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五番目の話「ワタシトトモダチニナッテクレマセンカ?」

俺は絹川山での虫取りの帰り道の途中、自転車で通るには狭い道を無理矢理進んでいた。そこで血を流し、倒れている人間を見つけてしまう。

 今日の集まりに参加していなかった瀧 順子だった。俺がこの少女のことを見間違えるわけがない。

 何故か服装はいつも通りの学校の制服。いつも見ている彼女の姿。

違う点は血を流し、服も所々汚れ破けていてボロボロ。そんな彼女を見て平気で居られるわけが無く、俺は自転車も放って瀧に駆け寄った。

「瀧!どうしたんだよ? ……こんな…………何で? とにかく起きろ!」

「起きてます」

 ガバァッと勢い良く上体を起こした瀧 順子。思いのほかピンピンしてるようだ。何せコイツは、本物じゃないんだからな……。

「…………くそ!」

 何考えてるんだ俺は。そろそろコイツを認めてやれるくらいの余裕が出来てきたのに!だから俺は、またあの部室に戻ろうと思ったんだろうが!

「すみません。周囲に人気がないのをいいことに、動作機能を止めて回復をしていました。毒を貰いまして、血液という形で体外に捨てていたのですが、驚かしてしまったようです」

「お前が来なかった理由って……何かと戦ってたからか?」

「はい。私は瀧 順子ですから。彼女がもし生きていた場合、貴方達の危険を看過することはないでしょうから」

「危険だって? おい、どういうことだ!」

 次の言葉を待つ俺の前で瀧は立ち上がろうとして、ズッコケた。それを二回繰り返したところで彼女は言った。

「自己回復では解毒出来ないようです。ここまで過信して歩いて、放って置いたのが間違いでした。私の家なら解決の見込みが有るので、そこまで運んでくれませんか?」

 瀧は自分の家の住所を教える。俺も頼みを聞いてやりたい。

「でもどうやってお前を持っていく?」

 どうやらコイツは体の自由が利かないらしい。運ぶのだったらおぶって行くとかになるだろう。相当恥ずかしいだろうが。

 しかし俺は自転車という荷物がある。荷台は無く、前に(かご)がおざなりに付いてるだけで、二人乗りは出来そうに無い。己を支えられない奴なら、俺に捕まるなんて無理だろうからな。

「少し待っててくれ。どこかに自転車置いてくる」

「それには及びません」

 瀧は自分を籠の上まで持ち上げるよう言う。おいおい無理だろうと彼女の背中と足に手をやって持ち上げ、籠の上に運んだ。これは自然とお姫様抱っこの形となり、近付いた彼女の顔と匂いに興奮を覚えたのは言うまでも無い。

「まさか籠に乗ろうとしてるのか?いくら小柄でも人間の体が入るわけ……」

「人間扱い感謝です。ですが生憎、私は人外ガールなので可能となります。ここに落としてください」

 すると瀧はお尻からすっぽり籠の中に納まったではないか。胸から上と膝から先を外に出して、綺麗に収納してしまう。まあ同時にバキボキといった骨が変形する無茶な音が聞こえたのだが。

「どうでしょう? 体を少し圧縮して、サーカスプレイをかまして見ました」

 狭い空間に体を無理に詰めているのであって、当然各部位も柔軟な変形を迫られる。何故そこを圧縮しなかったのか、瀧の胸は太ももと籠に圧迫され(おお)盛り上がりしているのだ。さらにスカートが捲くられ生足丸出し。足の肉が籠に食い込み、何やら大変。

 どうって? エロい。

 流石に危ないので瀧を籠に収めたまま、自転車に乗らずに押してゆくことにした。


 アパートに到着する。自転車を駐車し、瀧に肩を貸してやりながら、アパートの階段を上る。

『瀧』という名のネームプレートを見つけた。俺は瀧 順子と書いてある下の二つの空欄に気付く。これは…………?

「いや……」

 俺は(かぶり)を振って瀧の家に入った。人の家庭事情を詮索するものではない。

「そこは……父と母の名前が有った箇所です。死んだときに外しましたが」

「…………っ!」

 即答されてしまった。知らなくてもいい知識が記憶内に浸透する。

 コイツ、学校でも殆ど一人なのに、家でも独りぼっちなのか?

 瀧の普段の生活を想像してゾッとする。どこからも声が返ってこない家で、ただただ無機質な生活音を奏でる無楽無快の女。

俺には無理だ。

 部屋を進み寝室へ。取り合えず瀧に言われるままにベッドに寝かせた。寝れば治るってどうかと思うがな。

 数秒も経たずに瀧の呼吸音が一定になり、彼女は寝入ったようだ。あまりの寝付きの早さに呆気に取られつつも、俺は出口へと向かう。

 コイツの頼みは自分を家に運ぶまでだ。看病だとか手当てしてやるとか、それ以上のことは望んでいないだろう。まあコイツの体の構造なんてどうなってるか解らないからどうしようもないんだが。

俺としては話したいことが有った。最近ようやく感情の整理がついたのだ。だから一年前から逃げ続けている現実について、話がしたかった。憎く思ってたことを謝りたかった。化け物扱いしたことに頭を下げたかった。

 学校でちゃんと話そう。そう決めて家の玄関を開けると、自分とそっくりの顔の男が。



 室内に侵入物認識。状況の記録を開始。


「……おい洸、俺に何かしたのか」?

「改めて思い出させてやったんだよ。彼女のことを。その偽者のことも」

「く……、俺が避けようとしてもこういったことからは抜け出せないか……」

「どういう心境の変化だよ? 一年前はコッチの瀧 順子のことは嫌いだったんだろう? 本物を守れなかったくせに、いけしゃあしゃあと成り代わろうとしている化け物だ。本人の意思だというのも本当かどうか……。そんな奴と一緒に居たくないから、他人と付き合っていくのに諦めがついたから、もう一人の自分を『友達』として欲したんじゃないか? 僕に対する願いには、この偽者への憎しみと嫌悪も含まれていたはずなんだけどね」

「そ、それは…………! でも俺は最近やっと、まともに考えられたんだ。コイツの話を聞くことが出来るように」

「コイツはあのとき言ったよ。顔が全く同じなら、周囲の人間が瀧 順子だと名前を呼べば、ソイツが瀧 順子になると。だからこれから己は瀧 順子として彼女の人生の延長を生きてゆくってさ。それは瀧さんも望んでいたことだって言うけど、君は信じなかったろう? 僕が学校に行くのを許可したのだって、僕の力でこの人間の振りしたパチモンを痛めつけるないし殺すつもりだったんだろう?」

