祀られる恋
これは宗教が浸透している世界。地域、民族ごとに異なる神を祀り、その祭祀方法も様々である。祈り、懺悔、供え物、そして生贄。神として祀り上げられる女の子と、その幼馴染の男の子。これは、そんな物語……。
ルナとジャックは生まれた頃からずっと一緒だった。ルナの母親はルナを産むと同時に亡くなってしまった。父は出稼ぎで家にいないことが多い。だからルナはいつも、ジャンクの家に預けられて育った。その時から数えて十五年、二人は一度も喧嘩をしたことがないくらい仲がよかった。ただの遊び仲間だったのが、いつの間にかお互いを意識し始めた。何度となく手を繋いで走り回った道を、恥ずかしそうにモジモジしながら歩いた。目が合うだけで、真っ赤になった。指先が触れれば、心臓が外に聞こえるくらい強く拍動する。二人の様子はジャックの両親の目から見ても、微笑ましいくらいに初々しかった。
「付き合っちゃいなさいよ」
いつかの夕食で、ジャックの母親が突然そう言い出した。二人は見る見る赤くなり、お互い逆方向に目を逸らした。
「な、何言ってんだよ。母さん」
「な、何言ってるの。おばさん」
二人の声がそろった。満足そうに笑うジャックの母親の前で、二人はますます赤くなった。結局、ジャックの母親の言うとおりに二人は付き合うようになった。純粋で、初心だった二人は手を繋ぐことにさえかなりの時間をかけた。それでも十分、二人は幸せだった。あの日までは。
それは、秋の終わりの日だった。落葉樹の葉が小道を覆って、木に残された最後の一枚の葉も冷たくなった風に吹き落とされた。二人の住む村では、毎年の祭祀の準備が始まった。ここまでなら例年と変わらない。問題は、今年は神の交代がある年だということだった。その村の信じる宗教では、神は人の形を取ることでのみその力が発揮されると信じられていた。そこで三十年に一度、村から一人“神”が選ばれる。いわゆる、生贄だ。村長の家では、村の年寄りや有力者が集まって誰を神にするか相談していた。神になるのは名誉と言われているが、誰だって自分の娘や息子を差し出したくない。数時間にも渡る討論の後、やっと一つの答えにたどり着いた。選ばれたのは、親が側にいない、ルナである。
ジャックの家で、ルナは村長から神に選ばれたことを聞いた。元々大人しい性格のルナは何も言えずにただ俯いた。
「名誉なことじゃ、ルナよ。おまえが神になれば、おまえの親と、友と、この村を全部おまえが守ったことになるんじゃ。神がいなければ、この村はやっていけない。よろしく頼むよ」
村長はふしばった手でルナの腕をポンポン叩いた。ルナは返事をしなかった。してもしなくても、結果は変わらない。この村で生きる以上、神を信仰しないなんて許されない。ルナだって神を信仰するように育てられてきた。断るなんて選択は、はじめから存在しない。
祭りの日が近づいてきた。村は盛り上がっていたが、ジャックの家は沈んだままだった。神になれと言われた日から、ルナは村長の家に軟禁されていた。ジャックにも、その両親にも手出しは出来なかった。
「ルナよ。どこに行くつもりだ?」
夜中に村長の家を抜け出そうとしたルナは、裏口の一歩手前で見つかってしまった。
「おまえが逃げたら、ジャックに神になってもらうぞ」
完全に脅しだった。ルナはほとんど反応しなかった。しばらくは床を見つめて、その後真直ぐに村長を見つめた。
「……村長。神になら私がなります。でも、もう一度、ジャックに会わせてください」
「いいだろう。会わせてやるから、大人しく部屋におれ」
ルナは小さく頷くと、それからは一歩も部屋から出ようとはしなかった。
祭りの前の日、村長は約束どおりにジャックを家に招いた。厳重な警備の中、ルナとジャックは村長の家の客間で会わされた。
「ルナ!ルナ、聞いて。母さんに聞いたんだ。嫌がる人間を神にするのは禁じられてる。今からでも嫌だって騒げば」
