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砕け散る恋

 これは化学が生物学と融合した世界。人造生物や生体ロボットが街中を歩く世界。そんな世界にもタブーはあった。禁忌を犯す化学者と、彼の造った最高傑作。これは、そんな物語……。


 ドクター・マリオットは優秀な化学者だった。三十そこそこだが、もう自分の研究室を抱えている。自分の他にも研究者が数十人。日夜科学の発展のために研究をしていた。ただ、その研究室には誰も知らない地下室があった。そこでは倫理に引っ掛かるであろうあらゆる実験がなされていた。そして今、マリオットが執心しているのは人造人間の作製だ。何度も失敗しては繰り返し実験を行なった。マリオットは天才である。動物のDNAを操作して人を作り出すのは並大抵のことではないが、形を作るだけなら何度も成功していた。後は知能を持たせるだけである。

 造った人造人間はこれで十体目だ。マリオットは逸る気持ちを抑えながら、培養器のスイッチを押した。培養液が排出されて、蓋が開く。一人の少女が、その双眸を開いた。潤んだ瞳が、ゆっくりとマリオットに焦点を合わせる。

「おれはドクター・マリオット、君の産みの親だ」

マリオットは自然と上がる口角を隠しはしなかった。

「どくたー」

少女の唇が震えた。

「君の名前は、そうだね、シリアンだ」

「しりあん」

この時のシリアンはまだはっきりと言葉を話せなかったが、マリオットは十分満足していた。少なくとも、言葉を理解できるほどの知能を持ったのは彼女が初めてである。マリオットは余暇のほとんど全ての時間を使ってシリアンに知識を教えた。シリアンはいいスポンジだった。三日もしないうちに本物の人間と同じように話すようになった。それだけではない。一度教えたことは二度と忘れなかった。本を読ませれば一字一句全部覚えた。そうして日を追ううちに、マリオットはシリアンを地下の実験室に閉じ込めるのを止めて自分の家におくようになった。シリアンは実に上手く家事をこなした。美しいシリアン。優しいシリアン。頭のいいシリアン。マリオットは自分でも気づかないうちに恋に落ちた。

 ドクター・マリオットは化学に執心する男であった。シリアンに惹かれている自分を無視して、ただひたすら研究に打ち込んだ。当然、人造人間であるシリアンに対しても実験は行なわれた。薄暗い地下室で、シリアンは大人しくその実験を受けた。シリアンもまた、この一心不乱に研究を続ける男に惹かれていた。自分の産みの親であり、初めて見た人間であるこの男に恋していた。人造人間たるシリアンは眠らない。そこに対して、マリオットは興味を持った。この国には国王も含めて失眠に悩む人が多い。マリオットは彼女を眠らせようと、何度も実験を繰り返した。そうして疲れきってソファーで眠ると、シリアンがその肩に毛布をかけた。二人の関係が曖昧なまま時間は過ぎた。ある日突然、シリアンの身体が崩れ始めた。仕方なくマリオットはシリアンを培養器の中に戻した。シリアンが側にいなくなって、マリオットは急にシリアンに惹かれる自分を無視できなくなった。家にシリアンがいないと思うだけで、どうしようもなく寂しくなった。マリオットは自分が造った作品に、完全に心を奪われていた。

 シリアンが再び培養器から出ると、マリオットは地下室での実験をパタリと止めた。代わりに助手として、シリアンを表の研究室に連れて行くようになった。昔のマリオットなら、シリアンの存在がばれるような真似はしなかった。側にいたいという気持ちが彼の理性を超えたのだ。研究員たちはそれはそれは驚いた。

「ドクター・マリオットが女性を側に置くなんて」

「天地がひっくり返ったのか?」

囁かれる噂を気にすることなく、シリアンは笑顔を振りまいて働いた。あまりにも良く働いた。その疲れ知らずの働きぶりと、驚異的な記憶力は研究員の間に疑問を生んだ。そしてこれは、研究室内に留まらなかった。マリオットはかなり前から倫理委員会に目をつけられていた。研究員の中に自分たちのスパイを忍ばせるのは、当然のことだった。シリアンのことを知った倫理委員会は、そのスパイに命じてシリアンの髪の毛を手に入れさせた。検査の結果は明白だった。ドクター・マリオットは告発された。


 マリオットは亡命を始めた。名誉も、地位も、富も、全部捨ててシリアンだけをつれて逃げた。シリアンははじめ、なぜマリオットが逃げているのか分からなかった。ただその慌しさから、何かしら重大なことが起きていることは察していた。