「そうだな…………」

「今コイツは凄い弱っている。殺るなら……今じゃないかな?」

「俺が知りたいことは他にも有る」

「何だよ?」

「今日どこに行っていたんだ?……虫取りから帰ってくる途中で見つけた瀧は、まるで闘ってきたみたいだった。もしかしてお前と一戦交えてきたからじゃないのか?」

「そうだよ。でも僕は襲われた方。僕が有馬公園に着いたちょうどに彼女も来たようでさ、後ろを見せた途端に瀧さんに不意打ちされたんだよ」

「な、何でアイツがそんなこと? お前ら同じドッペルゲンガーだろ!」

「よく考えてみてよ? 偽者は『瀧 順子』に成ると言ったんだ。当然御命士という肩書きも領分の一つだろ? 現に『瀧 順子』という存在は死んだ後でも、僕達のような異常物を『吉再』してきた裏切り者だよ」

「……でもアイツがドッペルゲンガーだって、仲間の御命士も気付くんじゃないか?」

「御命士ってゆうのはね、もの凄いレアな才能なんだ。一般人からすればその仲間の陰陽師とか、そういう超能力を持った奴なんてマイノリティーもいいところだろ? 陰陽師という異能集団からさらに稀有な存在として御命士があるのさ。瀧さんは見栄はって組織として自分達を呼称してたけど、本当は個人。陰陽師の組織の中で『言動や思い描いたものを現実にするよう星に申請できる力』(あのイカれた力)を持つ者を、御命士と言うんだよ」

「じゃあその力を絶やしたくないから、陰陽師達は瀧が化け物に摩り替わっても、アイツを重宝してるのか」

「重宝なんてものじゃない。瀧 順子はレアな陰陽師の中でもさらにレアな御命士の中でも、さらにさらに天才だったみたいだからね。希少度ウルトラクラスの彼女は、あの歳で組織の幹部待遇を受けてるらしいよ? だから今日もお勤めを果たそうとして、一人で居た僕に掛かって来たんだろう。まあ返り討ちにしてやったけど」

「解んないんだけどな……。どうして瀧は今日戦いを仕掛けたんだ? 人目を避けるにしても、お前をどっかに呼び出して真正面からやっつければいいだろう? アイツは強いんだから。なのにどうして不意打ちなんか……?」

「彪、作戦や卑怯を用いるときは大抵、損害を受けないためか、己より強い敵を倒す必要がある場合の二種類だ。この偽者が不意打ち一撃に賭けた理由は何でだろう?」

「まさか……こっちの瀧は同じ力が使えないのか?」

「そうだったら陰陽師共がバケモンを生かしておくわけないだろう? 一応コイツは能力も複製してるけど、それは本物の劣化品だ。本物はそれこそ望めば世界を自由に創造出来るような、無尽蔵サイコインフレ少女だったけど、この偽者は制限が有る。まあ瀧さんのよう『裏の世界』の人間がドッペルゲンガーを作るというケースが中々稀だけどね。ゆえに学校で『彼』の鮫の力に逆らえなかったから、その力が届かない絹川山で勝負を仕掛けてきたんだろう」

「彼の鮫? おい! それって去年瀧を殺したあの……!」

「おっと、ここから先は彪でも教えるわけにはいかないな。あと悪いね彪、僕らが闘ったせいで木は燃えるわ虫は逃げるわで大変だったでしょ? 人目を避けるために山の奥の方に場所を移したんだけど、瀧さんのあの手が爆発する炎の技が有るだろ? あれの全力を避けたっけ辺りが滅茶苦茶に吹っ飛んで、その余波で木がどんどん燃えちゃったんだ。多分せっかくの虫取りが中止になったんじゃないか?」

「お前達だったのか……! いや、そんなことはどうでもいい。おい洸! 彼って誰のことだ? もしかして他のドッペルゲンガーが瀧を殺したのか? 答えろ!」

「いや、あの事件に関ってるドッペルゲンガーは居ないよ。あの火を吹く鮫は……今回の黒幕の使い(ユーズドイヴィル)といったところかな。それじゃ僕は行くよ。止めを刺す心算でここに来たけど、それは彪の望む所ではないだろ? 僕としてはすぐにでも殺したい。でも洸の前では腕が鈍りそうだ。。後日、日を改めるとするよ」

「待て…………待てよ、待ってくれよ!お前、俺から離れるってゆうのか?」

「そうだよ」

「俺はどうすればいい? お前が居ないと俺はまた一人ぼっちじゃないか? 瀧と敵対してるのは解る。洸が一文字 ひかりのように人を殺す化け物なのも解った。でも俺には……お前が居てくれないと困るんだよ!」

「…………それなら心配いらないんじゃいかな? 彪はもう気付いてるはずだよ。僕以外にも彪が求めているものは、きっとそばに居るはずだよ?後は彪自身がそれを認めて、それに答えられるかだね」


 記録終了。


「介抱有難う御座います」

 瀧のドッペルゲンガーは開口一番にまず礼を言った。彼女は洸が部屋を出て行ってからしばらくして起きたのだ。今はベットから出て、床に向かい合って座っている。

「先程……ここに『誰か』来ましたね?

 既に察知していたのか、彼女はさして動じた様子も無く、そこら辺の家具に『話しかけた』のだ。

「命じます。この部屋で記録した今から一時間前までの『音』を再生してください」

 部屋全体が稼動する。箪笥や机といった家具達が震え始め、色々な音や声を出し始めた。それは瀧を運んできた足音やベットに下ろす音、俺自身の独り言、さらに洸が話した会話の内容まで何もかもだ。

何だこれは? この家そのものが大きなスピーカーみたいだ。

「事前に私が寝てから起きるまでの状況を記録するように命じているんですよ。と言ってもこの狭く限られた空間だからこその可能……というワケなんですが」

「な、成る程。これなら寝てる間に泥棒が来ても安心だな」

「…………」

「…………あのさ?」

「はい、何でしょう?」

「一年前のあの日、本当に瀧 順子は死ん……だんだよな?」

「はい」

 今初めて知った気分だ。以前コイツからそれを聞いたときは、全く実感が感じられなかった。いや、今でもそうだ。心の奥底では現実を拒否している己が居る。

 家具が再生する音声を聞き終えた瀧はこう言った。

「ここの場所を突き止められたのは痛いですね。あ、ここの場所覚えなくてもいいですよ? 明日には移りますから」

「…………ああ。なあ瀧、俺は今ここで聞きたいことが……改めて教えて欲しいことがいくつか有るんだ」

「…………」

「先ず一つ、お前はドッペルゲンガーなんだろ?」

「はい。確かに私は瀧 順子が七歳のときに鍛造した彼女の写し身です。しかし今はどんな事情より優先して、己こそが瀧 順子であると自称しなければなりません」

「その事情って?」

「彼女の新しい願いです。ドッペルゲンガーとして存在を写してもらう換わりに、その人間の願いを叶えることは知ってますね?瀧 順子は死ぬ直前に私との元々の約定を破棄し、別の願いを私に託しました。それは」

