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二番目の話「代行殺人と孤独の暗示」


二番目の話「代行殺人と孤独の暗示」


 閉じられた闇の中に光がにじみ込む。その光源は闇の中を進み、寝ている俺の意識の覚醒を促した。何度かの微動のうちにベッドから起き上がり、この部屋に差し込んだ光を見つけた。カーテンを開けると、圧倒せんばかりの()の光が眼球から脳を刺激する。俺は窓の向こうに見える陽光を鬱陶(うっとう)しく睨むのであった。

 今日も俺は一人で起きた。そして一人で母が作って置いてくれた朝飯を食べ、一人で登校する。両親はどちらも共働きで、双方とも仕事人間で忙しく、夜中帰宅タイプ。しかも一人っ子ときたもんだ。だから家族的交流は激ウス、つかそんなに仕事大事なら、子供生むなや。

 また俺の一日が、人生が始まってしまう。この不条理な世界での不意味な日々が。俺は変わらない世界と動かない現実の住人だ。

「やれやれ、どうしてこう人生というものは、こう面倒なのかねぇ?」

 本当に……人生って奴は笑える。



 新井(あらい)高校の一年D組に登校した俺は、誰とも話そうともせず机でボンヤリしていた。周りから聞こえる笑い声や響く音。教室の楽しげな空気が俺の気分を毒する。俺は座る机を陸の孤島として、心の(バリアー)を作っていた。周囲の動きが遥か遠くの出来事のように思えた。。

 学校に来るとたまに耳鳴りがする。

 何か金属を削るような鈍く汚い音が。

 聞こえてくる。

 次第に音は遠くなってゆき、自分の意識が外界へと向けられる。隣で女子生徒達が喋っていた。まさか人間の声を変な音と間違えたのだろうか?

「ねえ聞いた?あの噂?」

「うんうん知ってるよ! 男子は全然知らないあの話でしょ?」

「何でも願いが叶うんだってね~」

「でも~願いを叶えてくれるのはいいんだけど~、叶えた後に大変な事になるらしいよ? 最近大岩君の友達の友達が消えたのも、『アノ噂』が関係しているらしいよ?」

「本当? 大岩君たちってヤバイ事しまくってる人たちでしょう?」

「うんうん、中学のときから悪そうだったもんね」

 キャーっとどうでもいいことを話題に咲かせる隣の席の女子達。やれやれ。

 扉を開く音がして、このクラスの担任の宇村(うむら)教師が入ってきた。彼は今日の連絡やクラスのアレコレを喋る。

俺は半分聞いて、後はあらぬ方向に視線を遊ばせた。

 ふと視線が合う。目の主は、先ほど話していた女の子グループとは異なる女子生徒で、彼女も俺と同じく話を聞いていないようだ。というより、彼女は別に俺を見ているわけではないようなので、俺から視線を外した。別にそれ以降、何のイベントもなかった。



 新井高校の食堂と購買はどうしてか別れていて、それぞれに別々の方向にある。

その日、食堂が休みになっていて、なおかつ母親産の弁当を持ってこなかったので、俺は購買のパンを購入した。

 

俺は手持ちがパンという軽量にあやかって、どこか一人で時間を潰せるところを探した。放浪者(バガボンド)となった俺がたどり着いたのは、人気の無い部室棟であった。その中で俺は、周囲から見え(にく)い端っこの方で昼食を(いただ)くことにした。

目の中に、少し奥に見える校舎の背中という光景を入れながら、食物を租借(そしゃく)する俺。

 ここは何だかいい。騒がしい周りの喧騒から離れ、静かな木々の風になびく音を聴きながらのランチタイム。視界には優しい緑と、人の音の無い動作を見下ろすのは、気分がいい。

「何をしているのですか?」

 後ろから扉の開閉(かいへい)音と共に、人の声。

驚き振り向いた俺の前に、『彼女』が存在していた。



 一人有意義(ゆういぎ)に過ごしていた俺は、何故か生物部の部室に引きずり込まれていた。中は机と椅子が僅かばかりあるだけで、棚には一つ水槽があって、綺麗な魚が泳いでいた。

 俺は椅子に所在無さげに座っている。そして前には、俺と机を繋げて弁当を食べる女子生徒が一人。名は(たき) 順子(かずこ)。この前、教室で目が合った女子生徒だ。

「パンまだ残っていますよ?」

「あ、あぁ! そうだな」

 突然話しかけてきた。俺はご指摘どおり残ったパンを食べながら、この少女の真意を探ろうとした。

「なぁ、アンタ。なんで俺をその……誘ったんだ?」

 彼女はしばらく考える動きをして、問いに答えた。

「私はいつもここで魚を愛でながらお昼を食べています」

「そうなんだ。…………それで?」

「私に生き物好きの同志で風見(かざみ)という者が居るのですが、彼は野鳥の観察が好きなのです」

「風見って、確かモテるって有名な奴だよね? 会ったことはないけど、その人の趣味がどう関係してるんだよ?」

 すると彼女は少し言いあぐねる様子で言った。

「本当のことを公言したらマズイのでぼかしますが、彼は最近水鳥の観察も始めたのです」

「ふ~ん、その人も生物部の人ってことだろう? 学習意欲があっていいじゃないか?」

「はい。私にとって別に他の方々の身体がいくら視姦されようと無罪(ノットギルティー)無問題(ノープロブレム)なのですし、この学校のプールは、覗くにはすぐ見つかります。

