永遠に眠る恋
これは戦争の絶えない世界。人々は平穏と希望を追い続ける。人々は動乱と絶望の焼け野原を生み出す。最後の戦争に駆り出される青年と、その帰りをひたすら待ち続ける恋人。これは、そんな物語……。
秋平と雪は幼馴染であった。世界の半分以上が戦火に覆われる中、山深くに隠れるこの村で残り少ない平穏を噛み締めていた。二人はこの平穏がもう長くはないことを分かっていた。明日にでも徴兵令がこの村に降りるかもしれない。夜の村は常に不安に包まれていた。秋平と雪はすでに両家の親に挨拶を済ませていた。さっさと婚礼を挙げてしまった方いい。それは村中での共通認識だった。二人も同じだった。一日のほとんどを共に過ごし、婚礼に向けての準備を着々と進めていった。二人は婚礼をできる限り簡素にまとめた。服装は親のものを仕立て直し、結納品は最低範囲のものだけにした。速くしなければ、いつ離れ離れになるかなんて、分からないのだから。
二人の婚礼は村全体を挙げて執り行われた。皆が必要なものを持ち寄って、新しくあつらえた物は一つもない。それでも二人は十分幸せだった。
二日後。それはセミの良く鳴く夏の日だった。ついにその村に、徴兵令が下りた。政府の役人は十八以上四十以下の男子を徴兵すると宣言し、半強制的に村の男たちを兵士として登録した。秋平は二十歳。戦争に駆り出される事になった。出発の日、配給された古い鎖帷子を身に着けた秋平は広場に並んだ他の男たちと共に家族に別れを告げていた。すすり泣く声がどこからともなく聞こえてくる。
「いってらっしゃいませ、秋平様。お帰りになる日を、いつまでもお待ちしております」
溜めた涙を必死に堪えて、雪は無理に笑顔を作った。出発の時に、秋平を不安にするわけにはいかない。気丈に振舞う雪であったが、そのか弱い両手は秋平の胸の上で震えていた。秋平は右手で雪の両手を包んで、左手をその頬に当てた。
「大丈夫。必ず帰ってくるから」
優しい微笑を浮かべて、号令と共に振り向きもせずに村を出た。
村の外で、秋平は声を噛み殺して泣いた。村の中で、雪は悲しみのあまりにその場に崩れ落ちた。秋平は後ろ髪惹かれる思いを振り切って歩き続けた。戦争では死ぬ気で戦わないといけない。そしてそれには多くの勇気が必要だ。でももし振り返ったら、きっと臆病になる。死にたくないと願ったら、戦場では生き残れない。秋平の祖父は元将軍。戦場の法則は、子供の頃から教えられていた。雪は両親に支えられて部屋に戻った。もう秋平が見ていない。もう、我慢しなくてもいい。秋平を心配されないように必死に堪えた涙が、次から次へと溢れ出した。一度溢れた涙は止まらない。雪は一晩中泣き続けた。
女だらけの村で、雪は必死に働いた。この麦が秋平の糧になるように。この布が秋平の守りとなるように。そう願いながら、昼も夜も休みなく働き続けた。男だらけの戦場で、秋平は必死に戦った。生きて雪のもとに帰るように。雪の住む村に戦禍が火種が飛ばないように。そう願いながら、一歩も引かずに戦い続けた。秋平は強かった。鎖帷子は何度も血に染まり、何度も洗い流された。血がこびり付いた刀を何度も研ぎ、敵を斬り裂いた。秋平たちは勝利と敗北を繰り返し、敵にも味方にも多くの死傷者を生み出した。世界は疲労困憊していた。人員の補給さえ追いつかない。食料や衣服はなおさらだ。数十年も続いた世界戦争はこの時ようやく終わる気配を見せ始めたのだ。
「この戦争が終わったらどうするんだ?」
井戸水で刀を洗う秋平の隣から、その長官が問いかけた。今軍の中で一番流行っている話題だ。
「村に帰りますよ。雪が待っていますから」
秋平が答える。
「嫁か」
「はい。速く会いたいです」
秋平は刀を洗う手を止めて、星の瞬く夜空を眺めた。朱い三日月が掛かっている。
「そうか、悪いな。今晩、奇襲をかける。行けるか」
長官が問うた。しかし、長官が否定の答えを求めていないのは明らかだった。秋平は奇襲に参加する以外、選択肢がなかった。
村では、雪が収穫した麦を粉にしていた。働きづめだった雪は、すっかりやせ細っていた。その身体に鞭打って、雪は石臼をまわしていた。もう秋も終盤だというのに、額から大粒の汗が流れ落ちている。一段落ついたところで臼の淵に腰を下ろし、秋は袖で汗を拭った。