 眼前の瀧 順子のドッペルゲンガーは、一年前と同じ使命を口にした。

「自分と関りの有った仲良き人々を様々な脅威から守ること。それと自分の人生の『継続』です」

 その使命の為にコイツはドッペルゲンガーと闘う。それだけじゃない。瀧 順子なら他の色々な怪物とも闘ってきたのだろう。瀧 順子のフリをするなら学校にも通う。部活動も欠かさない。一文字 ゆかりや風見 孜朗乎とも関係を続ける。

 彼等は知らない。赤の他人を瀧 順子だと認識しているのだということに。

「俺も知らないままでいたかった。最初のころは憎んでいたとしても、洸と一緒に居る内に周りを見れる余裕が出来たんだ。だから努力してお前を瀧だと思うようにしていた時期も有った。瀧はまだ死んでいないのだと……!」

「有難う御座います。確かに彼女は死亡しています。ですが周りは生きていると思うこと。この手段。この道理こそが彼女の望みです。『自己を定義するのは外界。周囲の観測者が有っての、肯定者が在っての己だと。故に自分と同じ外的部品で構成された存在を世界が瀧 順子であると認知したのなら、それも自己であるという論理を彼女は考えていました』」

 そしてやはり俺は理解出来ない。瀧の望みを肯定し難い。

 だってそれが、もし自分のことだったら間違えなく不定しているからだ。

「何だよソレ? 瀧はアレか? そっくりさんが生きていたら、自分は死んでもいいってのか?」

「そうです」

「有り得ないだろ! 俺だって洸のことを分身だと思ってたさ。人生が二重に有ると信じていたさ。俺達は二重に歩く二重歩行者(ドッペルゲンガー)だ。…………それでも、自分が死ぬのが怖くないわけじゃないだろ? 死ぬことをあっさり認めていいものかよ!」

「彼女と私は貴方達よりもずっと長い付き合いをしています。彪君もそれだけの期間、時を供にしていれば情はもっと深いものになったのではないですか?」

 即座に不定できない。確かに俺は洸を信頼していた。アイツが危険な化け物だっていう方がずっと信じられない。

 いや、違うな……。人に害する怪物だったとしても、洸に対する情が捨てられないのだ。子の親のように。

「私は彼女から『瀧 順子』の継続を命じられました。ゆえに誰がなんと言おうと私はこう名のります。私こそが瀧 順子であると」

 現実、コイツの言う通りこの世界に瀧 順子は存在し続けている。立ち振る舞いや言動、どれをとっても俺の知っている本人と相違ない。

 ないのだが…………。

「了承しかねますか?」

「…………ああ」

「駄目です」

 有無を言わさぬと顔を近づけて圧迫してくる瀧。勿論詰められた距離に比例して、俺も後方に離れるわけだが。

「うお…………? 何だよ!」

「貴方にだけは認めてもらわなければなりません。必ずかつ絶対に」

「それなんだか意味が重複してるんだけど……」

「瀧 順子なら彪君の不理解を認めません。きっと解ってもらいたい、理解されたいと求めるでしょう」

「……解らない。どうして俺なんかに同意を求める? 俺の存在はそんなに滝にとって重要だったのか?」

「そうです」

「そんなわけないだろ! なら何か? アイツが俺に気があったから助けたとでも言うのか?」

「そうです」

 それこそ理解できない。菟柄 彪にとって瀧 順子は対等の存在ではない。

 瀧は俺にとってこの世の希望なのだ! 泥の中から拾い上げてくれた尊き人。世界の善意。感謝と畏敬。瀧が神だというなら信じてやる!

「お前の言ってることは違う! 瀧 順子は善人だったんだ。アイツは良い奴だったんだよ! 一文字のことだって、いやアイツなら他にももっと多くの人間を救ってきた筈だ! 瀧はヒーローで…………俺は……それに救われた一人でしかないんだよ」

「いいえ、彼女の存在をそう定義したのは、短いながらも彼女が生き方決めたのは、その言葉を聞いてからです。彼女はあのとき彪君に強い好意を抱いたんです」

「…………はぁ?」

「彪君はあのとき確かに言いました。まるでヒーローのようだと。彼女が嫌悪していた力を、普通とはかけ離れた異常な人生を、イカれている彼女自身のことを良い方向に肯定したんです。あの瞬間から死ぬまでの僅かな時間、瀧 順子にとっての肩書きは『怪物』から『ヒーロー』に変わってるんですよ」

「たったそれだけのことで…………?」

 やはり理解できない。俺の妄言に何故瀧は踊らされたのか? ただその一言が原因で俺の命を庇ったってのか。俺の器では……瀧という人間を測りきれない。

「貴方のドッペルゲンガーが言っていましたが、彼女は若くして御命士の筆頭家である瀧家の頭目なのです」

「それって……瀧の親が死んでるからなのか? 幹部とか言ってたけど、アイツはまだ若すぎやしないか? そんな大役はいくら瀧でも無理なんじゃ……」

「はい。ですが幼い頃から『御命士』だった彼女にとってそれは当たり前でした。己に秘められた力がどれ程強力か、どんなに重い責任があるか、それについての授業料はもう払われていましたから。それでも瀧 順子はあるときから疑問を持ってました。もしかしたら自分には別の道が有ったのではないかと。両親から愛され、周りには友達が居て、いつか好ましい男性と結婚する。そんな人生が有ったのではないかと考えていたのです」

 希望の可能性。望むと言うことは叶えられていないということ。今の発言を推察するに、瀧は両親に愛されていなかった……ということか?

「彼女は己の人生に納得が出来なかった。続く未来に期待が持てなかった。大切な役目だけど、人目を忍んで普通じゃないことをしている自分達は一体何なのか? 『瀧 順子』という個体が普通の人生を捨ててまで、御命士でなければならない理由、それを見出せないまま彼女は生きてきました。……ハッキリと言いましょう。表の世界でも裏の世界でも怪物のように嫌われ恐れられてきた彼女は、あの日初めて他者からの賞賛を受けたんです」

「おい…………!」

「彪君、貴方は彼女の名付け親なんですよ? 瀧 順子という怪物女の人生に、彼女の探し続けてきた答えに、『ヒーロー』という名前を付けたんです。お前の人生はヒーローの生き方であると」

 一年前、俺があの赤い鮫に襲われたとき、瀧は庇った。まるで人々を守るヒーローのように。

 でも、それ以外の選択肢が有ったのなら?

 俺を守らずあの化け物を攻撃していたら?