ですが私の3サイズを彼が当ててきたのには流石に腹が立ったので、現行犯で見つけてイカ殴りにしてやろうかと思いまして」

「なんか色々とツッコミ所が」

「部室の前に風見が来たのかと開けたら、貴方でした。覗き魔扱いしたことへのせめてもの謝罪です」

 何だかよく分からんが、とりあえず俺の予想通りではないらしい。べ、別に残念なんて思ってナインだからね!

 再び黙ってしまうのがイヤで、俺は前から気になっていた質問をぶつけてみた。

「なぁ、瀧さんだったっけ? 俺はアンタに聞きたいことがあって……」

「何ですか?誰にも気付かれにくい木の切り方なら、風見に教えを請うてください」

「いやそうじゃなくて、お前は俺と同じクラスだよな? 前から聞きたかったんだが、瀧はどうしていつも一人でいるんだ?」

 以前見た教室のボヤッとしている女子が気になって、瀧のことを観察していた。すると彼女はどうだろう、長い休み時間の間、誰とも会話せずに誰とも関ろうとせずに、一人でボンヤリしているではないか?

どこかの誰かのように。

 俺と違う点は、瀧は完璧に空気になっていたことだ。何も感じず、何も思わず、何も欲しない完全他者不干渉スタイル。他人から全く疎まれず、嫌悪されず、外界から何も影響を受けていないのだ。

その姿は、俺にはとても羨ましく思えたからだ。

「お、教えてくれよ? どうしてお前は一人で居られるんだよ? どうして一人で平気なんだよ? なぁ! 俺に答えを教えてくれよ!」

 途中から語気が荒くなってしまった。俺と同じく一人で生きる瀧。コイツの今の現実ははたして望んだものなのか? それとも、どこかの誰かと同じで、望まざる世界を生きているのか?

 俺は瀧の言葉を待った。もしかしたらこの少女は、答案を知っているかもしれないからだ。俺が今のようなクソッたれな毎日を生きるようになったその理由を、俺が探し求めていた答えを。

「貴方は耐えられないのですね?」

 心に(ひび)が入った。取り繕っていた体面を、自分の中に隠す弱さを言い当てられたのような。瀧はボヤけた表情とは打って変わって、今は瞳に強い意志を(たずさ)えている。眼前の女子生徒は言葉を続け、俺の心を刺し続ける。

「貴方は一人で居られないのですね? 一人が耐えられないのですね? 一人で生きていられないのですね?」

「ち、違う……俺は……!」

「一人ぼっちで寂しいのですね?」

 血液が昇る感覚。不当に溜まった血が脳の思考を緩慢(かんまん)にする。何も考えられない。

「お前に! 俺の何が分かる!」

 俺は瀧に掴みかかっていた。両手が小柄な身体を持ち上げ、両指がブラウスの首元を握る。

 そうさ、瀧の言ったことは百発百中。何にも間違っちゃいない。

俺の全てと総てを言い当てていた。

だからこそ、この女の存在を許せない。俺の弱さを、不満を知っているコイツは、生かしちゃおけない。誰かに何かに伝わる前に、瀧 順子という存在を殺さなくちゃいけない。

だが俺に、人が……殺せるのか?

俺が殺意と迷いを(まなこ)(たた)えるのに対し、瀧の無表情は始めて変化を見せた。

それは慈愛や(いつく)しみといった人間らしい表情だった。

「もし良かったら、教えてくれませんか?」

 掴みあげたせいで瀧と俺の目線は近くなっていた。さらに瀧は普段とは違う{情}を含んだ目で、顔で、口で問いかけてくる。俺は場違いにも、胸の鼓動が早くなった。

「な、何を?」

菟柄(とずか) (たけし)君は、どうしていつも一人で居るのですか?」

「………………!」

「彪君の悲しみを、教えてくれませんか?」



 俺は瀧に、洗いざらいブチまけた。もう恥も体面もなかった。他者に対する知らずに作っていた壁が崩れていた。俺の本心を塞き止めていた心のダムに穴が空いてしまった。

「俺だって最初っからこうだったわけじゃない。普通に今までだって仲間とわいわい騒いでいたさ。なんの不満もなく毎日を生きてたんだよ。でもな、ある日前触れもなく日常が変わってしまったんだよ」

 ここで一瞬、言葉が詰まった。先を話すのは、己の恥部や汚点を話すようで、気が引けたからだ。瀧は無表情で話を聞いている。俺はなんとか語りを続ける。

「俺、周りから無視されるようになったんだよ……。初めは仲のいい友達から、終わりはクラスの奴らから。何かのきっかけもなく突然に、俺は誰にも話しかけられなくなった。友達に聞いても笑われるだけで、理由も教えてくれなかった。俺はわけが分からなくなった…………」

