13 対決
椅子から立ち上がった魔王は、片手をあげ、手のひらをこちらに向けた。
俺は両手で剣を構えていた。
目の前の魔王を倒す。自分にはそれができる。いまの俺には『それができる』ということがわかっている。そして必ずグレイスの待つ部屋へ戻るのだ。あの疲労しきったグレイスも笑顔になって迎えてくれるだろう。
柄を握った指がじんじんと熱く、しだいに手首へ腕へとひろがっていっている。体が膨らんでいくような感覚があった。
ゆっくりと柄を握り直す。こちらを睨んでいる魔王の目をにらみ返す。
魔王の指が小刻みに動いている。軽快な、ピアノの鍵盤でトリルを弾くように指を動かしながら、手のひらは胸元から顎のあたりまで弧を描きつつある。きらめく指輪がぴかぴかと光っている。
突然、柄を握った指にずんと鈍い痛みが走る。構えていた剣に何かが当たり弾け飛んだのだ。
「弾いた? どういうことだ? その剣は――オリバーの剣だろ?」
当惑した魔王がつぶやいている。
構わず、剣を振りかざす。
剣は白い光を放ち始めていた。
見つめる魔王の目が見開かれていく。
「柄の刻印が変わっている……」
その言葉に一瞬気を取られてしまう。
白い光を、魔王のいくつもの指輪がぎらぎらと反射して、さらに輝きを増していく。四方八方へと飛び散った光が、俺に向かって飛んでくる。
目が眩んでよろめいた。
どんっと胸を押されるようにして体ごと飛ばされてしまう。
背中に激痛が押しよせる。
俺は仰向けに倒れていた。うめき声がもれてしまう。
手に剣がないことに気づく。
真横に長椅子の脚があった。さらに先の絨毯の上に剣が転がっているのが見えた。
身を起こそうとして力が入らない。這うようにしてじりじりと剣に近づいていく。
「あれはシルヴァの刻印だな。悪いが俺の勝ちだ」
後方頭上から声が聞こえた。剣に伸ばそうとしていた手を止める。
「オリバーの剣が刻印の剣に変わっていたとはな。サミュエルがあっさりやられたはずだ」
ふり返る間もなく、太ももに鋭い痛みがあった。痛みに耐えながら体を半回転させたとき、今度は背中に衝撃があった。
「く、くそう……」
背中に手を回すとぬるりと温かい。血だ。
腕を剣の方へ伸ばす。じわじわと近づいていく。腹にも傷があるのか、絨毯の濡れていく感触がある。
編み上げの黒いブーツが見えた。魔王の足だ。
「さらば。オリバーよ」
その足が、剣の刃を踏んでいる。
全身の力を振り絞って反対側に体を回転させる。背中が熱い。口の中が苦い。
ぼっという音とともにすぐ横の絨毯に穴が開いている。まるくそこだけが黒い。
もういちど回転する。頭の上のほうで追いかけるように再度、ぼっという音がきこえる。
渾身の力をこめて両手で絨毯を押し、上半身を起こす。ゆらりと揺れそうなのを辛うじて堪え、靴で床を踏みしめて立ち上がる。
足元の絨毯には二カ所、黒く大きな穴が開いていた。
そのとき魔王は、ブーツで踏んだ剣を手に取ろうとして前屈みになっていた。
腕を伸ばして人差し指を一本立てる。腕の膨らんだ感覚が一気に強まった。張り裂けそうだ。唇を噛みしめてぎりぎりと堪える。
しゅうううううるるるると腕が萎んでいく感覚が急激に湧き起こる。
魔王が燃えていた。
「なにを……なにを。オリバーやめろやめてくれオリバーやめるんだ」
前へ後ろへ、右へ左へと、頭を抱えた格好で魔王が歩きまわっている。
人差し指を左右に揺らす。腕から肩にかけてどんどんと膨らんでいく感覚が増していく。
指の動きに合わせて魔王も揺れる。
炎に包まれてもはや黒い影にしか見えない魔王が、振り子のようにあちらへこちらへとふらふらとよろめいている。糸でつられた人形のような動きだった。最後に、腕が、指が、円を描こうとする動きを見せたが、やがてだらんと垂れ下がる。
揺らしていた人差し指をゆっくりと止める。
魔王の動きが止まる。炎が消えている。周囲の絨毯がぶすぶすと燻っている。そのなかに白くぼうっと光りつづける剣が、横たわっていた。
ぎゅっと拳を握って胸の前で止める。
ぴたりと止まっていた魔王の体が、糸が切れたように、どうと床に倒れた。
剣のそばへ近づいていく。
やっと掴んだ剣の柄を俺は両手で握る。ずしんずしんと剣が重みを増していっている。白い光がますますまばゆくなっていく。
両足をふんばって俺はよろよろと剣を構える。
柄をぎゅっと握り、魔王だったものを見おろした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最後のとどめをさして、俺は、息を吐いた。
ぜいぜいと肩で息をしてしまう。細い空気しか体に入ってこなくて苦しい。
重い足を引きずる。
剣を杖代わりにして、魔王の部屋を出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
屋敷を出た俺は霧のなかをげほげほと喉を鳴らしながら歩いている。
やがて現れた真っ暗闇の通路を通っていく。
何も考えていなかった。何も頭には浮かばなかった。
苦痛と渇きだけを供にただひたすら歩いていく。
右足をだして、引きずる左足を出して、杖をつき、立ち止まって息を整え、また歩く。
通路の出口から光と渦が見えてくる。
渦の向こうに書棚の背がみえた。
まだ一日も経っていないのに、懐かしさが込みあげてきている。
通路を出て、渦をくぐり抜ける。
書棚の横を回って――。
俺は、サミュエルの部屋にたどり着いた。