 もしかしたら俺が殺される前に敵を倒せていたかもしれない。あの場で事件が終わっていたかもしれない。再びドッペルゲンガーが生まれることは無かったかもしれない。

 瀧が死ぬこともなかった筈だ。

「……アイツは御命士とやらの幹部だったんだろう? 責任とか有ったんだろう? なのにそれを捨ててまで俺の戯言に付き合おうとしたのか? そんなの……そんなのおかしいだろう!」

 瀧の性格は解っていた。変な人間なのも理解していた。

 おかしいオカシイ可笑しい女。

 だが俺はその逸脱さに救われたのだ! 一年前に俺の心を救ったのは瀧 順子だ。アイツの他人に対する『優しさ』という異常さが、菟柄 彪や一文字 ゆかりのような周りから見捨てられた人間を拾い上げたのだ。

「御納得しかねますか?」

「…………ああ」

「駄目です」

 浅はかさに俯く俺の顔を瀧の拳が強打する。なぜか部屋の端まで殴り飛ばされた俺は、非難と動揺の目を瀧に向ける。

「今の発言の撤回を所望します。彼女は貴方に感謝はすれど、恨んでなどいません」

「……そうは言うけどな…………!」

「彼女はやっと自分の人生に納得が出来たんです。自分が何のために生きてきたのか、自分の行ってきたことは何だったのか、それがやっと解ったんです。憎んでいた世界を許せたんです。誰かが自分を認め、情を持ち、愛してくれる世界を、彼女は初めて肯定することが出来たんです。彪君、どうか謝らないでください。彼女に、私に言うべき言葉は、賛辞であるべきと思います」

「謝罪じゃなくて、賛辞……か」

 瀧は鉄壁の人間ではなかったのか?そんなにも心が弱っていた人だっただろうか?少なくとも俺が出会ったときの瀧は、周囲や瑣末事には揺るがないような人間だったように見える。それこそ目の前のドッペルゲンガーのような人間離れした、精神の所有者に。

 なればこそたどり着く一つの疑問。

 周りから虐げられ、己の心を支えるのに精一杯だったのなら、どうして瀧は?

「俺や一文字を助けられたんだ?」

「答えましょう、貴方の言葉で。彼女はヒーローだったから」

「でもさ……それならまず、自分を助けようぜ? どうしてそんな境遇の奴に他人を助ける余裕があるよ? 本当の化け物は……アイツの方じゃないのか?」

「そうですね。当の化け物である私から見ても、彼女の意思は……規格外でした」

 そう言った第二の瀧 順子はある表情を見せる。

 柔らかな笑みだ。

 彼女の口の端がやんわりと上に釣られたのだ。

 俺を昼食に誘ってくれたときの可愛い笑顔。それと瓜二つの忘れられない表情。

「く…………!本当に良く似ているな……!」

「はい。ドッペルゲンガーですから」


 一連の会話でこのドッペルゲンガーへの、この瀧 順子への警戒心や敵意は完全に無くなっていた。コイツが生き続けることが望みなら、俺はそれを見守っていきたいと思う。

 一年前の俺は人が死んだという喪失感を目の前の女にぶつけ、瀧の話を半分も聞かなかった。瀧の気持ちを酌むことも出来ず、今はこんな事件の引き金まで引いているのだ。

 そして本来なら真っ先に聞くべきだった事柄を俺は口にした。

「なあ、俺はもう関係者だろ? だったら教えてくれよ。瀧が殺された後……何があったんだ?」

「そうですね、お話すべきでしょう。彼女は死んだ瞬間に私に意思を飛ばし、願いの変更を告げました。私はすぐ現場に駆けつけましたが、犯人はおろか被害者である彪君も消えていたのです。組織の人間に連絡し、瀧 順子本人の死体や証拠、焼けた場所への処置など任せた後、私は直ちに事件解決に乗り出しました。」

「よく組織の連中はお前に任したな? 他にも使える人間は居ただろうし、瀧の組織にとってお前だって吉再とやら対象なんじゃ……」

「まあ私の話をつけるのに時間は掛かりましたが、去年の一件とこの事件は私以外の者は担当していません」

 含みのある物言いに俺は問うたが、返ってきた答えは意外なものだった。

「つまり仲間が居ないってことか? どういうことだよ?お前今日洸に負けたんだろう?だったら一人じゃ無理なんじゃ……」

「それが組織とした話しです。このドッペルゲンガーの起こしている殺人を私一人で解決することが、組織に対する信用と地位を勝ち取ることに直結していまして」

 成るほど、まず同族を仕留めて見せろってことか。

「ゆかりに聞いたのですが彪君は拉致された次の日に、普通に学校に来ていたそうですね?そして私が登校した日、貴方は最初私に話しかけ辛かったのではないですか?」

「え?何でそんなことを……?」

「私だけじゃなく、他の人間にも同じではありませんか? 他人のことを嫌悪しやすかったり、不必要に疑ったりしませんでしたか?」

「べっ別にいつものことだろう! 俺はいまだってクラスの連中とは折り合いが悪いんだ」

「今のは確認です。それは置いといて話を進めます。去年瀧 順子は、私は貴方に土地の神の仕業だと言いましたね? 人間の願いを叶えるという過程の中でドッペルゲンガーを使い、人を殺させていると。でもドッペルゲンガーだけでなく別の敵が介在しているんです。」

「別の敵だって?」

確かに瀧は御命士の仕事を、異常な存在を冥王なんたらに還すことと、言っていた。つまりドッペルゲンガーが専門というわけではない。

「これも私の立場上、被害者である彪君にでも話すことは出来ません。あの事件の『黒幕』と称しておきます。私本人を殺したあの赤い鮫の持ち主です。ドッペルゲンガーの生産を誘引する元凶と言いましょうか」

「アイツか……!」

 「私は黒幕の居場所をすぐに突き止め、殺しました。ですが貴方や学校に掛けられた『不協和音』の術は解除されなかった」

「え……不協和音って何だよ? 俺に掛けられている?」

「黒幕の能力です。仲違いの術で、掛けたい対称に赤の金属片を埋め込み、自分の周りの人間と、金属片による術的因果を繋いだ相手に、金属音による暗示を掛けます。暗示を受けた者は精神が不安定になり、トラブルや(いさか)いを起こしやすくする……といったものです。」

「それだけか? そんなの別に大した力でもないじゃないか?何でそんなのが俺に?」

「これは主に敵集団に不和や対立を引き起こさせる能力なのですが……敵は必ずこの術を掛けてからドッペルゲンガーを作らせるんですよ。彪君、貴方は周りの人間と上手くいってないと言っていましたね? これは自然や個人的嫌悪ではなく、意図的に仕組まれたものだったんです…………」

 嘘だろ……? 俺のあの腐った意味の無い人生が、どっかの誰かの都合で無理矢理作らされた地獄だったってのか?