 あのころの俺は必死に弁解を図っていた。俺が嫌われた理由を知りたかった。わけも分からず、コミュニティーから切り離されるのが、嫌だった。とにかく今の状態から抜け出したかった。  

人間は常に知りたがっている。自分が居ていい場所を。もし、何処からも声が返って来なかったら、この世界は暗闇だ。自分の場所も、他人の位置も、己の存在理由も、ただ判らなくなってしまう。それは何よりも変えがたい恐怖だ。

俺はそのとき理解した。世界の終わりというのは、誰からも何処からも何からも、声が返ってこない世界なのだ。少なくとも、今俺の知っているチッポケな世界は終わっている。

そして、俺はその終わりを甘んじ、無力を学習し、自分から周囲への出力を切ってしまった。

答えは得られない。世界は終わった。それはこれからも変更はない。

「瀧、僕の世界は終わっちまったんだよ。人とまともに話したのだって、今日が久しぶりだよ」

「それは変です。家族や教師とは会話や相談はしなかったのですか?」

「勿論したさ! でもな、誰も理解できなかったんだ。俺は特殊な状況に置かれてるんだよ! 親父やお袋は世界から切り離されたことなんて、一度もなかった。先人の意見に従えって言うのは、その長く生きた奴が自分の知らない経験を持っているからだ。でも親父やお袋は俺みたいな経験はねぇんだよ? だから二人は僕の感情を理解することはできなかった」

 担任の宇村先生も、俺の状況を認識できなかった。でも彼は解らないなりに、俺のことを何かと助けてくれた。理解しようとしてくれた。彼には少し気を許していた。

 そうか。どうして俺が瀧の言葉について来てしまったのか分かった。俺は瀧と普通のどうでもいいお喋りが出来て、嬉しかったのだ。自分の人間としての機能を久しぶりに使えて、楽しかったのだ。

 それに気付くと俺は、自分の情けなさと瀧の情けに、思わず涙腺が緩んでしまった。

「なあ瀧、もう一つ教えてくれ。俺は、どうしたらいいんだ?」

 俺の全てを脱いだ裸の言葉に、眼前の少女は答えた。

しかし、返答は冷気を混ぜた冷たいものだった。

「どうしようもないですね」

「…………え?」

「貴方が言いました。自分が何が悪かったのか分からなくて、解らなくて、判らないと。その証言からでは、当事者ではない私には判断しかねます。自分の中に抱える問題を、他人の声で再確認し、あわよくば答えがあるのではないか? もしかしたら、己でも気付かぬ汚点があり、それを他人に教えてもらおう。という問いだったのでしょう? でも私には彪君の悲しみを今の段階では断定しかねます」

「で、でも……」

「それにこれも適当な何の根拠も無いものなのですが、もしかしたら彪君はただ単に」

「何だよ? 適当でもなんでもいい。何かこの状況を解き明かす可能性が、欠片でもあるのなら教えてくれよ?」

 (すが)るような言葉に返ってきた言葉は思いの(ほか)軽く、俺の絶望を新たに塗り直すものだった。

「運が悪かったのかもしれませんよ?」

 は………………?

「人間の社会というのは弱肉強食です。一見平和に見えても、満ち足りた世界に見えても、常に人は己より弱い者を探しています。自分の鬱憤(うっぷん)を、不の概念を、自分の中に在る『悪』を消費できる相手を探しているわけです。

それは社会の中の格差階級というもので明確に指定されています。平等な社会なんてありえません。この世界の均衡を、人の精神を安定させる為には、その場その場の『生け贄』が必要なのです」

 瀧の言わんとしてることは理解できる。だが、それと俺の今がどう関係しているというのだ?

「なら建て前上、世が平等だと決められている、人と人との間に(くらい)が存在しないコミュニティーの中では、どうやって弱者と言う名の『生け贄』を定めているのでしょう?学校を仮定とすると、法律で定められてもいない『生け贄』がその中で決められる要因。それに明確な規定はありません。ですが今までの歴史から見て、人は自分達より少しでも違う少数派見つけ、迫害します。人種や宗教の違いで戦争が起きているでしょう? (すなわ)ち、彪君の現状は先も言いましたとおり、運が悪かった、としか言えません。そして貴方はちょっとしたキッカケでマイノリティとなりました」

「俺がその『生け贄』だってのか?」

嘘っぱちだと断言したいが、今の俺の現状を考えると彼女の意見は酷く、非情で非道に、的を射ていた。

「…………何だそりゃ? 運が悪いだって? それはもう、笑うしかない」

 意識していないのに、口から乾いた笑いが出た。俺がこんなに悩んでいるのに、瀧の奴はあっさり答えを出しやがった。思ってたとおりだ。瀧 順子は俺の知りたがってた(とう)を教えてくれた。

たとえそれが真実じゃなくても、俺はその答えで自分を納得させることができる。

「ハハッ、俺はなんて可哀想な奴なんだ。ここまで酷いと本当に笑える。喜劇は悲劇って本当だったんだな? な、何だそりゃ?」

 本当に判らないことがまた一つ出来た。口がこんなに、心がこんなに渇ききっているのに、どうして俺の頬は湿ってるんだ?

