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四番目の話「ヒーローの肯定者と鮫の奇襲」

「命じます。この場の森羅万象(ありとあらゆる)異常を正常に直しなさい」


 瞼を開く。視界の中に見慣れた少女の姿。俺は土の上で寝ているようで、彼女の向こうに夕焼けの空が見える。

眼前の少女は口を開いて、こう言った。

「お目覚めですか? (たけし)君」

 (たき) 順子(かずこ)だった。さらに瀧は、今まで見たことのないような表情を浮かべる。

 笑ったのだ。俺を見て安堵したかのように微笑む瀧。

「え……! ああ、大丈夫だと思う」

 可愛かった。普段無表情の能面スタイルだから、余計に愛らしさが倍増している。ハートにアローが刺さるとは正にこのこと。今俺の気持ちがハッキリした。俺は完璧に瀧のことが大好きになっている。

「御存命なようで何よりです。どうです? 体は動かせますか?」

 数秒ボヤ~っとしていた俺だが、瀧の言葉にハッとなる。急いで上体を起こし、周りを確認した。

 空は夕日が消えかけて暗く、この場所は木々生い茂った外だった。そうだ。ここは山か林の中だ。俺は学校から帰り道のもう少しで林を抜けるというところで、俺は誰かに会った。いや『何か』に会ったはずだ。だが心配そうに覗きこんでいる瀧に会ったわけではない。

 何に会った?

「瀧、俺は何でこんなところに倒れているんだ?」

 そんなに遠くない距離で俺の疑問だった『何か』が立っていた。記憶が覚醒する。確か俺は一文字 ゆかりらしき人物と会話していたはずだ。

一文字 ゆかりは人間のはずだ。

 だが目の前にいる人間は明らかに『人』というジャンルから逸脱していた。腹から上の上体が『ゴチャゴチャ』になっていたのだ。所々ひしゃげ千切れ、体中の部品がバラバラに配置された不気味なオブジェ。切れている場所から見える体の断面は何故か血液の赤ではなく、濁った緑色を見せていた。そしてそれらの部品が何とか元の位置に戻ろうと蠢くが、原形を忘れてしまったかのようにちぐはぐな形になっている。

「ひっ…………! 何だコレ?」

「簡単に説明すると、コレは人の姿や思考に擬態するタイプの怪物です。今私はここで行われている全ての異常を解除しました。と言っても大雑把な『命令』なので、彪君の体はあまり治ってませんね? コレが元の形を思い出す前に、貴方を逃げられる程度に治しておきましょう」

「治すってどうやって……?」

 焦った様子を観察していた瀧は俺の目を見つめて、その眼球を通じて脳に『命令』を放った。

「命じます。菟柄 彪の体を普段の健康状態まで回復しなさい。大急ぎで」

 発汗。何やら体が熱い。まるで体の各機能が、本当に瀧の言葉に従ってフル稼働し始めたかのようだ。何だか妙な感じが…………。

 体中で何かの駆け巡る感覚と共に、激痛が体を襲う。

「い、痛えぇぇぇぇ!」

今までの痛みを思い出したみたいに、俺の体内が悲鳴を上げている。ミシミシと体が軋み、神経がいたるところから脳に痛みを届けてくる。何なんだこりゃ!

俺は呻きながらも何とか体を立たせた。

「瀧……俺に何をした?」

「修復してない神経や器官が有ったので、治す速度を上げるよう彪君の体に『命令』しました。今のは彪君が勝手に治っただけですから、何も私が魔法の類を用いたわけではありません。残念ながら私は『魔女っ子』ではないのです」

「お前の属性なんか聞いてない! てか十分マジックだろ? 何が何なのか説明し」

 瀧は答えず遮るように、俺の前に出た。

その俺達の視線の先に奴が立っていた。元通りの顔と形になった一文字が。

「その件はまた後ほどに。彪君は私の後ろへどうぞ」

「アイツは………何だ? 一文字とか言っていたけど、お前の友達なのか? 何でアイツは俺を殺そうとしてるんだ? つか指が変な風に伸びたぞ? 全部答えろ!」

「いいな~。私も瀧さんとお喋りしたいなぁ~」

 沈黙を保っていた一文字(偽)が羨ましそうに口を出した。

 瀧はドッペルゲンガーらしき存在をジッと睨みつけ、声音は無感動に言う。

「ではトークしましょう。貴方はどうして彪君を殺そうとしているのですか? 彼とゆかりは何も接点は無いと思いますが?」

「有るよ。瀧さんってゆう強力な接点が有るじゃない?」

「私が……?」

「ゆかりちゃんがね、私に言ってたんだ。最近瀧さんが男と一緒に居るって。それに昔は部活だってたまにサボってアタシと一緒に帰ってたのに、今では毎日出てちっとも私と一緒に居てくれないって。その男のせいでね?」

 何だって? 瀧は友達より俺に時間を割いてくれたってのか?

 俺はどうして? とは思わない。瀧 順子がそういう少女だと解っているからだ。コイツはいい奴だから。理由はそれだけで十分だ。

 多分瀧 順子の眼には出来る限りそばに居てやらなきゃいけないぐらい、菟柄 彪がか弱い人間に見えたのだろう。

何てこった…………俺は孤立することで偶発的に他人の同情を買い、その他者の周囲の人間関係にも影響を(およ)ぼしてたのか。

「だからゆかりちゃんお願いしたんだ。瀧さんに(まと)わりつく男を殺して欲しいって」

「……そうですか。では一つ確認したいのですが?」

 瀧は切迫した空気の中でも、普段と変わらぬ声音で一文字を問うた。

「貴方はゆかりを()(しろ)に現出した固有名『ドッペルゲンガー』と認識し、お呼びしても構わないのですね?」

「ッ!」

 ひかりが動く。両腕をしならせるように振りかぶり、一気に俺達の方へ伸ばした。腕の先の拳は固く握られ、瀧目がけて高速で飛んでくる。

「肯定ですね? それさえ解れば、後の話は直接本人に聞きます」

 フェイント。瀧の眼前で止まった拳の先端は軌道を変え、手のひらを開き指を伸ばした。瀧を避けるように上から伸ばされた指は、俺を狙う。

「一文字 ひかりは必要ありません。消滅してください」

 (せん)(けい)のような言葉を呟いた瀧は、一瞬でひかりの懐に移動する。

 驚く異形に彼女は拳を構えて言った。

赤花(せっか)(けん)

 火の花が咲く。彼女が一文字を殴った瞬間、一文字 ひかりを中心に爆発が起こったのだ。

 俺は吹き荒れる風に、腕を顔の前に(かざ)して凌ぐ。濛々と立ち込める煙の色は、どういうことか緑色に見えた。そういえば爆発の際に生じた閃光も緑の色素だったような。

「瀧……! 大丈夫か?」

 目の前まで来ていた指はどこかへ行き、煙で視界が塞がれている。今の爆発は俺に影響がないくらい小規模だが、爆発のもろに近くに居た瀧は無事なのだろうか?