「はははははっ! おいおい今回ばかりは信じられない……な? 金属音だって? そんなの学校で聞こえてなんか……」

耳鳴り。何か金属を削るような鈍く汚い音。聞こえていた。

 とても覚えがあった。学校で聞くことが多かったあの音。いつから聞こえていたのだろう、俺はあの雑音がどこからするのか気にもしなかった。

「『孤独』ですよ。敵はこの新井高校に噂を広め、在学する少年少女達の中から孤立しそうな生徒に金属片を仕込み、不協和音の術でその人間に対する嫌悪や憎しみを周囲の者達に誘発させる。孤立した者は意味不明な現状を解決出来ず、神に頼んで解決してもらう。貴方以外にも同じ境遇の人間は少なくないんですよ? 恐らく彪君は敵に拉致されたときに金属片を埋められたのでしょう」

「そんな……! じゃ、じゃあ一文字の奴も?」

「いえ、ゆかりは……元々ああいう世界で生きてきた人間です。それでも敵に目を付けられ、一文字 ひかりを生み出すことになってしまったようですが……。私が黒幕を倒したことで彪君の生活は元通りに、土地神にドッペルゲンガーを頼む者も少なくなる。そう考えていたのですが、結果はいまだに今年になっても解決出来ていません」

「その黒幕に仲間が居たとか? ソイツがその能力を使ってるんじゃないか?」

「それは有りえません。不協和音は黒幕の使い魔である赤い鮫固有の力なんです。黒幕を倒したと同時に組織の同僚があの怪物も封印しました。それでも同じ手口がが使われている以上、洸とは別のドッペルゲンガーがこの不協和音を真似た力を行使している……と私は考えています」

「……そうなのか。まあいい、俺の学校でのことは体にある金属のせいなんだろ?それを瀧が取ってくれれば」

「出来なかったんです。今年になって作られたドッペルゲンガーは、従来の偽者を遥かに凌駕する戦闘能力をあらかじめ持っています。正面から戦いではまず不利でしょう」

 だから瀧は洸に奇襲という形で挑んだわけか。だがそれでも力及ばなかった。

なればこそ、と思う。瀧より強い敵が洸以外にも居たのであれば、彼女の勝ち目はどこに有るのだ?

「自信なら有ります」

 心配する俺を他所(よそ)に、瀧 順子は断言する。

「瀧 順子のその無限の力には、事象の完璧なイメージとそれに必要な数秒という枷はありましたが、一切の代償無しで実現出来ました。ですが劣化品である私には地球上の存在に命令することが『可能』でも、事象を起こすためのエネルギーが私の中に必要なのです。私が命じれることは規模の小さい物事だけ。戦いにおいては自身の強化や一瞬だけの奇跡のみです。彼女が一文字 ひかりを、『必殺』という無理矢理な技を決め、相手の性能を無視して殺傷。そこから更に吉再という形に持っていくような強引な荒業は出来ません。それでも私なり考えがあるのです」

 瀧のあの爆発パンチにはそんな力が有ったのか。確かに技名も叫びたくはなるわな。

「菟柄 洸は頼まれてなくても、彪君の知らない裏で殺人を犯していたと推測します。そしてこれからはもっと大仰に人を餌食にするでしょう。彪君、どうか安心してください。今度こそ菟柄 洸と他の仲間も私が処理します。彼女との約束に従い、貴方のことも必ず守り抜きます。だから……私を信じて欲しいんです」

 俺の瞳を見つめる真っ直ぐな眼差し。彼女の眼には強い意志が宿っていた。

その積もりだ。俺はこの瀧 順子を信じる。信じているんだ。だからこの女のことを『瀧』と呼んでいるんだからな。

でも洸を処理すると言った言葉は気になった。処理とは恐らく殺すということ。俺の記憶の中でのアイツとの思い出が(かげ)る。

「……解っているよ。瀧に任せる気だし、俺はいつでも応援してやるよ。でもさ、洸のことは……その」

「同時に私にも関らないでください」

「な…………っ!」

「いつ彪君が敵に利用されるか解らないからです。もし私本人なら彪君が攫われようが盾にされようが、言動一つで奪い返せます。でも私にはそんな余裕がない。彼女との約束が有ります。もし貴方を人質にされたら、私は敵に殺されてしまうでしょう」

「何でだよ!俺のことなんか構わず敵と闘ってくれよ?」

「もしも貴方を見殺し勝利したとしても、守護する者の為にそのものを犠牲にしては、貴方を守ると言う目的がそもそも崩壊してます。ゆえに万が一、貴方の方で何らかの手がかりを見つけたとしても、まず私に教えてください。間違っても己の手で解決しようとは思わないでください」

「でも……それだったら一文字はどうするんだよ?お前俺だけじゃなくアイツにも自分に関るなって言う心算何だろ? 俺はまだ……我慢できる。だけどアイツは瀧がいないと、友達が傍に居てやらないと駄目な奴なんだぞ!」

 それは俺のことだ。洸はもう家に戻ってはこないだろう。そうなると俺はまた一人だ。孤独になると解っていて耐えられるほど俺は……強い人間じゃないんだ!

 先の台詞は一文字を卑下したわけではなく、一人ぼっちのアイツを俺は見ていられないからだ。弱ると解ってるアイツを放ってはおけない。

 他人を引き合いに出し、姑息に縋り付く俺に、不思議と瀧は微笑んだ。

「心配はいらないと思います…………貴方が居るから」

「え……どう……して?」

「彪君は最近ゆかりと仲良くしてくれているようですね? それは私にとって大変嬉しいことです。どうかゆかりと……」

 そして瀧は至極当たり前の答えを告げる。

 俺や一文字が出せなかった一つの方法。双方を救う可能性を持ったある選択を瀧は教えてくれた

「友達になってくれませんか?」



 あれから数日経ったある日の学校。

時間は昼休みで俺は教室で昼食をとっていた。久しぶりの一人のランチタイム。洸が居なくなってからずっとこんな感じだ。

嘘だ。さも当然のように前の机がこちらに向き、大きな弁当箱が乗せられる。

 何が楽しいんだか今日も俺は一文字 ゆかりと食べていたのだ。思えば二年になってからずっとコイツと飯を共にしている気がする。

「そいや洸君はどうしたのよ? 今日も風邪?」

「ま……まあな」

 洸は結局戻ってこなかった。

「そいや最近生物部に顔出すようなったそうじゃない? つうか何で今まで行かなかった?」

「いや、やっぱり行かないことにした」

 瀧は部長だ。いくらこの状況でも、部活には顔出してるかもしれない。瀧が気遣ってくれた以上、アイツに会うことは避けたかった。

「ん? どういうことだ? 一文字、誰に聞いたよ?」

「あの……何だっけ? 風見なんたらって奴よ。最近偶然アイツに会うことが多いのよね~。まあそのときに彪の話を聞いたの」

「絶対……それ偶然じゃないから。うん」

俺はどうしようもない愚者だ。瀧に対してマイナスになる行いばかりしている。行動一つ一つが彼女の行く道を阻み、しまいには命まで奪ってる。

関らないほうがいいのは俺の方だ。瀧の強さは関係ない。俺の考えは正しかった。

 菟柄 彪は瀧 順子に相応しくない。

「アンタさ、学校終わったらどうするの?」

「直帰だ」

「じゃ……じゃあさ……」

 くだらない考えを巡らせ(はし)を止めていると、一文字がそんなことを聞いてくる。彼女は残り少なくなった弁当を啄ばみながら、何かを言いあぐねているようだ。

 長いチャージ時間を挟んだ後、一文字はようやく用件を言う。その声は普段の彼女とは違う、とてもか細い声量だった。

「放課後……体育館裏に来なさいよ」



「どうしてこうなった?」

 ブツブツと独り言を言う男子生徒が一人、体育館裏にある林の裏に来ていた。それが俺なわけだが。

 なぜ一文字 ゆかりがここに俺を呼んだのか? 解らないわけではない。こんな人気の無い場所で女子の話す用事など、愛の告白と相場が決まっているではないか?