「本当、同情に(あたい)します」

 己が何故(なぜ)涙を流しているのかさえ理解できない男に、今までの中で一番優しい女の声が聞こえた。気配が近くに感じ、情けない姿を曝す俺は顔を上げる。すると頭と身体を、暖かい熱が(つつ)んだ。何が起こったのか理解したとき、全身が硬直する。

「え? あ、おい……待て」

椅子に座る俺は机を迂回して来た瀧に、子供のように抱きかかえられていたのだ。鼻腔が瀧の女性独特の匂いを吸い込む。人の体温がジンワリと俺の心を安らげた。菟柄 彪を取り巻いていたの『負』の概念が消えていき、心が癒される。(まぶた)から(こぼ)れていた水が乾いていた。

 聖母のように俺を抱きしめた瀧はこんなことを言い出した。

「か弱く真面目な美少女が狭い室内で一人っきりでいます」

「……は?」

「盛りのついた男獣(だんじゅう)には絶好の獲物に思われるかもしれません」

「お、おい、俺はそういうつもりじゃ……」

「そこで彪君に問います。困ってる女の子が今目の前にいます。貴方がとるべき行動は、女の子を守ってあげるべく、名乗り出るのがベストだと思います」

 目の前の女が何を言っているのか、分からない。

いや、理解できる。理解できるからこそ、女の発言が信じられない。だってコイツは。

「ここに、居てもいいって言うのか? 俺にここに居ろってことか? 俺を…………ここに居させてくれるってゆうのか?」

「違います。貴方が押しかけてくれたら、私にとって好都合と申しているのです。別に貴方に好意があって、(おっしゃ)っているのではありません」

 ああ、解っている。瀧が俺によくしてくれるのは、好意でも打算でも意地悪でもない。

ただ単に、優しいから。優しいから瀧は、俺を気にかけてくれるのだ。

今初めて、コイツを理解した。瀧 順子がどうして一人でいるのか解った。瀧は自分が変わってると自覚しているのだ。確かに彼女は、言動は奇怪で行動は突拍子もなく、発想もノーマルではない。だが、全く社交性がないわけではない。

瀧は周りに気をつかえるヤツなのだ。(はた)から見れば無表情でも、その裏では色々考えている。どんなことにも無感動に見えても、現に俺に同情してくれた。

心の無い人間なんて存在しない。もし居たとしたら、そいつは人じゃないヒトデナシだ。瀧にだって血が通ってるんだ。俺は、少しでも取っ付き難いと思ったことを恥じた。結論から言って、瀧は『イイヤツ』なのだ。

「じゃあお言葉に甘えて、今度の昼休みから生物部に寄らせてもらうよ」

 こんな台詞言うのは、正直恥ずかった。でも瀧の今まで俺にかけてくれた言葉や行動の数々は、彼女にとってもっと恥ずかしい筈だ。だからこの恥は、瀧の慈悲への料金だった。

「好きになさってください」

 全くの不意打ちだった。瀧が笑ったのだ!

 その笑顔の可愛いこと可愛いこと。コイツが笑うとこんなに可愛いらしいのか。俺は不覚にもトキメイてしまい、胸の鼓動が早まった。



 そんなこんなが有って、俺は瀧に大きな借りができた。

その上あのダウナー系少女のことを、好きになってしまったのだ。

でも俺は瀧に気持ちを伝えるつもりはない。恐らく瀧は俺だから優しいのではなく、誰にでもああなのだ。それに瀧は邪気の無い善意から、俺に居場所を貸してくれたのだ。なのに俺が瀧に(よこしま)な感情を抱いてしまったら、それこそ最悪だ。

だから、俺はあることを決めた。

俺は何があっても、瀧 順子を絶対好きにならない。

それにスタイル抜群で顔もソコソコでその上、性格も良しとくれば、いつか絶対誰かがアイツのことを好きになる。俺よりも瀧に相応しい男が。助けてもらった俺には、アイツにそんな感情を持つなんておこがましい。

俺はアイツを照らす太陽ではない。俺の願いは唯一つ、アイツの周りを漂う小惑星になれたら上々だ。



 瀧の誘いを受けた日から、俺は毎日のように昼休みは生物部で昼食をとった。気が向けば、放課後の部活動にも、所属もしてないのに顔を見せたのだった。まあ元来(がんらい)の暇人だったからな。

 生物部の部員は毎回来るたびに顔ぶれを変えた。何人かは部室に集まらず、放課後になったら外に直行する人間がいるらしく、そして当然幽霊部員もチラホラいるわけだから、人数は安定しないらしい。

 だが、看過(かんか)できない空気も流れてきた。所詮は狭い教室の中である。何かしら男女が仲良くすれば、噂はたつものだ。瀧がいくらクラスで目立たない背景と化しているとしても、男子生徒と仲良くしてれば、他の女子の話の(さかな)にはもってこいだ。しかも相手が周囲から浮いているこの俺、菟柄 彪君だ。いい噂が立つとは思えない。

このままではイケナイことは目に見えている。何より、瀧が悪い意味で目立つのは、自分のことより嫌だ。俺の心に細かな焦りと淀みが生じ始めていた。

耳障りな音も彼女と出会ってから聞いてない。あの音はなんだったのだろうか?