 煙から何かが這い出る。出てきたのは瀧ではなく、ボロボロになったひかりの上半身だった。無くなった下半身への断面はやはり緑。血に(まみ)れた臓器が躍り出るのではなく、緑色の乾燥した石やら(かたまり)やらが転がった。もしかしたらこの女の体は、緑の砂そのものなんじゃないか?

「私は今の『言葉』に必殺必中必滅の意志を込めました。壊れた後からでは、体を復元するためのイメージは出来ないでしょうからね。もう治りません」

 スモークを晴らして瀧 順子が現れた。彼女はまったくの無傷健在。弱り壊れるひかりを、冷徹な目で見降ろすのだった。

「命じます。『一文字 ひかり』とゆう『名』のドッペルゲンガーよ。元在る場所へ還ってください」

瀧はひかりを指さして最後の命令を詠う。

(きっ)()

 ふわっと風が頬を撫で、一文字ドッペルゲンガーはボロボロと崩れていった。肌と目が口がどんどん綺麗な砂に変わってゆく。まるで体が砂の池を作り、そこに部品が落ちてゆくような具合。

 トドメなのか……?

「聞いておきます。怪我は有りませんか?」

 美しいキラキラ光る緑砂の海が出来るのをぼうっと見ていた俺は、隣に来た瀧の言葉で気が付く。表情から硬さがとれ、今はこちらのことを心配した不安げな顔をしている。

 何だろう?瀧は普段はあまり他人に胸の内を見せることはしない。なのに今の瀧は俺のために笑ったり、俺の身を案じたりと感情表現豊かだ。

 まるで日常生活より、一連の異常な状況の方が己にとって通常みたいじゃないか。それは……あまり良くないと思う。もしくは別人か。

 俺は瀧に何かの不安を覚えつつも、彼女と共にその場を後にしたのだった。



「アレは『ドッペルゲンガー』という名前がつけられた個体であって、我々が御伽噺で知っているドッペルゲンガーとはまったく別存在と考えることから始めてください」

 あの後、俺と瀧は妨害を受けることなく無事駅についた。瀧は俺を『ある場所』に連れて行くといって、俺の家へ帰るのとは別の切符を買った。

「名前をつける? 一体誰が?」

 俺達は風が強くなってきた駅のホームで電車を待つ間、先の異常現象についての考察をしていた。空いてるベンチがあったので二人で座る。

「はっきりとは分かりません。ただ前例が有るんです。過去にこの土地で同じ名前の、同じ特性の怪物ちゃんが現れたと。恐らくは『土地神』の仕業だと推測されています」

「神様ってお前、随分話が大きくなったな?」

「神と言っても土地神ですから、効果を及ぼせる範囲微々たる物です。あのドッぺルゲンガーは神が創った法則にそって稼動する端末の一つ。神が人の世に干渉するための、言わば小間使いのようなものでしょうね」

 さっきから俺達は電波な会話をしている。ホームには俺達以外に人は居るのだ。周りの人間がこの会話を聞いたらどう思うだろうか?

「まるでそのゴッドとやら本当に居るように話してないか?あんなバケモン見た癖に悪いんだが、俺にはどうも信じられない」

 恥ずかしくなってきたせいか俺はそんなことを口走っていた。

「別に構いません。」

「え?」

「今話しているのは、貴方がまたアレのようなものに遭遇した際に逃げ易くするためです。普段信じてなくても、いざというときに思い出してくれればそれで構いません。貴方は私のことなんて信じなくていい。神様なんか化物なんか『私達のこと』なんか、知らずとも貴方の人生に支障はないでしょう?」

「うう、確かにな」

「もし日常生活のなかにモンスターがいると知ったらどうしますか? そんな世界で安心して暮らせはしないでしょうね。常に不確定な化け物に怯えて生きるなんてマトモな人間には不可能です。そんな神経をすり減らして生きていたら、いつか神経が切れてイカレてしまいますよ?」

 正論だった。瀧が俺を連れてきたのは関ってしまったから。彼女が話をしているのは俺の身を案じているためだ。それ以上は必要ない。それ以上は危ない。

本来なら俺を助けて立ち去っても、彼女に落ち度はないはずだ。

でも瀧 順子の性格はよく知っている。俺がいらない興味を抱いてでしゃばらないように、それで危険と出会ってしまわないように、予防線としてこの会話を許してくれたのだ。

気遣われた人間は、その思いを不意にしてはいけない。

「分かったよ。俺はこれ以上踏み込まない」

「聡明なことで何よりです」

 電車が来た。


 俺達が乗った車両はガラガラだった。今日は変なところで運がいいな。

 二人仲良く座るのもアレなので、瀧とは少し離れて座った。

「……彪君、私達のような異常な存在を理解する必要性はありません」

 ふと瀧はそんなことを言い出す。その声には少し悲しさが含まれている気がした。

「え、まだ話があるのか?」

「異能は病気です。人は自分の全機能を使わずに一生を終えると言いますが、それが最良なんですよ。普通に勝る幸福なんてありません」

「そうか? 俺にスーパーな力とか蜘蛛男みたいな便利な力があったら、生活が楽だと思うけどな」

「生活なんて出来ませんよ? 彪君がエスパーマンでその力を気に入ったとしても、周りの人間もそう思うとは限りません。彪君の近所に武器を持たずに他者を殺すことが出来る隣人がいたらどう思いますか? 変でしょう? 怖いでしょう? 羨ましいでしょう?」

「……うん、まあな」

「そんな怪物と暮らせるほど、人は他者を信用出来ません。そこまでの高等性は人間にはないのです」

 そう語る彼女の言葉はどこか寂しい。何かを諦めているような、どこか遠いものを見ているような。

もしかしたら今の話は瀧の過去に関係があるんじゃないだろうか?