「見えてるし……」

 一文字 ゆかりが林の影に隠れている。明らかにこちらから丸見えなのだが、彼女は勿論隠れられているつもりだ。

「お前の家には『人と会うときはまず身を隠しなさい』なんて決まりでもあるのか?」

「ば、バレちゃあしゃあないわね!」

 勢い良く現れた一文字はズカズカ近づいてきた。俺は嫌な予感がしつつも、相手の言葉を待つ。

「あ、あのね! その……ええと」

 言いにくい用事なのかずっと口ごもる一文字。見る見るうちほっぺが赤く染まってゆく。おいおいまさかと俺はここから先の展開を読んでしまう

「やっぱり……コレはい!」

 うわあ! 来ちゃったよと身構える眼前に、一文字から出された物。それは折り畳まれたメモ用紙だった。ハートマークのシールで留められた便箋か何かではなかったものの、この紙はとても『アレ』の確立が高い!

「あのね、アタシとしては元々『この関係』だったと思うんだけど、振り返ってみれば今まで結構一緒に居るけど、一度も『コレ』だって言われたことないから……。だから…………改めて聞いてみることにしたのよ」

 何だコイツ妄想癖か? 段々開くのが怖くなってきたんだが。というより一文字本人に恐怖心が湧いてきた。

 手渡されたメモを………………開く。

「あぁ……!」

 紙には一言だけ、ある提案が書いてある。俺が思いつかなかった、ある可能性が。

 どうして一文字 ゆかりという存在に気付かなかったのだろう? コイツは一年前からずっと傍に居たではないか?

 俺は一文字を見くびっていた。この女はこんなくだらない事柄で悩み、今日思い立ってこの紙に確認の意志を書き留めてきたのだろう。ゆかりは俺よりもずっと真っ当な神経の持ち主だった。

 重ねて俺自身の愚劣さ。俺はこの答えを一文字と出会ったときに出せた筈ではないか? 救いようがないぐらいに劣等。

「いいよ、なってやるよ。『この関係』に」

「え……本当! で、でもいいの? アタシはこんなこと書いてでも聞かないと、解らない人間なのよ?」

「いや十分だ。気付けなかった俺より遥かに利口だよ。そうだよな……俺にとってお前は『コレ』だったんだよな……!」

 俺は洸さえ居れば、自分と反響さえしていれば、それでいいと考えていた。他人は必要ないと決定していた。

 だがそれは初めから矛盾していたのだ。俺は最初から誰かを必要としていた。己の望みを叶えていたのだ。すぐ近くにあったことにも気付かず。

「一文字、お前は…………」

 その紙にはこう書いてあったのだ。

「俺の『友達』だったんだな……」

『お友達になってくれませんか?』



 その週の日曜に俺と一文字 ゆかりは街にくり出して色々遊んだ。

 一緒に飯を食った。

 一緒に服を見た。

 一緒にカラオケに行った。

 その他様々な有意義な時間を過ごし、俺は久しぶりに楽しい一日を送った。傍目から見ると恋人同士のデートのように見えただろうが、赤の他人など毎日顔を突き合せるわけでもないので、問題ない。

 カラオケで声が()れるほど歌ったころにはもう夕方。俺達は帰ることにした。移動手段は二人とも駅の電車だ。

だが俺達は浮かれていたのか乗る電車を間違えてしまう。異様なテンションでなぜか適当な駅で降り、その町の周辺を探索してみようということになった。


 駅から見知らぬ町を練り歩く俺と一文字。いちいちスゲーだの、何アレ? だの、童心に戻ったかのように感情表現豊かになっている。

 やがて住宅街に出る。周りは家ばかりで、俺達を驚かすものは無かった。

もう戻ろうかという所で隣の一文字が大声をあげる。

「でかぁ~!」

 大きな屋敷を見つけた。家の周囲を高い塀が囲っており、その住人の資金力を窺わせる。その壁の一部が裏口になっていて、そこから人が二人ほど現れた。

「やあ」

 一人はよく知る人間、風見 孜朗乎。その孜朗乎は車椅子を押していて、小柄な女の子が座っていた。こちらは知らない。

 オレンジ色のガラスの飾りを付けた黒髪を伸ばし、病的なまでに白い肌に着物を着た姿は、まるで飾られた日本人形のようだ。歳は小学生くらいだろうか?綺麗な顔には怯えた色を宿している。孜朗乎の妹?

 いや、違うだろう。これは間違いなく。

「誘拐かよ」

「えぇ! け、警察呼ばなきゃ!」

「はははは、家の住人に気付かれるから、大声は止めたまえ」

 誘拐中らしい孜朗乎は片手で車椅子を押し、もう片方の手で俺達を押しながら走り出した。

「器用だな。じゃなくて! おい、何処に連れてゆく心算だよ?」

「ここで話すのは不味い。近くの公園にゴーだ!」

「ちょっとアンタどこ触ってんのよー!」

「無論、ゆかりさんの豊満な乳だ!」

「そこ俺の尻なんだけど……?」


 公園に着いたところでやっと止まる。孜朗乎につられて走ったため、三人とも息切れしてへばっていた。

「兄さん……この人たちは?」

「こっちの盛った犬みたいに息が荒いのは菟柄 彪君。ペタンコ可愛いのが一文字 ゆかりさんだ」

「最低な紹介だなおい」

 女の子の声はとても小さく聞き取り辛かったが、どうやら本当に妹のようだ。微塵も似てないが。

「解った。妹じゃなくて従兄弟だな?」

「いやいや正真正銘の血の繋がった兄妹だ。妹の由城(ゆき)だ。ほら挨拶」

「…………御初に御眼(おめ)にかかります、菟柄様。由城と申します」

 由城か。小さな体に相応しくない(いか)つい名前だな。

「あれ、さっきアタシの名前がない?」

「ギロッ!」

 疑問符をあげる一文字を風見 由城が睨みつける。大人しそうな少女が一転、殺意のこもった視線を一文字にぶつけたのだ。

「ひぃ! 何この子怖い!」

 恐れる一文字を見ながら俺は孜朗乎の言っていたことを思い出す。

(成るほどな。生涯貧乳のブラコン妹か……)

「で、何でこんな夕方に出掛けようとしているんだ? その……妹の病院にでも行くのか?」

「いやなに、ちょっとした家出だよ。由城は虐待を受けていてね。家からコソコソと逃げ出すところさ」

「……全然ちょっとしてないだろ」

 兄の発言に妹が顔を伏せる。己が普通じゃない環境に生きていることへの世間に対する負い目だろうか?彼女は見た通り足が不自由なようだ。そんな人間を虐げようとする人間がいるなんて……信じられない。

 俺と同じく言葉を失っていた一文字が孜朗乎に問う。

「ぎゃ、虐待ってどんな?」

「由城は今年で十六になる」

「え…………っ!」

「由城は元々歩けなかったわけじゃない。歩けなく……させられたのさ! まあボクの方でも色々あってね? 今夜どこかに兄妹水入らずで、遥か彼方に旅立とうかと」

 いきなり重い。他人の家庭の事情に同情などを挟んでも仕方がない。本人達も望むわけがない。

ならなぜ孜朗乎は俺達にその話をしたのだろうか?