 そんな憂鬱な気分を引っさげたある日の放課後、俺の歩みは部室棟へと進んでいた。今日考えたことを、瀧に話して意見を聞くためだ。

 生物部の前まで行ったころ、俺の耳に音楽が聞こえてくる。部室のほうから届いてきた軽快なリズムに、俺はかなり覚えがあった。俺は足早に部室のドアを力いっぱい開ける。

「誰だ!『ハイパーノベル対戦F柑橘(かんきつ)編!』を流しているヤツァ?」

 生物部の中には三人の人間が机に座っていた。三人とも男で全く知らない奴だった。

 入り口から一番近いのは、『落ちろカトンボ!』とプリントされたバンダナを巻いている男で、こちらのことをチラチラ焦り気味で見ていた。

その彼と向かい合うように座る男は、制服の学ランの下に『弔電子ロボ』のアニメTシャツを着ていた。CDプレイヤーがその二人の真ん中に置かれ、俺が気になっていた軽快なリズムを流していた。

 そして中央に鎮座する不敵に笑う男子学生。やたら風格のある顔つきでデカイ図体の男で、小さな椅子にその巨体を乗せた姿はどこか笑ってしまうシュールな絵だ。だが、どこかそれを許さぬオーラというか雰囲気を出している。

というか、何だこの高校生とは思えない威厳ある面構えは? 三年の先輩か? いやもう留年生ですか?

少なくとも今まで生物部で見かけた人間のなかでは、この三人は当てはまらないと思う。こんな特徴あり過ぎる三人組を見かけたら、絶対忘れないと思う。

「御機嫌よう。君はもしかして新しい入部希望者かな?」

 三人のなかで一番イカツイ男が話しかけてきた。俺は初対面の人間ということもあって、少し緊張しながら受け答えた。

「い、いや違います。俺はその」

 いつも俺が生物部に来訪したときは瀧がいて紹介してくれたので、事無きを得ているが、どうやら俺のことを知らない人もいたらしい。俺のことをどう説明しようか迷ってしまった。

 そんな俺の所在無さげを見て悟ったのか、男子学生は席を立ち、俺の前まで来て手を差し出した。とりあえず握っとく。

「ボクは次の新井高校美少年ランキング一位と噂されている男。風見(かざみ)……」

 そこで一旦言葉を区切り、いきなり俺の顔まで接近して囁いた。

「…………孜朗乎(しろうこ)です」

「ヒィッ!」

 息が吹きかかる距離まで近寄られた俺は、全速力でコイツから離れた。言動行動は全く未知(みち)奇知(きち)のものだが、男の名乗った名前には記憶が有った。

 風見 孜朗乎。新井高校の一年生のみならず三年の女子にまでその名が知れ渡る、今年一番のモテ男。道行く先々でコクられ、彼女を取られた者もいるとか。

三年生も敬語使われかねないゴツい顔。運動部もビックリの無駄に巨大な体躯。男子の俺には解らないんだが、何でこんなスラダンのゴリみたいな奴がモテるのだ?

「察するにだが、君は部長の友達かい?」

「部長? 誰ですか?」

「我らが生物部部長、瀧 順子君だよ? 彼女の友達である君の噂はかねがね聞いている。菟塚 彪君だったかな?」

 瀧が部長? みんなのまとめ役になっているとは、とても思えない。でも文化部だから皆好き勝手にやっていても問題ないか?

「えっと、他の二人も生物部の部員なんですか?」

「いや、彼らは今回の活動のために集まってくれた模型部の有志でね。『今日ボクがある作業に取り掛かるから、御一緒(ごいっしょ)しないかい?』と誘ったら、嬉々(きき)として参加してくれたのさ。二人はボクの昔からの友人だから、あまり気兼ねしないでくれ。」

気にするなって言われてもな。風見はチッチッチッと人差し指を左右に振りながら、俺に忠告した。

「菟柄君、言っておくが敬語は止めたまえ。我々は同学年なんだ。そういう余所余所しさはナッシングで頼むよ」

 そんなこと言われてもなぁ。どう見たって、どう頼まれたって、お前同年代に見えないし。まあ無理に敬いたくないけどな。

「孜朗乎様!」

 先ほど机の上で何かをいじっていたバンダナの彼が、風見を様付けして呼んだ。彼の話にウンウン頷いた風見は、俺に会釈しながら元の席に戻っていった。

 まぁあのキャラだしな。様付けして呼びたくなるのも解る気がするが……。

「ちなみに風見君達は何してるんだ?」

「よくぞ聞いてくれた菟塚君! 我々は現在、新たな命を生み出すという、生命学の禁忌に挑戦中なのだよ」

「新たな命だ? 何だよ、鋼の錬金術でもやぁってやろうてのか?」

「ふ・・確かに我々のしようとしている偉業はフルスクラッチ&フルメタルアルケミストと言えるかも知れないね?何せ物言わぬ物体に命と、美しさを与えているのだから。今我々が行っている所業は、ビューティフルガールの創造or探求である!」