「彪君も見たはずです。私の能力は貴方を簡単に消せるほどの殺傷能力を秘めているですよ? 怖いでしょう?」

「いや……俺は瀧にどうこうされても仕方ないよ」

 だってこの心は瀧が救ってくれたから。この体はお前が拾ってくれたものだから。菟柄 彪という存在はお前の『物』だから。

『物』の分際なのだから、お前に捨てられても仕方ない。

「俺は瀧に殺されても文句は言えない。怖がる資格もない。それに……お前の全部を知ってるわけじゃないけど、瀧は凄いイイ奴だってこと解ってるからな。でもまぁ、お前の機嫌を損ねて服燃やされて寒い思いするかもしれな」

 だから気にするな、という所で俺はギョッとした。

隣の瀧が目を見開いて固まっていたからだ。

「…………彪君、お願いがあります。目を(つむ)ってくれませんか?」

 瀧は不意にそんな提案をしてきたので従う。

どうした?

「もういいですよ」

 開けた視界のには何も変化はなかった。ただ瀧が少し眼球を赤くして目元にちり紙を当てている。目にゴミでも入ったのだろうか?

 彼女はゴホンッと咳払いして言葉を続けた。

「ではお馬鹿な彪君のために私のこと教えてあげましょう」

「え……?」

 OKが出たってことなのか、瀧は動揺する俺を無視して淡々と言葉を紡ぐ。

意味が解らない。俺を遠ざけようとしていた彼女が、何故閉じた口を開いたのか? 

「私達にはこの星に帰順する全ての存在に命令を出すことが出来ます。大抵の『存在』は地球との『繋がり』が在るものです。その繋がりからオーダーを下す才能、星そのものに言葉を届けられる声の音質を持つ者を『御命士(おんみょうじ)』と言います」

「悪霊退散……」

「心霊は陰陽師です。それとは字が違います。我々『御命士』と彼ら『陰陽師』は読みこそ一緒ですが、その力や異常に対する担当分野が違います」

 瀧は小さな紙を取り出し、そこに漢字を書いて見せてくれた。

「なんて紛らわしいんだ…。お前らの名付け(ゴットファーザー)親は、名前付けるときに被らないようにしようとか考えなかったのか?」

「日本のこの手の組織には良くあることなのですよ。そうですね、有名な陰陽道の一派だと考えてください」

 彼女自身も名前のダメさには自覚してるようで、やや疲れ気味に言った。

「地球には冥王道と呼ばれる『星から生まれる全ての大本』があると仮定してください。御命士の役目は、異常な存在を分解しそのエネルギーのようなものを冥王道に(かえ)すというものです。私がゆかりのドッペルゲンガーに使った技も、私が自分の技に必滅の意味を命じ殴ったから、あの怪物の戦闘能力を強制削除し、分解されたんですよ?」

 俺は分解と聞いてあの緑色の砂を思い出した。推測だがあの砂はドッペルゲンガーを構成する要素ではなく、瀧の攻撃によって無理やりあの形に変えられたのではないだろうか? 多分あの緑の砂が流れている場所こそ、瀧の言う冥王道なのだろう。

「そいやドッペルゲンガーとやらを殴るときに、何か言ってたな? わざわざ技の名前を言うのは、相手に悟られるんじゃ……?」

「…………!」

俺は瀧に気になったことを問うた。すると彼女はピタッと黙ってしまうのだ。

 心なしか瀧の視線が宙を彷徨っているように思えるのだが……。

「あれは……そう、あれはですね。決して格好の良い必殺技を言って喜んでいるわけではありません。ファントム文庫の『善業(ぜんごう)求血機(きゅうけつき)! ゾルヴァン』の作中に出てくる主人公の従兄弟の友達アカーノの必殺技とは、全く無関係なのであしからず」

「そんなライトノベル知らないよ! 従兄弟の友達って、どんだけ脇役だよ?」

 少し恥ずかしそうな様子を見せた彼女だが、すぐ元の能面に戻る。

「あれは私のためです。命令するには、その物の変化を頭で完璧にイメージ出来てなければなりません。私の意志をより確固たるものにするには、技名をシャウトすることは必要不可欠なのです」

「無視しやがった……。だが敵は喋って無かったぞ?」

「恐らくアレはあらかじめ可能なことを自分で決め付けているのでしょう。自己の決め付けによる能力制限の代わりにオーダーの簡略化といったところでしょうか?一文字 ひかりは身体の伸縮と、貴方をいたぶる為の肉体の修復以外の能力を使ってきませんでした。しかし異常と言っても人間常識からの観測ですし、あの『個体』は神が創造したものでしょうから、断定は出来ませんが……」

「じゃああの『吉再』というのも、必殺技かよ瀧先生?」

 彼女のムッツリ顔が崩したくて、からかった口調で言ったが、瀧は恥でも硬い顔でもない柔らかな笑みを見せた。

「あれは……願いです」

「願い?」

「私達は異常かつ害意ある存在を冥王道に還す役目を負っています。冥王道に還ったエネルギーはいつかまた新たな存在として、この星に生まれるのです。『吉再』というのはそのとき生まれた命が、今度はより良い存在として生まれ変わりますようにという願いの意思を籠めているんですよ。こうして生まれ変わりを前提とした論理は、何だか神の慈愛が籠められている感じがして、良いと思いますよ?」

 何だかさっきから臆面もなく神とか言ってるが、やはりいくらなんでもゴッドは大げさな気がするぞ。まあ、信じなくても良いという前提つきだしな。

「しっかし瀧のその御命士の力は凄いのな? 聞いたとおりなら何でもかんでも思い通りに出来るんだろ?」

「万能ではありませんよ。雲から雷は出せても、機械発電された電力は手繰(たぐ)れません他にも加工を施された鉄製品やプラスチック、自然のカテゴリーから外れた物は支配出来ません」

 次に瀧はドッペルゲンガーのことを話した。

「最近この学校の生徒が行方不明になっているのは知ってますか? 公式に発表されてなくても、噂ぐらいは聞いたことはあるはずです。実はあれはドッペルゲンガーと呼称される化け物が、人を食い殺しているからなんです」

「今、何て言った?」

「血肉を(すす)り食うことで死体を処理していると言ったんです。ドッペルゲンガーは写した相手の望みを叶える過程で人を殺しているんですよ。例え殺人を願って無くても、勝手に彼らで望みを曲解し、最終的には必ず殺します」