「謝罪と感謝だ。どちらも金だよ」

「どういう意味だ?」

「前に妹のために虫取りに協力してくれたろう? そのときボクはみなの同情を誘うために嘘をついた。察しの通りボクの家は昔からの名家らしく、なに不自由ない暮らしをしてきたよ。由城以外はね。ボクはみなを騙していた。すまない! そして、重ねて有難う。あのお金は今日のための資金にする心算だったんだ」

 そう言って俺と一文字に深く頭を下げる孜朗乎だった。

 そうだったのか。あの賞金は妹さんと逃げるための逃亡費兼その後の生活費の足しにする考えか。

 下げられた孜朗乎の四角い頭に、自然と俺は笑ってしまった。可笑しかったのだ。この青臭い展開に。

「いいよ、気にすんなって。本当のことを言わなかったのはあの場の雰囲気を壊さないためだろうし、お前の友達達ならあの後、家に押しかけそうだもんな? 俺だって本当のことを話されてたって、方針に変更はない。その金、孜朗乎の好きに使えよ!」

 孜朗乎は義理堅かった。俺達への義理のために足を止めていた。俺達もさっさと行かせるべきだった。

「御坊ちゃま、お迎えに上がりました」

 だからもう追いつかれた。公園の入り口にスーツを着た三人の男性。発言から推測するに孜朗乎の家から差し向けられた追っ手というべきか。肩幅の広い肉体からして、恐らく使用人の他にボディーガードもやっているのだろう。

 このままでは孜朗乎達は連れ戻されてしまう……!

「孜朗乎、走れ」

 怖かった。あの強そうな男達に逆らうのが怖かった。所詮赤の他人だ。俺達には関係ない。

 しかし関らない方がいいと思う一方で、俺の声帯は勝手にそんなことを口走っていた。

「いや、君達を巻き込むわけにはいかない!」

「いいから行けって言ってんだろ! ここは俺と一文字が食い止める!」

「え? アタシもやるの?」

「……そちらの方々は?」

 三人の中のリーダー格なのだろう、前髪を伸ばした真ん中の男が逃げあぐねている兄妹に聞いた。これに対し孜朗乎は即座に動いた。

 彼は一文字を抱きかかえ、公園のベンチまで走って行き座らせる。

 そして妹の車椅子へ戻る途中にいる俺に回し蹴りをかまして来た。

「何で……っ?」

 腹に一撃を受けた衝撃で一文字の隣まで吹っ飛ばされる。ベンチで止まった俺の頭はなぜか一文字の膝の上に落ちたのだった。

「ちょ、ちょっとぉ~!」

 孜朗乎は素早く妹さんの所に戻り、男達と対峙した。

「そちらの方? 善筑(ぜんつく)さん、あの人達はただのイチャついてるアベックさ。ボク等の外出とはまったく関係ない」

「…………まあ、いいでしょう。夕方という半端な時間を狙って意表をついた心算でしょうが、ここまで来る姿を私に見られています。近頃の御坊ちゃまの奥様に対する態度と、お嬢様を連れ出していることから、貴方様がなさっていることを推理しました。……みなまで言わなくても解ってらっしゃいますね?」

「やれやれ、お手上げだな……。ごめんね、由城」

 ベンチに座る一文字と隣で情けなく倒れている俺達の前から、善筑というらしい男達に連れられ孜朗乎と妹は行ってしまう。風見 孜朗乎の計画は彼自身の義で水泡に帰した。



 翌日は平日。どんなに悩んでも学生は学校に行かねばならない。

「菟柄君、大事な話があるんだ」

 昼休みになり、さあ飯だというところで、ある男が俺をクラスから呼び出した。ソイツは人の心配などはどこ吹く風で、いつもの調子で話しかけて来たのだ。

「おい孜朗乎! 昨日あの後どうなったんだよ?」

 風見 孜朗乎である。彼は部室棟の方向を後ろ手に指さしてして言う。

「一緒にご飯食べないかい? 大事な話しがある」



 そういえば孜朗乎と食べるのは初めてではないだろうか? 一年から付き合ってはいたが、思えば一緒に遊びに行ったり、昼飯を共にしたことはなかった。

 生物部の机を向き合わせ、俺達は相手の正面に座る形でランチをとっていた。

今日、瀧は教室に居た。もしかしたら事前にコイツが、何かを言い含めていたんじゃないか?

「うちの学校の近くに業満神社があるだろう? あれとは別の場所にも(やしろ)と御堂がある。実はそこが本物の業満様、ここの土地神が『居る』所なんだ」

「え……? なんの話だよ?」

「そこに君のドッペルゲンガーが、菟柄 洸は居る」

 なんでその単語が出てくるんだ? 俺は洸のことを双子だとは紹介したが、ドッペルゲンガーだとは孜朗乎には話していない!

「そう警戒しないでくれ。バラしてしまうとボクは瀧君の『生前』の助手でね? そして『今』の瀧君の監視・管理者、まあ保護者みたいな役割をやっている。彼女の同僚。陰陽師の端くれなんだよ」

「おいおい……! 冗談だろ?」

「本当だ。彼女が本当に誰にも頼らず、個人でこの一件を解決したら、彼女を次期瀧家の頭首にする話しの仲介をしたのはボクなんだ。それを監視するのもボクの役目なんだけど、実際には『命令』の声無しで即座に使える式神の紙や、戦いの装備を無断で渡してたりするんだけどね」

 味方かどうかも怪しいドッペルゲンガーへの監視役。見張るなら近い方がいいだろうし、同じが学生の身分である孜朗乎は適任だ。

 それに一年前、一文字の家に瀧が結界の紙片を投げ込んだ。あのアニメ絵が書かれた紙がコイツの趣味なら肯ける。

「信じられない理由があるぞ。なんで俺に話す?」

「昨日の報酬さ。ボクと由城を庇おうとしてくれただろう?」

「勘違いすんなよ! 結局俺達は助けられなかっただろうが……。どうして逃げなかったんだ? 妹を助ける決死の覚悟だったんだろう?」

「ああ妹は『また』いつか機会があれば助ける。だがその目的は他人に迷惑を掛けてまで成しえようとは思ってないだけさ」

違う。もし俺達が行かなければ、風見兄妹は使用人に見つからなかったかも知れないのだ。むしろ邪魔した方だ。

自己嫌悪している俺に向けて、孜朗乎はこんな問いを投げかけた。

「君に洸君の居場所を教えた理由はもう一つある。菟柄君は彼にまた会ったら、どうしたい?」

 そうだ。アイツのいる場所が解ったんだ。洸にもう一度会える!