俺は先の風見の言葉を疑いながら、今生物部にいる人間達を見回す。

三者三様にそれぞれに工具を持ち、机の上に道具を広げ、いそいそと作業に勤しんでいる。隣には資料用と思われる雑誌が置かれていて、かなり卑猥なアニメ絵が描かれていた。何かもう幼い女の子が『食ってくんしゃい』と言わんばかりに痴態をさらしているような。

そして、極めつけとばかりに風見達の手には粘土っぽい材質の人型が握られていて、それを切ったり塗ったり削ったりしている。

俺は確信した。先の風見の発言を信じるなら、コイツらはよもや美少女(ビューティフルガール)人形(ドール)の製作に取り掛かっているのだ。

コイツにこんな趣味が。てゆうか風見 孜朗乎の秘密かい。こんな奴が全校生徒の憧れの的かよ? もしコイツにお熱な女子生徒が知ったら、卒倒する絵が目に浮かぶ。

俺もゲーム好きだけど、ココまでじゃないぞ? つかお前ら素人のクセようやるな?

 俺は瀧もいないので仕方なく風見の近くにあった三脚椅子に腰を乗せ、巨大な身体がその身を縮こまらせながら作業しているのを見ることにした。

 風見の作成していた人形は、今しがた造形や塗装が済んだのか、かなり完成に近いナリをしていた。人形の容姿は髪の短い女の子で()しくも新井高校の制服を着ていた。さらに俺の知り合いのとある女子に似ている。

「なあ風見……この人形、瀧に似てないか?」

 人形のデザインは明らかに瀧 順子を真似たもので、その上、胸元全開で内股の間にはパンツは履いてなかった。おいおい、どこの痴女だ? そこが似てないといえば似てない。

 まさかと思い、いやまさかと考え、まっさかな~とは思い直し、俺は風見に問うた。するとコイツはすんなり答えよった。

「如何にも。これは我等が生物部の(おさ)、瀧 順子を模した御触り人形だ。」

「え? そのまさかかよ!」

「安心したまえ。この人形は複製に関する法にはあんまり反していない。これは個人で使用する為のものであって、けして営利目的で作成したわけじゃ」

「十分様々な方面で有罪だ! つかあんまり反してないって、結構マズいんじゃ……」

 しかも御触りがどうとか個人で楽しむとか、何処にツッこんで欲しいんだ?

 俺の糾弾に少し焦った風見は、苦し紛れな言い訳をする。

「待ちたまえ。確かにこの人形は傍目から見ていた瀧君に似ていても、はたして本人は気付くかな? もし瀧君に見られても『ワッチガコンナキューチィクルなカオスルワケナイジャロウ?』とか言うはず! よって瀧君に気付かれない! つまりOK!」

 風見の机の上でペタンと痴態を曝す人形を見る。ナニか一仕事を終えて疲れたような、赤く火照りながらもおぼろげに微笑む表情は、確かにお目にかかれるものではないが……。

「まあまあ菟柄君、完全に完成の暁には君にも一日だけ貸してあげるから。部長殿には黙っておいてくれたまえないか?」

「なん……だと……?」

 こ、こいつは何を言ってるんだ! このダッチワイフ紛いの人形を俺に貸す? つまりアレか? 俺が人形ごとき劣情を抱くと本気で考えているのか?

ヤレヤレ、菟柄 彪を(なめ)るな!

 だ、だがこの人形の造形美というかリアルさというか、このペタンとしたお座り姿勢には萌えるというか! そう! この完成度には、一種に敬意を覚える。

 そうだ! これを機会に風見君とお友達になればよいではないか? 風見君の魂がこもったこのフィギュアットを一時的でも借り受けることは、言わば俺という人間の格と言うかレヴェールというか信用を試されている証拠ではないか! この人間試験に合格せしめれば彼を仲間に引き入れることはモウケアイだ。

 ならば、俺の取るべき選択肢は一つ!

「ち、しゃーねーな。瀧には黙っといてやるよ」

「おお、心の友よ~! 解ってくれたかね! では完成を楽しみにしていてくれたまえ!」

意気投合する二人の男。だが高まったテンションにより二人は、部屋の主が扉を開け真後ろまで近寄って来たのに気付けなかった。

そこから地獄スタート。後ろから白い綺麗な手が伸び、風見の手から人形を(さら)う。間を置いて何かを握りつぶす音が聞こえたので、風見と仲良く振り向いた。

そこにおわすは瀧 順子様。いつも通りの能面かつ無表情の少女の足下には、四散した彼女の移し身の五体不満足の四肢生首。おいおいマジかよ? はは、悪いジョークだぜ?