「でも……ひかりは俺を食ったりしなかったぞ?」

 もしそうなら俺は今頃あの化け物の腹の中だ。

「一文字 ひかりには彪君をいたぶって殺すという目的がありました。もし私があの場に行かなかったら彼女は拷問に飽きて、貴方はひかりの栄養分になっていたでしょうね?」

「くそ、せめて骨は残してくれよ。体のどこか一つはお墓に入りたいもんだ」

「彼らは骨まで食べますよ? 以前からこの一帯で、ひかり以外にもドッペルゲンガーは存在していたんです。まあ出る都度に御命士(われわれ)が吉再を行っていたのですが、最近は妙に作られるペースが早い……。そこで私は新井高校のある噂話が、この『ドッペルゲンガー』という名の怪物を広めていることに気付きました。そこで警戒を強めていたところに一文字 ひかりが現れた……そういうことです」

 成るほど、俺の危機を運命的に察知して助けに来たわけではないらしい。

「あのドッペルゲンガーですが今日中に大元を潰すんで、彪君は用が済んだら帰っていいですよ? 私と離れた帰り道に襲われる心配もありません」

 そいつは安心だ。あんなモンスターがまだ居たらオチオチ寝れもしない。だんだん瀧の言ってることが分かってきたよ。

 二つほど駅を過ぎたところで瀧が降りるように促してきた。俺は彼女の背を追いながら聞いた。

「おい、どこに行くんだ?」

「一文字 ひかりの持ち主、一文字 ゆかりの家です」

 

 瀧に導かれた場所は、住宅街の中のとある一軒家。

 瀧が家のチャイムを押すと一文字の母親らしき女性が出迎えてくれた。彼女は俺達を快く応対してくれた。

「あら、順子ちゃん。娘の見舞いに来てくれたのね?」

 どうやら瀧はここに来たことがあるらしい。

「見舞いって何だよ?」

「ゆかりは学校を休んでます。ズル休みの定番といったら『風邪ひいた』でしょう?」

 俺達は一文字の部屋にたどり着き扉を開ける。可愛らしい女の子の部屋といった具合の室内に、部屋の主がベッドで寝ていた。恐らくこの女が一文字 ゆかり本人。彼女は入って来た人間を見ようと頭を上げ、俺達だと分かりギョッとした。

普段キツイであろうツリ目は、今では怯えた色を見せている。髪の毛は下ろしており、ドッペルゲンガーの『ひかり』より少し痩せた顔をしていた。

「瀧さん!何でソイツと……?」

 狼狽するゆかりに対し、瀧は暢気に挨拶するのであった。

「コンバンワ、ゆかり」

 そして瀧は俺に振り向いて聞いてきた。

「彪君、貴方はゆかりとは初対面の筈ですよね?」

「そうだ。コイツのソックリ顔に襲われなければ、誰だか分からない。あれ? じゃあなんでこの女は俺のことを知ってるんだ?」

「なら決まりですね。ゆかり、貴方のドッペルゲンガーは私が吉再しました」

 親に叱られる子のように一文字は瀧の言葉に怯えた。沈黙する友人に瀧はさらに畳み掛ける。

「ゆかり、私が何を言いたいか分かりますね?」

「……さ、さぁ? ア、アタシに何か用なの?」

「友人に『命令』したくありません。私達のことは前に話しましたよね? 組織は非常時以外での日常での能力使用は、基本的には認められていません。ですが、異常に踏み込んだ貴方になら私が今見逃しても、別の誰かが貴方の元に来るでしょう。友人として聞きます。私は貴方の意志で、貴方の言葉で、事実が知りたいのですよ?」

 一文字は瀧の言葉の意味を知っているようだ。半時ほどビクリと凍りついた。チラチラ視線を彷徨いながら、彼女の出した返答は…………。

「知らない! 知らないもん! う、噂なんて聞いてないし、お願いしてない! ドッペルゲンガー? そんなもの見たことも話したことも友達になったこともな」

「命令します」

 強い剣幕で喚きたてる一文字に、瀧の冷徹な言葉が刺さった。彼女の声を聴いた瞬間、一文字の声が止まる。ブレーカーが落ちたように、虚ろな目で瀧の言葉を待つ一文字 ゆかり。

「一文字 ゆかり、『ドッペルゲンガー』という個体を生み出した要因を、私が知りたい情報を、貴方の知識内で私に語ってください」

 彼女の声の力によるものなのか、一文字はブツブツと抑揚の無い喋りで俺達に言い出した。

それは一文字 ゆかりの過去に起因するものだった。

「……アタシは何故か、昔から人と話すのが苦手でした。だから何故か、学校では一人でした。だから何故か、言われの無い迫害を受けてました。だから何故か、アタシは神様にお願いしました。『何とかして!』と」

「…………!」

 俺は一文字の声にビクリとした。少ない言葉の中にコイツのバックグラウンドが容易に見えたからだ。この女も……俺と同じ日陰者(ひかげもの)だったのだ。

「神様はアタシの願いを聞き入れてアタシの傍に『アタシ』をもう一人作ってくれたのです。その代わり神様は、アタシに役目を任せました。二人目の『アタシ』は神様の意思を代行する存在で、その世話をしなさいと言ったのです。アタシはそんなことならと神様の出した条件を呑みました」

 また神様かよ……。信じるとは言ったものの、こうも存在を確定されると、うっかり口に出してしまいそうだ。

『神』は居る、と。

 瀧が一文字の話の補足をしてくれた。

「多分その土地神はゆかりの願いに便乗する形で、この子を()(しろ)にドッペルゲンガーを作ったのでしょう。それが『一文字 ひかり』。そしてひかりはゆかりの願いどおり『何とかした』。そうですね、ゆかり?」

 それが俺を襲ったドッペルゲンガーか。でもゆかりの願いって? 何とかしろ~なんて曖昧な頼みでアイツは何をしたんだ?

 すぐに考えに至った。アイツが俺にして来たことも『何とかして!』に含まれることだったのではないだろうか? つまり一文字 ひかりが今までして来たこととは……。

ゆかり本人は瀧の問いに答え、長い言葉を紡ぎ続ける。

「はい。ひかりはとても良い子でした。よく私の話しや悩みを聞いてくれました。ひかりの力でパパもママも、彼女を最初から居た娘のように可愛がりました。でも学校に行くときはいつも留守番させました。彼女が居ないときは寂しかったけど、アタシはひかりが居るだけで幸せでした」

 ドッペルゲンガーの力? この女の両親は催眠でも掛けられってゆうのか?