「いいの。私はジャックが、父さんが、おじさんとおばさんが、何の不自由なく生きられれば、それでいいの。ジャック、私、神になるよ」
ルナはそっとジャックのほうに身体を傾けた。ギュッとジャックのシャツを掴んで、泣いてるようにも見える微笑を浮かべた。ジャックは、言葉を搾り出すことが出来なかった。面会に許された時間はそこまで長くはなかった。十分もしない内に、ジャックは村長の家から引きずり出された。
祭りの日。ルナの父親は帰って来なかった。早朝から秋の収穫が振舞われ、村人たちは大騒ぎしていた。ルナは高級な絹のドレスを着せられて、村一番の上座で村人たちを眺めていた。ジャックの姿を探していたが、祭りの会場のどこにもいなかった。祭祀の本番は、夜になってからだ。それまで、ルナはずっと村人全員に監視されながら、上座で座っていないといけない。冷たくなった手で目の前の果物を一つ手に取った。一口齧る。こんな時でも、採れたての果物はみずみずしく美味しかった。
日が落ちると、村人は全員で神の祠に向かった。村長の家の後ろから続く小道の先。村長とルナ、村の護衛たちを先頭に歩いていった。ルナのドレスの裾につけられた鈴が、リンリンと爽やかな音で鳴いている。祠の前。若い村人たちは、初めて見る神の交代にワクワクしていた。祠が開いた。年老いた女が中にいた。両手の指を針で祠の奥の壁に固定されているように見える。三十年前の神だ。指が、針から引きぬかれる。針は元から祠の壁に固定されているもののようだ。指が針から離れると、女はゆっくりと歩いた。三十年も経っていると言うのに、女はまだ生きていた。一歩、二歩、祠から離れて、ルナの目の前に崩れて、土に帰った。村長がその女だった土に祈りを捧げる。
「ルナ~~!!!」
後ろから叫ぶ声が聞こえた。ジャックの声だ。振り返ると、護衛に押さえられたジャックが、それでも必死にルナのもとに行こうともがいていた。
「ルナよ。さあ、祠にお入り」
ジャックを完全に無視して、村長はルナに言った。後ろで護衛が少し強めのその背中を押す。ルナはもう一度だけジャックを振り返った。
「幸せになって」
ジャックには届かない声で呟いた。祠に入って、みんなの方を向く。自らの力で、十本の指を針の先端に押し付けた。骨ごと貫かれたというのに、声すら挙げなかった。ゆっくりと、祠の扉が閉められる。村人の声が、少しずつ、少しずつ遠ざかる。
祠の中で、ルナは血液が身体から流れ出ていくのを感じていた。その血が祠の壁の隙間から、裏の山の方に流れていく。不思議と意識はまだはっきりしていた。月が真上に昇って、扉の隙間から光が差し込んできた。それが紅かったのは月の色のせいなのか血の色のせいなのか、ルナには分からなかった。そういえば、先代の神は最後、ルナに向かって微笑んだようだった。神になるとは一体どういうものなのか、ルナは改めて考えた。
「君が今度の身体か」
不思議な声が聞こえて、身体がスッと軽くなった。流れていく血が、村を豊かにできると、根拠のない自信が沸いた。もうすぐ自分が自分じゃなくなる。それがはっきりと感じ取れる。もう、ジャックを思うことすら出来ない。自然と目から涙が溢れ出した。
「ジャック、あなたさえ幸せなら、私は神でもかまわない。だからきっと、幸せになって」
最後に残された意志で、小さく呟いた。目の前が暗くなって、自分が消えていった。村を守る。人々を守る。それ以外、考えられなくなった。流れていた血も色を失って、やがては液体とすら認識できなくなった。ルナは、神になった。
あれから三十年。ジャックは親の小言に根負けして、お見合いの末にお嫁さんを貰った。嫁と子供を側におきながら、その心は常に祠にあった。もうすぐ会える。すぐに土に帰ってしまうことが分かっていても、もう一度会いたかった。今回の神をかわいそうに思いながら、ジャックは祠に歩いていった。