瀧の突然の来室に焦る俺の表情を他所(よそ)に、風見は余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)といった具合で答えた。

「これはこれは部長殿。随分遅いご到着じゃないか?」

「風見、コレは何のマネですか?」

「ん……? いや何、それは僕ら敬愛する部長殿を称え、普段から御世話になっている感謝の念を込めて(あが)めるために鋳造(ちゅうぞう)した、御神体(ゴッド)人形(ドール)さ。よく出来ているだろう?」

 コイツ……瀧に人形がバレたと知った途端、御神体説に切り替えやがった。

 瀧は風見の発言に不満げ答えた。

「ええよく出来ていますね。欲求不満な男子高校生の劣情&若気のイタリ&寂しい一人身の夜のお供に使えそうなぐらい…………よく出来ていますね」

 やたら語気が強い瀧部長。てゆうか俺は大幅バレてるような気がするんだが?

 瀧にバレてないと考えている風見は調子良く語り始めた。

「ま、まあそういう良からぬことを思いつく(やから)もいる……かぁもしれない! だが元になったのは、大変悩ましい身体を持つ我等が部長殿だ。部長の92・60・86というグラビア舐めてる奇跡のスタイルを目撃すれば、是非ともお知り合いになりたいと考え、本人も無自覚な獣性を向けてしまうのは、仕方の無いことだといえよう。私のガールフレンドからもよく聞かれるよ? 『何食ったらそんな物をブラ下げられる様になるのか?』と。いやはや大変興味深い。というわけで、脱いで見ないかね?」

風見の天下が続くのも瀧の(こぶし)が飛んでくるまでの話だった。手をワシャワシャ蠢かす風見と瀧の間に何かが動き、デカイ身体を宙に飛ばす。全く見えなかったぞ……!

殴り飛ばされた風見だったが、ここは狭い部室の中だ。すぐに壁にたどり着き、顔面を壁に張り付かせて硬直する文学ゴリラ。

「そうですか。てっきり私のドッペルゲンガーが現れたのかと思いまして。先手必勝で握りつぶしたのですが? 最先を制する者は全てを制するとか何とか言います」

「ドッペル……? 何だそれ?」

聞きなれないカタカナを吐き、いつもの自分の椅子にドスンと腰を降ろした。昼飯のときにいつも座る席で、どうやらそこが部長の席らしい。

「……取り敢えず私っぽいフィギュアは没収です。風見、まだ有りますね?」

俺のことを無視した瀧は、部屋の壁に同化して死んでいる風見に、鬼宣告する。何やら部室のオブジェと化していた孜朗乎は、瀧の言葉を聞き飛び起きた。

「ナンノコトカナ?」

 瀧に言われ滝のように汗を出す風見。殴られた原因なのか、少し曲がった頭部を直しながら、風見は弁明した。どうやら先ほど殴られたのは、他のフィギュアのことを有耶無耶(うやむや)にするための策だったようだ。

「待ちたまえ! この人形は如何わしい物ではなく、美術的云々カンヌンなのだ! そ、そうであろう皆の衆?」

 風見が弁護を求めたときには、模型部の二人は瀧の出現に気付いて、そそくさと道具をまとめて退散してしまった後だった。

 この日、生物部の部室から3体のフィギュアが押収された。



「そういえば、私は彪君に聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 風見の模型部の友達がいなくなり、生物部には俺と瀧、そして巨大な身体を大の字にして涙とうめき声をタレ流す風見が残っていた。

 俺は瀧が問うてきたので、答えた。

「あ、ああ。僕に分かることだったら何でも答えたいけど……」

 瀧は少し考えるように間を空けて、改めて問う。

「貴方は一文字 ゆかりという女子生徒をご存知ではないでしょうか?」

 一文字だと? 何かサイクロンなバイクに乗ってそうな名前だな。本郷さんは?

「確かに風より早い奴ら的苗字ではありますが、彼女は改造人間じゃありません。私の古くからの友人です」

 いいお友達をお持ちですね? でも力の二号ではないとすると、全く見当が付かない。

「いや知らないよ。一文字なんて格好いい名前、一度聞いたら忘れないと思うけど……。一体どういう女なんだ?」

「彼女の特徴は、髪型はツインテールでツリ目。背はそれほど大きくなく、胸もお世辞にも大きいとは言えません。性格は意地っ張りでそっけないくせに、構ってあげないとスネ始めるような、キャラとしては一流のツンデレです。」

「う~ん、それは随分難儀(なんぎ)な性格だな……」

「彪君に覚えがないのなら、もう一つの質問をします。最近学校である噂が流行ってる噂をご存知ですか?」

 今思えば、これが全てのキッカケだったような気がする。

「ドッペルゲンガーの噂を知ってますか?」



 俺は生物部で少しの間ダベッた後、駅まで続く帰りの林道を歩いていた。夕方はいつもほの暗いこの道だが、今日は日が高くて夕日が差し込むほど明るかった。

 瀧と話した話は二つ。一つは学校の噂話は絶対に信じないで欲しいということだった。女子達の間に流行った噂は『何とか様にお願いすれば、願いを叶えてくれるらしい』というもの。『何とか様』というのは俺が名前を覚えてないだけで、本当はここいらの名のある神様だそうだ。多分信憑性を深めるために誰かがとってつけたんだろう。

 実はこの噂は笑い話じゃなくて、ちゃんとした実害があるらしい。現にこの噂の『願いを叶える手順』を踏んだ者は、行方知れずになることもあるらしい。ヤレヤレなんともまぁ、危ない話だな?