俺は怖くなった。ひかりのように人々の日常生活に入り込む化け物が他にもいる可能性にだ。もし家族だと思っていた人間が人外(じんがい)の者だったらどうする?

また瀧の言葉が俺の脳内に染み込んできた。こんなこと知り続けたら、疑心暗鬼と恐怖で潰されてしまう。

 スラスラと言葉を並べていた一文字 ゆかりだが、ある人物の名を上げてから、感情の無い台詞が遅くなる。

「でも……高校に入り、アタシは瀧さんと友達になりました」

 瀧の名前が挙がった。何故か一文字は友人のことを語ろうとすると、言葉を濁らせる。まるで瀧のことを話すのを、一文字の心が拒んでいるようだ。

「瀧さんと……出会ってからは本……当に幸せだった。毎日学校………に行くのが楽しくなって行き……ました。でも……それにつれて家に帰るのが遅くなって……いきました。次第にアタシはひかりの相手をしなくなりました。するとひかりは………」

「勝手に人を殺そうとするようになった。そうですね?」

 急に一文字の語りを遮ったのは瀧の言葉。しかもかなり物騒な内容だった。

「殺す……だと?」

「ゆかりの話と過去の例から推測するに、一文字 ひかりを縛る制約や義理が無くなったことで彼女にとっての本来の目的、神から生産された役目を果たすことにした……。そんなところでしょうね」

「本来って、あのドッペルゲンガーはゆかりのために生み出されてるんだろ?」

 神様とやらは願いを叶えるという前提で、瓜二つの存在を産み落としている。でもその前提以外の使用要素や命令を与えられているとしたら? なんだか詐欺みたいだな。

 だが疑問を抱く俺の口の前に瀧はサッと掌を出した。まるで俺の問いを塞ぐ意思があるように。

「申し訳ありませんが、この事象について教えることは出来ません。あのドッペルゲンガーには対人殺傷のプログラムが根幹に有る、そう思っていてください」

「え……? ああ、ゴメン。深くは聞かないよ」

 好奇心を堪えた俺は黙って彼女の話を聞いた。

「推測ですが……最初のひかりはプログラムのノルマを、ゆかりの願いや周りへの憎しみで消化していたのでしょう。しかし原因は解りませんがゆかりは、いつからか一文字 ひかりを必要としなくなっていった。だからドッペルゲンガーは自分で標的を探し始めた……っと言ったところでしょうか」

 そうか。彼女は解らないと言ったが、俺にはゆかりが自分の分身を必要としなくなった理由に合点がいった。

 一文字 ゆかりは幸せになったのだ。瀧と友達になることでコイツは満たされた。瀧 順子によってこの女の暗闇は照らされたのだ。寂しさを紛らわすために呼んだドッペルゲンガーの存在を忘れてしまうほどに。

 俺はゆかりの感情がはっきりと理解できた。何故なら俺もまた瀧に満たされ、照らされ、救われた人間だからである。

「ゆかり、さらに詳しくそのときの情報を教えてください」

 瀧に促された一文字は、声に少し怯えた音を乗せて喋った。

「ひかりはアタシが少しでも目を離すと、どこかに行こうとするんです。多分学校に行ってるときは毎回です。そしてアタシはその度に、ひかりの服に数滴の血が付いてるのに気付くんです。あの子はこう聞いてきました。ゆかりちゃんの近くに意地悪する悪い人や嫌いな人は居ない?って。アタシはつい答えてしまったんです。あの男の名前を……」」

「その人の名は?」

「その男子生徒は瀧さんのクラスで何かと噂になってました。その噂の中に瀧さんと付き合ってるというものがあったのです。現に瀧さんはその男と接触するようになってから、アタシと合う回数が日に日に減っていきました。あの菟柄 彪という男が現れてから……!」

 一文字の言葉を受けて瀧は少し気まずそうな顔を、俺はさして驚きもしない顔をした。途中から何となく予想はしていたのだ。一文字 ひかりの台詞は明らかに俺に対するゆかりの恨み言を言っていた。ならアイツを差し向けたのもこの女だ。

「あれ? アタシ……何を言って……?」

 虚ろだった一文字の目に光が(とも)り始める。瀧の命令の効力が切れかかっているのだろう。瀧もそれを確認すると、友人に語りかけた。

「ゆかり、今日は貴方のお見舞いに来ました。そろそろ帰ります。見送りは必要ないので、貴方は寝ていて下さい」

 彼女が一文字の目にサッと手を被せると、そのまま一文字は眠ってしまった。

「必要なネタは揃いました。帰りますよ彪君」


 一文字家の玄関を出た後、瀧は庭に何かを投げ込んだ。紙片のようだったが……?

「何だそれ?」

「無駄に長い付き合いの陰陽師が知り合いに居まして。ソイツからせしめた通禁(つうきん)式神です。これでゆかりの家に二度とドッペルゲンガーは戻って来れないでしょう」

「それが……か?」

 紙片を見て(いぶか)しむ。人の顔を模して作られた形で、表に目や口が書いてあった。アニメ絵で。ペンでくりくりした目が書かれたソレは、とても陰陽師の扱う物とは思いがたい。

「うおっ!」

 紙片を睨んでいると、スウッと庭から紙片が消える。想像するにそれが作用し始めではないかと思う。ちょっと今のはビックリしたぞ!

「おい瀧、今ドッペルゲンガーが戻ってくるって言わなかったか? もうひかりはやっつけたんじゃ……」

「ええ、ですがゆかりにはドッペルゲンガーとの因果がもう結ばれています。先ほどのゆかりを思い出してください。彼女は仮病ではなく本当に具合が悪そうでした。あれはすぐまた新しいのドッペルゲンガーが、彼女の生命力を使って作られようとしているのでしょう。恐らくまたゆかりの姿をしているでしょうね」

「何だって? じゃあいくら瀧が倒しても意味ないじゃないか?」

「ドッペルゲンガーはジャンルとしては使い(ユーズドイヴィル)(たぐい)なのです。彼らは姿を写した相手と契約の形をとり、望みを叶える代わりに相手から燃料を吸い取る……といったシステム。ゆかりの体調が悪くなったのも、ひかりが肉体としての存在を再構成しているから。再び生を受け現世に出現したとしたら、ゆかりと新しい体でまた契約しようとするでしょうね。それを防ぎ、知らせる為の式神です」