 会って…………なにをする?

 瀧の話によるとアイツは人を食う化物。俺の言うことなんて聞いてくれるのか?俺と一緒に居たのだって、俺の頼みを口実に人を襲うためだろう……ん?

「俺は瀧から肝心なことを聞いてなかった。理由を聞かないと洸達のことを判断できない。ドッペルゲンガーは神が人の世に干渉する為のものだって聞いたけど、それがどうして殺人になるんだ? アイツが罪を犯している『そのわけ』をまだ俺は知らない」

「瀧君は避けていたんだと思うがね? もし話すとしたら、世界中の宗教家は首を吊るかもしれないよ? それほどの内容だ」

「教えろッ!」

 俺の怒気に圧されたか、孜朗乎はヤレヤレと首を左右に振った。

「もし地球上の宗教が信じる神を『ある神』だと仮定した場合、その唯一神が望むのは人の死だ。神様は人が今よりももっと少ない方が、正しいと御考えなのさ」

「…………どうしてだッ? 神話によれば今の人間を作ったのは、大自然の進化の過程じゃなくて、神だって言うだろ!」

「すまない、神の意思だとしか答えられない。ボクにも人情があるからね? 君に絶望を与えるわけにはいかない。ただヒントを言わせてもらえば、今の君の発言は『どっちも正解であり、どちらも同一の存在』だと言っておこうか」

「大自然の進化と神様が同じ……? んなわけあるか! 神様は空想で不確実だが、森や海は目に見えるし大抵は科学で解明できるだろうが?」

 意味が解らない。俺の言ったことに孜朗乎は不定もせずただ笑うだけ。

 彼は論点を神の実無から、別のものに変えた。

「君も妖怪の怪談や怪物の神話などを聞いたことは有るだろう? そこに出てくるモンスターにはある共通点が存在する。菟柄君は想像出来るかな?」

「また意味が解らない。それと洸達とどういう関係が有る?」

「『人を襲う』という点さ」

 確かにそういう話は化け物に食われた、乗っ取られた、本人とすり替わっていた、二度と帰ってこなかった等のオチが多い。でもそれらの害は人に恐怖を起因させるものだ。怖がらせる為の話なのだから、怪物を恐ろしい存在にするのは当然だろう。

「じゃあ別の疑問だ。怪物はどこから来た? クリーチャーはどこに住む? 妖魔はどの生物から進化した存在だ? 答えは誰も知らない。人に理解できないことを、人はよく神業だといっている」

「お前の言いたいことは解った……。化け物を生むのは神様で、そいつらが人を襲うのは、親がそれを望んでいるから。そのカテゴリーにドッペルゲンガーも入ってるってことだろ! だからしょうがないなんて納得しろって!」

「理由を問うた君の動機は解るよ。もし理解の範疇だったら、自分の手でなんとかしてやる心算だったろ? どうして洸君にいれ込むのかね? 彼は異性ではないし、何より怪物だが?」

「お前に『理解できない』わけがないだろ? バカじゃないかお前?」

「なんだって……? それはどういう」

「妹を助けようとした気持ちと同じだ。ソイツを憎いと思えない限り人って奴は、近しい人間の幸せや行く末を案じるもんだろ? アイツは俺自身なんだよ。俺の家族で友達で、理解者だ。洸は俺と『繋がり』を持ってる人間だ!」

 他人に己を重ね合わせることで理解出来た。俺は洸に人殺しなんてして欲しくない。アイツに神の使いなんてして欲しくない。菟柄 洸にはそばに居て欲しい。俺の友達であって欲しい。そんな感情の羅列で充分ではないのか?

「孜朗乎、お前のお陰で解ったよ。俺は洸に会って話がしたい。神様から引き離すし、家に連れて帰る!」

 孜朗乎は表情を見せた。驚愕と怯えだ。彼は少し間を置いて、こちらに不理解の意思を伝える。

「……君はおかしなことを言ってる。相手は化け物だぞ? 君の話を聞くとどうして言える? もしかしたら彼に殺されるかもしれない……!」

「じゃあどうして妹を放っておかなかった? 娘に酷いことをするような親なんだ。お前にも飛び火しないとも言い切れない。なのに風見 孜朗乎は行動を起こしただろ?」

 そうか。瀧 順子が死んだのは俺のせいか。

 俺がアイツに殺されてもいいと、命を差し出すと言われことが嬉しくて、『つい』瀧も自分の体が損得勘定から外れてしまったのか。暗かった人生をヒーローの宿命のように名指した俺への礼が、あのときたまたま命になってしまった。

 瀧 順子が拾った菟柄 彪という寂しい男が、瀧 順子という超能力者をヒーローに変え、彼女はただ恩を返した。俺達にとってはただそれだけの出来事。

 『救済』という言葉がループして今、俺の手元に来ている。こんな重い想い言葉は、すぐ誰かに渡してやるに限るよな。俺が救う相手は……親友の洸だ!

「とっととその別のお堂が有る場所を教えろ。俺、今日にでも行くからさ」

「ああ、案内しよう。ボクも一緒に行くよ」

「……いや、いいよ! 地図か何かでも書いてくれ。俺が勝手に行くんだから」

「菟柄君一人で行ってどうにかなるわけが無いだろう?君を手伝うことで、瀧君に手を貸さずに事件を解決する糸口を見つけるだけだ。その口実さ」

「そもそも一般人の俺にこんなに喋ってる時点で、充分ヤバいわ。やっぱバカだな?」

「そういう君こそ随分な人情家だね? 青臭くて反吐が出る! 今日は決戦だな!」

 最初にほくそ笑んだのはどちらだったか。俺達はいつしか大笑いしていた。大の男二人が、狭い部室で向き合って笑っている。

 とても奇妙な光景だ。

 風見 孜朗乎が決戦におもむく仲間になった瞬間であった。

 俺達は放課後に作戦会議をすることにして、部室を出た。ドアを開ける。

「痛ぁッ……いきなり開けないでよ!」

 一文字 ゆかりがドアを背に弁当を食べていた。背中をぶつけたのだろうか、恨みがましい目を向けてこう言った。

「あ、あと! アタシも一緒に行くからね! ま、まさか仲間外れにはしないでしょうねッ?」

 一文字 ゆかりが決戦におもむく仲間になった瞬間であった!

「…………なんで?」


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