 二つ目は(くだん)の人物、一文字 ゆかりのことだった。なんでも、最近一文字 ゆかりが学校を休んでいるとのことだった。

瀧はもし学校以外で一文字を見つけたら、自分に教えて欲しいと瀧は言っていたのだ。何だソイツ……サボっているのか?

瀧に友達がいてちょっと嬉しかった俺だが、マトモな奴と付き合っているのか心配になる。でもそんな想像をしている俺が、なにかのお母さんチックだったので止めた。

 周りの林も少なくなってきた。もう少しで人気(ひとけ)のある駅近くの街道にでるだろう。夕日が作り出す木々の影も少なくなってきた。

その影のなかに一つ、人の形をしたものが加えられる。影は日の元に姿を見せ、こちらに接近してくる。表わになった影は女の形態をとっていて、その口から音を出した。

「こんにちは」

 俺の網膜が脳に送ってきた映像は、新井高校の制服を着た女子生徒。髪型はツインテール。ギザギザのリボン。

「初めまして。私は一文字 ひかり。よろしくね?」

一文字 ひかりという名前は、瀧が話していた友人のことを思い出させた。この女が瀧の友達のフケッている不良の一文字って奴に違いない。

 でもコイツ……サボっているのに何でわざわざ新井高校の制服着ているんだ?

「もしかして菟柄 彪君は……ゆかりちゃんと会ったこと有るの?」

「あれ……? お前……」

 一文字女子生徒は俺の言葉に首を傾げて奇妙なことを二つ言った。ゆかりちゃんと会ったことあるかって? ゆかりはお前だろうが。自分の名前を一人称にするって、どんなカワイコぶりっ子だってんだ?

 んん? ゆかりだと? さっきコイツは自分のこと別の名前で名乗ったような?

「ちょっと聞きたいんだけどさ。彪君てさ、瀧って人とさあ? 付き合ってるんでしょ?」

「はあ? 何言ってんだお前? それなんてギャグだ! 俺と瀧が恋仲だって? 人の気も知らないでふざけてんじゃねぇよ!」

 俺は瀧をそういう目で見たくないってのに、瀧の悩ましいボディを見ないように努力してんのに、なんてこと言いやがる?

何も知らない他人から、瀧と俺の関係についてとやかく言われて、俺は強い怒りを感じていたのだった。

対する一文字は、怒気を当てられたのにとぼけた様子で、俺に聞いた。

「あれ? おかしいな。だからゆかりちゃんは貴方を」

 俺を見る一文字の目には怒気ではなく、別のものが宿っている。それは……。

「ブッ殺して欲しいってアタシに言ったんだよ?」


殺意。


 体内に異物感。左肩の神経が脳に通告と痛刻。その痛みに従う形で左肩を見やる。そこには一文字女子生徒の物と思われる、人差し指と中指が刺さっていた。

「…は?」

 一文字は両手を下ろしてる。その左手の白く綺麗な指。内の二本が下ろされたままの状態で折れ曲がり、そのまま俺の肩に突き刺さっていた。

 一文字はただ立っている。すまし顔でそこに立ち、指だけがひたすら伸び、俺の肩に到達していた。

 プクリと血の玉が指と肉の間から滲む。流れる赤は重力にしたがって二つに分かれ、俺の腕と一文字の伸びた指を伝っていく。肩がもの凄く熱くなってきた。

「痛てえぇぇぇぇぇ…………!」

「ごめん。痛かった?」

 有りえないことをしといて、とんでも無いことをしといて、一文字は可愛く尋ねてきた。

「い、痛い……だと? 体刺し貫かれて痛くない人間がいたら、紹介しやがれ!」

「良かった~。なるべく酷い目に遭わせるようにって、ゆかりちゃんにも言われてるんだぁ。菟柄君が苦しんでくれて、悲しんでくれて、ゆかりちゃんが喜んでくれて良かった~!」

俺はさっきから冗談みたいに肩が痛い。傷口を手で押さえてるのに、景気良く血液が漏れてくる。さらに指が動いた。

「うぅぅぅぅ!」

 いっそう痛覚が作動し、脳と精神に激しく訴えてきた。体内で自分と神経の繋がってない物が動く感触。痛くて痛くてどうにかなってしまいそうだだった。

 俺は無駄と理解していても、痛みの支配者に懇願してしまう。そんな愚かで情けないことをしてしまうほど、俺の現状況は判断不能だった。

「お、おい、もう止めてくれよ……」

「苦しんでくれたみたいだから、もっとしてあげるね? 取り合えず全身の肉を穿り返してあげる」

無邪気に死刑宣告する死神はもう片方の指も、間接的に異常な動かし方をし始めた。コイツは明らかに人間じゃない。一文字 ひかりという名前の化け物だった。


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