 瀧の推理は当たっているように思えた。言動を鵜呑みにすれば、一文字 ひかりは現在進行形でまた生まれようとしている。そいつはゴメン願いたいな。

「……貴方をここまで連れてきた理由は、理解していますよね?」

「ん?ああ、解ってるつもりだよ。俺の好奇心を抑えるためだろ・」

 俺は被害者とはいえ、見てはならない代物と化け物とイロモノを目撃している。だからこれ以上関らないようにする為に脅威を訴え、興味や介入の可能性を潰しておきたかったのだろう。

 でも瀧のことだから、被害者の俺に実情を、義理で喋ってしまったのかもしれない。

「心配するなよ。これ以上は追わない」

「ご賢明なことで何よりです」

 瀧はここで別れると言ってきた。

「私は今日中にこの問題の今元を断ち、学校中の噂を消しておきます。彪君は何の気兼ねもなくお帰りください」

「はいはい、そうさせて貰うよ。解ってる。後は任せたぜ、ヒーロー?」

 そう言って冗談めかして背を向けようとした俺を、何故か瀧の方から呼び止めた。

「私が……ヒーロー? そ、そんなこと有り得ない話ですよ……!」

「な、何だよ?」

「……どうして私のことをヒーローなんて呼ぶんですか? 私はその気になれば彪君を弄り殺しに出来るような…………バケモンですよ?」

「だって瀧は今までもこうやって何か良く解らんのと戦ってきただろ? ぶっちゃけ漫画みたいな話だよ。もしこれが漫画だったら、お前は人知れず町を守るヒーローってところじゃん?」

 質問の真意を問おうとして振り返り、俺は驚いた。

 瀧の顔が真っ赤になり、瞼からハッキリと涙を流していたからだ。

「うおぉ! 何で泣いてるんだよ?」

「……お……うさん……と……おか……んは……そんなこと……言ってくれなかったのに…………」

「え……? ちょっと聞こえなかったんだけど?」

 ボソボソと彼女の口が動く。瀧はどうしてか胸を苦しそうに手で押さえながら、そして意を決したように言った。

 このとき耳に聞いた瀧の声は。

 いつもの平坦な発声ではなく。

 感情の込められた大きな、可愛い声だった。

「わ、私! 彪君に言いたいことが有ります! 今……私は…………貴方を好」

耳鳴りがする。

 何か金属を削るような鈍く汚い音が。

 聞こえる。

 俺が帰ろうとしていた方向を見やる。

 真っ赤な。

 二メートル程の大きさの(さめ)が。

 胸の高さぐらいの中空から浮いていた。

「…………っ!」

 一秒もしない内に横から、瀧が鮫と俺との間に割り込む。声を出す間もなかったのか、彼女は鮫に向けて紙片をかざした。前と同じ形の物だ。

 信じられないことに紙が大きくなり、盾の形となって瀧の前に現出する。

 さらに信じられないことは、鮫の吐いた炎が盾に当たるや否や爆発し、爆風が盾諸共(もろとも)に俺達を焼き吹き飛ばしたことだった。

 塀に叩きつけられ意識を失いかける。

 嗅覚が血の匂いを。触覚には手に赤い水分が届けられたことを教えてくれた。

 そして視覚には、今の爆発で壁のどこかが壊れ飛んだのだろう、大きな鉄塊が横で倒れる瀧の腹に深々と刺さっているのが見えた。

 今度こそ落ちかける意識の中で理解する。

 瀧 順子は今、完璧に、疑いようもなく、完全に。

 死んだ。



 時計を見ると遅刻しそうだった。ヤバイ!学校に行かないと。


 何とかギリギリで教室に入れた俺は、クラスのHRになっても、あの女子生徒が来ていないことに気付く。その後、宇村担任教師が来ても瀧 順子は登校して来なかった。

「珍しいな……。アイツはほとんど欠席しないのに……」

 宇村教師の話をボンヤリ聞きつつ、俺は呟くのであった。



「ねえ、アンタ! そこのアンタよアンタ!」

 放課後になり、俺は帰宅のため下駄箱で靴を履き替えていたのである。すると知らない女子生徒に声を掛けられた。

「あんた菟柄 彪って名前でしょ?同じ一年の。アタシ一文字 ゆかりって言うんだけど」

 一文字という苗字を聞いた瞬間、俺の渾身のチョップが女子生徒の頭を殴打した!

「ほげぇ……! 何すんのよ! 痛いじゃない!」

「お前の顔が昨日の化け物に似ている!」

「はぁ? アタシ達初対面でしょうが!」

 女子生徒は靴の色からして確かに同学年。髪をギザギザしたリボンで二つ結びにしてる女は、頭を抑えながら抗議してきた。

 本当に知らない顔だ。一文字なんて名前にも聞き覚えがない。

「ゴメン。君のことどこかで見た気がしたんだけど、やっぱ知らんわ。それじゃ」

「ちょ、ちょっと! 人のこと攻撃しといてサラッと居なくなるわけ? アタシの話を聞きなさいよ?」

「……何の用?」

「ええと……ゴメン! アタシ、菟柄に悪いことした!」

 突然、一文字は頭を下げてきた。ドキリ。

「え? どゆこと?」

「だ~か~ら~!アンタに悪いことしたから謝ってんでしょうが?」

 どうやらこの女子は俺に謝罪しに来たそうな。

目的は解ったが、なぜ? という疑問が解らずじまいだ。どうして謝っているのか?

そのことを聞いてみると、彼女は期待外れな答えを寄こした。

「それが……アタシ自身にも何をしたか身に覚えがないの。でも自覚なくても、何だかアンタに謝んなくちゃいけないような気がして……」

「自分でも解らないだって……?」

 キツイ喋りの女だと思った途端、シュンとした表情をする一文字 ゆかり。感情の起伏が激しい奴と見た。

 しかし本人も解らないとなると、ただの勘違いか忘れただけではないだろうか?前者は微妙か。知りもしない他人にそんな考えを抱いても、あまり気にも留めない。後者だったら相当怖い。加害者も被害者も事を忘れ、こんな中途半端に加害を告げられても、俺スゲー困るし。

「悪いことしたって言うけどよ、それはいつだ?」

「え~と多分昨日だと思うわ……。でも何だかアタシ昨日自分が何してたか、全然覚えてないのよね」

 昨日? 俺は確か生物部で瀧から変な話を聞いて帰る途中に……あれ? どうしたんだっけか?

 記憶の空白(ブランク)。どうしてか昨日の夕方から今日の朝までの菟柄 彪が頭から抜け落ちている。ヤバイ、末期だ。

 ともかく俺は思案する。このよく解らない女を撒くにはどうしたら良いか?