 国境近くの街の小さな旅館で、シリアンは買い物に出かけたマリオットを待っていた。窓から外を眺めて、木に一枚の紙が引っかかっているのを見つけた。それは古い巨木で、部屋の窓から枝に触れることが出来た。シリアンは窓に乗り上げるようにして手を伸ばし、その紙を取った。それは新聞であった。「ドクター・マリオットの大罪」と題を打った一面の記事。シリアンはやっと状況が分かった。新聞をクシャクシャに握り締めて、シリアンは脳をフル回転させた。なんとかしてマリオットを助けたかった。この大きな倫理問題を不問にできるほどの大きな発見。いや、ここは王国だ。王が許そうとさえ思えば、それでいい。マリオットが戻ってきた時、シリアンは何事もなかったかのように彼を出迎えた。軽く食事を取り、マリオットだけ眠りについた。シリアンはそれを確かめると、紙とペンを探し出して複雑な化学式をいくつも書いた。最後の結果を見て、シリアンは唇を噛み締めた。新しい紙になにやら走り書きして、そっと部屋を出た。

 翌日。旅館の部屋を出た途端、二人は国境警備兵に囲まれた。そのまま一番近い都市に連行され、ホテルの一室に軟禁された。そのまま三日が経った。三日目の夜に、兵士の態度が突然変わった。急に、礼儀正しくなった。シリアンは自分の計画が成功したのを知った。マリオットにとって、兵士たちの態度の変化はさほど重要ではなかった。彼が気になったのは、シリアンが少し寂しそうに見えることだった。気になるからといって答えが見つかるわけでもない。マリオットはとりあえずシリアンを窓際に呼んだ。予報によれば、今夜は流星群が流れるはずだ。

 流星群は確かに来たが、二人が見惚れたのは月のほうだった。この日の月は初めてみる朱い月だった。シリアンはそれを美しいと言って笑った。

「ドクター。私がいなくなっても、元気でいてくださいね」

彼女は突然言った。マリオットの目を見つめて、一枚の紙を差し出した。そこにはシリアンの仮説が書かれていた。それによれば、これまでの彼女の睡眠に対する実験は全部成功していた。ただ、人造人間であるシリアンにとって、眠ることは身体が崩れることに直結する。確かに一度は崩れかけた。それをマリオットが無理に立て直したのだ。あれから大分時間が経っているわけだから、もうすぐまた崩れるはずである、と。

「ドクターは私を眠らせようと様々な物質を投与してくださいました。私の仮説では、崩れた私の身体こそが、最も有効な失眠症の薬になるはずです」

マリオットは全てを悟った。

「倫理委員会に手紙かなんかを出したのか?」

「はい」

「おれが、国民のために禁忌を犯したとでも書いたのか?」

「国王様のためだと――」

シリアンの言葉はマリオットの熱い抱擁に遮られた。

「なんで!何でこんなことを」

明らかな泣き声だった。

「……好きだからです。ドクターのことが、好きだからです。だから、あなたには幸せでいて欲しい」

シリアンの声も震えていた。それは泣いていたからであり、身体が崩れる寸前だったからでもある。

「おれも……!おれもおまえのことが好きだ」

マリオットはさらに腕に力を入れた。

「ああ、うれしい。最後のその言葉が聴けて、うれしいです。ドクター」

幸せに満ち溢れた言葉はしかし、かなり弱くなっていた。マリオットは身体を離してシリアンを見た。もう顔の一部にまでヒビが入っている。

「マリオットだ。マリオットと呼んでくれ」

マリオットも声を小さくして頼んだ。少しでも大きな声を出せば、それでシリアンが壊れてしまうのではないかと恐れた。

「はい。マリオット。あいして、います」

それは囁きに近い声だった。

「ああ、シリアン。おれも愛している」

シリアンは微笑んだ。微笑んだまま、時が止まった。満開の桜が散っていくようだった。シリアンの欠片が剥がれて、ヒラヒラと舞い踊りながら地に落ちた。マリオットの腕の中で、その身体は次第に軽くなった。残されたのは、小さな山をなすシリアンの欠片と、主を失った衣服だけだった。


 床の欠片を、マリオットはできるだけ綺麗にかき集めた。テーブルからすべての物を退けて、テーブルクロスの上に広げた。無駄にはしない。その思いだけで、マリオットは欠片を粉にした。次の日に倫理委員が来た時、マリオットは声高々に国王への忠誠心を詠った。国王様の健康のためなら、禁忌を犯すことも厭わない、と。

 国王に捧げた薬には、確かな効果があった。マリオットは許された。もう地下室はないが、新しい実験室も与えられた。マリオットは今までと同じように実験に打ち込んだ。少なくとも、周りからはそう見える。しかし家に帰ると、マリオットは決まって自室に閉じこもった。鍵のかかった部屋の中で、あの日一枚だけ抜き出した欠片を見つめて、シリアンの匂いがする衣服を抱きしめて、マリオットはただ一人座る。窓から射し込む月光が、その横顔をボンヤリと照らしていた。

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