わかっておる。ここへ転生して鏡を見たときがいちばんショックだったからな」


 ばさりと音がして魔女が片手で開いた扇子を仰ぎはじめる。


「いちいちわかっていることをくどくどと」


「は」


「といっても、おまえには理解できぬであろう。こんな格好をして、まるきり知らぬ女の顔になっていて、いきなりおぬしは魔女であると言われて、どれほど驚いたことか。転生といわれても意味がわからぬ。あんなじじいが魔王だとは説明されても納得がいかぬ。いずれはわが妻となり国を治める魔女となってほしいだって? 冗談としか思えないだろう」


 ぷくりとした艶やかな唇がわずかに歪む。


「――ふ。このようなこと、おまえに言っても無駄だったな」


「いいえ、グレイス様。お気持ちはお察しいたしまする」


「ふん。なにがお察しだ。ばかもの」


 手にした扇子でばさばさと仰ぎ、またばさりと閉じた。


「しかもこの言葉遣い。普通に喋っているのに、どうしてこのような話し方になってしまうのだ」


「それはグレイス様。以前にも申しあげましたが、転生されてすぐに付加された能力でございます。お言葉を発するとき、自動的に魔女仕様へ変換できるという能力を、グレイス様は備えておられますゆえ。――それからこれはまだご存じないかと思いますが」


 側近はその口ひげに拳をあて咳払いをした。


「この能力は近年になって編み出されたものなのです。魔王様がこの世界の魔術師を数名集めて特別に作るよう仰せられました。我々の世界においてなかなかに画期的な能力なのでございます」


「よけいな能力を付加しおって。あたしはいまだに慣れないのだ」


「申しわけございません。まだ完璧には動作しないといいますか、完成された能力ではないと聞き及んでおります。魔術師たちの話によれば、どうも、すべてがうまく変換できるようにはならなかったようですな。特に人称はどうしてもうまくいかなかったそうです」


「にんしょう?」


「一律に『我』と変換されるよう開発すべく努めたそうですが、これだけはどうしてもできなかったとか。ですからそのせいではないかと存じまする」


「ばかばかしいことを。あたしは『我』なんて言いたくないぞ。いまからでもこの能力を取り除くことはできないのか」


「グレイス様……。グレイス様がこちらの世界に来られて既に7クアーリになられます。ええ。元の世界の単位でいえば一年でございます。そろそろこちらに慣れていただかなくては色々と支障もでてまいります。あれほど寛容な魔王様ですが、最近では、目にあまることが多いとさすがに零されておいでです」


 椅子の背もたれから体を離し、魔女が背筋をぴんと伸ばした。


「何を言っておる」


 一段と声が強まっている。


「寛容も何もないであろう。あたしはまだ高校生だったのだよ。就活対策の課外授業を欠かさず受け、面接の実技練習も全力投球し、第一希望である一社目の面接で内定が決まった、これからというときだったのだ。にもかかわらず、あの日――」


 こつこつと扇子の要を肘あてに当てる音が響く。


「まさかこのような身体に生まれ変わるとはな。目も口も大きな、まるでアニメに出てくるプリンセスのごとくになっておる。鏡を見るたびおかしな気がしてしかたない」


「おかしいなどそのようなことはございませぬ。グレイス様のお美しさは、以前から魔王様がそれはそれは愛でておられて、いまも変わらず大切になされておられます」


 ふううとグレイスの口からため息が漏れる。


「どう申せばいいのかのう。現実離れしておろう。いや確かにこれは現実ではない。異世界であるな」


 声を立てて笑ったグレイスだが、すぐにその唇は引き締められた。


「ともかく。行くと決めた」


「なりませぬ」


 即座に否定したサミュエルの言葉を聞いて、グレイスが立ち上がった。


「おまえは己の立場がわかっていないのか。あたしに指図しているつもり」


「いいえ。めっそうもございません」


 手を左右に振ってサミュエルがまっすぐに魔女をみつめた。


「わたくしはただ、ただ。グレイス様のことが心配で」


「なにが心配なのか。元の世界へ行って同級生に会ってくるだけだ」


「ですから心配でならないのです」


 身を乗りだしてサミュエルは魔女グレイスを見上げている。


「たとえ会いに行かれましても。その同級生とやらはグレイス様のことを知りませぬ」


 魔女が側近を見下ろす。唇の両端があがって微笑みが浮かんでいる。


「ふん。そのようなことはないのだよ」


 どこか楽しげにも聞こえる口調であった。




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