 会ったこともない人間に罪の覚えが無くとも、こうして罪悪を謝罪しに来た精神は買う。恐らく彼女は真っ当な善悪を心に置いているのだろう。

 関係を絶つ。一文字は俺に義理があるからこうして会いに来ているのであって、本来なら俺と彼女との接点は無いはずだ。ならばその繋がりを解除してやればよい。

「お前が俺に悪さしたのを認めてやるよ。だからそれを許す。これで用は無くなったろ? 俺は帰る」

 困惑する一文字を尻目に校舎を出る。

外は夕方にしてはやや明るかった。山の向こうに夕日が輝いている。まあまあな光景。

「昨日も……こんなに明るかったよな…………」



 嫌悪感。駅へと続く裏の林道を歩いていく俺は一歩進むたびに不快感を抱えていく。

昨日ここを通ったときに何か、肉体を傷付けられるような嫌な目に遭った……気がする。学校のクラスでの生活も十分精神的に鬱屈しているが、この場所は肉体的に気分が下がる。

 別の道を行くか?

 却下だ。街中を歩いたりしたらかなり遠回りだ。

「それに、後ろにはお前が居るからな?」

 俺は来た道を振り向いて言った。木々の間から二本のツインテールが覗いている。隠れている心算なのか、ソイツは何度も顔を出し、俺を監視しているのだった。

「おいデスストーカー、何しているんだ?」

「ストーカーじゃないもん!」

 あっさり姿を現した一文字 ゆかり。まだ不満があるのか追いかけてきたようだ。いや、俺はゆかりと今日始めて出会ったのではないか? なのに何故見たことあるような思案をしているのか?

「アンタなんでここに居るのよ! ここはアタシ専用の帰り道なのよ?」

 重なるシチュエーション。それと重なるものがもう一つ。

 一文字 ゆかりは昨日俺に何か悪いことをしたと言っていた。しかし被害者である俺も昨日何をされたか、覚えていないのだ。そのほかにも色々忘れてしまっているような気がする。

「何なのアンタ? 何? アレなわけ? アタシの魅惑のボディーに引き寄せられた変質者なの?」

「それは…………ないッ! お前は……無い! 胸が………無い!」

「そんなこと知ってるわよー!」

 不名誉なことを言われたので、無視を止めて事実を告げてやる。何か思い出しそうだったのだが、外界からのキンキン声や無意味なセクシーポーズなどとられた日には、引きこもりも部屋から出てくるに違いない。

「あのな、ここは俺も電車通学の近道に使っているんだよ。…………お前も?」

「ま、まあね!」

 強気に肯定する一文字だった。この女……さっきまで俺に謝ってたくせに、罪を清算した途端吼え始めた。こちらが()なのだろう。

「まあいいよ。一文字だっけ? お前に聞きたいことがあるんだけど?」

 俺は面倒なので歩きながら話すことにした。当然一門字 ゆかりも嫌々といた姿勢でついて来る。

「お前本当は俺と何処(どこ)かで会ったことが有るんじゃないか?」

「え?そんなわけ……ないじゃない。本当にアンタのことは今日初めて知って」

「どうやって俺が菟柄 彪だと解った? ひょっとしたら一文字、誰かに俺のことを聞いたんじゃなくて、直感的にこの男だ!と認識したんじゃないか?」

 一文字はハッと何かに気付いた顔になる。

次に考える顔になる。

 そして怯えた顔になりながら、こう訊ねてきた。

「な…………ナンパ?」

「違うぅー!」

 期待した俺が阿呆だった。一文字の狂言と自分の違和感を重ねて、この女が何か知っているのではないかと思い聞いてみたのだ。

「わ、解らないわよ。ここに居るアタシを通して、アンタを見たような……。でも体が二つあるわけでもないしー。あ…………もしかしたら!」

 隣を歩く一文字が一際大きい声を上げる。何か思い出したのだろうか?

 俺は彼女に期待を込めて聞いた。

「何だ? 何か思い出したのか?」

「そうよ! そうに違いないわ。実はアタシ達は二人揃って宇宙人に(さら)われてたのよ!」

「は?」

「多分宇宙船の中でミ=ゴ星人(仮)に体のコピー取られて、代わりに本人ソックリ人間ソックリのヤツが地球に送り込まれてるんだわ。それがアタシ達で、本物はすでに死んでるのよ!」

 馬鹿馬鹿しい。俺は落胆と共に一文字の台詞を内心一蹴した。

宇宙人? そんなもん居るわけないだろう。大人は誰も笑いながらテレビの見過ぎというぞ!

「実はアタシ……もう一人の自分に会ったことがあるような気がするのよ」

「何? 鏡か何かじゃないのかよ?」

「中学生の頃だったと思う。アタシはよく学校から帰ってくると、その自分と遊んでた。でもその自分はアタシと同じ顔してるんだけど、性格はちょっと違ってたの。何だか……アタシよりずっと明るくて素直で、その点は少し別人みたいな…………」

他人の言葉だからこそ、客観的に見ることが出来る。俺達は揃いも揃って昨日の記憶が曖昧だ。何か大切なことを忘れたのかもしれない

 だが……だからどうした?

俺の悩みはいくら悩んだところで、どうしようもない。俺なんかに出来ることなど、何も無いのだから…………。

 一文字はその後もギャラクシーな単語を口にしていたが、何だか耳に入ってこなかった。己の無力を学習したことで、一時的な思考放棄に陥っていたのだ。

「一文字……さっきはいきなりブッ叩いてもう二度と人前に出れないほどの損傷を顔に与えて、ゴメンな」

「え? いきなり何よ!……不意に謝れたらビックリするじゃない。勘違いしな」

「今の今までどうしてお前を殴ったのか全く思い出そうとしなくて、ゴメンな。あ、でもブッたこと自体は全然反省してないから勘違いしないでよな?」

「先に言われたぁぁ!」



この後も俺はこの一文字 ゆかりと度々ツルむことになる。

俺にとってコイツはどうでもいい女。噂になろうが迷惑が掛かろうが、知ったことではないという関係。我ながら菟柄 彪という人間は本当に勝手な奴だ。何故なら俺は本能的に換わりにしようとしていたのだ。

 もう二度と会えなくなってしまった彼女の。

 瀧 順子の換わりに。


 次の日、彼女は登校してきた。朝のHR前の騒がしい教室。俺はいつもの通り机でボンヤリしていた。最近は何だか眠れないのだ。

 しかしドアを開けて入って来た女子生徒を見咎めたことで、一気に脳が活性化する。

 瀧 順子だ!