「秋平様。どうかご無事で」
そう呟きながら、戦場のどこかで秋平も見上げているかもしれない夜空に目をやった。これはもはや雪の習慣となしていた。こうすれば、秋平と繋がっているような気がした。この夜、雪の目に移った三日月は、朱く色付いていた。疲れすぎて目が変になったと思った。雪は早めに仕事を切り上げて部屋に戻った。
結果から言えば、奇襲作戦は成功だった。敵軍は敗走し、戦争の終焉に大きく貢献した。しかし奇襲だけを取れば、それは大きな失敗だったとも言える。奇襲に出かけた兵は百。誰一人として生きて帰ることはなかった。
その夜、敵に気づかれることを恐れた軍はほとんど偵察をしなかった。奇襲時間は今までの偵察から割り出され、その時までには巡回兵以外が全員就寝しているはずだった。しかし秋平たちが敵陣に切り込んだとき、ほとんどの兵はまだ就寝していなかった。奇襲は、惨烈な殲滅戦に変わった。もちろん、殲滅されたのは、秋平たちであった。
奇襲の兵の中でも、秋平は特に勇敢であった。体中にいくつもの斬り傷を創りながらも太刀を振るい、敵と自分の血液が混ざり合って鎖帷子に広がった。
「雪!ゆき!ユキ!」
唇からはいつの間にかそんな言葉が漏れ出していた。初め、それは小さな呟きであった。それが次第に大きくなり叫び声に変った。仲間が一人、また一人と倒れていく。半分になり、十人になり、五人になり、そしてついに秋平ただ一人になった。秋平は囲まれて、それでもなお戦った。刀が一つ、二つ秋平を貫いた。秋平の刀がギラリと光り、自分に刺さる敵を斬り捨てた。足元がふらついて、刀を支えになんとか体制を立て直す。息が荒くなっていたが、その目は鋭く敵兵を睨んでいた。敵兵は斬りかかって来なかった。一秒、一秒が引き伸ばされていく。ほんの数秒の出来事が、数時間にも感じられた。血が失われるのにしたがって、秋平の目が霞み始めた。刀では身体を支えられなくなった。膝を着いて、刀に体重を乗せる。ああ。もう終わる。それだけがはっきりと分かった。身体がゆっくりと後ろに倒れる。朱い月光が目に刺さった。自然と、涙が零れ落ちる。
「……雪」
唇をほとんど動かさずに囁いた。ああ。もう一度、もう一度だけ君に触れたい。もう一度わたしに向かって笑ってくれ。そう願う秋平の目は、静に閉じられた。秋平の味方の軍が押し寄せてきたのは、それから数分後のことである。
秋平戦死の一報は一人の負傷兵によって持ち帰られた。秋平の遺物である刀を抱えて、雪は涙を流すことすら出来なかった。一言も発することなく、おぼつかない足取りで部屋に戻った。扉を閉め、それに寄り掛かったまま滑り落ちるようにして蹲った。刀の鞘に額を預けて、目を瞑って秋平を思った。
「お願いです。帰ってきてください。約束しましたでしょう、秋平様」
叶わない願いであることは分かっていた。でも、そう願わずにはいられなかった。それからの雪は、どこへ行くにも、何をするにも常に秋平の刀を身に着けた。表情のない顔で、淡々と仕事をこなしていった。冬が過ぎて、春が来て、多くの兵士が帰ってきた。停戦、世界は静になった。後は平和条約を結びさえすればいい。もうすぐ戦争が終わる。
それからの雪は、多くの時間を自室に閉じこもって過ごした。刀を撫でながら、一人で過ごした。ある夜、雪は夢を見た。秋平が窓を戸を開けて帰って来る夢だった。身に着けた鎖帷子には乾いた血がこびり付いていたが、口元にはあの日と同じ、愛しむような微笑を浮かべていた。秋平が手を差し出した。おいで、そう言っているようだ。秋平の手に自分の手を重ねると、ふわりと抱きしめられた。
「秋平様、遅うございます。もう、待ちくたびれました」
「悪かった」
「はい。でも、嬉しゅうございます。約束どおり、帰ってきてくださいました」
雪は腕を回して、秋平の背中にしがみついた。髪の上に、水滴が落ちるのを感じた。
「愛しているよ、雪」
「はい、わたくしもです。秋平様」
雪は幸せそうに目を閉じた。ああ。もしこれが夢なら、永遠に覚めなければいい。
次の朝、世界中で戦争の終結を告げる鐘が鳴った。人々はやっと手に入れた平和に喜び、いたるところで祭りが開かれた。でも、雪の部屋の扉が開かれることはなかった。雪は幸せそうに微笑んだまま、ひたすら眠り続けた。