 瀧はクラスの人間をすり抜けてゆき、自分の席に座る。風邪でもひいたのかと遠くから顔色を(うかが)ってみるも、特に変わるところはない。いつもの通りの彼女だ。

 話しかけようとしたところで、教室に宇村担任が入ってきた。席に座るように促す彼の声を聞き、浮きかけた腰を戻す俺。

(まあ良かった……。何か重い病気にでも掛かってるのかと思ったぜ。全く俺もどうかしてるな? たかだか数日休んだだけで、どうしてこんな考えする? 心配することなんて何も)

 有った。

タキハタシカオレノメノマエデシンデシマッタノデハナイカ?

 耳鳴りがする。

金属を削るような鈍く汚い音が。

 聞こえてくる。

 音は次第にハッキリとした意味のある声に変質してゆく。

「オマエヲカバッテシンダ」

「…………ぅ!」

 脳裏にフラッシュバックする光景。

 焼け砕けた地面に横たわる人間。

死んでいる。

 地を染めている彼女に入っていた液体を蒸発させる炎。

死んでいる。

 瀧 順子と大地を繋ぐ血で濡れた鉄塊。

確実に死んでいる!

「オマエハガイアクダ」

 瀧が死んだ……? そんな馬鹿な! 現に目の前で生きているではないか?

 矛盾した記憶だ。瀧が目の前で何も変わらず生きているというのに、彼女の死の光景が網膜に焼き付いてる。

「オマエニカノジョトイッショニイルシカクハナイ」

 耳鳴りがする。

金属を削るような鈍く汚い音が。

 聞こえる。聞こえるのだ。

 脳髄に説くように、後押しするように、進めるように、脅迫するように、彼女への罪悪感が広がっていく。まるで瀧の元から離れよと、誰かが俺に囁いているみたいだ。

 そうして俺の心の聴覚が悩まされているうちに、HRは終わったようだった。

「……話してみなきゃ…………解らないよな?」

 一時限目が始まるまで十分ある。そのうちに瀧と話すことくらい出来るはずだ。俺は意を決して立ち上がり、彼女の座る席まで歩を進めた。

「や、やあ瀧、元気だったか? ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

 彼女を教室の外に連れ出し、周囲に人が居なくなったところで俺は問いをぶつけた。

 それに瀧は普段通りの口調で答える。肯定の意を。

「残念ながらその通りです」

「…………! な、何がだよ?」

「全部がですよ。あの日あの場所で起こった事象は、瀧 順子(わたし)にとっても、菟柄 (たけし)君にとっても望まぬであろう結果を生みました。それは…………」


 そして、ソレが語ってくれた事実と取り決めに耳を傾けた俺は納得し、落胆し、絶望し、涙することになる。

「……解った。なら俺もお前に一つ言っておくことが有る」

 あの時の俺は混乱していた。何も考えられないかったのだ。深く考えれば理解できたはずなのに、少ししか考えられなかったのだ。瀧の意思を酌むことが出来なかった。

 だから現時点での俺は、決別の言葉を紡ぐしかなかった。

「俺は……お前の名を、瀧 順子を…………認められない!」

 また耳鳴りがする。

今度も金属を削るような鈍く汚い音が。

 再び聞こえてきていた。



 その後、俺は瀧から距離を置くことにした。

 当然俺は一人ぼっちになる。一文字とはたまに廊下で会えば話はするが、違うクラスなので常に一緒というわけではない。他人とのコミュニケーション能力がどんどん低下して行く。

 まあ大丈夫さ。俺は今まで一人でやってきたんだ。元の自分に戻るだけで、全くもって寂しくなんかない。

 だが、それはとても愚かで幼く不当で不真面目で間違った選択であった。瀧のことを認めてやるべきだったのだ。変な意地を張らずに彼女に助けを求めるべきだったのだ。

 これでは瀧の敵の思う壺なのだから…………。



 二年に進級した俺は業満神社に来ていた。深夜の時間帯である。

 学校で聞いた噂の手順を実行すると、すぐに応答が『頭』に直接来た。その内容はどこかで聞いたことのある通りのもの。

 俺は願いを言った。

「俺は……が欲しい。何も悩まなくて良いような、周りを気にしなくて良いような、そんな……自分がもう一人欲しい。寄こせ」

 同意の意思が伝わり、同時に四方から光が放射される。

 緑色のそれは俺の体を舐め回すように照らして、やがて後ろに光の矛先を集めた。俺はそれを目で追い、後ろの闇を見定める。

 驚く。

 のっぺらぼうが立っていた。人の形をしていて、だが顔は無い。衣服を纏わない凹凸の

無い、濁った灰色の裸の姿はまるで出来の悪いマネキンだ。

 その人型に先程の光が当てられる。

 光はマネキンに模様を書き加えていき、体には衣服を、頭には顔とパーツを与えていく。そうして現れた姿は…………。

「やあ」

 ソイツの会釈する動作はまさに俺そのもの。いつの間にか人間になっていたソイツの顔は俺と瓜二つ。

 同じ顔に同じ服。同じ動きに同じ声の名も無きその『男』はニッコリと笑うのであった。



「………………っぃ!」

 痛烈な記憶だった。

 一文字と同じ顔の人間に襲われたり、好きな女の子がスーパーガールだったりする夢を見ていた。あまつさえ彼女が死んだなんて悪い冗談でしか無い。

 俺は瀧の部屋の床でぐったり座っていた。目の前のベッドには想い人の安らかな笑顔。俺と瀧 順子以外誰も居ない空間。安堵する。

 俺は路地裏で怪我をしていた瀧を、彼女の指示によって家のアパートの部屋まで運んで来たのだ。

「俺も……気持ちの整理がついたもんだな。今ではコイツを瀧 順子だと認めてやってるんだからな」

 長い時間をかけて、俺はやっと彼女の名前を認めてやれた。彼女の続きの人生を許してやることが出来た。そんな余裕が持てるようになれたのだ

「人間の感情って本当に滅茶苦茶なもんだよね?僕を作るぐらい彼女を不定していたのに、もう許してしまうのかい彪?」

 この部屋には俺と瀧以外誰も居ない。でも俺は二人居るのだ。

 菟柄 彪と、俺が作ったドッペルゲンガー、菟柄 洸が。


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